第90話 俺は世界を救う
「……え?」
私を殺してくれませんかというククの言葉に、ケインはそう返す他なかった。
ククが何を言いたいのか、何を言っているのか、頭では理解していた。
罪を自覚し、一度ならず何度も逃げてきたことに向き合い、今度こそ裁かれようと、そう言っている。
頭では理解している。
だが、心が拒んでいた。
「……クク。だけどさ、君が……その、殺して、しまった人たちってのは……だから、君を殺そうとした連中ってことは……」
「ただ私を恐れていただけの人たちも殺しましたよ?悪人だなんてとても言えないような人たちも。それに、魔獣を生み出したことで間接的に殺した人も、いっぱい。少なくとも100年くらいはゴアが魔獣たちに命じていましたから、それこそ数えきれないくらいの人が、いっぱい、いっぱい。勇者がケインさんの村からたくさん旅立ったのも、私が元凶ってことですよね?ケインさんの村に起きた数々の悲劇も、私のせいですよね?」
どこか突き放すような言い方をするククに、ケインはあえて嫌われようとしているのだと感じた。
嫌われれば、殺すことも躊躇わないでいてくれるだろうという期待。
「今までと同じでいいんですよ、ケインさん。人斬りショーザン、海賊オーロ、女王ロレッタ、あの人たちと同じように、いいえ、もっとタチの悪い私なんて、今まで通りに容赦なく殺してしまえばいいんですよ。そうすれば全部丸く収まるんです。ケインさんが目指してきた真の平和がやって来るんです」
「……ダメだな」
「え?」
「クク、俺にはククを殺す理由が見当たらない」
ククの言葉を聞きながら心を整理した上での、嘘偽りない回答だった。
「だってさ、俺はこれまで全ての元凶だと思ってた魔王ゴアに対してだって、復活した後に悪さしないんならってことで協力し合ってたんだぜ?ククが自分のことを全ての元凶だって言ったとしても、それは変わらない。ククが今後何か悪さをしないんなら、俺がククを殺す理由なんてないんだ」
気付けば二人は魔界の城に到着し、互いに見つめ合っていた。
二人を邪魔する者は誰もいない。
200年ぶりに帰還した創魔神を、魔獣たちは遠巻きに眺めていた。
「魔王ゴアにも優しいケインさんですもんね。私の悪意を力を振るうためだけに作られた、ゴアにも」
「ゴアは俺の大切な仲間だ。あいつをそんな風に言うのは、いくらククでも許さないよ」
「許さないのなら許さないでいて欲しいですよ、それに……私が悪さをしないならって言いましたよね。けど、それじゃあやっぱりケインさんは私を殺さないといけませんよ」
「え?」
ケインが自分を殺すことを拒むだろうというのはククもわかっていた。
困惑するケインに、ククは言葉をぶつけた。
「ケインさんが今、ここで、私を殺さないのなら、私は今からケインさんを殺し、そして世界中の人間を皆殺しにします」
「な……!?」
これまでのククからは到底出てこないであろう物騒な物言いに、思わずケインは言葉に詰まった。
しかし、頭を振って平常心を取り戻そうとしてから、すぐに反論した。
「けど……それこそ理由はなんだ!?俺に殺させるためだけに嘘を言ってるだけじゃないのか!?」
「理由ならあります」
ククは眉間に皺を寄せつつ、絞り出すような声で言った。
「ありますよ、それは大きな理由が」
「それは一体……!!」
「私が、ケインさんを愛してしまったからです」
返す言葉を失い呆然と立ちつくす勇者に、ククは僅かに顔を紅潮させながら続ける。
「初めてでした。私に優しくしてくれて、私を守ってくれて、私と一緒に楽しく笑ってくれる。そんな人に出会ったことなんてありませんでした。あの日、ケインさんに初めて会ったあの日から、私の中にはずっとあなたがいました。一緒に旅をしたことで、それがもっと大きくなって、今では……」
少しずつ、ケインに思考力が戻ってきていた。
ククの方から想いを告げられるとは全く考えていなかった。
嫌われているなどとは思わなかったが、そもそも異性として見られているのかさえ不安だった彼にとって、海賊オーロに撃たれた時以上の衝撃だった。
今の状況で喜んで良いものかも判断がつかず、頭の中でククの言葉がぐるぐると駆け巡っているようであった。
「クク……」
口を動かすのもやっとと言った様子でケインは返答する。
「だ……けど、だったら、なんで……」
「愛しているからこそ、これからのことが怖いんです。怖くて、たまらないんです。私は多分、あと1000年や2000年ではきかないくらい長い年月を生きます。100年ぽっちじゃ、老けたりなんかもしないでしょう。でも、ケインさんはそうじゃない。ケインさん、今17歳でしたっけ?あと何年生きられます?50年?100年?サラミお婆さんくらい生きられたとしても、200年がやっとってところでしょ?私の寿命と比べたら、そんな年月は大したことがない。とても短い。でも、私が想いを募らせるにはとても長い時間なんですよ。だって私たち、まだ会って一ヶ月くらいしか経ってないんですから」
「だから、それでなんで……」
「今より深く愛した後であなたを喪うくらいなら、今ここで喪った方がまだマシだと、そう思うんです。そして、あなたがいない世界なら、私もう何も要りません。全部壊して、終わらせます」
淡々と述べるその口調からは、やはり無理やりにでもケインに自身を殺させるための理由を絞り出しているようであった。
だが、例え理由作りのためだけだとしても、自分を殺さないのならケインを殺す、その想いだけは確かであることは、彼女の目が強く主張していた。
想いは確かでも、ケインが動くにはまだ決定的に足りないものがあることを、クク自身理解していた。
今のククでは、ケインを殺しようがない。
魔王ゴアに力の全てを与えた今のククでは。
そのことにケインが触れようとしたその時、ククは微笑みながら言った。
「できますよ」
瞬間、ククの周りを黒色の魔力が激しく渦を巻く。
彼女自身の魔力をこれまで感じたことのないケインは、一瞬、ゴアが出現したのかと錯覚した。
だが、そうではない。
それこそが、クク自身が本来持っていた魔力。
ゴアに何百年もの間、存在と共に貸し与えていた魔力だった。
「ごめんなさい、ケインさん。ケインさんの大切なお仲間を奪ってしまって」
「……!!」
ククに注視したケインは、彼女の中にゴアという人格が無くなっていることに気付いた。
人格が、力が、魔王ゴアの何もかもがククの魂に吸収され、元々あったひとつの存在に戻ったのだ。
その証拠に、ククの容姿にも変化が現れ始めた。
髪が白く、肌は褐色に、身に纏う魔力で作られた白いワンピースも、漆黒に染まっていく。
人間の姿をしていた時のゴアが持つ特徴そのままである。
「お察しの通り、もうゴアは私の中にいません。いえ、いるとは言えるかもしれません。あの子の魂ごと、力を全て取り込みました」
魔力は更に勢いを強め、電流が走るようなバチバチと激しい音が鳴り響く。
闇が空を覆い尽くし、魔界全体が振動していた。
城の中心で、ククはゆっくりと浮上すると、両手を広げながら言った。
「ケインさん、今の私なら、あなたを殺せます。今の私は、どうしようもないくらい、人間の敵です」
ククが纏う魔力は、魔王ゴアのそれを遥かに凌駕するほど強大なものだった。
ドーズの記憶から全盛期のゴアを知るケインならばそれがわかる、確かな危機だと判断できる、そう期待して彼の言葉をククは待った。
そして、次にケインが口を開いた時、出てきた言葉は、
「き……」
「?」
「綺麗だ……」
素直な感想だった。
ケインの目に映るククは、悪か否かを論じる前に、敵か否かを論じる前に、一人の美しい少女であった。
「……状況わかってます?」
出来得る限り非情に、冷酷に振る舞おうとするククだが、すっかり赤面してしまっていた。
ケインの方も、つい口から出てしまった言葉を思い返しては、思わず照れ笑いせずにはいられなかった。
「いや、わかっちゃいるんだけど、うん」
「これが最後です、よく考えてから決断してくださいね。この世界を救うなら、あなたがまだ勇者であるのなら、私を殺してください。できないのなら、死んでください。私がもっとあなたを好きになってしまう前に」
ククに言われるまでもなく、ケインは目を閉じ、己の心に今一度問いかけていた。
自分が今どうすべきなのか、どうしたいのか、何ができるのか。
ククの力と自分の力、今の自分ならば、相手がククならば、例え女王ロレッタに迫る力を持っていようとも単独で互角以上に渡り合うことができるだろう。
殺すことも、できるだろう。
命を、奪う。
死。
最愛の、いつの間にか最愛となっていた存在の、死。
それを受け容れるのか。
受け容れなければ、世界は救えないのか。
それ以外に世界を救う術はないのか。
だが、できなければ、自分は死ぬ。
世界の全てを道連れに。
ククが本当に望む、何千年もの時を共に歩むということは、今の自分ではできないのだから。
それで良いのか。
最愛の存在を手にかけられないからと、自分一人の死で済むのならともかく、世界を道連れにして良いのか。
数多の敵を倒した末に、最後の最後で世界を滅ぼすきっかけとなってしまうのか。
一人の少女と、世界を天秤にかけられるのか。
ゴアはどうだ。
ククに吸収されてしまったゴアだが、果たして本当に消えてなくなってしまったのか。
いくらククのためだけに生み出されたとはいえ、魔王ゴアほどのものが、断末魔さえ上げずにあっさりと消えてしまったのだろうか。
表に出ていないだけで、さっきまでゴアは眠ってはいなかったはずだ。
外の様子も、ククの心も、わかっていたはずだ。
本当にただ吸収されただけなのか。
そんなはずはない。
もしもゴアが全てを知った上で、魂ごとククに吸収されたのだとするならば。
自分がすべきことは。
したいことは。
できることは……。
次にケインが目を開けたのは、実時間にして一分に満たなかったが、彼にとっては丸一日のように思えるほど長い、長い一分だった。
「クク」
「はい」
背負った剣を抜くケインを見て、ククは彼が結論を出してくれたのだと安堵した。
「俺は、世界を救う」
「ええ、それでいいんです」
「でもさ」
「え?」
「俺にとっての世界ってのは、ククがいて、ゴアがいて、ライガやシーノ、みんながいて……それで初めて、『世界』になるんだ」
「…………」
「クク」
「……はい」
ケインにとって、同じ言葉を繰り返すのは苦ではない。
意味を相手にちゃんと伝えるために、相手が理解し、納得するために。
それをククは良く知っていた。
「俺は、君たちを救う」
「……ケインさんの……」
ククがゆっくりとケインへ迫る。
魔力を嵐のように周囲に撒き散らしながら、
「ケインさんの……!」
肩を小刻みに震わせ、右腕を大きく振りかぶり、
「ケインさんの!!」
掌を思い切りケインの頬へ叩きつけた。
「わからずやあああッ!!!!!」
かくして、人類の存亡を賭けた勇者と創魔神の戦いは始まった。
彼らを知る人々は、後にこの戦いをこう呼ぶ。
『史上最大の夫婦喧嘩』と。




