外伝『剣狂奇譚』第弐話 深き海、高き空
ダンテドリ島から少し南に離れた海。
穏やかな波に揺られる船の上で、その穏やかさにはおよそ似つかわしくない光景が広がっていた。
首と手足が胴から綺麗に切り離された二つの死体。
恐怖に顔を歪めて震える海賊たちに対し、目を閉じて血に塗れた刀の感触を確かめる一人の男。
ショーザン=アケチはいつものように強者を求め、海賊船の中に目ぼしい人物の気配を感じ取るやわざわざ岸から泳いで乗り込み、そしてつい今しがた二人の獲物をしとめたところだった。
一人はこの船を任される海賊のリーダーであるペスカ、もう一人は同じく隣に停泊している船のリーダーのグリージョ。
目を閉じた状態で二人と戦い、かつ途中何度も介入してくる海賊たちに手を出すことなくその二人だけを殺すというのは存外難しく、やり遂げたショーザンは悦に入っていた。
リーダーを喪った海賊たちは隙を見てはショーザンを討とうと武器を構えるが、その度に殺されたリーダーたちの死体がちらついて結局断念せざるを得ない精神状態に陥っていた。
そんな彼らへ空飛ぶ海賊船コンリード・バートン号が近づくのを最初に気付いたのは、目を閉じているショーザンだった。
彼が顔を上げる動作を見せたことで海賊たちは身構えたが、直後にコンリード・バートン号、つまりはキャプテン・オーロが接近していることに気付くと、途端に表情から恐怖が消え失せ、安堵と歓喜の声を漏らした。
「やっちまったなぁ。出くわす前にずらかるつもりだったのに」
そう言ったショーザンの声色もまた、言葉とは裏腹に奇妙な喜びを孕んでいた。
コンリード・バートン号がショーザンの乗る海賊船の真正面に降り立った時、オーロは普段見せることのない無表情で立っていた。
オーロをよく知る船員たちは、それがオーロが最も怒りを見せる前触れであることを理解していた。
故に、オーロとショーザン以外の者は再度震えあがることとなった。
恐怖の対象が、仲間を殺した狂人から、頼れる船長へと変わったのである。
声にも何の感情も混ぜることなく、ゆっくりとオーロは告げた。
「全員、あっちのペスカが使ってた船に乗れ。そんでさっさとこの場から離れろ」
船員たちは無言の内にそれを実行し、一斉にオールを漕いで退散した。
デュナミク王国やヒノデ国と比べ、自分たちの強さが頼りないものだということも理解している彼らが、それでも普段強気でいられるのは、それはオーロの強さを知っているからに他ならない。
オーロがひとたび本気になれば、それらの勢力にたった一人で比肩してしまうことを知っているのだ。
本気で戦うには彼の周りに味方がいないことが条件であることも理解しているが故に、その撤退は迅速かつ正確なものだった。
ショーザン一人だけがグリージョの使っていた船に取り残され、コンリード・バートン号から、同じく一人だけとなったオーロが語りかける。
「会うのは三度目になるか、人斬りさんよ」
「そうですかね。私はできれば会いたくなかったんですが、この人たちを殺すのがつい楽しくって」
オーロの怒りを察しているのかいないのか、ショーザンは言葉を選ばなかった。
目は既に開いていたが、オーロの表情を読み取ろうという努力も一切しようとも思わなかった。
そんな不遜な態度を崩さない人斬りに、オーロは笑顔を見せた。
「ペスカとグリージョを殺しちまったのか。しかも楽しみで、なぁ」
ショーザンも流石に笑顔で応じられるとは思っていなかったので、僅かに体を緊張させてしまった。
それが隙と取られないよう、言動はあえていつも通りを意識してやり取りを続ける。
「そうなんですよ。もう病気みたいなモンですねぇ、こればっかりは。強そうな人を見たらどうしても殺したくなっちまう」
「強い奴なら俺がいくらでも会わせてやるぜ?」
「……えぇ?」
オーロがショーザンを誘ったのはこれが初めてのことではなかった。
出会う度に誘い、そして断られてきたが、それでも強く優秀な者への勧誘は惜しまないのが海賊の流儀だった。
ただし、三度まで。
「俺の船に乗る連中も、他の船を任せてる連中も、最初っから仲良くしてた奴ってのはほとんどいねえんだぜ。むしろ何度も殺し合ってきたって奴のが多いくらいさ。お前さんだってその中の一人に過ぎねえ。どうせ暴れるんならよ、俺と一緒に馬鹿やりながら楽しく暴れようぜ?なあ?」
「嫌ですね」
即答だった。
最初から用意していた答えだった。
再び表情を失くしたオーロにショーザンは続ける。
「船長……オーロさん、でしたっけ?あんたらと私じゃあ殺しの意味が違う。あんたらは殺しの先に目的がある。何かを得るために殺しをする。ですがぁ、私は違う。殺しの先にはなんにもない。殺しこそが終着点。馬鹿やりながら楽しくと言いますがぁ、私にとっちゃあこれが、馬鹿で楽しい生き方なんですよぉ」
ショーザンの言葉をオーロは黙って聞いていた。
それが終わると、何度も反芻するようにオーロは頷き、そして顔を上げた。
先程より却って頭は冷えていたが、それでも。
怒りに満ちた形相を向けて。
「三度目だぜ、人斬り。俺の仲間を殺した上に俺からの誘いを蹴った。それを三度繰り返したってこたぁ、適当にあしらってやってたこれまでとは違う。お前さん……てめえ、つまりよ」
ここでショーザンは、足元の揺れに気が付いた。
先程まで穏やかだった海が、大きく荒れ始めているのだ。
胸元から高揚感がこみ上げてきたショーザンの口から笑みがこぼれる。
刀が金に光った。
「このキャプテン・オーロに殺してくださいってことだろうがよ!!!」
「ええ、馬鹿やっちゃいましたねぇ。楽しくなりそうだ」
その言葉と共に、ショーザンが乗る船が波に押し上げられ、大きく吹き飛ばされた。
オーロはその隙にコンリード・バートン号ごとショーザンに近づき、サーベルを振り下ろす。
足場を失ったショーザンはなんとかサーベルは防いだものの、襲い来る波を凌ぐことはできずにそのまま飲み込まれた。
追撃にオーラも海へと飛び込む。
海中ではショーザンがもがきながらもオーロに斬りかかろうと刀を逆手持ちにして泳いでいた。
その速さはオーロが知る限りでは自分を除いて敵う人間はいないほどで、見惚れている内にショーザンが目の前まで迫っていた。
だが、刀がオーロを捉えることはなく、横から来る潮に押し流されてショーザンは距離を離されてしまった。
逆にオーロを後ろから潮が突き、加速する潮の流れに導かれ、ショーザンが予測できない軌道を描きながらオーロはサーベルで斬りつけた。
苦痛に顔を歪めながらもショーザンは反撃を試みたが、今度は上から来る潮に押さえつけられて沈んでしまう。
まさかと思ったが、ここでショーザンは確信した。
オーロは海を操っている。
潮の流れを完全に支配して、敵の動きは制限し、逆に己の動きを極限まで高めている。
つまりは、海中では勝負のしようがない。
しかし、逃れようとしてもオーロの容赦ない攻撃が続く。
うまく身動きの取れないショーザンでは、致命傷を避けるので精一杯だ。
僅かにオーロから距離が離れたのを見計らって、浮上しようと必死に足をばたつかせる。
上から潮が阻もうとするのを刀で切り払って押し進んだ。
ついに海面に浮上し、コンリード・バートン号の甲板に飛び移ったショーザンを、既に先回りしていたオーロが腕を組んで待ち構えていた。
「げほっ……!……ゼェ……ハァ……。海の支配者……まさかそういう意味だとは知りませんでしたよ」
「海賊人生100年。海賊として絶対に負けない方法を探りに探った末、たどり着いた境地がこれさ」
「何歳なんだあんた……。でも、こうして海から出ちまって、戦場は転覆なんてしそうにないこの空飛ぶ船の上。もうさっきみたいなことには……」
その時、嫌な気配を感じたショーザンが右に跳び退いた。
ほぼ同時に銃声が鳴り響き、何かがショーザンの脇腹を掠めた。
「ほう、これを避けるとはな」
そう言ったオーロの手には、銀色の拳銃が握られていた。
脇腹を擦りながらショーザンが訝し気にそれを見つめていると、再び銃は姿を消した。
「……前はそれにやられたんでしたっけね。近頃は目を閉じるのが日常になってるから気配に気付けて良かった」
「ああ、覚えていたか。世界に二つとないこの銃を」
「心で狙いを定め、引き金を引くまで姿さえ現さない。弾丸は己の魔力、故に撃った弾も見ることはできない究極の銃。そんな代物まであるとは本当に贅沢な人だ」
「まあ実際これがどうしても必要になる場面なんてそうそうないがな。海の上なら俺は剣でもてめえと互角にやれる。なんでもできすぎて不要な物が増えちまったよ」
「ふむ?」
剣でも互角。
その言葉に引っかかるものを覚えたショーザンが身を揺らしながら近づく。
「私と剣で互角なんて冗談はよしてもらいたいですね。そんなことができる人間なんて、もうこの世のどこにもいないんですから」
「そう思うんならさっさとやってみろよ、なあ?」
「……言われずとも、ねぇ!!」
ショーザンの剣撃をサーベルで受け止めたと同時に、コンリード・バートン号は海面から浮上した。
大きく揺れる船体に上手く踏ん張れないショーザンとは真逆に、オーロは一切影響がないかのように涼しい顔でサーベルを振り回す。
それはショーザンにとって万全であれば決して不覚を取るものではなかったが、この最悪の足場においては脅威に他ならなかった。
船は揺れながらなおも上昇を続ける。
その中でショーザンはなんとかこの環境に慣れて反撃しようと刀を振るが、オーロに手傷を負わせることも敵わない。
一方のオーロもサーベルだけでは流石にショーザンに対する決定打に欠けるらしく、数回斬りつける程度に留まった。
船が雲の真下にまで上昇した頃、ついにショーザンは揺れに適応し、オーロのサーベルをかいくぐって刀を走らせた。
が、それもオーロの読み通りだった。
刀がオーロに届くより先に、船は上下反転、真っ逆さまに向きを変えた。
そうなれば当然斬るどころの話ではない。
左手で船体に掴まったショーザンだったが、そこで見た光景に目を疑った。
反転したはずの船の上か、或いは船の下とでも言うべき場所で、オーロはどこにも掴まることなく直立していたのだ。
「意地の悪い見せ方をするんですね。浮遊魔法でしょう?」
「いいや?この船は俺の魂とも言うべき存在だ。そんなものに頼らなくったって、何が起きようとも俺はこの船の上では姿勢を崩すことはないんだ」
「冗談にしてもちょいとやり過ぎってもんでしょう。そんなことが……」
「そんなことがあるのさ」
自信に満ちた表情でそう断言されては、ショーザンも納得するしかなかった。
その問答より、遥か上空をかろうじて船体に掴まってぶら下がっている状態の彼が、如何にして助かるかの方が重要だからでもあった。
オーロはわざとらしく左手で今は姿を現さない銃を構えて見せる。
「さて、チェックメイトだな人斬り」
船から少し離れた上空にある雲がゴロゴロと唸る。
つい今しがたは確かに晴れていたはずなのだが、そんなことを疑問に思う余裕もショーザンにはなかった。
浮遊魔法を使えないショーザンが今掴んでいる手を撃たれれば、確実に転落する。
これだけの高度では無事で済むはずもなく、ましてや海に落ちれば今度こそオーロに沈められる。
その緊張感が、ショーザンに冒険を促した。
オーロが見えない引き金を引く直前、ショーザンは掴んでいた左手を離した。
駄目押しと言わんばかりにオーロは船の向きを整え、その際に高速で回転する船体にショーザンを叩きつけた。
船に殴り飛ばされるショーザンを満足気に見るオーロだったが、この瞬間にこそショーザンは賭けに出た。
何もない空間を思い切り蹴り、空中での方向転換を図ったのだ。
力加減と間の取り方が極めて困難な蹴りによる空中移動。
実戦での成功回数も少なかったが、今回は上手くオーロへ接近することに成功した。
オーロは銃を向けることも、サーベルを構えもしていない。
念願の格上からの勝利を得たと、刀を振ったその時だった。
「がっ……!!」
ショーザンの目の前が突然真っ白な光に包まれた。
真上から襲ってきた落雷に直撃したのだ。
焼け焦げた体をふらつかせてオーロとすれ違う。
すれ違いざま、ショーザンは敵からの言葉を聞いた。
「訂正しとくぜ。俺は海の支配者じゃねえ、『海と空の支配者』だってな」
そのままショーザンは船から投げ出され、壊れた人形のように力なく落下した。
すぐさま船は降下し、とどめを刺そうとオーロは覗き込んだが、ショーザンの姿がない。
叩き落としたはずの海中にも沈んだ様子はない。
それには動じることなく、岸から察知した気配に向けて引き金を引くと、辺りの景色と同じ色の布の下から、右足を撃たれ苦悶の声を上げながら赤い頭巾と装束に身を包んだ男が出てきた。
男の背に気を失ったショーザンが背負われているのを見て、オーロはその男の正体に気が付いた。
「背負ってる奴の気配は消し切れねえよな。おう、その男置いてけ、ニンジャさんよ」
「拙者は『天守六影』が一人、棟梁赤影にござる」
「んなこと聞いてんじゃねえよ」
戦いの中で怒りはほぼ鎮静化しつつあったオーロだが、ここで再びこみ上げてきていた。
殺す直前で邪魔が入ったとあっては、海賊が怒るのは当然の話。
赤影と名乗る男もそれは理解していた。
「どうか海賊オーロよ。ここは拙者の顔を立てて、この男を見逃してやってはくれまいか」
「そいつは虫が良すぎるんじゃねえか?こっちは可愛い仲間が二人も殺されてんだぜ。『天守六影』といやあヒノデ一番の暗殺集団だってのは俺も知ってるが、そこの棟梁の頼みだろうが……」
「ならば」
赤影の後ろから声が聞こえたかと思うと、黄色の頭巾を被った男と白い頭巾を被った男が現れ、それぞれ刀を己の首にあてがった。
「こちらも二人分の首で贖うまで」
そう言って二人は己の首を斬り落としてみせた。
オーロはそれを冷静に見ていたが、彼らの上司である赤影は胸中穏やかではないようだった。
赤影は本来ならば己の首を差し出すつもりで、先の二人を犠牲にする気はなかった。
犠牲となった二人の呼び名はそれぞれ白影と黄影、同じく『天守六影』の仲間だった。
それでも赤影はその思いを必死に押し殺し、頭巾の下で唇を噛みしめながらオーロに向き直って言った。
「足りぬのならば、拙者の首も」
「行けよ」
突き放すようにオーロはそう言った。
赤影の頭巾の下からでも伺えるほどの悲しみが、彼の怒りを静めさせた。
「だが次また同じことがあったら、そん時ゃ一切譲歩しねえぜ。どれだけの首を差し出そうがな」
「……済まぬ」
赤影は右足を引きずりながらショーザンを背負ってその場を立ち去った。
「だから甘ぇんだよなあ、俺ってやつは」
腹部を押さえながらオーロは呟く。
強く押さえる手の下からは、どくどくと血が流れ出ていた。
最後にショーザンが放った一振りによるものだった。
「狸寝入りは感心しませんぞ、ショーザン殿」
「……起きたくないでしょう、あんなことされて」
赤影の背の上で、不貞腐れたようにショーザンは答えた。
「それで、私はヒノデに連れ戻されるってわけですかい?」
「ヨリミツ様がそうお望みなのです。世界を手中に収めるには、どうしても貴殿の力が必要なのだと」
「噂じゃ兵器作りに躍起になってたらしいじゃないですかあの王様。その兵器と『天守六影』があれば十分……あれ、『天守六影』って確か『天守七影』じゃなかったでしたっけ?」
「『天守七影』が一人、桃影のことなら、11年前に貴殿に殺され申したがそれが何か?それについ今しがた白影と黄影が死んで『天守四影』になり申したが?」
「……ごめんなさい」
狂気のままに生きる人斬りと言えど、今はそう返す他なかった。




