第6話 海と空の支配者
上空から海へとめがけて、ケインはただわめきながら、落下し続けていた。
内臓が浮くような感覚に吐き気を催しながら、必死で考えを巡らせる。
海面までもう何秒もない。
まともに激突して、果たして生きていられるのか。
そんな考えを余計なこととして切り捨て、なんとか打開策を思いつく。
むしろ何故すぐに思いつけなかったのかと後悔しながら、叫ぶ。
「『プーカ』!!!」
浮遊呪文を唱えると、ケインの身体は、海面に着水するギリギリのところで止まった。
その場に浮きながら、ほっとため息をつく。
しかし、それでもまだケインは完全に助かったとは言えない状況にあった。
一番近い岸でも、ケインが思い切り飛んだとして、20分はかかる。
更に、先程の戦闘による疲労のせいか、浮遊魔法を持続させるだけの体力があまり残っていない。
最大限持続させたとして、10分がせいぜいといったところだと自己分析しながら、海面を見る。
魔獣の住処からやや東に向かったが、現在地はまだ夜明け前。
ほんの僅かに体にかかった波しぶきが、夜の海の冷たさを物語っている。
今の体力で岸まで泳ぐという選択肢も、とても現実的とは言えない。
一応上を見上げて確認してみるが、案の定と言うべきか、サラミ婆さんとシマシマは、既に街に向かって飛んで行ってしまっている。
そうこうしている間にも、体力は著しく削られていく。
早くも息が上がってきたところで、波しぶきがケインの両足を濡らす。
波が届かない位置まで上昇しようとするケインだったが、波しぶきの勢いは増していくばかり。
その様子を見つめていると、何かが背後に迫っていることに気付く。
急いで振り返ってみると、それは巨大な船だった。
先程ケインが上空から海を眺めていた際、見えていた船の内の一隻だった。
どうやら助かったらしいと思いながらも、ケインはその船をまじまじと見る。
船体は赤く塗られ、3本あるマストにはそれぞれ黒い帆がいくつも張られている。
中央にあるメインマストの先端に、周りに金貨のようなものが散らばったドクロのマークが見える。
「……海賊船じゃん」
子供の頃、絵本で読んだイメージがそのまま形になったようなその海賊船に、ケインは苦笑する。
辺りを見回してみると、他にも6隻ほど船が見えるが、いずれも同じマークが見える。
どうやらさっきまで眺めていた船は、全て海賊船だったらしい。
みるみる迫り来るその船に乗るべきかどうか逡巡するが、助かる道はこれしかないと思うと、ケインは上昇し、船首へ向かって飛ぶ。
見ると、甲板には、日に焼けた肌をした船員の男たちが、20人ばかり乗っている。
全員が剣や拳銃を持っているのが見える。
なるべく敵意を持たれないよう、爽やかに笑顔を向け、手を振ってアピールする。
「やあ、こんにちは!少し助けていただきたいんですが……」
そう言いながら船首に着地した時だった。
「動くな!!!」
一人の男がそう叫び、他の者たちと一斉に銃口を向けた。
ケインは両手を上げ、大人しく従う。
拳銃程度はケインの敵ではなかったが、今の体力でこれだけの数を相手にできる自信はないのと、まだ完全に悪人かどうか判断できていない者たちと戦うことに気が引けた為であった。
先程叫んだ男が続ける。
「妙な喚き声が聞こえたから行ってみりゃあ空飛ぶ魔術使いのガキが一匹……てめえ、海は海賊の縄張りだって知らねえわけじゃねえだろうな?」
ケインは下手に相手を刺激しないよう、正直に、且つ冷静に答える。
「本当に知らずに入っちゃいました、ごめんなさい。ドラゴンから落ちたんです」
「ドラゴンだぁ?」
男は眉を顰める。
「そんなもん見えなかったぞ!」
「すっごく高いところを飛んでたんです。本当です」
「いい加減なこと言ってんじゃねえ!!ヒノデ国かどっかの刺客だろてめえ!!」
男は声を荒げると、引き金に手をかける。
それを合図に、他の者も引き金を引こうとする。
抵抗しなければ、やられる。
ケインがそう確信し、背負っている剣に手を伸ばそうとした時だった。
「その辺で勘弁してやれ」
甲板の奥から声が聞こえ、船員たちは一斉にそちらを向く。
ケインの目には、辺りが暗いせいで、声の主がよく見えない。
「せ、船長。しかしこのガキ……」
声を荒げていた男も、別人のように大人しくなりながら、声のする方へ言う。
足音が近づいてくる。
いかにも堂々とした、自信に満ち溢れた男の足音だ。
近づいてくるにつれ、そのシルエットがはっきりと浮かび上がってくる。
体格はケインと同じくらいだろうか。
船体以上に鮮やかな、潮風でごわついた赤い髪を後ろで結び、その上に海賊旗と同じマークをあしらった三角帽を被っている。
だぶついた白いズボンの腰元には、大きなサーベルが差してある。
左腕全体に黒い布を巻き付け、同じ色のコートを羽織っている。
コートの下に見えるむき出しの上半身は、いくつもの傷が刻まれている。
年齢は30手前程に見えるが、それには不釣り合いなほどの精悍な顔つきは、体の傷以上に、歴戦を物語っている。
誰が見ても、この人物こそが海賊の船長だろう。
初めて見る海賊ではあったが、ケインはそう確信した。
船長はケインに近づくと、笑いながら言った。
「サラミババアのとこのドラゴンが飛んでるのが見えた。このボウズの言ってることに間違いねえと思うぜ」
それを聞くと、船員たちは銃を下ろす。
先程の男は頭をかきながら尋ねた。
「は、はあ…左様で。んでもしかし、そんなら船長、なんでもっと早く言ってくれねえんです?」
「口いっぱいチーズを頬張ってたから言うのが遅れた。すまんな。ガハハハハハ」
船長が下品に笑うと、呆れた様子で船員たちは散り散りになっていった。
船室やハンモックに向かって歩く船員たちを確認しながら、船長はケインに向かって言う。
「船首から降りてくれねえか?」
「え?ああ、すみません」
謝りながらケインは甲板に飛び降りると、船長に頭を下げる。
「ありがとうございました。さっきと今と、二度も助けていただいて」
「こっちこそ悪かったな。まだ夜だってのに起きちまったんで、皆気が立ってんだよ」
「……ごめんなさい。皆さんを起こすつもりで落ちたんじゃなかったんですけど」
「気にすんな。俺たちを起こしてなきゃ死んでたのはお前さんだぜ?生きることには貪欲でいなきゃな……ん?」
船長はケインの右腕に巻かれたミサンガに気付くと、それをまじまじと見つめる。
先程までの明るさから一辺、何やら忌々しげな表情でじっくりと観察している。
それを不思議に思ったケインだったが、すぐに笑顔を取り戻した船長は、ケインに問いかける。
「その印…ボウズ、勇者だな?」
「はい。まだ新米ですけど」
そう答えると、ケインは誇らしげに腕の印を見せながら名乗る。
「レイブ村の四十代目勇者、ケイン=ズパーシャと言います」
「そうかい、ケイン。あのババアの手伝いか?」
船長は素っ気なく返す。
「サラミ婆さんの?え、ええ。魔獣狩りのお手伝いをしようとしたんですが…」
船長は声を上げて下品に笑う。
「あのババア無茶しやがるからな。わざわざ『魔界』に新米勇者を連れて行くなんざ、正気じゃねえ」
「えっ?」
ケインにとって信じがたい単語が耳に入り、思わず聞き返す。
魔界。
魔王ゴアが鎮座する、ケインの目指すべき最終地点、だったはずのもの。
魔獣が住む場所は、サラミ婆さんの知る限り二ヶ所ある。
そのどちらでもない、魔界は例外だと、ケインはそう考えていたのだが。
自分はさっきまでそこにいたのか。
では何故、魔王は姿を見せなかったのか。
あの場にはいなかったということなのか。
だとしたら、今は一体どこに。
急に飛び込んできた情報に、思考が空回りする。
額を汗が伝い、目の焦点が定まらない。
その様子に、船長が覗き込んでくる。
「…チーズ食う?」
「……すみません、いただきます」
船長から差し出されたチーズを頬張る。
随分塩気が多いチーズだったが、食べると少し気分が落ち着いた。
ひと息つくと、船長に尋ねる。
「あの…あそこが魔界だって言うなら、魔王は一体どこに……?」
船長は顔をしかめる。
まずいことを訊いたかと思ったが、すぐに船長は笑う。
心なしか、目は憐れんでいるように見えたが。
「村から出たことねえんだもんな。200年の間に何が起こったのかも、全然知らねえんだろ」
「……はい」
レイブ村について、船長はどうやら詳しいようだった。
それについても質問しようとする前に、船長が言いかけた時だった。
「どこってのもおかしな話なんだけどな。魔王ゴアなら……」
「お頭ぁ!!!」
船長の言葉を遮るように、メインマストに設置された見張り台から、男が叫ぶ。
軽く舌打ちすると、船長は見上げて叫んだ。
「お頭って呼ぶなっていつも言ってあんだろ!!!親父くさく聞こえて嫌なんだよ!!!」
「わりいお頭!!!でも大変なんだよ!!!」
全く話を聞いていない様子の男に、またしても船長は舌打ちする。
今度ははっきり、大きな音で。
「あいつ後で説教だな」
そうケインに言ってから、再度男に向かって叫ぶ。
「なんだ!!!敵が来たのか!!!」
「そうなんだよ!!!10時の方向!!まだずっと先だけど、デュナミクの女王が来てる!!!」
「デュナミク?」
ケインはその名前に聞き覚えがあった。
デュナミク王国。
レイブ村より遥か北に位置する王国の名だ。
あまり大きい国ではなく、魔獣の被害により、国力は低下の一途をたどっているという。
これはあくまで200年前の情報であって、それ以外は何も知らなかったが。
その国の女王が、海賊に何の用があるというのだろう。
ケインがそう考えているのをよそに、船長は繰り返し叫ぶ。
「女王以外は!!?他に誰が来てる!!!」
「えーっと……一人!!!女王一人だ!!!」
望遠鏡を覗き、手を震わせながら、男はそう叫んだ。
それを聞くと、船長は頭をかきながら呟く。
「わざわざ一人でお越しになってるってことは、今回は本気で交渉するつもりらしいが、さてあの女王様がどう出るか」
「どうするお頭!!!」
「全員戦闘準備!!!女王がこっちに来る前に、ある程度こっちも近づいておく!!!」
「他の船の連中は!!?」
「とりあえず向かうのはこの船だけだ!!!急げ!!!!!」
船全体に船長の叫び声が轟く。
サラミ婆さんの声量には及ばないためか、間近で聞いていたケインは特にそれを不快とは思わなかった。
船室から船員たちが飛び出し、それぞれの持ち場につく。
船長はケインにも声をかける。
「こっち来い!」
ケインは慌てて船長について行く。
船長は舵輪の前で立ち止まると、それをがっしりと握る。
「10時の方向だったな!!!全速前進!!!」
高揚し、満面の笑みを浮かべる船長に対し、ケインは船の進路に目を向ける。
船は真っ直ぐ、岸にめがけて進んでいる。
速度を落とさないと激突するほどの勢いだ。
岸は岩肌がむき出しになっており、このままぶつかれば、船は沈没しかねない。
だが、船は岸が見えていないと言わんばかりに、逆に速度を増していく。
ケインは船長に向かって叫ぶ。
「止まって!!船長!!ぶつかるよ!!!」
船長は何も答えない。
ぎらついた目で前を見据えている。
「上陸するなら止まらなきゃ!!危ない!!!」
ケインが叫ぶとほぼ同時に、船長はケインの左手首を掴むと、舵輪をしっかりと握らせる。
もう岸が目の前まで迫っている。
「上陸はしねえ!!!野郎ども!!!掴まれ!!!!!」
船長がそう叫び、ケインは祈るように目を閉じた。
船体が大きく後ろに傾く。
ケインは舵輪を両手で握りしめながら、目をさらにぎゅっと瞑る。
一分ほどそうしていただろうか。
ケインは恐る恐る目を開けた。
岸にぶつかったような衝撃は来ない。
しかし船体は傾いたままだ。
耳をすませると、波しぶきの音が全くしなくなっている。
顔を上げ、左右を見る。
船長は傾いた船体の影響はまるでないかのような涼しい顔をして笑っている。
「上陸はしねえ。陸の上には出るけどな」
「……え!?」
船は、陸から離れた上空を浮かびながら進んでいた。
どんどん高く上昇し、やがて船体は水平に戻ると、その高度を保ったまま直進する。
その光景に、ケインは理解が追いつかない。
最初に思ったことを、そのまま口に出す。
「……浮遊魔法?」
「浮遊魔法で船を飛ばそうと思ったら、それなりの使い手でも10人は必要になるぜ。しかもここまで速く、精密には動かせねえ」
船長が答えると、船は更に加速する。
自慢げに船長は続けた。
「こいつは俺の行きたい場所に向かって、どんな道でも自在に進む!そこが例え雲の上だろうとな!!世界でただ一つの空飛ぶ船!『コンリード・バートン号』だ!!」
「ふ…船が自在に飛ぶ!?そんな…」
「そんなことがあるのさ!!」
船長はケインに笑みを向ける。
ケインも思わず笑みがこぼれ、この船の海賊以外が体験したことのない『空の航海』を楽しみだした時だった。
「お前も海賊やるか?」
船長からの思いがけない誘いに、ケインは驚く。
慌てて跳び退き、船長に向き直って言う。
「俺は勇者ですよ!船長、あんたたちみたいな連中だって、俺にとっては敵なんだ!」
思わず敵意をむき出しにしながら、剣を構えてしまう。
船長は眉を上げると、前を向いて言った。
「冗談だよ。剣を仕舞え。体力ギリギリなお前が今戦ってどうする?」
船長の言った通り、剣を構えただけでも息が上がってしまうほどに、ケインは疲れ果てていた。
それでも剣を握りしめたままのケインを横目に、船長が続ける。
「俺たちは確かに悪人だ。欲しいと思ったもんを思うままに奪い、邪魔する奴は殺す。でもよケイン、戦うべき時かどうかをよく見極めろよ。お前は俺たちに助けられた。俺個人には二度もだ。だったら少なくともこの場は剣は納めるのが筋ってもんだろ?」
これで『三度目』になるな、そう思いながら、ケインは剣を仕舞う。
俯きながらケインは言った。
「…そう言えばさっきからずっと船長って呼んでますけど、船長はなんて名前なんですか?」
「…オーロ。世界の海と空を支配する海賊キャプテン・オーロだ」
オーロ船長がそう言うと、船は前進をやめ、空中で静止した。
それに気付いたケインが顔を上げる。
「なんで止まったんですか?」
「敵さんの姿が見えたからだ。さて今度こそ話し合いで済むかどうか……」
言いながら、オーロは舵輪から手を放す。
ケインの方へ向き、話しかける。
「デュナミクって国は知ってるな?200年前までのことしか知らねえだろうが」
「は、はい。魔獣に何度も襲われていた小さな王国だと…」
「『あれ』が女王になって以来、20年にも満たねえ年月で、急激に勢力を増してやがるのがデュナミクだ。周辺の国を壊滅に追い込んで、そのままてめえらの国土にしちまう、えげつねえ連中さ」
「そんな…!」
「悪い連中だろ?敵意向けるべき相手が見つかったな?」
皮肉を言いながら、オーロは前方を睨む。
ケインも同じ方向を見る。
遠くから、急速にこちらへ接近している人影が見える。
船と全く同じ高度で。
ケインを遥かに凌駕する、浮遊魔法の使い手だ。
「あんなに速く飛べるのか…!」
「俺だってあれくらいならホホホイのホイだぜ。お前さんも場数を踏めば、多分な」
人影がどんどん近づいていくにつれ、姿がはっきりと見えてくる。
金髪の女性の姿が見えると同時に、太陽が顔を出す。
「あれが、女王…」
ケインはツバを飲む。
指の関節を鳴らしながら、オーロが言った。
「やって来るぜ。この世で二番目に恐ろしい、破滅をもたらすデュナミクの女王。ロレッタ=フォルツァート様のおでましだ!」