第61話 生きていたキン=リブス
「ぐっ!!がああっ!!」
「そらどうしたぁケイン!!さっさとどうにかしねえと、そのまま切り刻まれて死んじまうぜ!?」
オーロの風魔法による斬撃の嵐を、船の上でケインは受け続けていた。
顔の前に両腕を、更にその前に剣を突き出し、全身を魔力で覆う防御体勢は当然取っているものの、それを上回る破壊力で襲い来るオーロの魔法を受けきることはできず、至る所が切り刻まれ、絶えず出血を繰り返していた。
逃げようと足を動かしても、その度に船は振動を起こし、主人の風魔法が十全の破壊力を保ったまま敵手に降り注ぐように仕向けてくる。
甲板の上で右往左往しながら血飛沫を散らすケインを見て、オーロは不信感を拭えないでいた。
「なにを狙ってやがる……?」
戦い始めに見せたケインの強さと、今のケインの強さが一致していない。
明らかに最初と比べて弱くなっているようにオーロには見える。
そもそもギガライコーと戦った時に見せた防御力にさえ、今のケインは至っていない。
となれば、つまりケインは現在、わざとオーロの攻撃を受けていることになる。
それはケインに何らかの策があるということであり、オーロにはそこが読めずにいた。
このまま攻撃を続け、失血死の危機が迫るまで待てば、その策がわかるだろうか?
それとも、その時には既にこちらが詰むような事態に陥ってしまうだろうか?
尽きない疑念疑惑。
そしてそれ以上にオーロの心を揺さぶるのは、ケインへの期待。
思えば、初めて会った時のケインはまるでどうしようもない、これまで出会ってきたのと同じ木っ端勇者と変わらない存在に過ぎなかった。
それが会う度に別人のように強くなり、自分ができなかったことさえも成し遂げてしまうほどの人物になっていった。
ダンテドリ島ではマキシマムサンストーンを自分より早く手に入れ、ヒノデ国に奪われても自分より早く奪い返し、ついにはショーザン=アケチをも殺してみせた。
そんな人物がこの程度の攻撃で死ぬはずがない。
終わっていいはずがない。
なにを狙っているのかまではわからないが、だとすれば、このまま続けることは、却ってこちらの危機を呼ぶことにもなりかねない。
そう考えたオーロは、左手に見えない銃を構えた。
以前ダンテドリ島でケインに撃った、撃つ瞬間まで姿を見せない透明な銃だ。
心で狙いを定め、引き金を引く。
今回狙った場所は、ケインの額、脳だった。
「さあ……どうするケイン!」
銃声はハリケーンと風魔法によって掻き消え、ケインには聞こえていなかった。
だが、オーロの仕草と魔力の流れが、弾丸の接近を察知させた。
「ずありゃあああっ!!!」
防御に纏っていた魔力を更に高め、ケインは風魔法諸共、魔力の弾丸も吹き飛ばしてみせた。
手足の傷口から血はどくどくと流れていたが、オーロが風魔法を再び撃つ様子がないのを確認してから、無言の内に回復魔法で即座に治した。
これが、オーロの知るケインの現在の戦闘能力である。
多少の攻撃は寄せ付けない防御力を持ち、致命傷を受けない限りは元通りに回復する術も持ち合わせている。
ギガライコーとの戦いでそれを知っていただけに、どうしてもオーロには腑に落ちない点があった。
船に降り立つなり、真っ先にそれを尋ねた。
「何故、最初からそうやって防御しなかった?わざと受けて時間稼ぎでもする気だったのか?」
その問いかけをケインは嘘で返すことも、曖昧に答えることも良しとせず、正直に言おうと決心した。
自分の知る限りでは、オーロは質問に対して決して嘘は言わない。
それが彼の信条なのか、単なる癖なのかは定かでないが、ともかく彼に対しては正直であろうと、そう思った。
攻撃を受けたことで、そしてオーロが降りてきたことで新たな一手が思いついたことは、ひとまず置いて。
「あんたがその銃を見せるのを待っていた。風や雷を相手にじっと耐えていれば、いずれしびれを切らしたあんたはその銃を使うだろうと、そう思っていたからね」
そう告げた時、オーロの左手に握られていた銃は、発砲する直前までとは異なり、その銀色に輝く本来の姿を見せていた。
オーロはその銃にちらりと目をやった後、新たに浮かんだ疑問をそのまま口にした。
「だったら何故こいつを俺が使うのを待っていた?いや、使うのを、じゃねえか。見せるのを、何故待った?」
「もう一度見て確かめておきたかったからさ。その銃があんたにとっての何なのか、それを確かめたかった」
「あぁ?」
オーロには全く意味が理解できない。
ケインはそれを承知で、順序立てて説明を始めた。
正直に、誠実に。
そして、揺さぶりをかけられるように。
「あんたが魔女のお宝『黒き禁断』で叶えた願いはふたつ。この船と、その銃だ。俺はどうしても引っ掛かってたんだ。この船は最高だ。誰にだってこんな船、願ったって叶うような代物じゃない。そんな素晴らしい船に対して、その銃が余りにもお粗末なことに、引っ掛かっていたんだよ」
「……ほう」
オーロの銃を握る力が、僅かに強くなった。
「撃った後、わざわざ姿を見せる必要なんてどこにもない。あんたにとってもメリットはないはずだ。それなのに、どうしてそうなったのか。そしてあんたの腕は、その銃を出した時に少しだけ失敗し、肉を奪われた。船を出した時は肉体に一切影響を与えずに叶えることができたのに、どうしてその銃の時は少し失敗してしまったのか。あんたが海賊オーロを名乗るまでの記憶を見た者として、その答えを言ってしまっていいかい?」
受け容れるべきか、拒否すべきか、オーロは少し迷った。
だが、拒否して戦闘再開したところで、結局ケインは無理にでも告げようとするだろうことを、オーロは知っていた。
似ているようで根本は違う、だが違うようでどこか似ているこの勇者、立場が逆なら、自分もそうしただろうから。
「…………ああ」
「あんたは『黒き禁断』を二度目に口にしようとした時、武器を願った。弱った体でも戦える、海賊として戦い抜くことのできる、そんな武器を。だけど、漠然とした願いはとても叶えることはできない。そこであんたは咄嗟に、その時向けられていたのと同じ、拳銃を思いついた。肉体は弱り切っていたけど魔力は十分にあったから、その魔力を弾丸にして発射できるように、そして不意を突けるように銃の姿は透明に。透明だから銃の形をイメージする必要すらない。あの時のあんたにとってはそれ以上ないってくらい強力で、しかも空飛ぶ船に比べればスケールも小さい、叶えやすい願いだ。そう思って『黒き禁断』を齧った」
決して憶測で話しているわけではない。
オーロの、キン=リブスの、誤魔化しようのない記憶だ。
「ところが、その時具体的な銃の形が浮かんだ。浮かんでしまったんだ。よりにもよって、銃を選んでしまったがばっかりに。あんたの父親と、リモー=コミック。あんたの大切な人たちを奪った銃が、両方とも同じ形をした、銀の拳銃だったがばっかりに。はっきりと銃の形をイメージしてしまったあんたは、願いの内容も『黒き禁断』を飲み込む寸前に少しズラしてしまった。無意識の内だっただろうけど、おかげで透明な銃を願ったはずが、撃ったと同時に姿を見せてしまう不完全な代物になってしまったんだ。そしてその不完全さは対価として、あんたからほんの少しだけ肉体を奪った。弾丸はあんた自身の魔力だから、あんた自身が強くなるほどに威力も増す。だけど、銃そのものはあの日のままだ。歪な形で生まれてしまったあの日のままなんだ」
「……で」
黙って聞いていたオーロは、ここで口を開いた。
「それを確認して、お前さんはどうしたいんだ?」
ケインはオーロの語気に潜む苛立ちを察した。
それでも会話を打ち切らずに続けようとする意図までは読みかねたが、相手も会話を望むのならばと用意していた答えを示す。
「その銃の不完全さこそが、あんたがキン=リブスである何よりの証だ。あんたの父親とリモーを喪った悲しみを忘れられない、キンの心がまだ残っている証だ!俺はキンの心を、あんたから引きずり出す!!」
「はっ」
鼻で嗤ったオーロの顔には、不快さと苛立ちが満ちていた。
答えを待っていて損したとでも言うように。
「確かにこの銃が生まれた瞬間、俺の中にはまだキンが生きていやがったのかもしれねえさ。だがそれはあくまでも100年も前の話。そんな昔話を今更掘り返したところで、俺の心はひとつ。海と空の支配者、海賊キャプテン・オーロ様の心しか残っちゃいねえんだぜ?」
「だったらどうして……」
オーロの目の前で、戦闘が始まった時以上の魔力を放ちながら、ケインの赤い瞳が輝いた。
心の奥底に眠る相手の真の姿を見極めんと輝くその瞳は、オーロを一瞬怯ませた。
「どうしてあんたはその腕をそのままにしてあるんだ?」
指摘されて右腕に目を向けたオーロは、ケインにとってまたとないほどの大きな隙を作ってしまっていたが、そこを突くことはケインは良しとしなかった。
戦いを再開するのならば、せめて想いを全てぶつけてから、そう思っていたからだ。
「右腕に巻かれた勇者の印と奪われた肉、それをあんたは恥じていたから布で隠していたはずだ。そのままただ隠すだけで、解決しようとしなかったのは何故だ?腕を切り落とした後、もう一度『黒き禁断』に願って新しい腕と、今度こそ完全な銃を貰う。あんたほどの人なら考え付かないはずがない。それであんたの恥は払拭できたはずなんだから。なのに、そうしなかった。それがどうしてかは、あんた自身がよくわかってるはずだよな?」
オーロは僅かに肩を震わせるだけで、返事はしなかった。
「常に自信に満ちているあんたが唯一失敗を恐れていたのが、それだったんだ。新しい腕を願ったところで、またあの二人の顔がチラついて、今度はもっとひどい失敗をするんじゃないかって。いや、それを願おうとした時から、既にあんたの頭には父親とリモーが浮かんで離れなかったのかも……」
言い終わりかけた時、オーロは全身から魔力を噴出させて遮った。
完全にケインの見様見真似で習得したそれは、ケインを仰け反らせるほどの威力を発揮していた。
「つまり……なんだ?」
「つまり……まだいるのさ。あんたの心には、キン=リブスが!」
「いたからどうだってんだ。俺の中にキンを見つけてどうしようってんだ!」
「言っただろ?あんたから引きずり出す。あんたは海賊オーロとしてではなく、勇者キン=リブスとして死ぬんだ!!」
そう言ったケインの目を見て、オーロは笑った。
かつての父やリモーと同じ目をしていたからだ。
優しく、相手のためを想える男の目を。
「俺のために俺を勇者に戻す、ってか。ガハハハっ!!とんだ独りよがりだぜ。結局善悪ってやつぁ、突き詰めると独りよがりが誰かに感謝されるかただの迷惑で終わるかでしかねえってわけだ。なあケイン、お前さんの独りよがり、果たしてそいつは善と言えるのかなぁ!!?」
サーベルと共に振り下ろされた言葉を、ケインは受け止めた。
サーベルは剣で、言葉は心で。
「感謝はともかく迷惑してたかどうかは、あんたがずっと聞いてくれてたってのが答えだろ?」
「っ!!」
力任せにサーベルで弾き、オーロはケインと距離を取る。
離れての戦いでは銀の拳銃程度しか今は使える武器がない。
接近戦を挑むのは危険だと承知してはいるが、それはあくまでも地に足をつけての戦いのこと。
自分が有利なこの場所で負けるわけがないと確信し、サーベルを握る力を強めた。
「さてケイン、もっと根本的なことを訊こうか?俺からキンの心を引きずり出して殺すと言ったが……俺に勝てるのかよ!?」
「勝てるさ、そのための……」
迫るサーベルが頬を掠め、鮮血を飛ばしながらケインは答える。
返り血が顔に付着したオーロは嫌な予感がして拭おうとしたが、既に遅かった。
「準備は整った!!『リスペル・バーリービーボ』!!!」
血に染み込ませていた魔力が雷撃魔法に変換され、オーロの全身を襲う。
「ぐぁっ……く!!」
苦悶の声を上げながら反撃に出ようとするオーロだが、踏み込んだ足から粘り気のある水音が聞こえ、背筋を凍らせた。
「まさかてめえ……!」
今度はその足に付着した血から雷撃魔法が飛び出した。
先程よりも威力のあるそれに耐えながら、浮遊魔法で船から飛び立とうとした時、オーロは自身とケインの周囲が雷撃魔法によって覆われてしまっていることに気付いた。
「……血の結界か」
「そうさ。あんたの攻撃で全身切り刻まれながら、船の至る所に魔力を込めた血を撒いた。船の上だからって、ここはあんたにとって絶対有利ってわけじゃないんだよ」
正確には防御に使った魔力が血に染み込んでしまったが故の、偶然の産物である。
ダンテドリ島で戦ったバンパパイヤの戦法を思い出し、応用してみせたのだった。
「あんたはもうここから動けない!!」
ケインは剣で攻撃しようとしたが、それはコンリード・バートン号の揺れによって阻まれた。
不安定な足場に苦戦するケインに再びサーベルを向けようとするオーロだが、今度はケインの雷撃魔法が足元から飛び出し、動きを封じる。
足場を揺らす程度ではケインの動きを封じるには限界があり、ついにケインはオーロの胴を捉えた。
「ちぃっ!!」
致命傷は免れたものの、雷撃魔法が渦巻く結界の中では、オーロはまともに逃げることさえままならない。
船の上で初めて味わう不利の中、打開しようと模索するオーロが次に試した一手は、空からの落雷であった。
だが、雷撃で包まれた結界を破るには至らず、どころかそれはケインに悟られることさえないほぼ無意味な一手となってしまった。
「空は無理、か。だったら……」
あえて口に出すことで空から何か仕掛けていたのだとアピールしながら、オーロはケインの剣を防御しつつ船を降下させようと念じる。
海水を船に浴びさせ、血を洗い流すつもりなのだ。
周囲の様子を見ることはできないが、船がどうなっているかは察知できるオーロは、降下どころか全く船が動いていないことに気付き、激しく動揺した。
その動揺は当然隙を生み、またしても手痛い一撃をケインから受ける結果に繋がった。
「りゃあっ!!!」
「がっ!!」
コンリード・バートン号が自らの意思通りに動かない。
オーロにとって動揺もやむなしな異常事態ではあったが、ケインの様子を探ればすぐに納得できることでもあった。
ケインが浮遊魔法でコンリード・バートン号を操り、動きを止めようとしていたのだから。
船を降下させようというオーロの意図を察したわけではない。
ただ足場を安定させ、完全に有利な状況を作ろうとしていただけだった。
「血で結界を作り、足から魔力流して船を止める……思ってたより器用な奴だな、ケイン」
「相当無理してるよ……でも、これで決める!!!」
ケインはもう思い切り踏み込んで剣を突くことができる。
片やオーロは動きを封じられ、船を下ろすことも逃げることもできない。
決着をつけられると、ケインは確信して飛び出した。
オーロの背後から迫る高波に気付いたのは、その直後だった。
「え」
「海まで下りられねえからよう、海に来てもらうことにしたよ」
波は船ごと二人を呑み込み、次に吐き出されたのは、オーロと船だけだった。
血を綺麗に洗い流したコンリード・バートン号を満足気に眺めながら、オーロは海に念を込めた。
「海賊の掟、『理想と現実を天秤にかけ、一度理想を取って破れたのなら、次同じことがあれば迷いなく現実を取れ』。悪いが、もうこの手で勝負を決めるなんて理想は選ばねえぜ。これが海賊の現実だ。勇者じゃ選べねえ、海賊のな」
その声はケインには届かない。
先程沈めたよりももっと深く、深く、底までケインは沈められていった。
「『海の墓場』……あばよ、ケイン」
ウェルダンシティの周辺に張られている結界に、上空から爆弾が投下されたのは丁度その時である。
デュナミク王国特製の人間爆弾は、結界に傷をつけることさえ叶わず、無残に散っていった。
「では次」
氷のように冷たい女王ロレッタの声に従い、侵略部隊の隊員たちは一斉に人間爆弾を投下した。
同じ箇所を一点集中狙いで行われた爆撃はペッパータウンにまで響くほどの轟音だったが、それでも結界を破るには至らなかった。
人間爆弾を使い果たし、手持無沙汰の部下たちを押し退け、ロレッタは例の如く『アラルガンドの右腕』と『ストリジェンドの左腕』を顕現させた。
『アラルガンドの右腕』で結界を殴りつけると、耐久の限界を迎えていた結界は粉々に砕け、ロレッタを含むデュナミク王国の者たちはようやくウェルダンシティの様子を見ることができた。
多くの家や店に反して、今いるのは一人と一匹。
人間にしてはかなり大柄な老婆と、その老婆の傍らにいる更に大きなボーダードラゴン。
それこそが女王ロレッタが今回最大の標的としている、サラミ婆さんだ。
「久しぶりですね、サラ=ポプラン。サラミと呼んだ方が良いのでしょうか?」
人を切れるほど鋭い眼光を向けるロレッタを見て、サラミ婆さんはシマシマを撫でながら問う。
「どうだいシマシマ、あの子たちとあたしら、どっちが強い?」
「いくら多くても後ろの連中は弱すぎて勘定には入らないよ。女王とサラミさんだけで比べるなら、ほんのちょっとサラミさんが上だ。そして今は俺もいる。つまり……」
シマシマはにやりと笑い、鼻息を思い切り吐き出した。
「俺たちが勝つ!間違いなくね!!」




