転落そしてアスペルガー症候群と知る
9 転落そしてアスペルガー症候群と知る
管理職に昇進した私は、東北地方の地方都市に所在する支店の営業課長として赴任しました。
この街はこの先、わずか数年後に、東日本大震災による被災により世界的に名前が知れ渡る都市ですが、私はその震災の直前までそこに住んでいたのでした。
私はその街に単身赴任しました。これまで書いてませんでしたが、私はこの時すでに結婚して、子供が二人おりました。都内の住居は、購入したばかりの一戸建て住宅であり、子供はエスカレーター式に高校まで進学できる私立小学校に通っていたこと等から、単身赴任する事になったのでした。
アスペルガー症候群は結婚生活や家庭にも、様々な問題を引き起こすことは知られています。実際に私も、アスペルガー症候群のために家庭内における問題を抱えているところでありますが、ここでは、アスペルガー症候群者が社会人として、とりわけ組織人としてどのような問題を生じさせるかということを主眼に置いていますので、結婚生活等の話は別の機会に、ということで、仕事場においてのことについて書き進めてまいります。
私は、自分の得意としていた営業を担当する課長として、自分の持っているノウハウ等も部下に伝えながら、この支店での営業実績を、それこそ全国の支店中のトップにしてやろうと意気込んで、また自信満々でありました。また、部下も含めて支店内では、私が将来を約束されたエリートであるという認識を持っていたようでした。もっとも、そんな「過大評価」は程なくして、私の行動や資質や能力に対する「疑問」に変わっていき、ゆくゆくは「嫌悪」や「苛立ち」を感じさせる存在となっていき、また支店長等の上役からは期待外れということになっていくのでした。でも、その時は、私は自信満々で意気軒昂として営業課長としての仕事に乗り出したのでした。
アスペルガー症候群による対人コミュニケーション障害は、まず、部下からの反発というところに現れました。
アスペルガー症候群は、他人の心を読むことが苦手です。これは人に対する気配りや心遣いというものが苦手だということです。私は、部下に対するちょっとした労いの言葉、すなわち「遅くまでご苦労さん」、「大変だったねぇ」、「負担かけて悪かったね」といった類の一言、これを自然に口に出して言うことが出来なかったのです。また、部下に何かを下命する時に「悪いけど・・・」と頭に一言付け加えることも出来ませんでした。
営業課員達が業務のために遅くまで残業したり、営業活動で苦労したりすることは、給料の対価としてやっていることであり、当然のことをやっているのだから、何も私が謝ったり慰めたり機嫌をとったりという筋合いはない、というふうに私は考えるのです。私自身も叩き上げの営業課員として同じ苦労をしながら実績を上げてきたという思いも加わります。同様に、私が部下に仕事を下命するのも職位上の権限に基づいて命令しているのだから、申し訳なさそうに謝りながらお願いする筋合いのことではないと考えます。
そのような考えを根っ子に持っていれば、当然それは態度に現れ、部下に伝わり、冷たい、思いやりがない、部下を大切にしていない、という印象を与えてしまいます。また、心の中とは裏腹に、表面的には優しい言葉を尽くして労ったり持ち上げたりするような高度?なことは勿論できません。
次第に部下からの人望を失い、陰口を言われるようになり、やがて上司の耳にも入って行きます。そして、部下に対する指導力がない、課をまとめられない、という私に対する評価が出来上がっていくのです。
上司との関係も様々な困難を生じます。支店の中では支店長と2人の次長が私の上役としておりました。その他に、定期的に視察として本社から来る重役が来たり、時には社長も訪れます。視察に来た重役を交えた会議やランチ懇談会の中で、「顧客から、これこれという不満の声が上がっている」とか「最近、これこれの事が気に掛かる」という発言が重役からあった時に、これが何らかの対応や措置を求めている下命だということに気付くことが出来ないのです。その重役が帰った後、支店長以下で、「さあ、どうしようか」と大騒ぎになっているのを見て初めて、さっきの発言は下命だったのか、とやっと気付くというような有り様なのです。
アスペルガー症候群者は、何事も直接的かつ具体的に言われないと分からないのです。言外の意を汲み取ったり、一を聞いて十を知るということが出来ません。ところが会社組織のような中では、上司等からの下命は、曖昧な言い方であることが多く、時にはちょっとした呟きやぼやきとして伝えて来ます。これを適時適切に意を汲み取れなければならず、それが上手く出来ない私は、上司にとって「気が利かない奴」、「腰が重い奴」ということになってしまうのです。
部下とのこと、上司とのこと、の次は同役との関係です。
支店内では同一職位である他の課長がいます。私は前にも書きましたが、同年代との人間関係を作ることが苦手です。これはアスペルガー症候群の特徴なのだそうです。
正常発達者であれば、同役とは良好な横のつながりを持って情報を交換したり、部下人員の貸し借りをしたり、同じ立場上の苦労を分かち合う者同士として、愚痴を言い合ったりしながら、協力して仕事を進めていくところなのでしょう。もちろん、ウマが合わずに犬猿の仲というのも、これも何処にでも見られる光景なのでしょうが。
私はやはり、同役との関係もダメでした。どちらの課が担当するか不明瞭なグレーゾーンの仕事に関して紛争がおこれば、私は内規を盾に相手の課長を論破して撥ね付け、勝ったような気になっていたものですが、理屈を言って論破することなどは簡単なことで、本来なら、時にはこちらが折れ、次は相手方に折れてもらうといった調整をするのが、課長に求められている役割だったのでしょう。私のような態度では、亀裂を深めるばかりで、「融通の利かない生意気な奴」ということで、同役達からも距離を置かれるようになってしまうのでした。
会社員としての日常の中で、これまたアスペルガー症候群にとって厄介なものに「冗談」というものがあります。職場の中では常々、軽い冗談が飛び交っています。誰かかが冗談を言い、それに対して絶妙な冗談で返す。あるいは誰かが意図的にボケたら、それを受けて即座にツッコミを入れる。そんな軽いやり取りで職場に笑いが生まれ、職場の雰囲気が良くなるのですから人間関係の潤滑油として大いに有効なものなのでしょう。
しかし私は、冗談を言われても、まずは真に受けてしまいます。真に受けた後、冗談を言った相手が何ともしらけたような表情をしながら「課長は真面目だからなぁ」といった言葉を言うに及んで初めて、今のは冗談だったということに気付き、それから「あはは」と笑っても、もはや後の祭りなのです。
逆に、日頃から上手に冗談を言おうと意識する中で、ここぞと思って言った「冗談」が、その場を凍り付かせてしまったり、とても洒落にならないような、失礼に当たることを言ってしまったりするのです。
私の駄目さ加減を挙げ連ねましたが、こう書いていくと、ここまで自分を客観的に分析できているなら、改善するのはたやすいことではないのか、と思う人もいることでしょう。しかし、このような自己分析は大分後になってから出来るようになったことです。アスペルガー症候群という言葉を知り、その特徴がぴったりと自分に当てはまっているという認識をもって以降のことなのです。
当時の私は、これまでの成功体験、すなわち、良い人間関係を築けなくとも、どんなに人と対立しようとも、昇進したり栄転したりすることによって、その場を勝ち抜けてきたと思っていましたから、営業課長として何をやっても空回りで、周囲との人間関係が悪化しようとも、やはりまた勝ち抜けるような形で、この地方の支店から、再び本社に呼び戻されるのだと固く思い込んでいたのです。
しかし、これまでは実働員として、高い実績を上げ、特定の分野においては余人を以て代え難いと言われるような仕事をしてきたという「強み」があったのですが、管理職になってしまった後は、もはや何もやりようがないという状態になってしまったのです。
これも会社組織の常なのでしょう、社内不倫の噂話は、人付き合いや雑談をあまりしない私の耳にも入ってきました。
私は積極的に女性社員を漁るようなことはしませんでした(露骨に漁っている人も少なからずいました)が、私は女性に対する興味関心は人並み以上に強いと自認しているところです。意識しなくとも、職場の中で動き回っている女性たちの顔や体を、注意深く観察していたのだろうと思います。それはオーラというか、ある種のシグナルのようなものとなって、発信されていたのでしょう、そのシグナルをキャッチしたのか、私に接近してくる女性も現れました。
私が単身赴任してから一月程たった頃、居酒屋の一間を借り切って歓送迎会がありました。
私は歓迎される側の一人として、次から次へと酌を受け、大分酔っていました。お開きになった後、会場から出席者が三々五々散って行く中で、偶々その人、総務課の女子社員、と同じ方向に向かって並んで歩いていました。あるいは「偶々」ではなく、彼女は待ちかまえていたのかもしれません。
「カラオケに行きませんか」と腕をとる彼女に引かれるままにカラオケボックスに入りました。
カラオケボックスの中で歌ったのは1曲だけ、曲名は忘れましたが、デュエットの定番曲を、私は彼女の肩を抱きながら歌い始めましたが、その曲すら歌い終わらないうちに、マイクを放り出し、キスをし、彼女を抱きしめていました。
早々にカラオケボックスを出て、ホテルに入りました。
彼女は、総務課の新入社員でした。それまで名字も名前を知りませんでした。言葉を交わしたのも経費の領収書を渡すときに事務的なやりとりをした時くらいのものでした。
彼女は浅黒く小顔でボーイッシュな雰囲気の、ショートカットの似合う女の子でした。用事があって総務課に行くと、カウンター直近の席でパソコンを叩いている彼女の横顔や、膝からすらりと伸びたベージュ色のストッキングの脚を、見るともなく見ていた、というより、意識して観察していたのです。
私は独身の時、女性にモテたのではないかと思います。自惚れで言っているのではなく、若く独身で一流企業の出世頭(その頃は)ということであれば、独身女性の結婚相手としての有力候補でしょうから、モテて当然だと思います。年頃の娘を持つ上司から「娘と会ってみないか」と紹介を受けることも一度ならずありました。
結婚した後は、独身の時のようなモテ方はなくなりました。課長としてこの支店に赴任してからも、妻子があって単身赴任していることを隠していたわけではありませんし、結婚指輪も着けていました。そんな私に、彼女が何で接近してきたのか、理由や動機はともかく、私たちの関係は、私がその支店から異動するまで続いたのでした。
私は、二人だけでいる時、彼女のことを「綾」と呼びました。
綾は、平日の仕事の後、週に一度位私のアパートに来ました。アパートには一人暮らしの手慰みのために買ったカワイのデジタルピアノがありました。綾は私がピアノでマイナーブルースを延々とアドリブ演奏するのが好きで、いつもせがみました。私の弾くマイナーブルースが前戯のようでした。朝まで一緒に寝て、明け方になると綾は起き出して軽自動車を運転して帰って行きました。会った翌日が平日ならお互い会社に出勤して、何食わぬ顔でアイコンタクトをしたのが、何かワクワクする楽しみでもありました。
綾との関係が始まって程なく、私は綾に、私が願望している欲望の丈を包み隠さずぶつけるようになりました。
私の行為は、正常発達者ならぬ正常性欲者に言わせれば、性的倒錯あるいは異常性欲ということになるのかもしれません。もちろん私は異常だとも倒錯だとも思っていません。
綾は私の行為を受け入れて、満足していたのだと思います。
このような関係が、私が異動でこの地を離れるまで続いたのでした。
性的な事を書いてしまいましたが、私は、アスペルガー症候群の特徴である、こだわりの強さや限局的な興味関心というものは、性欲の強さや異常(と見なされてしまう)な性的嗜好とも関係があると思っています。書店には発達障害に関する本がたくさん並んでいますが、発達障害と性に関することに触れている本は、ほとんど無いと思いますので、大いに書く価値があると思い書きました。
話を職場に戻します。
私は若き管理職として赴任した先で、部下をまとめる事も出来ず、上役にも気が利かず、同役とも上手くやっていけない、全く使えない奴というレッテルを貼られ、着任から1年後、左遷的人事として、都内の晴海埠頭近くにある伝票倉庫の所長へと異動しました。
ここは、本社および全支店から送られてくる伝票を、法定の保管期限が来るまで段ボール箱に入れて保管しておく倉庫です。カーボン紙の独特な鼻につく臭いが充満した、床がコンクリートの他は小学校の体育館のような蒲鉾型倉庫の一画に事務室があり、私の席がありました。
私の部下は、フォークリフトのオペレーターを含めて3人おりましたが、いずれも契約社員であり、正社員は私だけでした。
ここでの業務は、送られてきた伝票を日付別支店別に整理して保管しておくことと、本社等からの求めに応じて、目的の伝票を探し出して送ること。その他に、税務署や警察から照会を受けて、該当する伝票を探し出して送ることです。
実際の伝票の出し入れは3人の契約社員が行うので、私のやることと言えば、本社や部外との連絡および3人の部下の労務管理であり、それはつまり実質的にほとんど一日中何もやることがないのと同じでした。暇つぶしに私は毎日、日経の朝刊を隅から隅まで一文字残らず自席で読み、それでも終業時刻まで時間を持て余すので、英字新聞を読むことにしました。
私の英語力は、普通の大卒程度でしたので、最初のうちは電子辞書を引き引きしながら読んでいましたが、半年程で、これもアスペルガー症候群のおかげかどうかは分かりませんが、普通に読み進めることが出来るようになりました。
私の会社員としての毎日は、出勤し、新聞を読み、昼休みにコンビニ弁当を食べ、午後も新聞を読み、終業時刻ぴったりに退社する、ということの繰り返しでした。しかし、本や新聞を読むことが何よりも好きな私は、この状態が妙に気に入っていました。本社の人事課の意図としては「やめろ」という思いを込めて、このような場所に置いているのかもしれませんでした。正常発達者ならば、このような状況に置かれたら、屈辱を覚え、精神の平静を保てなくなり、自分から会社を去って行こうとするのかもしれません。しかし、私はアスペルガー症候群です。普通の人が耐え切れないと思うような状況が、何でもなかったりするのです。人事課がもし、私が退職するようにと目論んでいたとすれば、全く当てが外れたことになります。
給料に関しては、昇級もしておらず、残業手当も交際費もない状態なので、支店の営業課長だった時より大分減っていましたが、それでも統計として発表される同年代の平均年収に比べれば倍近くはあり、大企業の正社員がいかに恵まれているかを感じました。
しかし、そのようなお気楽な境遇を半ば楽しんでいるような余裕も、1年、2年、5年と経っていくと、だんだんと平静ではいられなくなって来るのです。
同時期に管理職に昇進した人たちが次々に支店長になり、さらに本社の要職に就任していき、私がはるか後方に置き去りにしたと思っていた入社同期達からも、追い付かれ追い越されして行く中、何とも言えない気持ちの沈み込みに襲われ続けるようになりました。これを医者に診せれば、鬱状態という診断を受けるのかもしれません。会社を辞めたい辞めたいと思いながらも、転職したとて、何処に行っても人間関係で躓くことは分かり切っていましたし、収入も大幅減となることも明らかでしたので、今の会社にしがみつくしかありませんでした。
死んでしまいたい、と頻りに思うようになりました。
駅のホームで電車が入ってくると、この電車に飛び込んだなら一瞬で全てから開放されるのか、と考えたりしました。しかし、私は過去に偶々、女性が電車へ飛び込んだ瞬間に居合わせて目撃してしまった経験があり、その時の電車にひかれた轢死体を目撃した強烈な記憶が蘇り、こんな死に方だけは嫌だ、と思い止まることができました。
死にたい死にたいと思っている読書好きが、行きつけのブックオフで文庫本コーナーを眺めていると、背表紙を見ているだけでも、自殺や死をテーマにした本がいかに多いかを知りました。この頃に、自殺や死をテーマにした本を読み漁りました。中でも、私が最も感銘を受けた自殺に関する小説を一点だけ紹介します。三島由紀夫『命売ります』です。主人公が服毒自殺に失敗して病院で目覚める場面から始まり、死を望んで命を金で売る主人公と、様々な思惑から主人公の命を買おうとする客とのやりとりで物語は進んで行きます。この小説を読むと、死にたいと思うことは強みなのかとさえ思えてきます。
ある日、行きつけの図書館で、何とはなしに本を選んでいた時に『天才の秘密 アスペルガー症候群と芸術的創造性』(M.フィッツジェラルド著)という本を手にとって読みました。この事がきっかけで、私はアスペルガー症候群のことを知りました。
そして同時に、「全て腑に落ちて救われた」ような気持ちになったのです。
このことについては冒頭に書いたとおりです。