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05. Le début de la tempête(嵐の始まり)



 ◇ 8 ◆


 現在、アンリの店ではエレーヌが絶賛不機嫌中である。目の前にいるその原因に話し掛ける。


「お客様、もう閉店時間なんですが」

「そうか、じゃあ手伝うよ」

「違う。出て行けって言ってんの」


 あれからずっとシャルルは店に居座っている。おかげでエレーヌは不機嫌の塊だ。



 ジャンはいつも通りに積み荷を降ろすと、さっさと付き合いのある問屋へと仕入れに向かった。アルザスからパリへアンリの店で使う食料品を運び、パリからアルザスへの帰りはこちらでしか手に入らない品を自分の店用に運ぶ。

 その荷運びにシャルルもついて行く筈が、なんのかんのと言ってアンリの店に残ったのだ。ジャンも予想していたのか強くは言わず、アンリに一言済まんな、と言い残し出ていった。


 店の常連たちもシャルルのことをよく知っている。皆で機嫌良く酒を奢り歓迎した。エレーヌに振られ続けて、それでも求婚し続ける若者の登場はちょうどよい娯楽なのだろう。

 常連たちの面白がる態度にエレーヌの機嫌はどんどん悪化する。対してシャルルはエレーヌに会えてご機嫌だ。奢ってくれる常連たちが帰った後も一人にこにこしている。


「あいかわらず、エレーヌは可愛いな」

「あー、もう、ちょっと馬鹿兄貴。本っ当に、こいつどうにかして」


 二人に目を向けるが、アンリは処置なしと言わんばかりに額に手を当て首を振る。


「まったく、何でさも当然って顔で店に居座ってるのよ。ジャンさんは別に宿を取って街に繰り出しているんだから、あなたもそっちについて行きなさいよ」

「そんな連れない素振りで俺の気を引こうとするなんて、本当にエレーヌは可愛いなあ」

「いい加減にしろ」


 お盆で頭を強打。しかし、シャルルは全く懲りない。その様子を見て、アンリとハンスは何度目か分からないため息をつく。


「とりあえず飯にするか」

「そうだの」


「はい、お義兄さん」

「だーかーら。さも当然の顔をして加わるんじゃない」


 まーまー、と二人でエレーヌを宥める。食事をしながらもエレーヌの機嫌は直らない。大皿の料理に手を出すシャルルの手を、ぴしゃりとたたき落とす。


「それアシェルさんの分だから、勝手に食べない」

「オーララ。あいつはこんな時間にどこをほっつき歩いてるんだ」


「アシェルさんは行方不明の家族を探しに出掛けているの。忙しい時期に家の手伝いもせず、ふらふらしてるあんたとは違うのよ」

「何言ってんだ。俺だって家族になる人に会うために来てるんじゃないか」


 思い込みもここまで来ると気持ち悪い。エレーヌは本気で鳥肌が立った。


「このっ」


 思わずタッス(コップ)を持つ手に力が入る。投げつけようとしたその時、店の裏から随分大きな水音がした。




「なんだ。誰か暗い中、船に乗って引っ繰り返ったか」


 全員が立ち上がり、勝手口から裏に出ようとした時、轟音と共に壁に穴が空く。


「な、なんだ」


 巨大な人型の何かが建物の中を覗き込んでくる。


「きゃー」


 巨大な怪物はエレーヌに向かってその腕を伸ばす。

 アンリは手近にあった樽を持ち上げ、巨大な腕に投げつける。一番後ろに立っていたシャルルはとっさに、立ち竦むエレーヌを自分の方へ引き寄せる。間一髪、エレーヌに伸ばされた腕は届かず宙を切る。


 怪物は壁の穴から中に入ってこようとするが、その体がつかえて入ってこられない。癇癪を起こしたように腕を振り回しはじめた。見る見る間に壁は崩れ穴が広がっていく。


「危ねえ、こっちだ」


 アンリがハンスを背負い、食堂を抜け表から店の外へ向かう。シャルルもエレーヌの手を引き後を追う。

 この時になって、音を聞きつけた近所の人々が集まってきた。集まった人々の前に、怪物がその全身を晒す。大人の倍はある背丈。ずんぐりした体型で、なかでも手足は異常に太い。なにより鎧のようにも見えるその肌は、粘土のような質感で間違っても人間の物ではない。人々は悲鳴を上げて逃げ出した。


 怪物は愚鈍そうな見た目に反し、意外に素早い。アンリたちは追いつかれそうになり、狭い路地に飛び込んだ。知らない路地だが、人影はなくずっと奥まで続いているようだ。怪物は体が支え入ってこれない。

 そのまま奥へ奥へと駆け続ける。走り続け完全に姿が見えなくなった頃、少し広くなった場所に出た。一同足を止め、一息つく。無言で乱れた呼吸を整える。疲れ切って口をきくのも面倒だ。


 全員が落ち着いた頃、アンリがあれは一体何なんだ、と言いかけた。だが、言い終わるより早く、壁をぶち破り怪物が再び現れた。その場所に近かったアンリとハンスは跳ね飛ばされ気を失う。エレーヌとシャルルは疲労と恐怖でもはや一歩も動けない。

 怪物はエレーヌに迫り、その右手を伸ばす。




 ◆ 9 ◆


 怪物がエレーヌに触れようとしたその時、怪物が空けた壁の穴から一人の人影が飛び出した。人影はエレーヌの寸前まで伸びた怪物の手を掴み、その手を止める。


「お前」

「え、アシェルさん?」


 怪物の手を止めたアシェルはエレーヌにちらりと目を向け、安心させるように微笑む。

 すっ、と怪物に目を向け、つぶやく。


「単純作業用ゴーレムか。やっと見つけた」


 怪物は邪魔なアシェルを振り払おうとするが、ぴくりとも動かない。叩き潰そうと、左手を握り締めアシェルの頭上に振り下ろす。

 だが、アシェルはその拳も受け止める。


 均衡。

 巨大な怪物と、小柄なアシェル。

 釣り合う筈のない二者の力比べが行われる。


 おおぉおおおぉぉぉぉっっっっっ


 アシェルの口から出るは狼の如き咆哮。

 咆哮と共に強力ごうりきを発揮し、怪物の両腕を捻り上げる。怪物は抵抗するが、両腕は軋み砕け散る。怪物は痛みを感じないのか、即座にその足でアシェルを踏み潰そうとする。アシェルは身をひねって回避する。


 多少広くなっているとはいえ、ここは狭い路地。そして、近くにはエレーヌたちもいる。巨大な怪物の攻撃を避ける充分な余地はない。

 それでも、アシェルは全てをかわしてみせる。ときに見事な足捌きで身を滑らせ、ときに巨体の死角に隠れ、最小限の動きで回避する。


 全ての攻撃を躱しながら怪物の周りを回る。

 二度目に怪物の背後に回り込んだ瞬間、跳躍。拳を繰り出し怪物の首の付け根をえぐり取る。


 怪物の動きが止まる。


 静寂。

 静寂だけが場を支配する。

 ぴしり、と乾いた音が静寂を破る。

 怪物の全身に亀裂が入る。ゆっくりと端から崩れ、土埃つちぼこりと化した。




 アシェルはエレーヌとシャルルの手を引き、舞い上がる土埃を避ける。

 アンリとハンスが倒れている場所に移動し、二人の様子を確かめる。打ち身がある程度で、骨折や深刻な怪我はなさそうだ。

 そう告げられ、エレーヌがほっとした時シャルルが叫ぶ。


「何なんだよ。さっきの怪物といい、お前といい一体何なんだ」


 アシェルが困ったような表情を浮かべ、シャルルを見る。シャルルは目が合った途端、身を震わせ一歩下がる。アシェルはその様子を見、諦めたような寂しげな表情にかわる。


 口を開きかけた時、すっとシャルルに近づいたエレーヌがシャルルの頬を打つ。


「アシェルさんは私たちを助けてくれたんじゃない。なんでそんな言い方するのよ」


 尚もシャルルをとうとするエレーヌの手を、アシェルがそっと受け止める。


「いいんですよ、エレーヌさん」


 エレーヌは驚き、目を見開く。


「いいわけないじゃない」

「いえ、いいんです。理解できないものを見た時、人は恐怖する。シャルルさんの反応は当然のことです」


 シャルルに向かって深々と頭を下げる。


「もっと早く駆けつけるべきでした。申し訳ありません」


 少し不貞腐れたようにシャルルが答える。


「いや、いい。俺も悪かった。助けて貰ったのに責めるような言い方をして悪かった」


 気を取り直すように、一度息を吐き改めて尋ねる。


「で、あの怪物は何なんだ。あんたが最後に何かして崩れていったよな。何か知っているんだろ」

「…………。あれはゴーレム。粘土で作った筐体に人の心臓を埋め込み、心霊術で魂を定着させた動く泥人形です」


「ゴーレム」

「心霊術」


「はい。作製者の命令を実行するため、忌まわしい方法で作られた道具です。崩れたのは表面に刻まれた“אמת”という文字を削り取ったため、定着させた魂が解放され、身体を維持できなくなったからです」


 シャルルが眉をしかめ尋ねる。


「あんた、なんでそんなこと知ってるんだ」


 アシェルはしばし考え、言葉を選ぶ。


「僕はゴーレムの作製者に妻を殺され、息子を攫われました。ゴーレムが関わっている可能性のある事件を耳にし、攫った男と息子を求めパリにやって来たんです」

「そう、なの、か」


 シャルルもアシェルの告白に痛ましそうな表情になる。

 しばらくしんみりした時間が過ぎた後、シャルルが質問を続けた。


「ゴーレムが関わっている事件って、一体なんだ。こんな風に壁が派手に壊されているってことか」

「いえ、そうではなく……。ゴーレムはその性能を維持するため、月に一度筐体内の血液を新しいものに交換する必要があります。

 家畜の血液でも利用可能ですが、人の心臓を埋め込んだゴーレムに最も馴染み、その性能を維持するのに有用なのは人間の血液なのです。そのためゴーレムが存在する場所では、往々にして体液を全て抜かれた異常な死体が見つかるのです」


 この言葉に二人の顔が蒼白になる。


「じゃ、じゃあエレーヌが襲われたのも」

「いえ、おそらくエレーヌさんが狙われたのは、新たなゴーレムの素材にするためでしょう。血液が目的なら量さえ確保できれば誰のものでもいい筈なんです。

 他の人に目もくれずエレーヌさんだけを狙ったのなら、新しく作るゴーレムの素材として、求める条件にエレーヌさんが適合していたのだと思います」


 エレーヌが青い顔で尋ねる。


「じょ、条件って何」

「そこまでは分かりません」



 ただ、と続けようとした時、巨大な手が高速で飛んできた。アシェルはエレーヌとシャルルを突き飛ばす。アシェルは避けようとするが間に合わず、壁に貼りつけられる。締めつけられ声一つ上げられない。


 壁の大穴から先程のゴーレムとそっくりな、だが色は真っ黒な新たなゴーレムが現れた。左腕は手首から先がない。


「まさか、私のゴーレムを倒せる人間が居るとは思いませんでした」


 黒いゴーレムの後ろから痩せ細った貴族が現れ、アシェルを見ながら感心したようにつぶやく。しばらく感慨深げにアシェルを眺めた後、ギョロリとエレーヌにその熱っぽい目を向ける。


「ほう、確かに良さそうな素材ですね。さあ、採取しなさい」


 男の言葉に反応し、黒いゴーレムがエレーヌに迫る。シャルルが立ち塞がろうとするが、為す術もなく弾き飛ばされる。ちょうどアシェルの足下まで飛ばされ、壁に頭を強く打ち付け気を失う。

 黒いゴーレムは難なくエレーヌを抱え込む。逃れられないエレーヌを男の下へ運ぶ。

 男は食材を吟味するようにエレーヌをじっくりと眺める。不意に顔を近づけ、エレーヌの頬に舌を這わせる。


「ひっ」

「これは実によいですね。まさに理想の素材です。とても創作意欲が刺激されます」


 気味の悪い笑い声を残し、男はゴーレムと共にエレーヌを連れ去った。

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