第47話 海賊と魔女
ケインたちがヒノデ国を出て二日後。
木々の間から僅かな光も差し込まない夜、黒魔女クラリが住む小屋の扉を一人の男が叩いた。
想いの強さ次第で願いを叶える果実『黒き禁断』の噂を聞きつけて、魔女の森にやって来る者は決して珍しくはない。
それはブンやスカーがクラリと同居し始めてからも変わらないことだったが、扉を叩く者から漂う尋常ではない気配を感じ、元勇者の親子に緊張が走った。
「…俺が出るよ」
ブンが恐る恐る扉を開けると、そこには思わぬ人物がいた。
「よう、邪魔するぜ」
海賊キャプテン・オーロは、いつものように精悍且つ豪胆な笑みを湛えていた。
格好とそれに見合う態度、面識のないブンにも、目の前の相手が誰なのかが即座に理解できた。
「なっ……て……なん……」
頭が恐怖と驚きに支配され、上手く言葉が出てこない。
足が釘打ちされたように貼り付き、動くこともできない。
同じく父親のスカーも、オーロを見た瞬間から動きが固まってしまっていた。
勇者としての立場を退いた男では相対することさえ不可能なこの海賊を、奥の椅子に腰かけているクラリは毅然とした眼差しで見つめていた。
「あら、お久しぶり。何の用かしら?」
「なあに、ちょっとした確認だよ。暇つぶしも兼ねてな」
互いに馴れ馴れしい態度を取っていることに面食らうブンとスカーだったが、そのおかげで冷静さを少し取り戻すと同時に、二人が初対面でないことに気付いた。
大昔にオーロは、空飛ぶ船『コンリード・バートン号』を願い、この魔女の森を訪れている。
その願いを叶えた際に少なからず親しい間柄になっているであろうということは、容易に想像がついた。
尤も、スカーがこの小屋にやって来て以来、オーロが訪れたことなど一度もなかったのだが。
小屋の中をぐるりと見回し、何かに気付いたオーロはクラリを鋭く睨んだ。
その視線にさえ、クラリは一切動じない。
「確認は終わったようね?」
「ああ。やっぱりおまえが持ってんだな、あの火山の宝石をよぉ」
その言葉を聞き、ブンとスカーの体が一層強張った。
二日前にどこからか宝石が飛んできた。
それを拾ったクラリは、ケインがマキシマムサンストーンを上手く取り戻したのだと推察し、彼が取りに来るまで預かることにしていた。
だが、図星を突かれてもクラリは動じるどころか、ローブからマキシマムサンストーンを取り出すと、逆にそれをオーロがすぐ手に取れるようにテーブルに置いた。
「それで?この石を奪いに来たってわけ?」
依然として気丈に振る舞うクラリを、オーロは鼻で笑った。
「そう構えんな。ちょっとした確認っつったろ?海賊の掟、『奪うのは持ち主から』だ。この石はまだケインのモノだろ?ケインがまだ生きてる内は、こいつをおまえから奪うわけにはいかねえんだよ」
指一本触れず、オーロは手で払うような仕草をして、クラリに仕舞うよう促した。
再びクラリのローブにマキシマムサンストーンが仕舞われるのを見届けると、オーロは元勇者の二人に目を向けた。
その視線だけで心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥っている二人を知ってか知らずか、投げかけられた語気は優しかった。
「ちょいと席外してくれるか?こっからは大人の時間なんでな」
ブンとスカーの動きは極めて迅速なもので、且つ静かだった。
決してオーロの機嫌を損ねてしまわないよう、一目散にその場を離れ、若干の作り笑顔を見せながら扉を閉めた。
外に出るなり、ブンは中にいる二人には聞こえない程度の声量で父に問うた。
「あの魔女、海賊とそういう関係だったのかよ?」
「俺だって知らねえよ。魔女と知り合いなのはそりゃそうだろうけ……ど……」
話している途中で再び固まってしまった父を不審に思ったブンが父の視線の先に目をやると、そこにはオーロが乗って来たコンリード・バートン号に30人ばかりの海賊たちが笑いながら二人を見ていた。
外で何が起きているか、オーロとクラリは眼中になかった。
狭い部屋に男と女。
厳密な種族は違えど、海賊オーロが思いの丈をぶつける環境は整っていた。
力が残されていないからか、はたまた初めから本心で拒絶しているわけではないのか、クラリはすぐに抵抗をやめ、オーロのあるがままを受け容れた。
「んっ……どう、したの?もう随分こんなこと……なかったのに」
「なんだっていいだろ。そうしたい時にするのがキャプテン・オーロ様だってこと、おまえは良く知ってるはずだぜ」
「ええ。ぜぇんぶ知ってる。あなたがどういう時にこうしたくなるのか……ってのも。そんなに、怖いの?」
「あ?」
「あの子……勇者に負けるのが、そんなに怖いの?」
「俺がそんなことを怖がるように見えんのかよ?」
「そうね……じゃああなたは、今何を怖がってるのかしら」
「……何にだろうな。勝っても負けても、その殺し合い自体に、意味を持てねえかもしれねえ、それが不安なの……かもな」
「素直なのね。昔から嘘つけないのがあなたのいいところだと思うけれど」
「おまえこそ嫌に素直じゃねえか。無駄に暴れられるよりは結構なこったが」
「別に……あなたが相手じゃあ暴れたって本当に無駄なことだし。それに、どれだけされたって、あなたとじゃあ子供なんて……」
「けっ」
「や……強っ……」
どれだけそうしていただろうか、やがて果てた男の腕の中でもぞもぞと魔女は動く。
「ねえ、答えて欲しいんだけど」
「うん?」
クラリの語気に強さはなく、猫撫で声にも取れる甘えた調子になっている。
「あなたにとって、一番大事なものって、なんなの?」
「……俺に抱かれる度に言ってんな、それ」
「いいから」
「おまえだよ」
「真面目に答えて」
機嫌を損ねたのか、クラリはオーロの腕に噛みついた。
オーロにとってはじゃれているのと同じであり、優しく頭を叩いてそれをなだめた。
「いててっ……真面目さ。今日、今この時、この瞬間だけは、俺の一番は間違いなくおまえだよ」
「……明日は?」
「さあな。どっかから奪った戦利品の中にとんでもねえお宝があるかもしれねえし、海底に沈んだ未知の代物……もしかしたら、朝起きて飲む一杯のコーヒーが明日の俺の一番ってことだってあるだろう」
「なによそれ」
「へへ……おまえからコンリード・バートン号を貰って100年、世界中飛び回って、色んな奴と出会って、奪いてえモンは奪ってきたけどよ、結局俺の『本当の一番』ってやつはまだ見つかってねえんだ。こんだけ生きて、こんだけ行きてえとこ行ってりゃあ、見つかるもんだと思ってたんだがな」
「……見つからないんだったら、結局『自分自身』が『本当の一番』ってことなんじゃない?少なくとも、私はそうよ?」
「そうかもしれねえ。だがよう、死にもの狂いで100年以上戦い抜いて、その先に見つけた『本当の一番』が自分、なんてオチはよう………そいつぁ、寂しすぎると思わねえか?」
「だから、あの勇者との戦いを怖がっているの?戦った先にまだ見つけられないかもしれないから、だから怖いの?」
「……怖かろうが怖くなかろうが、ケインとの戦いはどうしても避けては通れなくなっちまってる。それだけに意味のある戦いにしてえが、そこはあいつ次第……なんだろうな。ま、その時になれば、あいつにはいつもの強くて不死身なキャプテン・オーロ様で迎えてやるさ」
オーロはクラリをぐいと強く抱き寄せ、目を閉じた。
「まだ手に持っていない全てを手に入れるまで生き続ける不死身の海賊オーロ。そんなあなたの裏の顔がこんなただの男だなんて、知っているのは私だけでしょうね。勇者のあの子にも、誰にも見せない、そんな顔。………あなたがこれから奪うものの中に、『本当の一番』はあるの?それを見つけた時、あなたはそれでも海賊キャプテン・オーロで在り続けるの?その時………」
クラリの声に返事はなかった。
頭の上で寝息を立てているオーロの顔を引き寄せ口づけを交わすと、クラリはオーロの腰に手を回して目を閉じた。
「今の一番は私………」
「なんだこりゃ」
朝日が森に差し込み始めた頃、小屋を出たオーロの目に飛び込んできたのは、船から降りて酒に酔い潰れて眠っている船員たちと、同じく酔い潰れているブンとスカーの姿だった。
悪酔いしつつもまだ起きていた船員の一人が、オーロに近づいてきた。
「イック、ヒック。あ、せんひょぉ?くぉいつらぁ、ヒマそぉだったくぁらぁ、酒の飲み比べに付き合わせったんしゅよぉ。しょしたら、思いンほか二人とも強くってぇ。ま、ま、俺らぁ勝ったんっしゅけどにぇえ?ベブシッ!!!!!」
酒臭い息を吐きかけながら喋る船員の横っ面をオーロは思い切り叩いた。
空中で一回転し、見事な着地を決めた船員の目は、氷水をかけられるよりもばっちりと覚めていた。
「さっさと皆起こして船に乗れ。帰るぞ」
「へ、へいっ!!!!」
船員は仲間たちを次々に叩き起こし、船に乗るよう促した。
オーロもブンとスカーを軽く蹴って起こすと、二人は酔いが回っていながらも恐怖は拭いきれず、警戒心を露わにしていたが、一切気にも留めずオーロは船に乗り込んだ。
「また来るぜ。今度はあの石を奪いにな」
船員たちが全員乗り込んだのを確認してから、コンリード・バートン号は魔女の森から飛び去った。
遥か上空を飛ぶ一隻の船。
世界でただひとつしかない空飛ぶ船コンリード・バートン号の船首に立つ海賊キャプテン・オーロの顔は、いつも通りに精悍且つ豪胆な笑みを湛えていた。
「いつでも来なよ、ケイン。俺はキャプテン・オーロ船長!この世の全てを手に入れるまで、絶対死なねえ不死身の海賊だぜ」




