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四十代目勇者ケイン=ズパーシャが最強になるまで  作者: M.P.HOPE
旅立ち 世界の真実と魔王ゴア
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第17話 ドーズ=ズパーシャに許された魔獣

 魔王様や、最上級魔獣(エクストラ)の方々を除いて、最年長の魔獣とは誰なのか、そう問いかけられたとしても、正直にそれは私だと答えることは、私にはできない。

 最年長だと言っても、私はただの上級魔獣、バンパパイヤだ。

 ニアヒューマンの上位種で、人間に限りなく近い容姿にタキシードを纏い、人間にはない青い肌と鋭い牙、そして独特な甘い果実のような匂いを持ち、氷結魔法を得意とする、バンパパイヤとしてはごく一般的な存在だ。

 ただ一つ、左手がないということだけを除いては。

 そんな私が今生きているということは、私にとっては恥以外の何物でもない。

 私は、バンパパイヤに生まれた者として、あってはならない人生を送ってきた。

 敵に頭を下げ、敵に助けられ、味方を裏切り続け、それでも味方の下へ帰ってきた。

 何より恥ずべきは、それを恥と断じていながら、なおも私は生きている。

 何かを成し遂げたいわけではない。

 生きるために、生きている。

 上級魔獣としてだけでなく、魔獣としてそれはあってはならないことだということは、重々理解しているつもりだ。

 理解し、生きながら、私はそれを恥じている。

 目を開けている間は、どうしても恥じらいから逃れられないから、羞恥心を忘れたいから、ただそれだけの理由で、眠る時間が増えた。

 魔王様がこの世を去って以来、何日も眠り続けることが多くなった。

 だがそれも、従うべき存在がいるならば、自由にはままならない。

 ハラボテゴブリンに叩き起こされ、目が覚めると同時に、また顔から火が出そうになるほどの羞恥心に身を焼きながら、あの方の下へ向かう。

 私が今従うべき存在、1年前にこのダンテドリ島の火山からお目覚めになった、炎王カウダー様の下へだ。

 炎の化身たる炎王様の前でだけは、私は眠らずとも恥による熱さを忘れられる。

 何せ、顔からどころか全身から火が出ているお方だ、目の前にいればそりゃあ恥などよりも断然熱い。

 ありがたいことに、そんな不躾な私の思いにはまるで目もくれず、炎王様はいつも以上に高いテンションで話しかけてきた。


「ヒヒャヒヒヒハハ!ゴキゲンようバンパパイヤ!!今日はよぉ、この塔に人間が近づいているようだぜぇ!!」


 ダンテドリ島に人間が来るというのは、さして珍しいことではない。

 1年前までは、大柄で屈強な、やたらと大声で叫ぶサラミと名乗る老婆が、この塔にいる魔獣たちを片っ端から捕らえるために、頻繁に押しかけて来ていたらしい。

 炎王様がこの塔に居座るようになってからは、その老婆は姿を見せなくなっていたが、今度は逆に、その炎王様を調べようと、どこかの国の兵士や海賊などが来るようになっていた。

 塔の頂上にいる炎王様に対し、直接空から近づいてくるのだが、その度に炎王様や、私たち魔獣の手で撃退されていた。


「またですか。それではいつものように迎撃の準備を…」


「ヒヒャッハ!!いいや、今回は空から飛ンで来てるンじゃねえ!!この塔の一番下から!登ってこようとしてンのさ!!まあ今ンとこは中級魔獣(ザコ)と同等程度の力量しかねえようだがな!」


「では、私が出るまでも……」


「だ・か・ら・だ!!!」


 炎王様がズイと顔を近づけてくる。

 グンと熱さが増し、思わず私は顔をしかめてしまう。

 自分の熱さをわかっていないのか、いや、わかっていてあえてその熱さに苦しむ様を見て楽しんでいるのだろう。

 手下魔獣への加虐は、炎王様の数少ない娯楽の一つだ。


「バンパパイヤよ、てめえ、塔にいる魔獣どもに声かけてよぉ、配置をいじくっておけ」


「配置を?何故、そして一体どのように…」


「2Dドラゴン一匹でも行きゃあおっ()ンじまうくらいのザコなンだよそいつは!!下から順番に、最初は弱く、徐々に戦力を強める感じ……なンとなくわかンだろ!!そういう配置にしとけ!!」


「ですから、一体どうしてそのような…あづっ!!」


 思わず私は跳び退いた。

 炎王様が額を私の額に押し当ててきたのだ。


「その人間はよ、ゴアからのプレゼントなンだよ」


「ゴア……」


 火傷した額を擦りながら私はその名を復唱する。

 辺りに立ちこめる瘴気のおかげで、数秒と待たずにそれは完治した。

 確かに聞き覚えのある、ゴアという名前。

 思い出そうと考えを巡らせていると、また炎王様が額を押し当ててきた。


「あづぅっ!」


「わかンねえのかよてめえは!!魔王だよ!!魔王ゴア!!!」


「ま、魔王様の!?」


 魔王様と呼ぶことの方が多かったせいか、その名をすっかり忘れてしまっていた。

 魔王ゴア様、200年前、全ての魔獣が仕えていた、絶対的な支配者。

 200年前のある日、人間の手によって倒され、いなくなってしまったはずのお方だが。

 人間の…… ()()()()の手によって。

 更に興奮気味に、炎王様は喚き散らす。


「さっきゴアとクラリの奴がよ、どっかから『視て』やがったンだよ!そのすぐ後に、これまたどっかから、人間がひょっこりとこの島に乗り込みやがった!それはつまり、ゴアの野郎が送り込ンだってぇことに違いねえ!!あの人間は、ゴアからのプレゼントなンだ!!」


「……仮にそうだとして、弱い順に配置する意味がわかりかねます。まるで魔獣たちをあえて人間に倒させて、その者を強く育てるかのような……」


 炎王様の言葉を流すように話していたが、そこまで言って、私はようやく気が付いた。

 まるで強く育てるかのように、ではない。

 炎王様は、侵入してくる人間を、強く育てようとしているのだ。

 それを察したか、炎王様は顔を引いて、ニタニタと笑いながら落ち着いた口調で言った。


「今すぐ殺したって食べ頃じゃあねえ。俺の封印が解かれてもう1年経つ。ここの瘴気や、ぶっ殺した人間どもの瘴気で、多少はマシにはなったけどよぉ、俺の体はまだ本調子じゃねえンだよ。そろそろ、美味い瘴気を喰いたくってな」


「……じっくりと肥やしてから喰う、そういうわけですな。ですが、炎王様が望むような強い人間に育つ保証もありますまい。それに仮に塔を登る間に強く育って人間が炎王様の前に立ったとしても、つまり私を含め、ここにいる全ての魔獣は死ぬということになりますが」


 炎王様は意地の悪い笑みをより一層強める。


「ヒヒャッヒヒヒ。まあ人間が途中で死ンじまってもそれはそれで構わねえ。死ぬのがてめえらの方でも、全然な。てめえらが全員死ンでも俺は残るさ。何年か待てば、瘴気さえありゃあ、魔獣は勝手に湧いてくるしな」


 魔に生きる者の世界では、上に立つ者は、下につく者の命を、少しも顧みない。

 主人のために死んで当たり前、そこには一切の感情さえ入る余地もない。

 知能の高い魔獣の中には、それに不平不満を唱える者もいるが、私はそこのところはしっかりと理解しているつもりだ。

 むしろ、底意地悪く笑っている炎王様は、部下をちゃんと思っているとさえ解釈できる。


「……畏まりました。すぐに塔にいる全ての魔獣の配置を組み直してまいります」


「頼むぜ。下から弱い順にな」


 言われた通りに、私はすぐさま、塔にいる魔獣たちに声をかけ、全階の配置を入れ替えた。

 その後で、遠目の魔術で、侵入しようとしているという人間の姿を確認した。

 中級魔獣1匹と同等の力しか持たない人間が、急激に力を増して私の脅威になるとは、到底思えない。

 この島には瘴気が溢れているのだから、ほんの30分というとんでもない短時間で成長するという非現実的なことさえなければ、炎王様が望むようなことにはならないはずだ。

 しかし、本当にその人間が、短期間で私以上に強くなる可能性があるのなら、逃げてしまうつもりだった。

 またしても同胞を裏切ることになるが、恥の上塗りにはなるが、それでも私は生きたい。

 何故そこまで生きることに執着するのか、私自身わからないが、とにかく死にたくはないのだ。

 だが、その人間を観察していると、逃げる気が少しばかり失せた。

 動きやすそうな服装に剣を背負った、見覚えのある格好をしていたからだ。

 100年以上前には、よく見た格好だったからだ。

 あのお方も、そんな格好だったからだ。

 その人間が、勇者だからだ。






 勇者。

 200年前に、私は一度だけそう呼ばれる人間と知り合った。

 その頃の私は、最上級魔獣の氷王ロズ様に仕えていた。

 氷王様の命を受け、私は何十匹もの中級魔獣や低級魔獣を従え、軍団長となって各地を侵略して回っていた。

 そんな時だった。

 いつも通りに、どことも知らぬ国を攻撃してやろうと進軍する私の魔獣軍の前に、たった一人の人間が立ちはだかったのだ。


「どけ、人間。この魔獣どもは気性が荒い。さっさとどかねば、私が命ずるより先に喰われてしまうぞ」


 その人間は、全く動じることなく、これ以上はないだろうという、その場には似つかわしくないほどの優しい声色で言った。


「お前たちをこの先に行かせるわけにはいかないよ。死にたくないんだったら、お前たちこそどくべきだ」


 その言葉を私は鼻で笑い、魔獣たちにさっさと蹴散らすよう命じた。

 これまで散々殺してきた人間と同じ、また一人、犠牲者が増えるだけのこと、その瞬間まではそう思っていた。

 そう、その瞬間だった。

 目の前に、惨劇が広がっていた。

 人間の姿が消え、その人間に襲い掛かろうしていた魔獣たちが、まるで鎌風の嵐に巻き込まれたかのように、次々と切り裂かれ、血しぶきを上げて倒れていく。

 何が起きているのか理解できず、私を含めただ呆然と立ち尽くしている魔獣は、何もされず無傷のままだ。

 再び人間が姿を現すと、残っている魔獣たちが飛びかかり、また人間は姿を消す。

 そして、またしても飛びかかっていた魔獣たちが切り裂かれていき、肉塊となって倒される。

 わけもわからないままに、そんな光景が何度も繰り返された。

 足元に、切り落とされたニアヒューマンの首が転がってきた。

 私は身も心も、恐怖に完全に支配されてしまった。

 殺された魔獣たちは全員私よりも格下であるにもかかわらず、この人間には敵わない、そう確信させるだけの、絶対的な強さがあった。

 恐らくではあるが、この人間は、自分に襲い掛かる魔獣だけを攻撃している。

 だとするならば、今動けば、私も殺されてしまう。

 具体的な「死」を突き付けられ、その場から動くことができなくなっていた。

 だが、私以外の魔獣はそうではない。

 命じられた魔獣は、例え恐怖していようとも、必ず従わなければならない。

 知能が高いニアヒューマンでさえ、それは例外ではない。

 次に人間が私のすぐ目の前に現れた時、もう私以外、そこに魔獣は残っていなかった。

 私は、従えていた魔獣たちを全て見殺しにしてしまったのだ。

 魔獣の死肉を食べ、血を啜り、何かを手帳のようなものに書き留めてから、相変わらず優しい声で、人間は問いかけてきた。


「で、お前はどうするんだい?」


 少しでも返答を誤れば死ぬ、そう確信させるほど暗さと冷たさを孕んだ眼だった。

 もし平時であったならば、聞けば間違いなく安心できるだろうという声なのに、その眼と合わせると却って恐怖を煽っているようだった。

 心底まで恐怖した私が取る行動は一つだった。

 私は額を地に突いて、必死に許しを乞うた。

 人間は意外にも即座に敵意を向けるのをやめ、私が生き残ることを許した。

 それが、私が最初にかいた恥だった。

 それが、私とドーズ=ズパーシャ様との出会いだった。

 私はドーズ様に許され、命を拾うことができた。

 だが、人間に命乞いをした私を、魔獣たちが許すはずがない。

 今戻っても、魔王様や氷王様に殺されるだけだろう、そう思った私は、ドーズ様の旅の同行を申し出た。

 ドーズ様はそれを快く許してくれた。

 人間の同行者は一人として連れていないのに、魔獣の私が同行するのを良しとした理由を尋ねたら、ドーズ様は無表情で、しかし声だけは優しく答えてくれた。


「気に入った人を危険なところへ連れて行きたくはない。死なせたくないからね。お前は敵だから死んでも構わないし、目の届くところに置いておく方が安心できるだろ?」


 声や口調は優しい反面、その言葉には刃物より鋭く冷たい、情け容赦のないものがあった。

 魔獣の親玉たる魔王様を討つことを目的としている者にとっては、確かに魔獣への情など邪魔なだけだろう。

 それにしては、声がやたらに優しいことについても不思議に思い、私は尋ねてみた。


「ああ、これ?村の年寄りたちにもよく言われたよ。おまえは子供に対しても襲ってくる魔獣に対しても、声だけは優しいって。村で魔獣に襲われた人たちを安心させたくて、出来るだけ優しく話しかけようと心がけてた時期があったけど、それが戻らなくなっちゃった……ってところかな?」


 表情はよく読み取れなかったが、それ以上訊くこともしなかった。

 それからしばらくの間、私はドーズ様の旅に同行し、同胞が彼に殺されるのを、手助けするでもなく、同胞を逃がすでもなく、ただ眺めていた。

 ドーズ様の戦いはやはり苛烈で、過激で、残酷なものだった。

 目を覆いたくなることもあったが、それだけはしなかった。

 私が見捨てた魔獣たちの死を見届けること、それが最低限の責任だと思っていたからだ。

 責任などという言葉で、少しでも罪悪感から逃れようという思いも、多分に含まれていたかもしれない。

 ともかく、私がドーズ様との旅で行っていたのは、殺されていく魔獣たちを眺める、ただそれだけだった。

 時には街にも立ち寄った。

 その間は私は魔獣だとばれないよう、フードを被って過ごした。

 街中でのドーズ様は、私が思っていたより『人間』だった。

 弱い人間たちと言葉を交わし、笑い、驚き、涙していた。

 声は変わらなかったが、その時の顔は、私、いや、魔獣には決して見せない『人間』としてのドーズ様のものだった。

 魔界に最も近い海が見える街では、あろうことかドーズ様は恋に落ちた。

 どこにでもいるような娘に、どんな強敵よりも緊張し、顔を赤らめた。

 街に襲い来る魔獣を惨殺する時にさえ、ドーズ様はその娘に良く見られようと努めていた、ように見えた。

 冷たい理性的な顔はその時ばかりはどこにもない。

 情熱的な眼差しで、娘を口説こうと必死だった。

 魔界へ発つのを遅らせる程度には、ドーズ様はその娘に夢中だった。

 晴れて娘と恋仲になり、一夜を共にすることが多くなった頃、ようやく決心がついたドーズ様が、ある晩、宿屋で私に言った。


「明日、魔界に行くよ。君はどうする?」


『お前』から『君』と呼び方は変わっており、表情も魔獣に向けるものにしては、いくらかは和らいでいた。

 ドーズ様は私を『味方』と認めてくださっていた。

 それだけに、彼からのその問いに答えるのにはかなりの時間を要した。

 訊かれるとわかっていたのに、ずっと前から用意していた答えだったのに、それでも答えたくなかった。

 ドーズ様が何と言うか、わかっていたからだ。

 一時間も待たせてから私が出した答えは、同行をここでやめる、だった。

 ドーズ様を裏切って、敵に回りたくはない。

 だが、魔王様や氷王様とも戦いたくはない。

 どちらも裏切りたくはない、そう考えての答えだった。


「それは、どっちも裏切ったことになるんじゃないのかい?」


 やはり優しい声で、しかしそれだけに鋭く、ドーズ様の言葉は私の胸を裂いた。

 言われるとわかっていたが、恥ずかしさから、顔中が熱くなり、足先が冷えた。

 震える声で、それでも、何より死にたくない、それだけ告げた。

 ドーズ様は最初に会った時と同じ眼で、私に言った。


「まあ、いいさ。君がそうしたいんなら好きにするといい。だけど、ぼくが魔界に行っている間、()()が街の人を襲わないという保証はあるかい?もしかしたら、誰か人質にしたり……」


 そこから先のことは聞きたくなかった。

 呼び方が変わった時から、私はドーズ様の敵に戻ったのだ。

 だが、敵に戻っても、ドーズ様に対して恐怖心は、もう芽生えていなかった。

 死にたくはないが、ドーズ様に殺されるのならば仕方がない、そう諦められるようになっていた。

 それは諦められるが、彼の懸念は解決しておきたかった。

 彼の言葉を、私は右の手刀で遮った。

 手刀の振り下ろした先は、私自身の左手首。

 ぼとりと手首が落ちるのを見て、ドーズ様は言葉を止めた。

 この手首で信頼の証とさせてください、そう言うより早く、ドーズ様はその手首を食べた。

 文字通り呑み込んでくれたのだ、そう解釈した。

 傷が塞がるより早く回復魔法を使えば、左手は再生できただろう。

 あえてそうしなかったのは、私なりのけじめだ。

 命を救ってくださった恩に報いることはできませんが、決して忘れはしません、そう述べてから、宿屋を後にした。

 街からも出て、しかしどこにも行かなかった。

 行くアテなどなく、ただふらふらとあちこちを彷徨った。

 左手首の傷が完全に塞がった頃、魔王様や氷王ロズ様が死に、黒魔女クラリや竜王ゼブラが魔界から逃げたことを風の噂で聞いた。

 それを聞いても、何もする気が起きなかった。

 ドーズ様を祝うのも、魔王様たちの死を悼むのも、どちらの資格も、私は持っていなかった。

 何もする気はなかったが、ただ、生きた。

 魔界に帰らずとも、人を殺さずとも、一切の瘴気を摂らずとも、魔力が尽きても力を失うだけで死なないというのは、上級魔獣に生まれた者の特権だ。

 幸か不幸か、私にもその特権が与えられた。

 時々、思い出したように恥ずかしさに身悶えながら、それでも生き続けた。

 ドーズ様であってもなくても、勇者には出くわさないよう、こそこそと逃げ回りながら。

 50年も経って完全に魔力を失うと、何の力も持たない人間にさえ殺されるかもしれないという不安から、しかし魔界に帰る勇気はなく、ダンテドリ島に行った。

 そこで瘴気を養い、力を取り戻していった。

 ダンテドリ島の魔獣たちは、上級魔獣であっても、種族としてバンパパイヤに劣る者たちばかりだった。

 故に私は、そこでは頂点でいられた。

 威張るつもりも、彼らを率いて何か起こそうという気も起きず、ただ平和に暮らしていただけだったが。

 ところが30年余り経つと、今度は魔界やダンテドリ島に、魔獣を狩りに来る者が現れた。

 魔獣は美味い、どこかからそういう噂を聞きつけた人間が、魔獣の強さも知らずにやって来たのだ。

 返り討ちにしたが、ドーズ様のことを思い、命までは取ることはなかった。

 それでも他の魔獣が人間を殺すのを止めなかったのは、私自身の弱さだと自覚している。

 魔獣たちを止めない罪悪感と、弱ってしまって人間に殺されるかもしれない不安感、二つを天秤にかけた時、罪悪感が勝った。

 私は島を出て、またあてどもなく彷徨い続けた。

 幸運なことに、サラミという規格外の強さを持った老婆がダンテドリ島に現れ、魔獣狩りを最初に行ったのが、この数日後だったという。

 それからつい1年前まで、私はまた何もせずただ彷徨い、逃げ惑いながら生きていた。

 人間たちが醜く争いを繰り広げるようになっても、魔界やダンテドリ島で魔獣たちが狩られても、まず自分の身を優先した。

 振り返ってみれば200年、なんとも情けなく、身勝手に、自堕落に生き続けていた。

 それに終止符を打ってくれたのが、炎王カウダー様だった。

 1年前、ダンテドリ島の火山が噴火した。

 猛烈な勢いで噴き上げるマグマに、魔獣たちが巻き込まれないか心配になって、私も様子を見に来ていた。

 ところが、その噴火は自然現象ではなかった。

 炎王様が、復活する際に自ら引き起こしたものだった。

 噴火によって出たマグマを用いて、炎王様は巨大な塔を作り、そこに魔獣たちを住まわせた。

 たまたま居合わせた私を含めて、だ。

 断ることはできなかった。

 粗暴な炎王様の命令に背けば、確実に殺される。

 やはり我が身可愛さの、打算的な従属だった。

 ともあれダンテドリ島の二番手として私は再び舞い戻り、今日に至る。






 昔を振り返りながら、私は塔に侵入してくる勇者の動向を、遠目の魔術で観察し続けた。

 勇者はやっとの思いでマッシヴヒヒーンをたった一匹倒し、次の階へと進んでいた。

 弱い。

 率直な私の感想だ。

 ドーズ様が例外だっただけで、勇者という存在は、本来これほど弱いものなのか。

 それとも、この勇者が特別弱いだけなのか。

 いずれにしても、ドーズ様にあった絶対的な強さは、この勇者にはない。

 中級魔獣相手に全力を使い果たしては、倒した相手の死肉を食べて回復し、また全てを出し尽くす。

 こんなにも弱い勇者が、本当に炎王様の望むような食糧となり得るのか。

 そこまで成長する前に、どこかで負けて殺されるに違いない。

 いや、こんなペースでは、まず登るより先に、瘴気が全身に回って死ぬだろう。

 私のいる階まで来られるわけがない。

 馬鹿馬鹿しい。

 一体何を期待していたのだろう。

 勇者だからと言って、誰もがドーズ様のような人間であるはずがないのに。

 そもそもドーズ様のような勇者に会えたとして、私は何をしたかったのだ。

 さっさと寝て、そんな思いも忘れてしまおう。

 起きた時にはあの人間も死んでいるはずだ。

 そう言い聞かせて、目を閉じた。




 体内時計で、人間が塔に侵入して4日が経とうかという頃に、目を開けた。

 初日に死んだのだとしたら、そろそろ瘴気で死体も腐食が骨まで進む頃だ。

 遠目の魔術で死体を確認しようとして、私は仰天した。

 人間はまだ生きて、塔を登り続けていた。

 2Dドラゴンが平面化して忍び寄るのにいち早く気づき、その場からすぐさま離れて攻撃を躱し、逆に首を切り裂く。

 斬撃が浅く、相手を仕留めきれていないところに、まだ甘さや拙さはあるが、その周囲の魔獣たちからの攻撃にも対応できている。

 瘴気による影響はほとんど見られず、動きに一切支障が出ていない。

 明らかに初日とは強さが違っている。

 どの魔獣に対しても、攻撃などの特性を理解し、攻略法を見出している。

 そして、その中から弱い順に、冷静に倒していく。

 スプリントクラブのダッシュを受け流して火炎魔法で焼き、パリピコングの雷撃魔法を撃たれる前に同じく雷撃魔法で動きを止めてから剣で斬りつけ、2Dドラゴンにとどめを刺す。

 流れるように上級魔獣たちを倒していた。

 理解できないことばかりだった。

 強さが格段に上がっていることについては、まだマシな方だ。

 何故瘴気で死なない。

 何故魔獣たちへの対応力がこれほど高い。

 軽いパニック状態にあるのを自覚し、すぐに決断した。

 今倒されたばかりの魔獣たちの力を合わせても、私個人の力量の方が勝っている自負はある。

 だが、逃げよう。

 後で炎王様に追われるより、今この得体の知れない人間と対面する方がよっぽど怖い。

 そう思って逃げようとしたが、2Dドラゴンのいる階を思い出し、観念して踏みとどまった。

 2Dドラゴンは、ダンテドリ島に一匹しかいない。

 配置したのは、私が今いる階の、一つ下だ。

 ゆっくりと、階段を上る足音が聞こえる。

 そして何やら咀嚼音もする。

 それらを聞きながら、私は息を整えて臨戦態勢に入った。

 足音が止み、人間が顔を出した。


「あれ、バンパパイヤか。退魔指南書にも具体的な攻略法は書いてなかったんだよなぁ」


 そう呟きながら倒したばかりの2Dドラゴンの肉を頬張って咀嚼する人間に、私はドーズ様の面影を見たような気がした。

 眼も彼ほどには冷たくなく、場にそぐわない優しい声もない。

 魔獣と会敵している今この瞬間であっても、この人間は『人間』のままだ。

 それでも、ドーズ様に似た雰囲気を感じる。

 格好が、ではない。

 勇者の格好など、隠れながらではあるが、何度も見てきたが、格好だけでドーズ様の面影を見つけたことはない。

 じっくりと観察してみると、その正体がわかった。

 眼の奥の、確かな輝きだ。

 ドーズ様も、敵と遭遇した時も、人間たちと触れ合っている時も、常にこの輝きを持っていた。

 何かとても重要なことを成し遂げようとする、強固な意志がそこにある。

 これが、ドーズ様と、この勇者の共通点だ。

 それを見つけたとき、私は笑っていた。

 200年前、ドーズ様と話している時には、よく笑っていたような記憶がある。

 それ以来の、久方ぶりの笑顔だった。

 顔が何故か、今は熱くない。

 あの頃から長く続いていた生への執着を、今ようやく捨てられた気がした。

 もしかしたら、このために生きてきたのかもしれない。

 右手に魔力を込めながら、私は無意識に問うていた。


「そのタイマシナンショとやらは、魔獣退治の教科書か何かか?勇者よ」


 勇者は剣を抜いて答えた。


「まあね。お前を倒してから、バンパパイヤの攻略法は追記するとしよう」


「その必要はない。貴様はここで死ぬのだから!」


「死にはしないさ!やるべきことが残りすぎてるからな!!」


 互いに走り出す。

 あの日から逃げ続けた勇者との戦いが、200年を経てついに始まったのだ。

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