生い立ち(中学生)
5 生い立ち(中学生)
中学校では、私以外の殆どが別の小学校から進学してきた生徒が通う中学校に通うことになりました。既に顔なじみ同士で和気あいあいの中に溶け込むというのは、私にとってもちろん苦手なことです。しかし、意外なことに、早くから仲の良い友達を何人も作ることが出来ました。その一番の理由は、小学校の頃から趣味となっていたパソコンが友達作りに役に立ったのです。
私がパソコンに詳しく、自分でプログラムが組めるということが同級生たちに知られてくると、パソコンに興味を持っている人が私の周りに集まって来て、パソコンについて色々な質問をしてきたのです。パソコンはゲームソフトをロードすれば様々な種類のゲームで遊べること、自分でプログラムを組んで自分が考えたゲームを作ることが出来ること等を説明し、一緒に学校の近くにあるパソコンショップへ行き、その場で簡単なプログラムを組んで、パソコンの画面に刻々と変化するカラフルな模様を表示させたりして友達を驚かせたりしました。
当時のパソコンは富士通のFM7シリーズとか、NECのPC8000シリーズといった種類があり、メーカーが違えばプログラムの互換性はなく、同じ機種を持っている者同士では、ゲームソフトの貸し借りが出来るので、パソコンを買おうとしている友達には、私が持っているパソコンと同じ機種を買うように勧めました。そして、勧めに従って買った友達には、私が持っていたゲームソフト(当時はカセットテープに記録されていた)を貸してあげ、友達はダブルカセットデッキでカセットテープをダビングすることで、そのゲームソフトを自分のものとすることが出来ました。
同じ機種のパソコンを持った友達が増えると、友達が買ったゲームソフトを貸してもらってダビングすることにより、私は最新のゲームソフトを次々に只で手に入れることが出来ました。
しかし、しばらくして、パソコンを通じた仲間から、つまはじきにされるようになり、ゲームソフトも貸してもらえなくなりました。パソコン仲間達は談合して、私にゲームソフトを貸さないことを示し合わせたのだと聞かされました。理由は、私が貸してもらうばかりで、私がゲームソフトを買って仲間達に貸して回さなかったからでした。
私が友達からゲームソフトを借りてダビングしてすぐに返したとしても、ゲームソフトが減る訳ではないし、私は自分の小遣いでゲームソフトを買わずに済んで得をするが、友達は損をする訳ではない、と考えて漫然と一方的に最新のゲームソフトを借り続けていたことに、仲間達は反感を覚えていたのですが、私はそのような人の心の動きが分かりませんでした。
たとえ相手から「貸してあげる」と申し出があって貸してもらったとしても、相手は反対に同等のものを貸して欲しいという思いが伴っていることを、私は全く気付かなかったのでした。
パソコン仲間とのゲームソフトの貸し借りに限らず、音楽のカセットテープや漫画本など、「貸して」と言えば快く(たぶん私だけが「快く」と思っていたにすぎないのでしょうが)応じてくれるような同級生からは、遠慮なく借りて、反対に貸してあげるということは、直接「貸して」と頼まれない限りはしていなかったと思います。きっと、今にして思えば知らず知らずの内にひんしゅくを買っていたのだと思います。
アスペルガー症候群にとって、貸してもらったら、こちらも何かを貸してあげる、何かをもらったら、こちらも後で同等のものをあげる、といった曖昧な人間関係の暗黙のルールのようなものは理解するのが難しいのです。
中学生位になると、中学校がある地区から三キロほど離れた場所にある、市の中心商店街に友達同士で自転車に乗って出掛けるようになります。商店街には、市内で一番大きな書店や、楽器店、パソコンが展示してある電気店、大きな玩具店、模型店、ゲームセンター等があります。私もこの商店街に行くのが大好きでした。しかし、やがて同級生の友達と一緒に行き、私が行きたい場所の他に、友達の行きたい場所に行かなければならないことが負担に感じるようになり、そのうちに友達から「今日一緒に商店街へ行こうぜ」と誘われても断るようになりました。
私は一人で自転車に乗って商店街へ行き、自分の行きたい場所に行きたいように立ち寄るようになったのでしたが、商店街の中で、数人で連れ立って来ている同級生に出くわすと、ばつの悪い気持ちになったのを覚えています。あるいは同級生の姿を見かけると気付かれないように姿を隠すか、気付かない振りを決め込むかしていました。
また、中学生になると冬には電車で一時間位で行けるスキー場に友達同士で行くようになりました。私はスキーは上手な方でパラレルターンが出来、中級者コースや上級者コースにも行けたのですが、友達はボーゲンしか出来ず、初級者コース以外は怖がって行かない人もいました。私はスキー場で自分の行きたいコースに行くのを我慢して下手な人に合わせるということは出来ず、昼食休憩や帰りの時間や集合場所を決めると、一人で自分の好きなように滑っていたものでした。他の一緒に行った友達は、まとまってリフトに乗り、一緒にゲレンデを滑り降り、全員が滑り降りてくるとまた一緒にリフトに乗っていたのですが、私は一人でスキーそのものを心行くまで楽しみたいということしか考えませんでした。
中学生になると、誰しも恋愛に興味を持ち、クラスの中には付き合っているカップルもいました。私も同級生に好きな女の子がいました。一方、私のことが好きで、私と付き合いたいという女の子もいましたが、好きな女の子のことを諦めて、妥協して他の女の子と付き合うというのはしたくないと思い、いつかその女の子に告白しようと考えていたのですが、結局、中学校の卒業式の日までに、勇気を出して告白することは出来ませんでした。その女の子が進学する高校は私とは別でした。
私は友達を欲する気持ちが薄く、商店街に行くにも、スキー場でも一人で行動したいと思う一方、恋愛への関心は強く、好きな女の子と商店街を歩いたり、映画やスキーに一緒に行きたいと強く思っていました。また、好きな女の子のことを思いながら性的な妄想に耽ることも頻りでした。そもそも他人への関心が薄いアスペルガー症候群ですが、私は好きな女の子を執着的に強く思うところがあります。これは、恋愛というものは成就するのが難しいために、未知の世界に対する強い憧れから執着的になってしまうのか、あるいはアスペルガー症候群の特性であるところの、特定の対象に対する強いこだわりの対象が、恋愛や好きな女の子に向かっていたのかもしれません。
中学生時代を通じて、私は暗く内向的で、単独行動を好み、何を考えているか分からない奴と思われていたと思います。また、ゲームソフトの貸し借りの話のように、やっと友達が出来たとしても、知らず知らずの内に仲間関係を壊してしまいました。これらはアスペルガー症候群の特性が大きく関係しているのだと今は理解しています。
一方で、勉強は良く出来ました。先生に対しては揚げ足を取って批判したり、屁理屈を言って反抗したりする生徒でしたが、試験の成績はトップクラスで、優等生的な存在でした。高校入試では県内トップの進学校に合格しました。そのため、対人コミュニケーション能力に問題があること等はとりたてて問題視されることはなかったのでした。