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04. Avant la tempête(嵐の前)



 ◇ 5 ◇


「はいよ、タルト・フランベ(アルザス風ピザ)一丁上がり」


 アシェルが食堂でお世話になりはじめて十日後の昼。食堂は今日も混み合っている。


 四人掛けの卓が七つだけのさして広くない店内。それでもパリの食糧事情が悪化していることもあり、店は盛況で途切れることなく注文が入る。

 お客が必ず注文するのは、あの日アシェルも食べた|シュークルットアルザシオン《腸詰め肉と発酵キャベツの煮込み》。この店の看板料理だ。他にはタルト・フランベや|ジャガ芋のパレット《ニンニクと玉葱を入れたコロッケに似た平たい揚げ物》、|ベッコフ《アルザス風肉野菜煮込み》もよく出て行く。

 どれも、アルザス産のビエール(ビール)ヴァン・ブラン(白ワイン)と合わせると堪らない。


 そんなお昼の混雑も一段落し、やって来たハンス爺さんと一緒に皆で卓を囲みのんびり話す。国がどれだけ騒がしくなっても、この店では昔から変わらぬ風景が続いている。


あんちゃんもだいぶ馴染んだみたいだのう。よう働いとる」


 どこからか見ていたのか、ハンス爺さんが孫を見るような目でアシェルを褒める。


「本当ね。この分だと兄貴がいなくても大丈夫よね」

「馬鹿野郎。俺がいなきゃ誰が料理を作るんだっての。むしろいなくていいのはお前だよ。アシェルさんがいてくれりゃ心配ないから、さっさと貰い手を探して来い」


 エレーヌが言い返そうとしたところで、ハンス爺さんの笑い声が邪魔をする。


「ほっほっほ。それより兄ちゃんに貰ってもらったほうがよいだろうのう」

「おお、確かにな。じゃじゃ馬だが器量は十人並みだろ。あんたの裸もばっちり見てるし、どうだ。熨斗を付けるから貰ってやってくれないか」


 アシェルはどこか寂しげに笑みを浮かべた。


「僕は既婚者ですので」

「ありゃ、あんた結婚してたのか。待てよ。て、ことは故郷くにに嫁さん残して一人パリに来たのかい」

「いえ、妻は既に亡くなっていますので」


 この返答に一同気まずい雰囲気になる。エレーヌはアンリを視線だけで責める。


「済まない。悪い事聞いちまったな」

「まったくよ、馬鹿兄貴。あと、私にも謝りなさい」


「済まんかったのう」

「いや、ハンス爺ちゃんは悪くないの。悪いのはこの馬鹿兄貴だから」


 今回はさすがにアンリも言い返さなかった。

 気まずい雰囲気を変えるようにアシェルが発言する。


「そう言えば、だいぶヴァン(ワイン)の在庫が少なくなっていますがどうしますか」


 アンリはこれ幸いと、無駄に大きな声を張り上げる。


「ああ、予定通りなら今日か明日辺り新しい分が届く筈だ」

「ご注文されていたのですね」


「注文ってか、一月ごとに月半ばに地元から酒や腸詰め肉を届けてもらえるようにしてるんだわ。店を始めた大叔父の頃からのやり方だな」

「そうそう。それ以外の野菜や肉なんかはこっちで仕入れてるし、急に足りなくなったら買い出しに行くけどね」

「そうだったんですか」


「んじゃまあ、一休みしたら夜の仕込みを始めるか。アシェルさんは今夜からは西の方に探しに行くんだっけか。仕込みの途中まで手伝ってくれたら、出掛けてもらっていいからな」

「はい、ありがとうございます」




 ◇ 6 ◇


 昼下がり。店の裏でエレーヌとアシェルはおしゃべりしながらじゃが芋の皮むきをしている。

 店の裏手は川に面しており、涼しい風が吹いている。川の水はあまり綺麗ではなく、夏場の今は少し臭う。それでも汗ばむ季節、晴天の日に川から吹く風は心地よい。エレーヌからは時々鼻歌もこぼれる。


「あ、噂をすれば」


 何気なく上流に目をやったエレーヌは、見知った船に気がついた。前後にそれぞれ男性が立ち、そんなに載せて大丈夫かと思うほどの荷物を満載している。

 大声で呼びかけようと立ち上がったエレーヌは、何かに気付き顔を引きらせる。


「げ、後ろに乗ってるのシャルルじゃない。ちょっと、私はいないって言っといて」


 口早に言い残し、さっと店内に隠れた。

 船が接岸し、後ろに立っていた若い男が艫綱を持って飛び降りる。手早く船止めに綱を括りつけ、ぎろりとアシェルに目を向ける。


「おい、お前誰だ」


 敵意をむき出しにした荒々しい口調と目つきだ。何故そんな敵意を向けられるのか、アシェルにはまるで分からない。が、律儀に答える。


「僕は最近こちらのお店でお世話になっている者で、アシェルと言います」

「名前なんてどうでもいい。それよりエレーヌはどこだ」


 聞かれたことに答えた筈だが、と思いながらも、さっき言われたことを思い出す。


「エレーヌさんは今買い出しに出ておられ」

「嘘つくな。さっき姿が見えたぞ。お前エレーヌを隠してどうするつもりだ」

「…………」


 アシェルが続ける言葉に迷うなか、舳先に乗っていた厳つい顔をした年嵩の男性が降りて来て、取りなすように口を挟む。


「おいおい、シャルル。その人が困ってるだろう。お前は何をしに来たんだ。まずは積荷を降ろせ。アシェルさんだったか。悪いがアンリを呼んできてもらえるかい」

「ジャンさん、俺は」

「いいから、手を動かせ」


 アシェルに呼ばれ、仕込みの途中だったアンリが姿を見せる。


「やあ、ジャンさんお久しぶり。酒がだいぶ少なくなってたんで、助かったよ」

「あいかわらず商売繁盛みたいだな。今回はビエールを多め」

「お義兄さん」


 シャルルが二人の会話に割って入る。


「お義兄さん言うな。ちょっとジャンさん、なんでシャルルがいるんですか」


 アンリに聞かれたジャンは、目を逸らし頭を掻く。


「いやー、ロベールの奴ももう年だろう。腰を痛めてな。で、シャルルがどうしてもって言うから、つい、な」

「つい、じゃないですよ。あー、シャルルよ。応援してやりたい気持ちはあるんだが、エレーヌの奴がなあ。俺も無理強いする気はないからな」


「大丈夫です、お義兄さん。会って話せば分かってもらえますから」

「いや、そうは言っ」


「お義兄さん、エレーヌはどこですか。そうだ、こいつ何なんですか。エレーヌの傍にこんな胡散臭い奴を居させるなんて危険です」

「いや、別に胡散臭」

「おい、お前。エレーヌには俺という婚約者がいるんだからな。手を出したら只じゃ置かないぞ」


 シャルルはびしっ、とアシェルを指差し宣言する。

 宣言されたアシェルはぽかんとする。黙っていると誤解されると慌てて否定する。が、やはり最後まで言わせてくれない。


「え、いや、そんな気は全」

「うまくお義兄さんに取り入ったつもりだろうが、俺が来たからには好き勝手はさせないからな。覚悟しろ」


 アンリとジャンは顔を見合わせ、肩を落としため息をつく。同時に気を取り直し、揃ってシャルルに拳骨を落とす。ジャンは厳つい顔を凶悪に歪ませ、怒鳴りつける。


「いいから、口を閉じて積荷を下ろせ。嫌のいの字でも言えば、簀巻きにして川にたたっ込むぞ」


 シャルルは涙目になりながら渋々従う。

 そんなシャルルにアンリが呆れた目を向け、アシェルに説明をする。


「悪い奴ではないんだが、どうにも思い込みが激しくてな。人の話を聞かない癖があるんだよな」


 首を振り、説明を続ける。


「年上の人がジャンさん。地元で雑貨屋を開いている。自分の店の仕入れのついでに、うちの食材を運んできてくれるんだ。ジャンさんがいなかったら仕入れが大変なことになる。ジャン様々だな。顔は怖いが気のいい人だぞ」

「顔が怖いは余計だ」


 アンリは首を竦める。シャルルに目をやり、一度ため息をついて説明を続ける。


「で、あいつがシャルル。今回はジャンさんの手伝いでついてきたみたいだな。実家の近所の葡萄農家の次男坊。エレーヌとは幼なじみで餓鬼の頃からエレーヌ一筋なんだが、どうも妹は苦手にしているようでな。何度か求婚されたらしいが、全て断ったみたいなんだ」


 この説明にシャルルは、俺は、と口を開きかけて、即座にジャンから再度の拳骨を喰らっている。

 そんな様子を見て、アシェルも苦笑する。


「悪い人でないならいいんじゃないですか。結婚は慣れだと言いますから。一緒になってから仲睦まじくなる場合もありますよ」

「お前いい奴だな」


 殴られて涙目で頭を押さえていた筈のシャルルが、止める間もなく機敏な動きでアシェルの手を取り握り締める。アンリとジャンは呆れかえり、アシェルは顔を引き攣らせる。が、最高にご機嫌なシャルルは周囲の困惑に気付くことはない。

 これは何を言っても無駄だと悟ったアシェルは、積荷を降ろすのを手伝いますね、と言って、さり気なくシャルルから逃げ出した。




 ◆ 7 ◆


 何処とは知れぬ地下室。せ返るような血の臭いが立ちこめる室内には、奇怪な器具や何かの肉片が散乱している。


 常人ではとても正気を保てないこの場所で、痩せ細った男は作業台に向かい淡々と手を動かしていた。


「さて、これで完成ですね」


 作業台の上には巨大な人形ひとがたが横たわっている。男の表情はそのつぶやきに反し、何かの完成を祝うものではなかった。


「やはり粗雑な魂ではこれが限界ですか」


 しばらく考え、気を取り直したように表情を改める。


「まあ、素材収集には充分ですね。取り逃がしたという理想の素材を手に入れてきていただきましょうか」


 男の言葉に反応し、人形はゆっくりと起き上がった。

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