第62話 望まぬ決着
「一応訊いとくよロレッタ。手を引くつもりはないんだね?」
上空にいる相手にもよく通る、しかしいつものように馬鹿に大きくはない声でサラミ婆さんは尋ねたが、ロレッタは答えずにただ町並みを眺めていた。
それは即ちサラミ婆さんからの問いかけに対する肯定の意味も込められており、故にシマシマは勝利を確信しながらも殺気立たずにはいられなかった。
やがて、サラミ婆さんとシマシマを除いてウェルダンシティに誰一人残っていないと判断したロレッタは、再び『アラルガンドの右腕』と『ストリジェンドの左腕』を背後に出現させて言った。
「ボーダードラゴンの胃は異空間になっていてあらゆる物を収納できると、そう聞いています。そこのドラゴンの中に町の者たちを避難させた、と言ったところですか?」
「……よく勉強してるじゃないか。ボーダードラゴンなんてもう俺以外残ってないのに」
「何、魔獣に詳しい人材がいるというだけですよ。それよりも、わたくしの方からもひとつ、一応訊いておかなければならないことがあります。答えなさい」
自分は答えないくせに人には強要するのかと、そこにいる誰もがそう思ったが、それを気にする女王ではないこともまた理解していた。
「サラミ、あなたほどの人をただ死なせてしまうのは惜しい。わたくしでも流石にそう思います。ですから、その力を残り少ない生涯、我がデュナミク王国のためだけに費やすことを誓うのであれば、あなたの命を今この場で奪うのはやめておきましょう。そこのドラゴンを殺せば誓いを立てたと認めてさしあげます。30秒だけ時間をあげますから、じっくりと考えた上で……」
「あんたたちこそ、その30秒間でとっとと帰るんなら見逃してやる。そうでないなら覚悟決めな」
即座に返答しつつ、サラミ婆さんは膝を曲げ、拳に力を溜めていた。
今の答えで女王がどう動くのか、それを知った上での態勢である。
一方のロレッタも、『腕』に力を溜めつつ降下しようと身を屈めていた。
それより早くに行動に出たのは、女王への無礼な態度に憤る侵略隊の面々だった。
「生意気なババアだ!!俺たちだけで串刺しにしてやる!!」
「貯め込んだ物資も全部いただきだぜ!!」
「よせ!!!」
総隊長グイドの制止を振り切り、数人の隊員が武器を構えて降下し始めた、その時だった。
「あァァァたしの町に手を出すなァァアアアアアアア!!!!!」
住民がいたために一度として全力で上げたことのなかったサラミ婆さんの咆哮。
町中のガラス窓を粉砕してなお余りある威力を持つそれに中てられ、何人かの隊員たちが意識を失った。
そのまま落下してしまえば確実に訪れる死を回避すべく、どうにか意識を保っていた隊員たちによって助けられ、彼らは宙に留まっていられた。
彼らの無事を確認したロレッタは、自由落下などとは比較にならない勢いでサラミ婆さんへと迫った。
救助した隊員たちがまたしても彼らを落としそうになるほどの衝撃に見舞われることとなったのは、その直後。
サラミ婆さんの拳と、『アラルガンドの右腕』が激突した瞬間である。
単純な殴打のぶつかり合いではあったものの、その破壊力はサラミ婆さんの足元を伝い、大地を割り、周囲の建物をも呑み込んだ。
「ッッツェェェェエエエエエエエイ!!!!!」
拳を振り抜いたのはサラミ婆さんの方だった。
僅かに後退させられたロレッタは、次なる攻撃に備えて呼吸を整える。
「あたしのがほんのちょっと強い、そう言ったねシマシマ」
振り抜いた右拳を開閉させながらサラミ婆さんは問う。
「ちょっと前までは大分差があったはずなのに、ほんのちょっとなんだね。しかも今の一撃、あたしが空中に出ていたら殴り負けていたかもしれなかった……若い頃のあたしより成長が早いね」
「女王本人の実力じゃない……あの『腕』の力がそこまで高まっているんだ。人の命を吸って成長する、あの『腕』が」
忌避するようにサラミ婆さんとシマシマは『腕』へ視線を送ったが、それをロレッタは自身の腕で『腕』を撫でることで振り払った。
「命を吸う……それは正しくもあり、間違ってもいますね。『アラルガンドの右腕』も『ストリジェンドの左腕』も、自ら他者の命を喰らうことはありません。この『腕』を慕い、我がデュナミク王国への忠誠心を持つ者が自ら祈りと共に命を捧げるのです。捧げてくれた者たちの実力と想い、それを『腕』は受け継ぎ、更なる高みへと昇華するのです。デュナミク王国永遠の繁栄のために」
「王国繁栄のため、後ろの連中の命も吸わせるのかい?全員分吸わせたら流石にあたしも勝ち目はなさそうだね」
冷酷さを持った声で放ったサラミ婆さんの言葉に、隊員たちは一斉に震えあがった。
意識を保っていた中で顔色ひとつ変えることがなかったのは、総隊長グイドただ一人だけ。
女王ロレッタのため、王国繁栄のためならば、グイドはいつでもその命を『腕』の糧とする覚悟ができていた。
尤も、それを許さないのは他ならぬ女王だったのだが。
「安心なさい。この戦いにおいて、彼らが『腕』に祈りと命を捧げることは決してないのですから。彼らは他国から物資や人材を奪う役割を担った大切な国民たち。自らの地位職責を全うするまで、わたくしは国民たちが『腕』へ祈ることを許しません。全うし得ないと判断した者に限り、祈りを許して差し上げるのです」
「つまり、しくじった人間は死なせてあげるってわけかい?なるほど、慈悲深い女王様だねあんた。だけど確かに安心したよ。もし勝つために命を捧げて『腕』を強くしようとするなら、あたしはあんたの前にそいつらを皆殺しにしなくちゃいけなかったからね」
「彼らの役目はわたくしがあなたとドラゴンを始末した後。それまでは彼らに手出しはさせませんし、あなたにも彼らを殺させはしませんよ」
「手出ししそうだったけどね」
またしてもサラミ婆さんの拳とロレッタの『腕』が交差したのをきっかけに、その会話は途絶えた。
ウェルダンシティから離れた丘で、その戦いを眺める人影がふたつ。
「赤影、どう見る?」
暫しの沈黙の後、赤影は桃影からの問いに答えた。
「あの老婆が有利なのは間違いあるまい」
「両者の戦いをじっくり見てから判断したな、貴様?」
「しかも控えておる戦力が、老婆には龍、デュナミク側は侵略隊総隊長グイド……これでは釣り合いが取れておらぬな。老婆が勝つのならそれで良し、しかしそうでないのならこちらには不味い事態だが……今はここよりも、向こうの戦況が気にかかる」
赤影は小指に巻かれたか細い糸に向かって話しかけた。
「青影、黒影、そちらはどんな様子だ?もう決着はついたか?」
『忍法・意思伝糸の術』による、遠方との通信である。
それを受け、青影が返答した。
彼と黒影がいる場所は、コンリード・バートン号が見える位置の岸辺だった。
「こちら青影、どうやらケイン殿が海に沈められたらしい」
「もうカレコレ20分、上がってきてマセーン」
間の抜けた言い方をする黒影だが、表情自体は切羽詰まったものがあった。
「……それは、決着ではないのか?」
訝し気な赤影の声に、青影は必死の形相で答える。
「ショーザン殿をも討ったケイン殿だぞ!?沈められたままで終わるようなお人ではあるまい!!」
「確かに、そのまま終わってしまっては我々には不都合この上ない。だが、現実に目を向けて考えねばなるまい。海賊オーロが勝ち、一方でデュナミク王国と老婆サラミのどちらかが勝った時、我々はヒノデ国のためにどの勢力につくべきなのかを」
天守五影がそんな会話をし出していた頃、オーロは勝ちをほぼほぼ確信しつつ、貧乏ゆすりをしていた。
ケインを海に沈めて20分以上経過している。
海の様子はほとんど把握しており、ケインが上がってくるような兆候も一切ない。
トドメを刺そうと自ら赴くこともないので、反撃に遭う危険もない。
それなのに、否、だからこそ、ここで決着がつくことに、オーロは苛立っていた。
「……いいわけねえんだよ。てめえがこんなとこでよう!!終わっていいわけがねえんだよ!!!」
この戦いが始まる前、抱いていた期待と不安。
ケインと戦うことで、自分にとっての『本当の一番』がわかるかもしれないと、そして戦っても何もわからない、何も変わらないのではないかと、そう考えていた。
どうやら的中したのは不安の方だったらしい。
頭に浮かんだその考えを否定したくて、苛立ちを募らせながら喚き散らしていた。
「俺を勇者として死なせる!!?こんな決着迎えるような奴がよく言えたもんだなぁ!!!期待させるだけさせて結局こんなモンかよ!!!なんにも成せねえ勇者が……!!」
その時。
海中にあったケインの気配が消えた。
オーロは一瞬たりとも海から意識を離してはいない。
それなのに、ケインの気配が海から消えた。
頭に混乱が渦巻くオーロだったが、すぐに真相に気付いて笑った。
海底まで沈められたケインは、岩盤を振動波で砕いて潜ったのだ。
岩で海水と隔絶することで、オーロの呪縛から解き放たれたケインは、穴を掘り進めて奇襲をかけようとしている。
どこから出てくるのか、オーロには完璧に見えていた。
その方向に船と体を向け、迎撃態勢を整えた。
「海賊だからよう、お宝には鼻が利くんだぜ」
オーロが予測した通りの地点から轟音と共に土煙が上がった。
煙から飛び出したケインの体は、全開の魔力が包み込み、黄金の輝きを放っていた。
「オォォーーーーーロォォオオオオオオオオオオオ!!!!!」
剣を右手に持ち、オーロを突くべく後ろへ引いている。
間違いなくこれまでで最も強い状態となっているケインを歓迎するように、腹の底からオーロは笑った。
「ガアアッハハハハハ!!!!いいぜ!!やっぱおまえさん、そうこなくっちゃよう!!!来いよケイン!!!決着つけようぜ!!!!!」
オーロの全身、そしてコンリード・バートン号もまた、金色に輝いていた。




