第46話 ヴァンピロ=ビスという男
ヒノデ国で起きた大騒動は、デュナミク王国の耳にもすぐさま入ることとなった。
ケインたちは気付いていなかったが、事前にヒノデ国と海賊の抗争を察知していたデュナミク王国の偵察部隊の一部が、件の現場を遠目から始終見ていたのだ。
偵察部隊長ライモンド=イロニコは、帰国して早々にこのことを参謀長ニコラ=ヴィーヴォに余すことなく伝えた。
「結局、海賊側の死者は、船を一隻任されていた隊長格とその部下十数名のみ、ヒノデ国側は人斬りショーザン=アケチ一名。ヒノデ国が秘密裏に開発していた兵器は破壊されたが、我々が事前に把握していただけの戦力にはほぼ影響なし。ドームも既に閉ざされ、双方痛み分けに終わった、か……」
「うぃっす」
緊張感を削ぐ返答にもニコラは眉一つ動かさなかった。
ライモンドの無礼極まる言葉遣いは今に始まったことではなく、入隊当初から、彼は部隊に余計な緊張を生まないようにと、意識的に砕けた言い方にしていたのだった。
反感は当然買ったが、実力主義が根底にある現在の王国において、それは出世の妨げにはならなかった。
「あと、死んだって報告されてた総司令官閣下サマの副官が実は生きてて、しかもヒノデ国のスパイだったっつー件、それとなく女王陛下に伝えといてくださいよ。うまくいきゃあ総司令官閣下サマを蹴落とせるかもしんねーし」
「……わかっている」
副官オブラの正体がヒノデ国の緑影である事実も、偵察部隊は既に掴んでいた。
それでなくとも、総司令官ヴァンピロを敵視し、嫌悪する人間は多い。
氷結魔法を操れる人間が彼以外に皆無であり、氷結魔法を操る魔獣バンパパイヤがデュナミク王国において不吉の象徴とされてきたことで、彼はバンパパイヤの生まれ変わりではないかという風聞が、ヴァンピロ自身の耳に入るほどに広まっていた。
そして女王から権限を得ているとはいえ、その場で部下を処刑するなどの過激な行動や、度々の報告会に欠席するといった権力を笠に着るような姿勢も、部下からの反感を買う原因であった。
そのため、ヴァンピロを失脚させる可能性のある情報を得ようと躍起になる者も多く、今回ライモンドが掴んだ情報は非常に有益と言えた。
「だが、貴官が直接陛下に報告しても良いのではないか?総司令官の件は私が指示して調べさせたとでも言って手柄を独り占めしたらどうする?」
ニコラの問いかけに対し、ライモンドは軽く舌を出して言った。
「どうもしねーッスよ。総司令官閣下サマがあの地位手に入れてから、あんたの出番取られ続けだったっしょぉ?ちょっとぐれーいい思いしたって、バチ当たんねーよ」
「……貴官はそれで良いのか?」
「べっつにぃ。俺ぁ外での仕事が多いから、手柄立てるなんざぁ、いっくらでもできんだろっつー話ッスよぉ。んじゃぁま、報告よろしくッスぅ」
素っ気なく返事して、ライモンドはさっさと自室へと向かってしまった。
連日の偵察任務での疲労が溜まっていたらしく、話している時も何度もパチパチと瞬きしていた彼を引き止めることはニコラにはできなかった。
ニコラはライモンドからの報告を書面に纏め、首都アマビレの宮殿へと足を運んだ。
数時間後、王室で女王ロレッタとの謁見が叶ったニコラだが、そこにヴァンピロが居合わせていることに少々驚かされた。
「これはこれは総司令官閣下。いかがなされたので?」
「君がこれから報告する内容について、予め陛下の御耳に入れておきたいことがあってね。私がここに居ては不都合かな?」
ニコラから向けられている嫌悪感は意に介さず、澄ました顔で答えるヴァンピロだったが、ニコラにはそれも不愉快であった。
「聞かせてもらいましょうか、ニコラ参謀長。ヴァンピロ総司令官を睨むのはその後でもできますから」
「に、睨むなど、私はそのような…」
やや口ごもったものの、すぐに落ち着きを取り戻して、ニコラは偵察部隊から預かった情報を全て報告した。
ヒノデ国が開発していた兵器のこと。
ショーザン=アケチがヒノデ国に戻ったものの、すぐさま裏切ったこと。
兵器を止め、ショーザンを討ち果たした謎の男のこと。
ヒノデ国と海賊、双方の受けた損失。
無論、ヴァンピロの副官だったオブラが、敵国のスパイだったことも含めてである。
「これら全て、偵察部隊からの報告によるものでございます。ライモンド偵察部隊長、及びその部下たちへは、どうか盛大な褒美で報いていただきたく…」
「勿論。それと、ライモンド偵察部隊長も期待しているかもしれませんが、オブラ元副官の件で特にヴァンピロ総司令官が咎を受けるようなことはありませんので」
「……どういうことでしょう?」
ニコラの前に氷のような冷たい表情で割って入ったヴァンピロが、事情を説明した。
「オブラは元々、高い能力に反してそれに見合った実績を持たない男だった。入隊当初から不審に思った私は陛下に具申して、オブラを私の直属の部下にしたのだ。もしもの時に備え、見張っておくためにな。今回ライモンドが報告してくれるまで尻尾を掴むことはとうとうできなかったが、その分、奴の行動を縛ることはできていたはずだ。私を罰するような材料には当たらぬというわけだ」
「…左様で」
落胆が表情に出ないようにニコラは努めたが、語気までは意識を回すことができなかった。
閑話休題と言わんばかりに手を叩いてからロレッタは言った。
「そんなことよりニコラ参謀長、あなたはどう思いますか?」
「は…」
「つまるところ、海賊側もヒノデ側も大した痛手にはならず、立て直しは容易。我々が一方に攻め入ったとしても、もう一方の攻め入る隙となってしまう問題を解消する絶好の機会と踏んでいましたが、どうやらそうはならなかった。そこまでは良しとしましょう。ですが……」
ロレッタはヴァンピロへと目を向けた。
「今度の戦いが早期終結した主な原因、ボーダードラゴンに乗った謎の4人組……。内二人は、現在も手配中のグラブ国の戦士と元王女ですが、その者たちは数日前、ヴァンピロ総司令官がクドモステリアで接触していたそうなのです」
「そ、そうなのですか…?」
狼狽え気味のニコラをよそに、ヴァンピロは淡々と告げる。
「私が交戦した際には、手配中の最重要人物スコット=ゴーバーがおり、反対にボーダードラゴンは影も形もありませんでした。ボーダードラゴンは姿を隠す能力を持ちますが、あの場で隠れていたとも思えません。あの時点では連中の仲間ではなかったと考えるべきでしょう。スコット=ゴーバーは別行動を取っているか、ヒノデ国に着く前にどこかで戦死したか……。いずれにせよ、ヒノデ国の兵器を止める決定打となり、人斬りショーザン=アケチを倒したというその男、その者は勇者です」
「勇者……ボーダードラゴン……」
そのどちらの名も、ロレッタは数多くの歴史書で目にしたことがある。
魔獣のボーダードラゴンはおろか、勇者に対してもロレッタは良い感情を抱いてはいなかった。
なお、勇者ケインが海賊の船に乗っていたのをロレッタは以前見ているが、それに関しては忘れてしまっていた。
「ボーダードラゴンといえば、あの老婆、サラ=ポプランが一頭飼っていますが、他にもいたということなのですかね」
「いえ、おそらくそれはありません。老婆のボーダードラゴンを奪った、もしくは老婆から借りていると見るべきでしょう」
「ふむ……まあボーダードラゴンごときはどうにでもなるとして、勇者の方は捨て置くわけにはいきませんね。人斬りを倒せる人間が、まさかわたくしや海賊オーロ、そしてサラ=ポプラン以外にいるとは思いもしませんでした」
「確かに仰る通りです。人斬りは私も単独で撃破することは難しいと考えていたほどの実力者。それを倒せるとは、数日前見た段階では予想もつかなかったのですが……」
「あの……」
きまり悪そうに割って入ったニコラに、ロレッタとヴァンピロは視線を向けた。
「それで、私にどう思う、というのは……?」
「ああ、少々余計な話をしてしまいましたね。つまり、その勇者一行、極めて少数ながら、その力は人斬りをも上回り、ヒノデ国と海賊の衝突の中で立ち回れるほどの力の持ち主ということ。そして、勇者に海賊オーロは戦おうと言ったそうですね。ニコラ参謀長、あなたの意見を聞きたいのは、それに伴う我々の動きです。勇者一行を海賊やヒノデ国のような一戦力として考えた場合、わたくしたちは今後どう動くのが適当なのか、それも含めた考えを持った上でここに来ているのでしょう?」
ヴァンピロが総司令官に任命されてから、ロレッタが参謀に意見を求めるのは極めて珍しくなっている。
少々面食らったが、ニコラは用意していた回答を提出した。
「まず、ヒノデ国に関してですが、彼の国は現状、立て直しそのものは容易と言えど、外からの攻撃を凌ぐことはできましょうが、外に対して戦力を割く余裕はないでしょう。それまでに海賊を討つ好機と言えます。次に、勇者と海賊についてですが、偵察部隊からの情報の限りでは、勇者と海賊は協力してヒノデ国の兵器を止めたとのこと。直前まで協力関係にあった者に宣戦布告するのは不可解なことと考えます。まして、人斬りと戦った直後、勇者はかなり疲弊していたはずです。敵対しているのであれば、そこを討たなかったのも極めて不自然でしょう。以上の点から、海賊の勇者に対する宣戦布告は、我々を欺くための虚言ではないかというのが小官の考えでございます。海賊は事前に偵察部隊の存在に気付き、勇者と戦っていると見せかけて手を組み、その隙に動こうとする我々を攻撃するつもりなのではないかと。それを阻止するためにも、今この時にこそ、海賊掃討を実行すべきと存じます」
「あの海賊が君と同じ、極一般的な思考回路の持ち主なら、そうなのだろうな」
肩をすくめて言うヴァンピロに、ニコラは鋭い視線を向けた。
「総司令官閣下には、私などには及びもつかない突飛な発想が備わっておいでなのですかな?」
「別に私自身にそのようなものが備わっているわけではない。ただ、あの海賊がどういう考えをで動く人間なのかは、関わりを持った者であれば自ずと見えるはずだ」
「では、総司令官閣下はそれが見えた、と?」
「あの海賊は戦いに関して、彼なりの礼節を重んじる男だ。人斬りを倒すほどの相手といえど、疲弊したところを討つを良しとはしないだろう。そして勇者と共闘したのは、それだけヒノデ国の兵器が脅威であったと見るのが自然だ。偵察部隊からの報告内容にある兵器の情報から、それが如何程のものだったか、ある程度の推察はできる。勇者と手を組み我々を討とうと考えているのかについても、彼は目先のことに対しては考えを巡らせる戦術家だが、その更に先を見据えるような戦略家ではない。勇者側が海賊との和平を望む可能性もなくはないが、そのために策を打つようなことはしないと、私には思えるが」
「つまり、海賊と勇者との衝突は起きると、情報からそのまま受け取って判断しても良いと、こういうわけですか?」
それまで黙って聞いていたロレッタが口を挟んだ。
「はい。そして、現在は確かに海賊掃討の好機ですが、それ以上に重大なこともございましょう」
「と、言うと?」
「勇者と海賊が手を組んだ場合における最悪のケースは、それらに加えてサラ=ポプランまでもが加勢することです。勇者にボーダードラゴンが協力していることから、これは十分に想定されるケースです。現状、陛下のお力であれば、勇者と海賊を同時に相手取ることも可能でしょうが、サラ=ポプランが加わっては厳しいでしょう」
「それは確かに。何度かあの老婆とも交戦しましたが、本格的な戦闘になる前に逃げられるばかりでした。向こうも決定打に欠けていたようですが、それはわたくしも同じこと。あの老婆だけは単独でなければ戦いたくもありませんね。……ヴァンピロ総司令官、つまり、あなたが言いたいのは……」
勝ち誇った笑みを浮かべ、ヴァンピロは答えた。
「左様です。ヒノデ国は戦力を外へは割けず、海賊は勇者という新参者に気を取られている、これはウェルダンシティに攻め込む絶好の好機と言えましょう。海賊と勇者が激突する、そこを見計らってウェルダンシティに向かうのです。さすれば、ウェルダンシティの資源も奪い、世界統一に向けて最大の障壁でもあったサラ=ポプランをも破り、我が国が海賊やヒノデ国を問題としないほどの国力を得ることも……」
「お待ちください!海賊と勇者が手を組む可能性が残っているのであれば、陛下がウェルダンシティに赴くのは危険です。その隙を突こうと、王国に攻め入る可能性がございます。第一、サラ=ポプランは戦闘能力こそ強大ではございますが、こちらから危害を及ぼさない限りはさしたる脅威とはなり得ません。海賊とヒノデ国が未だ健在で、更に勇者なる新たな勢力が現れたこの状況で、わざわざ攻め込むメリットがそれほど大きいものなのか、そこをお考え下さい!」
ニコラが意見している間、ロレッタの目はヴァンピロだけに向いていた。
ヴァンピロは知っている。
女王ロレッタ=フォルツァートとは、気品と力に覆われた、傲慢の塊であるということ。
海賊オーロや人斬りショーザンのように敵対するわけでも、己に与するわけでもないサラ=ポプランが、ロレッタにとっては何より許し難い存在だということ。
その感情を少し後押ししてやれば、自ずと主君がどう動くのか、それらをヴァンピロは知っている。
「参謀長の考えと私の考え、どちらを判断の材料とするかは、女王陛下のご自由です。ただ、いずれにせよ、長い間膠着状態にあった勢力図を一気に変える機会を、陛下がお見逃しになるようなことはないと存じますが?」
次に彼らの主君が口を開いた時、発せられた内容を聞きながら両者は目を閉じた。
一方は己の思い描いた通りに事が進む愉悦に。
もう一方はまたしても己の意見を容れられなかった悔しさに。
「海賊オーロを偵察部隊に監視させなさい。まず、海賊が勇者への期限として定めた一週間、そこを待つとしましょう。それまでに勇者が海賊に接触し、交戦が始まったと確認したら、わたくしは侵略隊を連れてウェルダンシティへの全面侵攻を開始します。万一、勇者との戦いが海賊のブラフであった場合のため、ヴァンピロ総司令官には国の警備にあたっていただきます。わたくしが帰還するまでは、それで十分な時間を稼げるでしょう。魔女からいただいたマントがあれば、この国に異変が生じても、報せを受ければすぐに戻れますからね。もしも勇者が海賊の下に現れなかった場合、その時は今度こそ海賊オーロ討伐に戦力を注ぎます。いずれにしても、この機会は、この国が世界の頂点に立つための好機。決して逃すことがないよう、あなたたちにも相応の働きを期待していますよ」
「御意」
同時に返事すると、ニコラは今話した内容を各部隊長に伝えるため、王室を後にした。
ニコラを見送ってからしばらくして、ヴァンピロも退室し、自室へと向かった。
途中、脳裏をよぎる人物の顔を消すように、ヴァンピロは何度も頭を振った。
「なぜ……なぜあの男が浮かぶ?いや、あの男はそもそも、誰だ……?」
自問する度に、男の顔がより鮮明に浮かぶ。
この世に生を受けてから、何度かこういうことがあった。
その頻度が、ここのところ増えてきている。
勇者と、そしてあの少女と出会った日から。
「お前は……『氷王ロズ』…なのか?」
あの勇者の言葉が頭の中でこだまする。
耳を塞いでも、目を閉じても、勇者の声も男の顔も頭から離れない。
目の奥で、男が剣を持っていた。
ゆっくり構えたと思えば、鋭く、速く、それを振り下ろしてきた。
あの時のように。
そうだ、この男は……。
あの時、私を殺した。
勇者ドーズ―――――。
「やめろ!!!!」
手を突き出し、ヴァンピロは幻影を止めた。
ただの幻影を、必死になって止めた。
恐る恐る目を開けると、自分の手が青くなっているように見えた。
それもほんの一瞬で、すぐに何も変わりなく、人間の肌だとわかり、胸をなでおろした。
「……ふざけるな」
自室に戻ったヴァンピロは、すぐさまベッドに飛び込んだ。
外で見せているような厳格さなど微塵も感じさせない有様だが、これが彼の唯一くつろげる時間であり、今はそれさえも、頭の中をうろつく幻影によって邪魔されていた。
「私が、バンパパイヤの生まれ変わり、だと?ただのバンパパイヤならどれだけよかっただろうな。だが、それがなんだと言うんだ」
下唇を噛むと、血がにじみ出てきた。
果実のような甘さのない、人間の血だ。
「私が氷王ロズの生まれ変わりだからなんだと言うんだ。記憶がほんの少し、残り香のようにあるだけで、それがなんだと言うんだ」
その記憶も、日に日に戻りつつある。
彼は今、ヴァンピロ=ビスとしての自分と、氷王ロズとしての自分の狭間で苦しんでいた。
だが、その中にあって、彼はひとつの決意を固めた。
「何故私が氷王ロズから人間に生まれ変わったのか、それはわからない。だが、例え氷王ロズとしての記憶が全て戻ったとしても……生者に勝る死者なし。今を生きる私こそが、本当の私だ。今の私は、氷王ロズなどではない。デュナミク王国総司令官、ヴァンピロ=ビス。それが今の私だ」
それを口にした瞬間、頭の中で響いていた声も、襲い来る男の顔も消えた。
ヴァンピロはヴァンピロのまま生き、ヴァンピロとして死ぬ決意を固めたのだ。




