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第64話 バートンはもう飛べない

 オーロのそれぞれの手から、サーベルと銃がこぼれ落ち、銃は同時に姿を消した。

 主人の意識が消失したことで浮力を保てなくなったコンリード・バートン号は、二人を乗せたまま落ちていく。

 無論、魔力も体力も全て使い果たし、更には気を失ったケインではそのまま落ちるしかない。


「ケイン!!!」


 戦いを終始見守っていたゴアは、ケインが既に限界に達していたことは悟っていたのだが、勝利に安堵していたために助けに行くための魔力を解放するのを忘れてしまっていた。

 ゴアが動くよりも前に、黒影と青影の二人がケインを助け出し、彼をゴアの側まで連れて行ってくれた。

 落ちた船とオーロはそのまま海へと沈んでいき、姿が完全に見えなくなった途端、海は何者も寄せ付けぬように荒れ狂い始めた。


「おい、起きろケイン。起きろ。起きろ起きろ起きろ起きろ」


 気持ちよく眠りに落ちつつあったケインだが、ゴアに何度も顔を叩かれては、起きざるを得なかった。

 目を覚まして上半身を起こすとゴアの他に黒影と青影までいたことに、まずケインは驚かされた。


「え。いや、あの、なんで……いるの?」


「やはり気付いておらんかったか。こいつら、ずっと前から見とったぞ。手出しはせんかったから俺は無視しておったが」


「ワオ、気付かれるとは侮れないチャイルドですネ」


 黒影と青影は勿論のこと、天守五影を含むヒノデ国の誰もがゴアの正体を知らない。

 特に説明する義理もないので、ケインとゴアはスルーしたが。


「拙者らはケイン殿とオーロが戦い、もしもオーロが勝った場合、その時のオーロの弱り具合によって対処する役割を任されていたのだ。オーロが勝っておれば、奴はヒノデ国を潰すつもりだったからな。ケイン殿が勝ってくれたおかげで、ヒノデ国は守られた……礼を言う」


「センキューベリーマッチ」


「お礼なんていいよ、あんたらのためにやったんじゃないし……それに」


「それに……なんだ?」


 ケインが見ている方向にゴアも目をやると、海がより激しく荒れ、波しぶきを上げていた。

 勝者とは思えぬほど、それを見つめるケインの顔は暗い。


「なんか……勝ち逃げされた気分だ。試合には勝ったのに勝負には負けた、みたいな、そんな感じ」


「妙なことを言う奴だな。おまえはちゃんと海賊を倒したんだろうが。瘴気を放つ死体を持って来んかったのは感心せんが、そこを除けば文句なしの大金星だろ」


「どうかな……確かにオーロを倒したけど、あくまでも俺は『海賊キャプテン・オーロ』を倒したんだ。あいつは最後まで『キン=リブス』には……ならなかった」


「は?」


「は?」


「HA?」


 耳慣れない名前を聞き、事情を知らない三人は同時に首をかしげた。

 もちろん何も知らないことを承知ではあったが、それでもケインは心中を吐露せずにいられなかった。


「しかも俺は最後の一手、あいつが『海賊』であり続けるだろうと信じてしまっていた。あいつが最後まで『海賊キャプテン・オーロ』でなければ勝てない、成立しない一手だったんだ。それを選んだ時点で、俺はあいつとの根比べに負けたんだ。俺は……」


「ていっ」


「せやっ」


「BANG」


 三者三方向からのチョップが、一斉にケインの脳天へ振り下ろされた。


「戦いの勝者が自分の勝ちにケチをつけるな。敗者のケチすら聞くに堪えんのに、勝者のそれは敗者に聞かせたら耳が腐り落ちるほどおぞましいものだぞ」


「ケイン殿が勝ったという事実、それは我々三人が証人だ。ケイン殿やオーロがどのように言おうとも、我々がいる限り、その事実が捻じ曲がることはない。そうだろう、黒影!」


「……ソーリー。ノリが良かったんで便乗して叩いちゃいマーシタ」


「おいっ!!!」


「……ぷっ」


 ケインに笑顔が戻ったのを皮切りに、4人は笑った。

 胸中に秘められた疑念を誤魔化すように、出来る限り海を見ないよう、思い切り笑った。

 オーロは本当に死んだのか?

 海を操って荒れさせることで行方を眩ませただけに過ぎないのでは?

 それを今確認できるほど、黒影と青影、ゴアにとってこの勝利は容易く手放せるものではなかった。

 だが、ケインの胸中には疑念以上に強い、確信めいた想いがあった。

 例え自分の剣によって死ななかったとしても、恐らくもう少しでオーロは死ぬ。

 クラリからマキシマムサンストーンを受け取りに行った際、ゴアにもそう話したが、それをゴアは理解できなかった。

 ただケインが言うのならそうだろうと納得はしたが、何故そうなるのかまではわからなかった。


「バイザウェーイ」


 和やかな雰囲気を打ち切るように、黒影は手を合わせて言った。


「なんだ『ばいざうぇい』とは」


 青影はヒノデ国以外の言語に疎かった。


「ところでって意味デース。私と青影(ヤナギー)はそろそろ仲間と合流するたメ、ウェルダンシティに向かわなければなりまセーン」


「え、ウェルダンシティ?なんで?」


「デュナミク王国の侵略隊をヒキいている女王ロレッタ=フォルツァート、ウェルダンシティにいるお婆サン、サラミ=ポプランが交戦中なのデース。ケインサンたちのお仲間のトカゲさんも、今はウェルダンシティにいマシたよネ?」


 返事をするより先に、ケインは立ち上がっていた。

 ライガが、シーノが、シマシマが、そしてサラミ婆さんが危ない。

『サラミ婆さんなら負けるような心配はないだろう』という気持ちも心のどこかにはあったが、それを上回るほど強烈に嫌な予感に頭を埋め尽くされていた。

 一刻も早く行かなくてはならない。

 しかしそうしようにも、浮遊魔法で僅かに浮くこともできないほど、今のケインは搾りかす程度の魔力すら残されていなかった。

 何故ウェルダンシティのことをもっと早く言わなかったのかと、八つ当たりしそうになるほどの無力感に苛立ちを覚えているケインの心中を知ってか知らずか、頭巾の下で青影と黒影は不敵な笑みを浮かべていた。


「ケイン殿も向かうのならば、我らに同行するが良い。今のケイン殿が飛ぶよりも、その方がずっと速い」


 ゴアは魔力を解放して飛ぶつもりでいたのだが、青影にそう提案されたことで今しばらくは我慢した。

 正体を明かすことで余計な戦闘になるかもしれないと考えたのである。


「飛べるのか?」


「残念なことだが、浮遊の術を使える者はヒノデ国には我らが棟梁しかおらぬ。お主らが思っている以上に貴重なものなのだぞ?浮遊の術の使い手というのはな。しかし、何も浮遊の術だけが移動手段というわけではない。飛べぬのなら飛べぬなりのやり方はある!」


 そう言って青影は黒影と手を繋ぎ、ケインとゴアをそれぞれに抱えると、背中にどこから取り出したのか、凧を出現させた。

 凧は大人5人分はあろうかという幅で、それとがっちりと繋がった青影は飛び上がった。


「いや飛べるではないか」


「飛べてはおらん!今はただ風に乗っただけのこと、向かう先を示す糸が必要だ。その糸は……」


「ワターシに任せてくだサーイ!『忍法・意思伝糸』糸強度マーックス!!」


 普段仲間内で使用するよりもはっきりと目に見えるほど太い糸が、黒影の小指に張られた。

 小指から糸を伝って声が聞こえてくる。


「こちら赤影、わざわざ太い糸でかけてきたということは、こちらに来るということか?」


「イエース!『忍法・糸巻巻(ヒイテトントントン)』、いきマース!!」


 黒影の掛け声と共に、糸は一気に縮み、それに引っ張られてケインたちはウェルダンシティへと向かった。

 激しい揺れと風圧は、ゴアには耐えがたいものだったが。


「あべべべべべべべべ別に、これじゃなななくっても、よよよかったのではははははははは」


「我らが持ち得る手段ではこれが一番速い。糸が引く力を利用するので、軽い凧を使わねば棟梁も引っ張られてしまうから、どうしてもこの揺ればかりは仕方がないのだ」


「しししかたないとてとてとて、こここれはははははは、けけけけけけケインンンンンン」


 少しでも体力を回復させることに専念していたケインは、ゴアの文句を一切耳に入れなかった。

 それから僅か2分後、彼ら3人はゴアが盛大に吐いたことで悲鳴を上げることになる。






「静まれ……静まれよ、俺の海……」


 ケインと戦った場所から離れた森に、オーロは流れ着いていた。

 斬られた箇所を気休め程度に押さえ、背中越しに荒れ狂う海に語り掛けながら、体力が回復するのを待っていた。

 全身の骨という骨が折れている。

 左の肩から右の腰にかけてが斬られ、更に落下し、海に揉まれた衝撃で傷はより深々と開き、胸骨まで剥き出しになっている。

 オーロは誰よりも自分の体のことは理解している。

 ()()()()()()()()()()

 今まで幾度も重傷と呼べる範疇を超えた傷は負ってきた。

 致死量の猛毒を撃ち込まれ、全身黒焦げになるまで焼かれ、殴られ、斬られ、打ちのめされ。

 それでもオーロは死ななかった。

 肉体が死に向かおうとも、心が死のうとしていなかった。

 心が飢え、渇き、生にしがみつく限り、死を忘れている限り、その時は決して訪れることはない。

 それをオーロは理解しており、彼に死を思い出させることは、ついぞケインでさえ叶わなかった。

 とは言え。


「ほったらかしじゃあ……いつ回復できるかわからねえな」


 体力も魔力もなく、ケインとの戦いに集中するため、味方まで遠ざけた。

 このままではどこへ向かうこともできない。

 頼みの綱であるコンリード・バートン号に意識を向け、海底へと掠れた声をかけた。


「バートン……バートン、来てくれ」


 コンリード・バートン号は応えない。

 海は相変わらず荒れたまま、主が欲する物を引き上げてくれない。


「おいどうしたバートン。いつもみてえに俺を連れてってくれ。ほんのちょびっとだけよう、こっからまっすぐ……そしたら、あいつの家に行けるんだからよう。おい、頼むよバートン。飛んでくれバートン」


「随分と弱っているみたいね」


 ぼんやりと、黒魔女クラリの姿が目の前に見えた。

 クラリは正面から歩いて来ていたが、彼女が声を発するまで、オーロの目は彼女を捉えることができていなかった。

 ようやく焦点が合い、オーロは安堵の笑みを浮かべた。


「オォ、おまえさんから来てくれるとは助かったぜ。本当はこっちから出向きたかったんだがよう、この通りすぐには動けそうにねえんだ」


 傷を押さえていた手を離し、クラリへと伸ばす。


「黒い林檎……持って来てんだろ?食わせてくれ。手っ取り早く傷を治してえ」


「治せないの?いつもみたいに」


「そうしてえところだが、生憎と魔力が底を突いちまった。回復の手段が欲しいんだよ。もったいつけてねえで、さっさと……」


 オーロの言葉が詰まった。

 今、目の前にいるクラリの気配が異なっていることに気付いたのだ。

 姿は先日見た時と何ら変わらない。

 だが、何かが()()()()()

 とても小さいが、何か鼓動のようなものが、クラリの中でもうひとつある。

 クラリが腹部を擦ったのを見て、その疑念が確信へと変わった。


「おい……冗談よせよ。昨日の今日だぜ?いきなりそんなことになってるなんて、そんなことがあるかよ……?」


「そんなことがあるのよ。私が魔獣だから人間より早く発覚するし、早く()()()は成長するしね」


「いや、だが、そんな……そもそも俺は……」


 100年前に打ち込まれた毒には、生殖機能をほぼ失わせる効果もあった。

 もちろん効き目が切れていないかどうか、これまでに何度も()()()が、初めから期待などしていなかったし、実際子を成せたことはなかった。


「情けない顔。この子にはとても見せられないわね」


 そう言っているクラリの顔が随分と上の位置に見え、気が付くとオーロはへたり込んでしまっていた。

 傷口から血が溢れ出し、全身の痛みが少しずつ鈍くなっていて、皮膚が冷えたような感覚がある。


「あ……」


 毒にやられた100年前以来忘れていた感覚を、この時オーロは思い出した。

 肉体だけではない。

 心が、死に向かっている感覚だ。


「ちょっと待ってくれよ。世界中のお宝を奪おうって気概で100年も海賊やってたんだぜ?そんな俺様の、このキャプテン・オーロ船長の『本当の一番』が……そんな安っぽいもんだったなんてオチが……あるかよ?」


 安っぽい。

 言葉に反して、オーロの胸中には熱いものがこみ上げていた。

 皮膚の冷えさえ忘れさせるほどに。


「……私の残った魔力で、会わせてあげられるわよ」


「よせ、そんなもん必要……」


「『ハピバァ』」


 黒魔女クラリは、人類が使える魔法よりも遥かに幅広い種類の魔法を作り出せる魔獣である。

 願いを叶えることのできる果実までも作り出した彼女にとって、瘴気を摂れず限りなく弱り切った現状であっても、胎内に宿る命を臨月相当まで成長させ、無痛で産み落とすことは不可能ではなかった。

 呪文を唱えた途端、彼女の腹は大きく膨らんだかと思えば、直後その腹をすり抜けて赤子が彼女の腕の中へと舞い込んだ。

 自身と同じ赤い髪が僅かに生えた赤子が元気な産声を上げるのを聞き、オーロは這って近づいていった。


「ああ……ああ……!!」


 クラリから赤子を受け取った時、赤子のぬくもりと、彼の胸中にある熱いものとが重なり、心全てが満たされた。

 100年もの間、海賊として探し求め続けていた『本当の一番』が、今彼の手の中にあった。


「そうか……そうか……そうか。俺は……」


 彼の頭の中で、大切だった二人の顔が浮かぶ。

 父親と、海賊リモー=コミック。

 実の父と違い、リモーとは血の繋がりもなく、共に過ごした時間も僅かなものだったが、彼へ抱いていた感情は父親と同じものだったのだ。


「俺は……『親父』になりたかったんだ……」


 そう言った彼の顔は、これまで幾度となく笑ってきた中で、とりわけ穏やかな笑みを浮かべていた。

 腕の中にいる我が子が泣き止み、彼に笑いかけるほどに。


「他の部下たちはどうするつもり?」


 最早夢見心地になりつつあるオーロにクラリは現実に引き戻す言葉をぶつけたが、彼の心は揺らがなかった。


「あいつらとは常に一日に一度は連絡取り合ってんだ……途絶えた奴は死んだと思えって言ってある。まさか……『てめえらが死のうが俺は死なねえ』って100年言ってきた奴が死ぬなんざ、誰も思っちゃあいねえだろうな……」


「彼らもそうだけど、散々やりたい放題やってきて、この子まで残して先に逝くなんて、随分無責任だと思わない?」


「ガハハ……そうかもな。けどよう、俺だっておふくろの顔も知らずに育ってんだぜ?差し引きゼロで、神様も許しちゃあくれねえか?」


「どのみちあなたが行くのは地獄よ」


 オーロの頬に涙が落ちてきたが、それに気付けるような感覚は彼に残されていなかった。


「ガハハハ……」


 クラリの膝に頭を預け、腕の中の我が子と笑い合い、これ以上ない充実感に包まれた中で、オーロは最期に言い残していたことを思い出した。

 宿敵とさえ呼べる男への言葉、これだけ言えれば、後はもう何もいらなかった。


「俺は海賊キャプテン・オーロ……勇者キン=リブスにはやっぱり戻らなかったなあ……おまえさんの当初の目的は果たせなかったわけだ。俺を殺すのはおまえさんじゃあねえ。俺自身が、満足した結果だ……強がりじゃあねえぜ、ケイン………………俺の勝ちだ」


 海賊キャプテン・オーロ、本名キン=リブスはこの時118歳。

 ようやく彼の胸に舞い込んだ充実感は、その年齢に違わぬ姿まで皺を刻み、肉を削ぎ、鮮やかだった赤い髪を白く染め上げた。

 妻となる契りも交わさなかった女に抱かれ、誰よりも多くの景色を見続けた男は、彼自身が最も嫌った陸の上で、満足して死んだ。

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