第53話 魔王ゴア、地獄の三者面談
意外と小さい。
彼ら以外何ものも存在しない部屋、半透明の姿で対面したドーズを見て、真っ先にケインが思ったのはそれだった。
魔王ゴアを倒した偉大な勇者、ドーズ=ズパーシャ。
そのイメージから、自分を大きく上回る、それこそスコットぐらいには筋骨隆々の大男を想像していたのだが、いざ見てみるとその背格好はむしろケインよりも一回り小さく、些か面食らった。
そして既に200年経過しているにもかかわらず、半透明なその姿には、加齢の跡が僅かにも見られなかった。
見れば見るほどに、祖先にして初代勇者ドーズが奇天烈なものに思えてきていた。
そもそも半透明の姿をした人間というのが、ケインにとっては出会ったことのない奇天烈な存在であったのだが。
ケイン、ドーズ、そしてゴア。
三者がそれぞれどう切り出して良いものか決めかねて、ただ時間だけが無為に過ぎていく。
「ふぇ?」
素っ頓狂な声を出したのは、足元がふらついて尻もちをついたゴアだった。
貧弱極まる肉体に耐えられるような緊張ではなかったのだ。
そのゴアを、勇者ドーズは鋭く睨んだ。
実体はなくとも、その視線にゴアはまさしく蛇に睨まれた蛙のごとく縮み上がった。
「あの魔王ゴアが、まさかこんな情けない姿になるとはね」
「ふ、ふふ……お前が見事に邪魔してくれたおかげでな。今はケインのおかげで徐々に戻りつつあるが、な」
態度だけはゴアは魔王であり続けた。
そしてドーズも、声だけは優しい勇者であろうとし続けていた。
「そう、ケインが魔王に協力しようとして…………いいや違うな。ぼくが最初に話すべきはそこからじゃあない」
浮遊していたドーズの霊体は、地に立つと同時にケインへ深々と頭を下げた。
ケインだけではない。
これまでの全ての勇者に対してだ。
「ど、ドーズ、様……?」
「どれだけ詫びてもぼくの罪が消えることはない。だけど言わせてくれケイン。申し訳ない、本当に申し訳ない。ぼくが魔王ゴアを打ち倒すことしか考えてこなかったがばかりに、何人もの勇者を無意味に犠牲にしてしまった。君や、君の父にも、どれだけの迷惑をかけたことか……」
涙は流れていない。
否、流せない。
流すための肉体が既にないのだから、涙を流せるはずがない。
それでも、ドーズは泣いていた。
泣いて、詫びていた。
その姿は、ケインが思っていたよりも『人間らしい』勇者の姿だった。
ゴアから話を聞いていた時は、もっと超然とした人物をイメージしていたものだが、勇者ドーズは紛れもなく自分と同じ人間だった。
心のどこかで安心し、ケインは祖先へと声をかける。
「ドーズ様、頭を上げてください。それまでの勇者や、父さんがどういう想いだったかはわかりませんが、少なくとも、俺に謝る必要なんてありません」
ドーズが頭を上げると、晴れやかな顔の子孫がそこにいた。
「俺は勇者になれたおかげで、色んな人と出会い、彼らのおかげで強くなりました。そのことにむしろ感謝してるくらいなんです。だから、もし謝るのなら、先代の勇者たちまでで十分のはずです。俺は……」
途中まで喋ったところで、ケインはゴアへ顔を向けた。
「あれ?俺ってドーズ様に何を言いに来たんだっけ?」
「知るか。なんのためにまだ生きておるのか、そもそもどうやってまだ生きておるのか、それを確認するためとかじゃないのか?」
「それはおまえが聞きたいことだろ」
「そうだね……じゃあ魔王の疑問から答えるとしようか」
少し顔が明るくなったドーズは、二人に自身の現状を含めた諸々を説明した。
死期が近づいたことで自らの肉体を捨て、霊体としてここに封印することでこの世に留まれているということ。
ミサンガを介して勇者たちの記憶を情報として得ていたこと。
魔王ゴアが再び現れた時、それを勇者に知らせるためにこの世に留まっていたこと。
ドーズの声を聞き取ることのできる勇者がほとんど現れなかったこと。
ようやく現れたドーズの声を聞き取れる勇者こそがケインであり、よりにもよって魔王ゴアと共にいたこと。
ケインがレイブ村に戻って来ることができたのは、ドーズの存在を感知できたからであり、ドーズが呼びかけなければ未だに村の存在自体を認識さえできていなかったであろうということ。
聞きたいことをおおよそ聞き終り、ケインとゴアは唾を飲み込んだ。
ケインはその内容については大方の予想はついており、ほとんど再確認という形だったが、溜飲が下がる思いだった。
一方のゴアは、これからドーズが話すであろうことについて、今にもここから逃げ出したい思いでいっぱいだった。
「それじゃあ、次はお前の番だね、魔王ゴア」
「そらきた」
声色を変えずに氷のような視線を向けるドーズに、冷や汗を浮かべながらゴアは苦笑した。
「お前がケインと一緒に行動しているのは、ケインの記憶から既に把握している。お前が力を取り戻し、世界の抑制力として君臨するために、ケインが協力している、と。まあ、持ちつ持たれつの関係を上手く築き上げたみたいだけれど…………それをぼくが信用すると思うかい?」
一言一句、ゴアが予想していた通りのものだった。
そして、ケインがどう割り込んでくるのかも。
「待ってください、ドーズ様。俺の記憶から見ておられたのなら、ゴアを信用しても良いのではないでしょうか?俺がこいつに助けられたところも見たはずでしょう?それに、もし俺が一人で世界を救ったとしても、また同じことの繰り返しになるのは本当じゃないですか。俺たち人間じゃあ、保っておける平和にも限りがある。でも、ゴアが平和のために抑止力になるのなら……」
「そこなんだけどね、ケイン。君が何故そこまで魔王を信じているのか、そこなんだ。ぼくは君の記憶を見るに、魔王の別人格である、ククとかいう少女を愛してしまっているから、魔王までも含めて信じようとしているだけにしか見えないんだ」
「えっ」
思わぬ指摘にケインはよろめいた。
ゴアと協力関係を結ぶきっかけは、確かにククにある。
魔王のためには動けないが、ククのためならば動けると、それが決め手になったのは確かだ。
だが、いつの間にかゴアのためにも動ける自分がいるようになったのも、また否定しようのない事実だ。
そこをドーズは、真っ向から否定しようとしている。
「ケイン、確かにぼくたち人間は魔獣に比べて寿命が短い。保てる平和が限られすぎている。けれど、だからと言って恒久的な平和を魔王に任せるなんて乱暴な考えに、ぼくはなれない。ましてや、相手は魔王ゴアなんだよ?ぼくが死ぬのを辛抱強く待ち、復活の機会を失ってもまだそこから100年以上も待ったほどの相手なんだ。思わないかい?君が今後誰よりも強くなったとして、その最強の勇者が寿命で死んだ後で、今度こそ阻む者のいない世界を支配しようとするかもしれないと、その可能性を絶対にないと言い切れるかい?」
「言い切れますよ」
優しい声だが、ドーズの言葉は心の底までずしりと響いてきていた。
だからこそ、ケインは即座に断言することができた。
自分の心に今一度問いかけ、曇りのない答えを見出すことができたのだから。
「きっかけはどうあれ、そして俺のククへの想いはどうあれ、俺はこの『魔王ゴア』を信じることができます。何故かと問われるなら、ドーズ様には納得のいく答えではないかもしれませんが、ただひとつ、仲間だからです。一緒に過ごして、戦って、笑った、大事な仲間なんです。その仲間が世界の平和のために動くと言っているのだから、俺は無条件に信じることができるんです。俺が死んだ後でまた悪に染まることなんて絶対にないと、言い切れるんです」
瞳を輝かせた、自身に満ち溢れた勇者の言葉。
この世に未練を残した祖先に、その未練を断たせようと、安心させようという言葉。
話題の渦中にあるゴアが涙目で赤面するほどのその言葉はドーズに―――――
「あり得ないね」
届かなかった。
声色は未だ変わりないが、その目はゴアに向けているそれと同じ、厳しく冷たいものになっていた。
「君の願望が入り混じった擁護をこれ以上聞いていたって、魔王を信用する材料には当たらない。最初からそうするつもりだったけれど、ぼくの考えた『第二の勇者の掟』をやっぱり始めるべきなようだね」
「『第二の勇者の掟』……?」
ドーズはわざとらしく頷いて見せる。
幼児の話を聞く親のように。
「そのために君に来てもらったんだ。恒久的な平和を保つための、『第二の勇者の掟』。その手順を教えてあげようか。まず第一に、君の肉体をぼくが乗っ取る」
「なっ…!?」
「魔獣じみたことを言い出しおるなこいつ」
背中の剣に手をかけたケインを、ドーズは右手を突き出して制した。
「誤解しないで欲しいのは、別に一生乗っ取るわけじゃない。5年程度のことだ」
「5年……?まさか……!!」
「流石だケイン。気付くのが早い。そう、次に掟によって定められた勇者の体に、ぼくは乗り移る。また5年後に勇者が代替わりして、今度はその子に乗り移る。それを永遠に繰り返すんだ」
「そんな……そんなことが……」
「ホホホイのホイさ。最強だった上に、肉体を失って憑依というものがやりやすくなっただろうぼくにとってはね。肉体的に死んだ時から考えていたんだ。かつて最強になったぼくにできる、犠牲になった勇者たちへの罪滅ぼしとは、最強であり続けることだとね。これから勇者になる子たちやケインには、肉体的ピークの5年は我慢してもらうことになるけれど、代わりに絶対的な平和を約束してあげられる。ぼくが世界にしてあげられることはもう、これしかないんだよ」
ドーズがゴアへとにじり寄る。
「もちろん、恒久的な平和を保つ存在がぼくになるわけだから、魔王ゴアなんて必要ない。ケインがたった今から5年、体と時間を譲ってくれるのなら、ぼくは今すぐ魔王を確実に仕留めて、外の世界にいる悪人どもも片付けてあげるよ」
ドーズとゴアの間にケインは割って入った。
「ゴア!!逃げろ!!!」
体を震わせつつもゴアは部屋の扉に手をかける。
しかし、どれだけ必死に押しても引いても、扉はびくともしない。
「くそっ!!さっきはすんなり入れただろうが!!なんで……!!」
「無駄だよ。ここはぼくの結界の中だからね。村の外に張ってあるものが『敵を寄せ付けない』結界なら、ここのは『ぼくが許可しない者をここから出さない』結界なんだ。ぼくが許可しない限り、決して、誰一人ね。さあ、世界を混乱に陥れる魔王、そんなものにだって協力できるのだから、ご先祖様の頼みくらいお安い御用だろう?ケイン、君の時間と引き換えに、ぼくに世界を救わせてくれ」
ケインはここで、明確な『敵意』をドーズに向けた。
既に手をかけている剣の柄を、しっかりと握った。
「……どうやら君の正義とぼくの正義は、交わってはくれないものらしいね。互いの正義が異なる時、どうすればいいと思う?初代勇者であるぼくには、あまり好ましくない手段ではあるのだけれど」
ドーズの手にも剣が握られていた。
持ち主と同じ、半透明の剣が。
「戦うしかないんだよ、ケイン」
「……それしかないんですね、ドーズ様」
二人の勇者は、生まれて初めて勇者を『敵』として認識した。




