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就職して同期中トップで管理職になる

8 就職して同期中トップで管理職になる


 私が就職した会社は、名だたる大企業だけに組織が大きく、自前の宿泊設備のある研修所を持っていました。新入社員は先ず、この研修所に2週間泊まり込んで、新人研修を受けることになっていました。

 大学の教室のような部屋の中で、社長や他の取締役の講義を始め、各部署から来た課長クラスの社員が講師となり、入れ替わり立ち替わりそれぞれの分掌に関する説明を行うような研修内容でした。

 人事課から係長と入社2年目の先輩が、新入社員達と一緒に研修所に泊まり込んでいました。彼らは、新入社員の世話役と、研修所での素行を観察して、新入社員それぞれの能力や適性を「値踏み」する目的で来ているようでした。

 入社同期の新人が、一定期間寝食を共にして過ごすのだから、研修として学ぶことのほか、同期の一体感や絆も生まれてくるでしょう。しかし、アスペルガー症候群の私は別です。これまでの人生でそうだったように、集団生活の中で、他者と軋轢を生じさせ、孤立して、浮いていくだろうことは十分予想されましたし、実際にそうなりました。

 この新人研修で、まずは入社同期達から、「変わり者、何を考えてるか分からない奴、協調性のない奴」という印象を持たれてしまいました。

 

 ビジネスマナーの研修もありました。講師は、元日本航空のスチュワーデスで、ビジネスマナーの研修を、企業から委託を受けて請け負っているという、いわばビジネスマナーのプロでした。

 朝の「おはようございます」という挨拶の仕方を実際に声を出しながら練習したり、名刺交換の仕方、エレベーターの乗り降りの仕方、エレベーター内での上座と下座の位置について等々、大学まで出た大人が何でこんなことを教室で習わなくてはならないのかと、その時は思いましたが、大人の世界の作法を身に付けることの大切さは言うまでもありません。

 エレベーターの乗り降りの仕方の説明で、講師は「皆さんは、新入社員なのだから、当然、操作パネルの直近に立ち、開閉ボタンの操作や、乗り込んで来た人に対して、利用階数をお伺いしなければなりません」と説明した後、続けて「でも、たとえ皆さんが昇進して職位が上がったとしても、自発的に操作パネルの前に立って、目上目下に関わらず、他の人のために開閉ボタンを押してあげるような、優しい心配りを持つようにして下さい」と言いました。

 アスペルガー症候群である私は、このような授業の形式で、しかるべき指導者から、「このような時はこうしなさい」というふうに言われたことは、良きに付け悪しきに付け、心に刷り込まれてしまうきらいがあります。このため私は、管理職となっても、未だにエレベーターに乗り込むと、真っ先に操作パネルの前に立ち、乗り降りする人のために開閉ボタンを操作してしまいます。

 私がエレベーターの「開」ボタンを押し続けて、先にエレベーターから降りるように促しても、相手が部下や若手社員であったなら、相手が恐縮して躊躇してしまったり、あるいは「代わらせて頂きます」と言いながら、私と操作パネルの間に体を滑り込ませようとする人もいたりと、かえって傍迷惑となってしまうのでした。


 泊まり込みの新人研修が終わると、新入社員は全員が各支店の営業課に配属になりました。希望職種等の如何を問わず、また理系で技術者として採用された者も、まず一律に外回りの営業を経験させるという会社の方針でした。

 新人は、実績の高いベテランの先輩社員と組んで、営業のイロハを教え込まれるのです。私が組んだ先輩社員は島津さんという40歳位の主任で、支店内でも実績がトップの遣り手でした。この先輩の営業ノウハウというのは、ちょっと変わっていて、顧客の視線を観察して、チラッと何処を見たかを見て、この客は脈があるか、反対に全く買う気がないか、といった見立てを即座に行うというノウハウを持っていました。視線だけでなく、服装や持ち物など、人の外形を見て、その人の好みやニーズを推し当てることが出来るのでした。それは、顧客と対話しながら意を汲んでいくというよりは、外形観察から機械的に顧客の心情を判断して、それに応じた提案等をすることによって、売り上げに結びつけていく、というような手法でした。

 島津さんは、蓄積してきた外形観察のノウハウを、私に惜しみなく教えてくれました。そして私は、それをらすべて修得し、その勘所をつかむと、私なりに工夫して、さらに観察ポイントを追加する等して、次々と顧客を獲得することに成功しました。新人見習い期間が終わり、営業マンとして独り立ちした後は、支店内のトップ営業社員の一人になりました。

 私は幼い頃から同級生等と他愛ない世間話をすることが苦手だと言うことは前にも書きました。営業マンというと、顧客とのセールストークのために、話題が豊富で口先がよく回らなければならなく、私がそのようなセールストークをこなせるのか疑問に思うことでしょう。ところが意外なことに、私は商売限りの付き合いである顧客とならば、顧客と対面している間、隙間無く何か喋り続けることが出来たのでした。読書量が多いこともあり、顧客がどんな話題を出しても、どんな趣味や娯楽の話を出しても、政治や経済と言った固い話題であっても、私は何かしら記憶の片隅から知識を引っ張り出してきて受け答えて、話を合わせて行くことが出来たのでした。近しい人とは雑談が苦手で、一緒にいるだけで何とも気まずい空気になってしまうような私が、その場限りのビジネス相手とならば、次々と話題を繰り出して、顎が痛くなる程まで喋り続けることが出来たということは、不思議なことだと思いました。


 ところで、発達障害者向けのソーシャル・スキル・トレーニングの一つの方法として、社会生活で想定される様々な場面での、望ましい対人コミュニケーション方法をパターン化し、半ば機械的に暗記してそれを実践するというものがあるそうです。例えば、こういう場面では「ありがとう」と言うとか、或いは、こういう場面では「ごめんなさい」と言うというようなもので、専門医等の指導のもとに、そのようなトレーニングを受けて、社会の中に普通に溶け込んで生活をしているアスペルガー症候群の人もいるそうです。しかし、アスペルガー症候群がそのようなソーシャル・スキルを身に付けたとしても、やっている本人は、なぜここで「ありがとう」とお礼を言わなければならないのか、「ごめんなさい」と謝らなくてはならないのか、理由がわからないまま、機械的に言っているのだそうです。

 今になって思うと、島津さんの営業手法というものは、今お話ししたソーシャル・スキル・トレーニングの手法と、どこか一脈通じるのかもしれないと思っています。そのために、私のようなアスペルガー症候群でも営業マンとして成果を上げることが出来たのかもしれないなどと思ったりしています。さらに、島津さんも実はアスペルガー症候群だったのではないかとも思ったりしています。島津さんとは新人見習い期間にペアを組んだ後は、全く交流もないので、今となっては確かめるすべもありません。

 

 入社3年目頃までには、私は全社内でもトップクラスの営業実績を上げるようになっていました。仕事の成果は良かったのですが、職場での人間関係が悪かったことは言うまでもありません。同期や歳の近い先輩や後輩といった普通なら打ち解けあって親しくなって当然の人たちと、私は人間関係を築くことができず、いつも浮いている存在でした。上司からも「変な奴だ」と思われていたでしょうが、実績を上げているだけに多少人間性に問題があると思われても、認められてたのでしょう。

 やはり営利企業であり、営業マンとして実績を上げている以上、嫌われ者であっても、一目を置かれ、認められていました。また、アスペルガー症候群の特性で、周囲から嫌われて浮いていたとしても、それをさほど苦に思わないということありました。正常発達者ならば、耐えられず居たたまれなくなるところでしょうが。


 営業部門の他にも、幾つかの別種の仕事も経験しました。その中でも、私が成果を上げることが出来たのは、法務部に在籍していた時でした。ここは、顧客や他社との法律的な争いを処理する部署でした。私が法務部にいたのは係長の職位の時で、管理職である課長に昇進する直前まで在籍しました。

 法務部での仕事は、関係する法令や裁判例の知識が必要でした。私は根を詰めて勉強して知識を詰め込みました。

 元々、機械的(写真的)な記憶力はかなり良かったので、民法等の関係する条文を、ほとんど全文を諳んずることが出来たのでした。この機械的記憶力が法務部での仕事に生きたのでした。

 紛争の相手方(これは始めから弁護士が出てくることもあり、相手側の法務担当者であることもあり、また一般の顧客であることもありました)とのディベートにおいて、相手方から「法的根拠はあるのか」と詰め寄られると、私は即座に根拠となる法律の条文番号と条文を暗誦し、同種の判例があるなら、「最高裁○年○月○日判決で、確立しています」などと答えることが出来たのでした。

 私のこのような能力は、紛争事案の交渉過程において、相手方に絶大な打撃効果があったのでしょう。私は、手掛けた紛争事案を次々と自社に有利な解決に導くことができたのでした。

 そんな私は、法務部内では遣り手として通っていた一方、部署内での人間関係が悪かったことは言うまでもありません。特に、打ち解けて親しくなって当然であるべき、年齢の近い同役との関係が築けなかったのは、お決まりのパターンとも言えました。

 上役は仕事で良い結果を出す私を、上手く使っていかなければならない立場上、私に対して刺々しく接してくることはありませんでしたが、きっと心中では、「生意気で、礼儀知らずで、気配りの出来ない奴」と思われていたに違いありません。

 法務部では職位こそ係長でしたが、部下はいませんでした。(お茶汲みやコピー取りを一手に引き受けている女性の平社員はいました)紛争案件を基本的に一人で担当して処理していくという、ある意味アスペルガー症候群の私に好適な仕事だったのでした。だからこそ、この部署においても成果を上げることが出来たのです。

 

 このように、少なくとも外形上は順調に仕事をしてきた私は、35歳の時、管理職に昇進しました。年次的には同期中数人のトップグループの中に入っていました。これは、将来の経営トップ候補として認められていたということなのでしょう。

 私としても感慨はありました。人付き合いが苦手で、社会人としてやっていけるのかどうかすら自信を持てずにいたところが、あれよあれよと言う間に、かつての上司や先輩を飛び越えて将来を嘱望されたエリートのような位置に立ったのですから。

 私は舞い上がっていたでしょうし、とんとん拍子に昇進したことで、自分の能力を過信していたことでしょう。もちろんこの時、自分がアスペルガー症候群だとは露ほども思っていなかったことは言うまでもありません。もっとも、その頃は「アスペルガー症候群」や「発達障害」という用語は、私は勿論のこと、一般大衆の間でもほとんど認知されていない言葉でしたが。

 

 この頃までに、会社内に敵をたくさんつくりました。私が敵だと認める人というのは、露骨に苛立ちや嫌悪を態度に表してくるからこそ、私が感知できるのであって、私の人格に対して疑問を抱きながらも表面上は、大人の対応として普通に接してくるために、私としては敵であることに気付けないでいるような「隠れた敵」もたくさんいたのだろうと思います。


 反対に、ごく少数ですが、私に対して、計り知れない能力を持った天才的な人、あるいは良い意味で意外性に溢れた人というようなプラスの評価を抱き、それを私に伝えてくる人もいました。このように、私には数少ない親友、ファンというか信奉者のような人、変わった所も含めての理解者または擁護者のような人が、学生のころから今に至るまで、必ず少しだけいました。それらの人から受ける私に関する評価の発言は、周囲から爪弾きにされてばかりいる私のカンフル剤でした。


 転勤で行った先、行った先で敵をつくり、浮いた存在となってしまうことに対して、私は自分の性格の悪さのせいだと悩み、性格を変えられない自分に悩みました。その一方で、それぞれの職場から転出するときは、栄転というかキャリアアップする形で異動したので、私は自分が悪いのではなく、結局正しいのは自分だという思いも持つのです。そして、同期中のトップで管理職に昇進したことで、「自分は間違っていない、私を嫌ってくる人が間違っている」という思いがより強くなっていたのでした。


 そんな中で、私はとある地方都市の支店に、営業課長として赴任することになるのでした。

 

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