第44話 剣狂奇譚、終幕
一歩、また一歩、ゆっくりながら、すり足でショーザンが近づいてくる。
風魔法。
火炎魔法。
雷撃魔法。
振動波。
あらゆる魔法で抵抗を試みようとしたケインだが、動こうと身構えるその度に斬り裂かれるビジョンが脳内を駆け巡り、振り払うことができない。
また、浮遊魔法なりで逃げることもできない。
僅かでも後退しようとすれば、即座にイメージそのままの斬撃が舞い込んでくる確信が、彼を逃がさないのだ。
「ち……ちくしょう……ケイン……!!」
拳を握りしめ、わなわなと震えるライガも、何もせずただ立ち尽くしているわけではない。
つい今しがた助太刀すべくケインとショーザンの間に割り込もうとしたのだが、その瞬間に見えたビジョンに足止めされていた。
それは、ライガがケインの前に立とうとも、ショーザンはライガをすり抜けてケインを斬り裂くというものだった。
他の者の目にもそのビジョンは映り、それを見たオーロは鼻で笑った。
「無駄なあがきだぜ。これは誰かが防ぐとか、ケインを逃がすとかで凌げるものじゃねえんだ。もう決まっちまったんだよ。あの構えを許した時点で、ケインが斬られる未来がな」
「け……ケイン、いやだ……ケイン……いやだよう……」
ライガが隣からのかすれた声へ向くと、シーノが泣きながら頭を抱えて呟いていた。
鮮明に見えているケインの死が、昨日同じ相手に斬殺されたスコットを彷彿とさせていたのだ。
ライガにはシーノを慰めることもできない。
ケインの死を回避させる手段がどうしても見つからない。
それを先程から既に理解し、覚悟を決めていたのがゴアだった。
目を閉じたまま、シマシマへと告げる。
「ゼブラ、ケインが死んだら奴の瘴気は俺が全て貰う。あの剣士を殺すから、おまえは援護しろ。この有様では、ライガとシーノは恐らく使い物にはならんがな」
「ゴア様、しかし……!」
「ほーう、瘴気だのなんだの言ってるってこたぁ、ボウズ、お前さん魔獣かなんかなのか?」
興味深そうにオーロはゴアの顔を覗き込んで言った。
ゴアが魔王だとは思えないにしても、魔王と関わりのある何らかの存在だとは流石に気付いたらしい。
だがゴアからは未だに何の力も感じられない以上その興味はすぐに消え失せ、またショーザンへと顔を向き直した。
「どの道あの人斬りの技をどうにかしねえことには、お前さんも同じ道を辿ることになるぜ。この不死身の海賊キャプテン・オーロ様も、あの技の対処法ってやつを考えとかなきゃならねえ。つっても、例えぶった斬られようが、この俺が死ぬことは絶対にねえんだがな」
余裕たっぷりな口調とは裏腹に、オーロはショーザンの刀へと真剣な眼差しを向けていた。
刀は主が歩を進める毎に、黒く放たれる輝きを強め、その度に『一撃』の未来を全員の脳へと深く刻む。
ケインは、剣狂の奥義に心を着実に折られていく自分に気付いた。
何か行動を起こそうにも、何をしても絶対に斬られる運命から逃れることができないという確信的ビジョンが彼を縛る。
いつ斬られるのか、そのタイミングはわかっている。
ならばいっそのこと、やぶれかぶれに最後の一撃を相討ち覚悟でショーザンに喰らわせてやろうかと、両手に剣をがっしりと握りしめて構えた。
その構えを見たライガたちが何かを叫んでいるが、ケインの耳には入っても、頭までは届かなかった。
どうやら俺はここまでらしい。
そう諦め、仲間たちへ心で詫びながら、目を閉じた時だった。
「いいや、君がここで死ぬなんてことが許されるわけがない」
頭の奥から響いてきたその声に思わず目を開け、辺りを見渡す。
しかし今まで聞いたことのない、優しく力強い声の主は影も形もどこにも見当たらない。
その様子を不審に思ったライガとシーノがきょとんとしているのを見て、ケインは今聞こえたこの声が、自分にしか聞こえない声なのだと悟った。
ここではないどこかで、誰かが拡声魔法か何かで語り掛けているのだ。
だとしたら、誰が、何のために?
「ケイン、君は世界を救うために立ち上がった勇者だろう?こんなところを死に場所にしてしまって、君は本当にそれでいいのかい?」
「ちっ」
オーロが舌打ちしたのを、誰も気にも留めなかった。
そのオーロの横では、ゴアとシマシマが悪寒に襲われ震えていた。
不意に訪れたこの寒気が一体何を意味しているのかわからないままゴアが目を開け顔を上げた時、そこには輝きを取り戻したケインの姿があり、それが寒気の原因と繋がっていることをゴアは確信した。
「あなたは……あなたは一体……!?」
「君がこの戦いに勝てたら、いずれぼくとも会える。だから、まずは勝つことだ。ケイン、勝つんだよ」
まるで背中を押してくれるかのようなその声に力を貰いながらも、ケインはこの状況を切り抜ける手段を未だ持ち得ないでいた。
声の主はそれを承知で言っているが、ただの無責任ではないという確信がケインにはあった。
「俺は、これからどうすれば勝てるんでしょうか?」
「その答えは君自身が見つけるべきことだ」
「ええ?」
意外と無責任だった。
「だって、彼を倒すということ、それが勇者としての、君の使命だろう?」
そう言ったきり、謎の声はもうどこからも聞こえなくなっていた。
ケインが前を向くと、刀はショーザンがあと4歩踏み込めば届くというところまで迫っていた。
勇者としての使命。
その言葉がケインの頭の中で渦を巻く。
記憶を引き出すかのように。
「俺はあんたを斬らなきゃいけない!!それが勇者としての、俺の使命だ!!!」
かつて、ショーザンにそう言い放ったことがあった。
ショーザンと初めて出会い、彼がデュナミクの警備兵を斬り殺すのを目の当たりにした時だ。
あの時のショーザンの技。
まだケインでは見切ることができなかった、あの鋭利且つ素早い斬撃。
その記憶と、これから襲い来るビジョンとが重なり合った時、ケインは両手を下げ、完全に脱力した。
「ケイン!?」
降参したようにも見えるケインの姿に取り乱し、ライガが声を上げる。
だが、ケインの目は諦めてはいないことをゴアは知っていた。
勝利するための鍵をケインが握ったのだとゴアは確信していた。
ゴアの推測が正しければ。
奴が何かをケインに告げたのだから、ケインが負けるはずがないのだ。
「いよいよ決着ですね、ケインさん」
ケインが何かをしようとしていることはショーザンも承知していた。
それでもまだ、誰の目にもケインが斬られる未来が見えており、それがショーザンの自信を微塵も揺るがせはしなかった。
確定した未来に重ね合わせ、漆黒に染まった刀が振り下ろされる。
その動作はほんの一瞬だった。
事前に見せていたものと寸分の狂いもなく刀はケインの左肩から右の腰まで斬り裂いた。
通り抜けたとさえ表現できるほどに鮮やかなそれを見届けた直後、ケインの唇が僅かに動き、言葉を発した。
「『キッス』」
もしもショーザンが、事前にケインに死の未来を見せていなければ。
もしもショーザンが、僅かでも見せていた未来よりも刀の軌道をずらしていれば。
もしもショーザンが、これまでで一番華麗な斬撃をケインに与えなければ。
この結果にはならなかったのかもしれない。
だが、ケインは知っていた。
ショーザンの斬撃は、相手に斬ったことを悟らせないほど鋭く華麗であるということを。
無理に動こうとしなければ、ほんの少しの間だが、斬られた箇所は分かたれるが断たれないということを。
仮に反撃に出ようと激しく動いていれば、完全に切断されてしまっていただろう。
だからこそケインは脱力し、ショーザンの刀を受け入れた。
刀が通過した箇所を治癒魔法で上からコーティングするように治すという形で打ち破るために。
骨も、筋肉も、血管も、神経も、細胞までも、一刀のもとに斬られていた全てを、即座にケインは完治してみせたのだ。
完全に斬られたはずの相手がまさか一切のダメージを受けていないとは到底信じられず、ショーザンの思考が一瞬止まる。
ケインが突く隙はもうそこしかなかった。
無我夢中で振り上げた剣が、ショーザンの右腕を捉えた。
剣狂を剣狂たらしめてきた右腕が斬り飛ばされ、その拍子に刀も宙を舞う。
突如襲った激痛に、ショーザンが絶叫する。
「父上!!!」
自分でも意外なほど取り乱し、父の身を案じたザクロが駆けだした時だった。
「来るなァァァァアアアアアアッ!!!!!」
痛みによる叫びよりも大きく、ショーザンは娘を怒鳴りつけた。
ザクロは驚きながらも、左手で傷口を押さえる父の言葉に従った。
「まだ……!!!まだこれからなんですよ……!!誰だろうと!!!私たちの邪魔する奴ァ許さねえ!!!そうでしょう!!?」
乱れた髪の下で、どす黒く、しかし澄んだ瞳が勇者を睨む。
「ケイン……さァん……!!!」
落ちた刀へとにじり寄りながら、剣狂は言葉を投げかける。
「もう、やめよう、ショーさん。利き腕飛ばされて……もう勝負はついただろ?」
ケインにショーザンの命を奪うつもりは最初からない。
改心さえするのなら、とどめを刺す理由はケインにはないのだ。
だが、ケインは知っている。
この男は、剣狂だと。
死んで初めて殺しをやめる、剣狂なのだと。
主を見失い茶色くなっていた刀を拾い上げながら、剣狂は空を見上げた。
「……月がぁ、キレイですね……ケインさん」
ショーザンが月を自らの目で見ることなど数十年ぶりのことだった。
満月の明かりに照らされて、刀が再び黒く染まっていく。
「今夜の月みたく……最後までキレイに……死合いましょうよ」
そう言って振った刀に勢いはなく、ケインは余裕で躱すことができた。
反撃に胸を斬りつけると、血が勢いよく噴き出し、ショーザンは苦痛に顔を強張らせながらなおも笑う。
「……へっへっ……まだまだァ!!!」
構えも振り方もなっていない、我流と呼ぶことも烏滸がましい粗末な剣術。
何度もケインにいなされ、斬られ、それでもショーザンは止まらなかった。
「あのショーザン=アケチの最期が……こんな惨めな……!!」
天守五影の面々は顔を背けたくなる想いだったが、いつか終わるであろうそれをただ見つめていた。
ケインが攻め切れておらず、焦りを露わにしていることには気付かずに。
それを見抜いていたのは、ゴアとオーロだけだった。
「早くしろケイン……!!あの剣士、いつになったらくたばるのだ……!!」
「ありゃあ俺と同じだな。生きるの楽しすぎて死ぬの忘れてるタイプだ。あれがああいう状態になっちまったら、今度こそケインはまずいぜ。あのままいけば……」
オーロの言葉が意味するものはケインもわかっていた。
ショーザンの目から光は失われ、切断された右腕を含め多数の傷があるにもかかわらず、もう出血はほとんどしていない。
顔から赤みが抜け、白さを通り越して青くなり始めている。
足はほとんど動かず、刀を振る動作にそのまま引きずられてさえいるようである。
それなのに。
ショーザンの剣術は、徐々にではあるが、先程右腕で振っていたそれと同等以上の勢いと華麗さを取り戻していたのだ。
彼を動かすもの、それはたったひとつ、殺意。
尋常を超えた殺意が、臓器、筋肉、血液、生気そのものさえも贅肉と切り捨て、殺すための器として、死にゆく体を洗練させていた。
「あのままいけば、人斬りが振る動作ひとつひとつ、それら全てがさっきのあの技と同じになる。この急成長ぶりから見るに、もうすぐにでも……」
ショーザン=アケチ、彼が人斬りの極致に達したのは、腕一本除く全てを『死』に投げ入れた時だった。
急激に勢いを増した相手にも、ケインは決して怯むことはなかった。
闘志を滾らせ、必ず訪れる終わりに備え、狙いを定めていた。
剣狂の足がより速く引っ張られるのを見て、ケインも深く踏み込んだ。
ケインの剣とショーザンの刀、これまで何度もそうしてきたように、二つが交差する。
瞬間、誰の目にも映った光景。
それはショーザンの刀が、ケインの首を刎ねるというものだった。
待ち構えられるような時間的余裕は与えられていない。
今度はケインに対抗策はない。
間違いなく、その通りに事は運んだだろう。
その一瞬前に、握力を完全に失ったショーザンの手から、血で滑った刀がすっぽりと、抜け出ていなければ。
なにものにも阻まれることなく、ケインはショーザンの左腕を斬り落とした。
剣狂は、ついに両腕をも失った。
それでも、ケイン含め全員が確かに見ていた。
ないはずの腕で刀を構える、剣狂の姿を。
いつもの笑顔で、剣狂は笑う。
「ああ………た……の………し………………」
言い切ることなく、彼は倒れ、そのまま動かなくなった。
主の死と共に、刀からも色が抜け落ち、他と変わった点のないただの刀となった。
ショーザン=アケチ、この年38歳。
彼が生涯、直接手にかけた数は12322人。
それら全員と同じ、斬殺という形で彼の生は幕を閉じた。