外伝『剣狂奇譚』第惨話 交わりし拳と剣
遡ること数刻。
森を抜けたやや北側にある丘、足元に骸が散らばる中で、雨に濡れながら向かい合う二人の男。
一人は筋骨隆々な自慢の肉体で、ヒノデの男たちを見るも無残な骸へと変えた張本人、グラブ国最強の戦士スコット=ゴーバー。
対するは、彷徨い歩きながらも、確かに感じた彼の闘気に惹かれ、斬り殺すために馳せ参じた狂人、ヒノデ国最凶の剣士ショーザン=アケチ。
「次はお前だ」
「おやおや、これはこれは……」
互いに相対する敵手の力量が尋常ならざるものと瞬時に肌で感じ取り、スコットは顔をしかめ、ショーザンは笑った。
「お初にお目にかかります……よねぇ?私、ショーザンと言います。ショーザン=アケチ」
「……スコット。スコット=ゴーバーだ。貴様の話なら、仲間から聞いている」
「ほう?」
ショーザンは興味深そうな反応をこそ見せたが、未だその目は開かない。
今から殺すこの男、確かな強さを感じはするものの、それが目を開けなければ対処不可能なほどのものだとは限らない。
舐めてかかっているわけではないが、期待をし過ぎないというのが彼の殺しの拘りだ。
尤も、そのせいで海賊オーロとの初対面で殺されかけた苦い思い出もあるにはあるのだが。
「お前をここから行かせるわけにはいかんな」
そう言ったスコットの額には、雨粒だけでなく汗がじわりと浮かんでいた。
森の方では未だに爆撃や雄叫びが絶えず鳴り響いている。
それこそがケインたちがまだ生きて戦っている証であり、スコットがなんとしてもこの場でショーザンを倒しておかなければいけない理由でもあった。
自分が闘気と共に強烈な殺気を向けているのに比べ、ショーザンは大した殺気を放っていない。
この男にとって、殺人とはごく日常的なものであり、多少腕のある相手であろうともそれで殺気をむき出しにするようなことはないのだとスコットは理解し、それがよりショーザンを危険な人物であると認識させた。
もしこの男と対峙していたのが自分ではなく、ライガやシーノだったのなら。
血気に逸る若者は、この剣士の内に秘めたる狂気を理解できぬままに殺されてしまうだろう。
考えただけでも総毛立つ。
「いいですよ、行かせてくれなくたって。あんたを殺した後で、お仲間さんたちもいただきますんでねぇ」
ショーザンは舌を出しながら言う。
「俺を殺せるのならば、な。敵を前に舌なめずりとは、三下未満のすることだ」
「ええ。低俗な剣士ですよ、私は。おかげでこんな素敵な出会いを逃さずに済むんですがねぇ?」
スコットは右腕に力を込め、身に纏うオーラを強める。
それに呼応し、ショーザンが刀を逆手に構える。
ショーザンには、あくまで彼なりの礼儀の上で、丸腰の相手には戦う前に訊いておくべきことがあった。
「武器は……要らないんですか?」
「ノープロブレム。武器ならば至高のものがここにある。俺の肉体という、唯一無二の武器がな」
間髪入れない理想的な返答に、ショーザンは内心で歓喜した。
未だ互いの拳と剣の間合いからはやや離れているが、その状態にあっても届く武器を二人は持っている。
「ぬん!!」
「ちぇえやあああッッ!!」
スコットが拳を、ショーザンが刀をそれぞれ振る。
互いの攻撃は衝撃波となり、相手を襲う。
それを見ずともショーザンは颯爽と躱し、スコットは見えていようとも肉体で受けた。
ショーザンの後方にあった岩が砕け散り、スコットが放った拳圧の威力を物語る。
ショーザンが放った剣圧もまた、スコットの斜め後方にあった左右の樹を切断するほどの威を見せたが、肝心かなめのスコット自身には、かすり傷ひとつ入れることはなかった。
全くの無傷か否か、目を閉じたままではショーザンに確かめられるはずもない。
スコットが立っているという事実、それだけあればショーザンには充分だった。
「そんじゃあ、おっぱじめましょうかぁ」
自慢の妖刀『八百輝璃虎』が紅く輝く。
ショーザンが一歩踏み出すと同時に、スコットもまた動いた。
大きく地を踏み鳴らしたスコットだが、それに怯むショーザンではない。
構わず懐へ飛び込もうとしたが、スコットの狙いが自身を怯ませるのとは別にあることに気付く。
足元で散らばっていた骸の数々が、顔の位置にまで舞い上がっていた。
「ちっ」
骸を斬り刻んで突破したいショーザンだが、それこそスコットの思惑通りであることも承知している。
突破口を開こうと斬ったその直後に生まれる隙こそが、スコットの真の狙いだということを。
そしてここを退けば、スコットは仲間を連れて逃げる算段を立てるであろうということを。
だとすればショーザンが取るべき手段はひとつ。
愚直に全身で飛び散る骸を掻き分け、刀を『溜め』たまま標的に向かうことだった。
標的がさらに愚直な手段を用いているとも知らずに。
「う…おぉっ!?」
舞い上がる骸の中央で二人は接近する。
スコットもまた、骸を素手で掻き分けながら接近していたのだった。
不意に現れた敵に驚きつつも、接近できたのは好都合とショーザンは刀を振る。
スコットも右拳を振り、互いに左腕を差し出して攻撃を受けた。
「ふん!!」
「ぬぐくっ!!!」
接触しての最初の一撃、結果は全く対照的だった。
ショーザンの放った一撃は、スコットの左腕を傷つけることなく、皮膚で完全に受け止められていた。
一方でスコットの放った一撃は、ショーザンの左腕の骨をへし折り、そのまま殴り飛ばしてみせた。
刀を地面に突き立てて体勢を立て直すショーザンだが、肉体以上にその精神に受けた負担は大きい。
「肉に食い込むどころか皮膚から進まないほどの強烈な氣……あんたと同じような戦い方をする人は何人も殺してきましたが、こんなに硬い人はこれまで一人としていませんでしたよ」
弱音のようにも聞こえる一言を漏らしたショーザンだが、スコットは僅かも警戒を怠らず、あえて再び距離を置く。
ショーザンの目が、未だ閉じられたままだからだ。
つまりは、人斬りは未だ大した焦りを感じてはいない。
ここで自分が焦って動くのは却って危険と判断し、スコットは追撃をやめたのだ。
ショーザンは自らが刀に纏わせる氣を感じ、スコットのものと比較する。
受け止めた瞬間、スコットは氣を高め、攻防一体となっていた。
それは自身の刀に対する所作と全く一致していたが、故に弱点も看破できた。
氣とは常に流動しているもの。
己の意志で高めたり静めたりはできても、その流動にある僅かな『ほつれ』だけはどうしようもない。
ケインが習得した防御術とは異なる原理だということをショーザンもスコットも知らなかったが、ともあれ、これを見極められれば氣の鎧をも攻略可能なのだと、ショーザンは確信した。
「肉体を斬るために、どうこうしようとか、そんなこと考えたことありませんでしたねぇ…」
ゆっくりと刀を構えたショーザンに、スコットは再び地を踏み鳴らして応じる。
互いにまたしても骸を掻き分けながら接近し、中央で拳と刀を交差させる。
だが、今度はショーザンは刀を振る間を遅らせ、スコットの拳を避けてから剣撃を放った。
氣の流動、その『ほつれ』を狙って。
「ここォ!!!」
目を閉じたままの、正確無比な一撃。
ショーザンの刀はスコットの右肘を捉え、そのまま斬り飛ばした。
「むぅっ……っく!!」
苦悶の声を上げるスコット。
それを聞き愉悦に浸るショーザン。
とどめを刺そうと、スコットの氣の流動に再び意識を集中させた時だった。
「あれ?」
「ふん!!!!」
「おごぁっは!!!」
全く意識の外から、ショーザンは腹部へ一撃を受けてしまっていた。
殴り飛ばされ、意識を失いそうになりながらも、なんとか踏みとどまって立ち上がる。
口に広がる鉄の味を愉しみながら、スコットが持つ気配を掴む。
「……腕、生えてら」
ショーザンは、確かに斬り飛ばした腕が落ちる音は聞かなかった。
だが、それでも肉を斬った感触があり、それは間違いなくスコットのものであったのだからと、大して気にしていなかった。
よもや、斬り飛ばした腕が元通りにくっつくとは、思いもしなかった。
「簡単なことだ。お前の剣術が良すぎたんだ。俺はお前に斬られた腕をキャッチして、そのまま傷口とくっつけただけ。あとは俺自身の回復力に任せれば、元通りになるというわけだ」
「それは……しくじりましたね」
胸を張って告げるスコットと、苦笑するショーザン。
だが、戦況は先程とは逆転していた。
不意を突いて、確実に仕留めるつもりで殴ったスコット。
それを耐え、致命傷を与え得る手段を既に持っているショーザン。
優劣は各々自覚しており、勝負に出たのは、劣勢に立たされたスコットだった。
「……おやぁ?」
ショーザンは剣術以外にも、武術の心得は多少ある。
その彼が感じ取るに、スコットのその構えはおおよそ構えとすら呼べる代物ではなかった。
両腕を顔の位置まで上げ、真っ直ぐに突き出している。
それだけならばまだしも、お粗末なことに肘を完全に伸ばしきっており、技に移るための所作として成立していない。
左足を前に、右足を後ろに踏み込み、極端な前傾姿勢。
突撃以外の手段が一切ないということを、宣言するよりも正直にさらけ出してしまっている。
それでも。
それでも、ショーザンは目を開けた。
その構えこそが。
その構えこそがスコット=ゴーバーの持つ、唯一にして最大の技であることを、肌で感じ取ったからだ。
「俺は、他の連中が持つ、技術とか、センスとか、そういうものを何一つ持っちゃいない。そんな俺がただひとつ、絶対の自信を持って使う技が、この『スピア』だ」
「槍ってえよりは……牛、ですかね」
そう返すショーザンだが、顔が引き攣っている。
スコットの放つ殺気が、その構えに入った瞬間から、肌を刺し貫くほど激烈なものに高まっていたのだ。
その殺気もまた、『スピア』のひとつ。
技のひとつとして組み込めるほどの殺気など、ショーザンは出会ったことがない。
そして、この雨の中にあって、違和感を覚えたのはスコットの状態。
先程までのスコットは目で確認していなかったが、少なくとも今は、
「濡れて……いない」
雨粒が肌に触れる前に、それは蒸発してしまう。
スコットが放つ氣、オーラは、極限まで高められることで熱を発し、それもまた『スピア』の中に組み込まれていた。
殺気と熱気。
スコットから放たれるふたつの気が相手の動きを阻み、両の腕が相手を確実に貫き殺す。
技の性質を全て看破したショーザンだが、同時にこの技を破れる者は誰一人いなかったであろうことを悟った。
この技の神髄は、いわゆる『対の先』。
相手の動きに合わせて飛び込み、愚直に突く。
ただそれだけに過ぎないが、ふたつの気、特に殺気が、相手に正面を向かせない。
左右もしくは後方にしか動かさない。
だがそれも、殺気に臆する者が相手だった場合の話。
極限まで高まったオーラによる飛び込みの速度は未だ計りかねてはいたが、ショーザンは技の弱点も的確に看破していた。
「『後の先』。あんた、自分より強い敵にこの技を使ったことがないでしょう。その殺気が通用しない相手に、その『槍』を用いてどうなるか、考えたことありますか?」
「さあな。これが通じなければ俺の負けだ」
殺気はなおも高まり、ショーザンを刺す。
熱気も勢いを強め、肌が焦げるのを感じながら、ショーザンは笑顔で構えた。
弱点を見抜いても、問題はそれを突けるか否か。
先程のような氣の『ほつれ』を、この技を破る最中に見極めねば、自身に勝利はない。
敵の弱点を知りつつ死が迫る危機感を味わうのも、初めての経験だった。
「……じゃあ、いきますか」
互いが同時に動いた。
正面を向き、ただ愚直に、前へ。
襲い来る殺気を、ショーザンの心は恐れない。
近づく毎に肌を焼く熱気に目を閉じそうになるが、それでもショーザンは怯まない。
氣が『ほつれ』る瞬間を見極め、そこに刀を合わせる。
体を左に逸らし、スコットの一撃に頬を抉られつつも、刀を振り抜いた。
スコットの胴が分かたれ、突進の勢いのままに真っ二つとなった肉体が舞う。
そうなることを確信していた。
ショーザンだけでなく、スコット自身までもが。
スコットは着地するや否や、両腕の力で反転、上半身だけで背後からショーザンを攻撃にかかった。
それこそが、『スピア』最後の一刺し。
己の武器が通じない格上に対する、捨て身の大槍だ。
突進の速度がそのまま跳ね返ったように、まるで勢いが衰えないままにスコットは飛ぶ。
ショーザンの頭を拳が撃ち貫く、そのはずだった。
最後の一刺しは、刀によって無情にも阻まれた。
ショーザンは胴を斬った直後にあっても気を抜かず、スコットの反撃を読んでいたのだ。
スコットの意識の外、真下からの斬り上げだった。
斬撃に肉体は左右ふたつに分かたれ、両の拳は虚しくショーザンの顔を通り過ぎ、地を転がると今度こそ動かなくなった。
「武に生きる者の基本にして絶対の心得、『残心』!私のような人斬りが、そんな心得あるわけないとでも思ってましたかね?」
スコット=ゴーバーの最大の敗因。
それはこの剣狂が、己の剣を低俗と卑下していながらも、武に対しての敬意は決して損なわれていなかったことである。
反省も後悔も、残された仲間たちへの心配さえも、スコットは最早することはない。
自身が屠った男たちと同じ、無残な骸へと変わり果てた戦士を見届け、ショーザンはいよいよ殺しの実感に浸った。
「……っくく、ふふふふ……ふっはははははははははは……!!」
手に残っている斬った感触。
全身に感じる攻撃の痛み。
時折刀を愛おしそうに舐め、戦士の血を味わう。
最大の幸福は、命のやり取りの果てに生き残った自分の、確かな腕の成長。
生半可な相手を殺した程度でも、極上の女を抱いた程度でも味わえない絶頂に己の全てを委ね、身をよじる。
下半身に生暖かいものが広がった頃、どこか懐かしい気配が近くにいるのを感じた。
「……いるんですね、あんたも」
骸のひとつから衣服を奪い着替えた後、口に刀を咥えてスコットの骸を抱える。
せっかく着替えた服がスコットの血で濡れることも、折れた左腕に激痛が走ることも意に介さず、彼は歩いた。
いずれ自身にとって最大の敵となる男、ケイン=ズパーシャの下へ。




