第66話 放たれた槍
「ん!?なんだアレ!!?」
ウェルダンシティへと向かうため凧に乗るケインたちが突如目にしたのは、急接近してくる得体の知れない薄肌色の丸く大きな袋のようなものだった。
撃ち落とそうと青影が身構えたのを、まだ酔っているゴアが制止した。
「ゼゼゼゼブラの胃袋だなウェッ。うけ受けけ止めろケイン」
「え、胃袋!?」
一瞬、胃袋が飛んできているという状況の奇天烈さに受け止めるべきか逡巡したものの、シマシマの胃袋がわざわざ飛んでくるということの重要性を理解したケインは容易に片手でそれを受け止めた。
何が入っているのかはケインには見当もつかないが、見た目以上の重量は感じない。
中を確かめようにも、上下にあったであろう入り口及び出口と呼ぶべき箇所は固く閉じられ、凧に乗っている現状では無理に開くこともできない。
そもそも、もしこの胃袋に入っているものが人間等の生き物であったのだとしたら、高速で移動している今この状態で確認するというのは得策ではないだろう。
一行は中身がせめてまだ生きている人間であることを祈りつつ先を急いだ。
その中においてケインは、胃袋の持つ若干ぬめっとした感触の不快さとの格闘を強いられていたが。
「棟梁……棟梁。繋がったんやったら返事してくれまへんか?」
サラミ婆さんとロレッタの戦いを見ている赤影の薬指から緑影の声がしていたが、当の赤影も、横にいる桃影も聞こえていなかった。
先程のサラミ婆さんの大声をモロに浴びてしまい、聴力が極めて鈍くなっていたのだ。
それでも指に結ばれた糸の感触から、『忍法・意思伝糸』がかかっていることだけはわかったので、聞こえないながらも一応の返事をする。
「あ……えっと、黒影は小指だから……青影か?どうした?」
「いや緑影ですけども。こっちはえらいこっちゃですわ。言われた通りにデュナミクの首都アマビレを見張っとりましたんですけども、総司令官のヴァンピロに見つかってまいましてなぁ。急いで地面に潜って、なんとか連中を撒いて路地裏から『意思伝糸』飛ばしとるんですけども、ここもいつ見つかるかわからしまへんのや。そっち合流さしてもろてよろしおまっか?」
「……え?」
このような時に限って、隠れながら通話している緑影の声はいつもよりずっと小さいもので、赤影は一切聞き取れなかった。
「すまん、青影、もう一度言ってもらっていいか?」
「緑影や言うとるんですけども。そっちと合流さしてもろてええですかね?」
「すまん、青影、もうちょっと大きな声で言ってくれないか?」
「緑影言うとるやろ。隠れとる身ィで大声出せるかぁアホタレ」
流石に若干切れ気味の緑影だが、それでも声は抑える忍耐力は備えていた。
「困ったな。拙者は補聴の術は使えんし……おい桃影、拙者に補聴の術をかけてくれんか?」
桃影からは返事はなかった。
サラミ婆さんたちの方向を見たまま、今までの赤影たちのやり取りも一切聞いていなかった。
赤影が肩を叩いてようやく振り向いたが、赤影が何を求めているのかは聞こえていないのでわからなかった。
「補聴の術、かけてくれ」
「え?」
「ほーちょーうーのーじゅーつ、かけてくれ」
「ええ?」
「ほー!!ちょー!!うー!!のー!!」
「もうええわ!!!」
糸の先で繰り返されるやり取りに、とうとう緑影の忍耐力が限界を迎えた。
「そっち向かいます!!それまでに聴力戻しといてくんなはれ!!ほなごめんやっしゃ!!!」
それを最後に、緑影と赤影を繋いでいた糸も切れた。
「……なんて言ったのだろう、青影……」
赤影が未だに青影か緑影かすら判別できていないことを知らずに切ったのは、緑影には幸運だっただろう。
女王ロレッタから伸びる『アラルガンドの右腕』と『ストリジェンドの左腕』は、先程までとは別物のように強大な魔力を帯び、その影響かロレッタ自身が纏う魔力さえも、サラミ婆さんとシマシマに冷や汗をかかせるほどの脅威となっていた。
頭で状況の整理がつかないシマシマに対し、サラミ婆さんは過程はともかくとしてひとつの事実を事実として心で受け止めていた。
ロレッタ=フォルツァートは、たった今をもって自分より遥かに強くなったのだという事実を。
「だけど知ってはおきたいもんだねぇ、ロレッタ。さっきまで確かにあたしに劣っていたはずのあんたが、それほどに強くなっちまったカラクリをさぁ」
どこか諦め混じりの声を聞き、優越感に浸りつつロレッタは応えた。
「我が国はこれまで、ふたつの『不良在庫』を抱えていました。ひとつは弱りすぎて一般家庭での仕事さえ満足にこなせなくなった、他国で捕まえた奴隷。そしてもうひとつは、魔力を高める効果があるので我が国の兵士たちが用いようとしたものの、自我を失う危険性があるために禁止した麻薬。数年前から『爆弾』に変えて使うことでそれらを処理していたのですが、つい数ヶ月ほど前、我が国の総司令官がある使い道を思いついたのです」
デュナミク王国の総司令官がどのような人物であるか、シマシマはよく理解していた。
総司令官ヴァンピロ自身よりも早く、その正体に気付いていたのだ。
「ロズ……!」
「麻薬を薄めて使用することで、自我の喪失も少し抑えられることが判明しました。重度の痴呆程度までは思考能力が弱まりますが、我が国への忠誠心を植え付けるための脳に改良することは容易になり、更にはそのまま使用するよりは効果が薄くとも、魔力を増幅させることまでできたのです。まあ、我が国に生まれた者ではない分、この『腕』に馴染むのには時間を要しましたがね」
「……要するにあんた、捕まえた他国の人たちを洗脳して、自分の力に変換させるために殺したわけかい」
「我が国に生まれなかった者が、我が国における『至宝』の一部となって死ねたのですよ。これまで爆弾として処分した60万ほどの命よりも、この『腕』に宿った8万ほどの命の方が、ずっと幸福だったと思いませんか?」
サラミ婆さんとシマシマの怒りは頂点に達していた。
真っ直ぐに飛びかかるシマシマのその上で、サラミ婆さんは二本の大槍をロレッタへと突きつけた。
「悪魔がァァァアアアアッ!!!!!」
だが、その槍がロレッタに届くことはなかった。
『アラルガンドの右腕』に阻まれた二本の槍は、先端を容易く握り潰されていた。
「先程も言いましたが、彼ら8万の命が馴染むのには時間を要したのです。あなたたちの攻撃がほんの少しでも早ければ、今頃はそこのドラゴンが言っていたように、あなたが勝っていたことでしょう」
『腕』を挟んで向かい合う両者。
拮抗していたはずの実力差が、今は完全にロレッタが勝っている。
それを実感している両者の表情はまさに対極であった。
愉悦と懊悩、互いに見れば見るほどに、その色はより濃くなっていく。
「サラ=ポプラン、あなたは勝利を自ら手放していたのですよ!!」
ロレッタがそう言いながら『アラルガンドの右腕』で軽く振り払っただけで、サラミ婆さんは槍諸共に吹き飛ばされた。
「サラミさん!!!」
シマシマは慌てて旋回し、空中に投げ出されたサラミ婆さんを再びその背に受け止める。
背の上でサラミ婆さんが立ち上がるのを感じながら、シマシマはサラミ婆さんの両腕が既に折れていることを察知した。
槍の突撃が阻まれた時、その衝撃で折られていたのだ。
「サラミさん、もう勝ち目はない。逃げてケインたちと合流しよう」
「……馬鹿言ってんじゃない。逃げるならおまえだけ逃げな」
槍を手放したサラミ婆さんの腕が肥大し、シマシマの上で更なる異形化が始まった。
肩が、腕が、背が、脚が。
サラミ婆さんが持つ最大の攻撃を放つため、四足獣の如き変貌を遂げていく。
目を赤い膜が覆い、乱れた白髪が全身を流れる魔力にうねる。
かつて、海賊キャプテン・オーロが見ただけで逃げ出したほどのその姿は、最後の一撃を放つための、サラミ婆さん最終形態であった。
「あたしが逃げたら誰が守るんだい?この町を……皆が帰るべきウェルダンシティを、誰が守るんだいィ!!?」
シマシマは何も言わなかった。
その姿から繰り出される一撃は、威力の分、隙も反動もこれまでと桁違いであり、ならばそれを軽減することが、今の自分にできるせめてものことなのだと悟った。
サラミ婆さんの口内が光っているのを見て、ロレッタは両方の『腕』を自身の前に突き出した。
「どちらが魔獣かわかりませんね。ですが良いでしょう、最期まで抗おうと言うのなら、わたくしも女王として、その攻撃を受け切ってみせましょう」
一方で、戦いを見ていた侵略隊総隊長グイドは、大慌てで周囲の部下たちに命じた。
「全員退避!!!かつてない攻撃がくるぞ!!!急げ!!!!」
侵略隊の面々が動き出した時、サラミ婆さんの口がカッと開いた。
「『老婆獄滅晄咆』ォォオオオオオ!!!!!」
サラミ婆さんの魔力と生命力を燃料に放たれたそれは、普段放つ炎などの比ではない破壊力を持つ熱光線だった。
余波だけで生半可な魔力しか持たない者を焼き殺すほどの熱光線の照射は、3分にも及んだ。
シマシマが翼を羽ばたかせて熱を遮断しなければ、ウェルダンシティの町までも巻き込んで焼き尽くしていただろう。
やがて、魔力が尽きて光線が途絶えた時、目を覆っていた膜が剥がれ落ちたサラミ婆さんが目にしたのは、
「どうやらここまでのようですね」
無傷の女王ロレッタの姿だった。
「海賊オーロをも凌ぐ実力を持つあなたを殺すことができれば、それはこの地上にわたくしより強い者が存在しないのと同じこと。今それが現実になるわけですね」
サラミ婆さんはそれに反応する力もなく、ただシマシマの上で倒れ込むしかなかった。
「逃げ……逃げようサラミさん!!!!」
シマシマは反転して全速力で飛んだ。
ロレッタはそれを眺めながら、『ストリジェンドの左腕』から魔力を抽出すると、それを結晶化させ、『アラルガンドの右腕』で握った。
光り輝くそれは、まるで槍のような形状をしていた。
「あなたたちはこの場で死ぬのですよ。わたくしがそう決めたのですから」
二人を一度に殺せるよう狙いを定め、『腕』は槍を放った。
「神速の槍……『イスタンテ・パウーラ』!!」
瞬間、シマシマは背中に強い衝撃を受けた。
何をされたのかはすぐにわかった。
女王による攻撃ではなく、力尽きていたはずのサラミ婆さんが、自身を思い切り踏みつけたのだと。
つまり、今サラミ婆さんは自身より僅かに上空にいるのだと。
「サラミさん!!?」
急いで上を向いた時、そこには悪夢のような光景が広がっていた。
つい今しがたシマシマを踏みつけたはずの足どころか、サラミ婆さんの腹部から下が、丸々消し飛んでいたのだった。




