第60話 死闘激化、その裏で
水中、そこは地上とはまさに別世界。
思うままの動きは到底取れず、呼吸も不可能。
地上にあった自由とは打って変わった不自由の先に待ち受けるは、緩やかな『死』。
オーロによって海へと引きずり込まれたケインもまた、水が突き付ける死に抗っていた。
「水ん中が怖えか?そうだろうなケイン。息できなきゃ死んじまうもんなあ、普通の人間はよう?」
異常だったのは、水中にあって地上と何ら変わらないような平然さを持って言葉を発するオーロである。
だが、これまで散々オーロの特異性を見てきたケインにとっては、そんなことは今更驚くにも値しないことであった。
むしろその直前、海に自身を引きずり込んだその能力、そしてそれによって今自身が海の中にいるということの方が、よほど重要なことだったのだから。
「さあて、思いっきり殴ってくれたもんだが、そろそろこっちの番とさせてもら……あぁ?」
オーロの言葉に耳を貸すことなく、ケインは浮上のために全身でもがく。
そんなケインの頑張りを嘲笑うが如く、海流はケインを押し戻し、更にはより深く、底へと誘う。
少し海流の勢いが緩んだと思えばすぐ浮上しようとするケインだったが、その都度海流はしつこくケインの足を掴み、底へ底へと引きずり込んでいく。
「逃げられやしねえさ。この世の海は全て俺様の味方なんだぜ?」
敵手をホームグラウンドで弄びながら、オーロはサーベルで狙いを定めていた。
ケインとオーロが海に入って15分が経過しようという頃、ついにケインのもがく動きが鈍ってきた。
「だが溺死なんて情けねえ死に方は望んじゃいねえだろうからよう、トドメはきっちり俺が刺してやるよ!!」
サーベルが迫り来るのを視界に捉えたケインは、どうにか逃れようともがくが、前後左右上下、あらゆる方向から、本来ならばあり得ない軌道を描いた海流が全身を包み、不規則に回転させられながら完全に動きを封じられてしまっている。
対するオーロは、逆に背後からの海流によって加速をつけ、地上よりも更に速度を上げて向かって来る。
追い詰められたケインは、咄嗟に全身を魔力で覆い、水中では不慣れな呪文詠唱を行った。
「『バァッビゴポォッ・ゴボボブバガボボォ』!!」
「ちぃっ!!」
全く発音できていなかったが、無事に発動した雷撃魔法は、ケインをオーロの脅威から身を守る防御の役割を果たした。
発動した場所が海であった為に変則的に飛び交う雷撃魔法にオーロは気を取られ、ケインが浮上する一瞬の隙を与えてしまった。
これを逃したら体力が尽きかねないと、懸命に足をバタつかせて浮上したケインは、今度は海水が飛び出しても間に合うように空中へと逃げた。
オーロが後を追って空へと飛び出すのを見ながら、息を整えて迎撃の体勢を取る。
海から出たオーロは、息を少しも乱すことなく、先程ケインに殴られた影響さえ受けていないようであった。
「こうもあっさり逃げられちゃあ海と空の支配者の名が廃るってもんだなぁ。まあ、空は空で俺のホームグラウンド、楽しんでってくれや」
その言葉に違和感を持ったケインは、海に入る前までは確かに晴れていたはずの空が、異様に曇っていることに気が付いた。
「まさか!?」
その時フラッシュバックしたのは、先日のギガライコーとの戦いでのこと。
目の前の敵に集中しなければならなかったためにその時はさして気にしていなかったが、オーロはギガライコーに攻撃する際、自分の雷撃魔法と空から降り注ぐ雷を混ぜ合わせた技や、風魔法と自然に発生した風を融合させた技を使っていた。
そこから導き出される結論として、オーロは恐らく、否、確実に、自然現象をも操ることができる。
海を操るというのは、その一部でしかないのだ。
そのことに気付き、一瞬速く身を引くことで、降ってきた雷を躱すことができた。
しかしオーロの攻撃は当然それだけでは終わらない。
雷の軌道に目を奪われていたケインは、背後へ回り込んだオーロの蹴りに防御を間に合わせたが、追撃のサーベルを防ぐことは叶わなかった。
剣を抜く、戦闘の際に必ず行っていた、その動作すらまだ完了していなかったのだ。
「くっ!」
かろうじて肩を掠める程度で済んだケインは、距離を取りつつ背中の剣に手をかける。
剣を抜こうとした時、オーロがそれを待っていることに気がついた。
「……なんだよ?」
「こっちの台詞だなぁ。どうしたよ?早く抜いて、かかって来ねえのか?」
余裕ぶってそう話すオーロに、ケインは無性に腹が立った。
「まだあんた、俺より格上のつもりでいるのかい?」
「お前さんこそ、人斬りに勝ったぐらいで俺と同格に立てた気でいるのかよ?」
片や同格として攻撃が来る隙を突いて剣を抜く、片や格上として剣を抜くまで待ってやる。
それぞれの立場としての誇りを持った睨み合いはほんの数秒。
先に折れ、仕掛けたのは、
「せぃやあああ!!」
ケインだった。
根比べ、と言うよりは単なる意地の張り合いだが、だからこそオーロは決して折れはしないだろうという判断で攻撃へと転じたのである。
剣を抜いての一閃をオーロは容易く躱し、回転して勢いをつけた蹴りを放つ。
その蹴りに対し、ケインは一切の防御をせず、されるがままに蹴り飛ばされた。
「ちっ、お前さんも中々の意地っ張りだよ」
その意図を読み取ったオーロはそう呟き、ケインが飛ばされた場所へとコンリード・バートン号を先回りさせ、甲板へと打ち付けた。
「かっ…!」
背を打ち痛みに声を漏らしたのは一瞬、ケインは間髪入れずに立ち上がり、オーロ迎撃に備える。
船の上であるが、ここはまだ空の上でもあり、海までは距離がある。
船の上にいながら海ではないという矛盾めいた現状に苦笑しつつ、わざわざオーロが船にケインを招いたその意味に緊張を走らせた。
この船は足場のようで足場ではない。
オーロが意のままに操るコンリード・バートン号の上にいるということは、つまりはオーロの掌の上にいるということと同じなのだ。
しかし、脱出することもまた、船にいるのと同等以上に危険な行為。
ギガライコーとの戦いでは、コンリード・バートン号はオーロの意思に従って砲撃まで行っていた。
その船の外に出るということは、つまりはオーロとコンリード・バートン号を同時に、二対一の構図で相手取るということと同じなのだ。
「……怖がってちゃあ、なんにもできないよな」
言葉で自らを奮い立たせ、ケインは全身に力を込める。
オーロの掌の上であろうが、コンリード・バートン号での戦いを選択したのだ。
見上げると、既にオーロは次の攻撃への準備が整っていた。
サーベルを振りながら、呪文を唱える。
「『バビュトーラ・ファルチェ』!!!」
放たれた風魔法はサーベルの勢いで圧縮され、斬撃となってケインへと襲い掛かった。
船は不安定に揺れつつケインに衝撃を真正面から受けさせるために動いたが、ケインはそれを難なく剣で受け止めた。
「斬撃を飛ばす使い手はさ、あんたよりずっと上の奴がいたよ」
「……そうだったな。じゃあよ、これはどうするよ?」
オーロの背後から突風が吹きすさび、猛烈な勢いでケインにぶち当たる。
徐々に風は勢いを強め、巨大なハリケーンにまで膨れ上がっていく。
ケインは船から飛ばされないようにするので精一杯だ。
近くの岸で帰りを待っているゴアに影響がないか気にかかったのも束の間、オーロは再びサーベルに纏っていた魔力を解放し、ケインへと振り下ろした。
「『海賊の激情・鎌鼬』!!!」
斬撃の雨あられがケインに降り注ぐ。
コンリード・バートン号にも当然容赦なく激突したが、オーロの願いの結晶たるこの船には、僅かな掠り傷もつくことはなく、ただ主人の意思のままに、攻撃が存分にケインへと伝わるよう、足の自由を奪い続けていた。
一方、ウェルダンシティでは、サラミ婆さんがライガとシーノに稽古をつけている様子を穏やかに眺めていたシマシマが、ふと顔を上げて喉を鳴らした。
「どうしたんだい、シマシマ」
二人の攻撃を軽くいなしながら、サラミ婆さんは神妙な面持ちで問う。
シマシマが喉を鳴らす時、それは彼が最大限の警戒心を露わにしている時だと知っているのだ。
しかし、シマシマは声に出して答えはしなかった。
髭を震わせ、そこから発するテレパシーで、ライガとシーノには届かないよう、サラミ婆さんだけに伝えた。
二人に知らせるのはまずいと判断したからだ。
「なァんだってエエエェェエエ!!??デュナミク王国の女王が手下を大勢連れてこっちに向かってるだってェェエエ!!!」
「言うなよ!!!」
シマシマの思惑は、サラミ婆さんのいつもの大声によって台無しにされた。
至近距離で大声に中てられたライガとシーノはしばらく怯んでいたが、我に返った途端闘争心を剥き出しにしながら全身のオーラを高めた。
「デュナミク……女王!!!」
「来るんなら迎え撃ってやる。私もライガも、あの時の恨みを晴らすために強くなったんだ!!」
「……シマシマ」
サラミ婆さんの合図で、シマシマは口を大きく開いた。
「あんたたち、悪いけどしばらく引っ込んでてもらうよ」
「え!?一体何を……シマシマ!?」
ライガが動くより速く、シマシマはライガを一飲みにしてしまった。
仰天して動きが固まったシーノもまた、容易く飲み込まれていく。
「おばあちゃん!?シマシマちゃん!?なんで!!!」
シーノが喚く声もあっという間に聞こえなくなり、二人はシマシマの胃袋の中に完全に収まった。
「次は子供たちを、それから街中の人を片っ端から、頼むよシマシマ」
「うん」
擬態能力で姿をくらまして、シマシマは子供たちのいる部屋へと向かった。
シマシマの胃袋は異空間になっており、人でも物でも、いくらでも保管しておくことが可能である。
つまり、非常事態が起こった時、どこよりも安全に過ごすことができる空間が、その胃袋の中なのだ。
そこへ避難させたということ、それは即ちサラミ婆さんが全力で戦うということを意味し、全力で戦うということは即ち、デュナミクの女王ロレッタを、完膚なきまでに叩き潰すということを意味していた。




