シオンの花
線香の香りが鼻を撫でた。お寺の住職さんが読み上げるお経の音を耳にしつつ、Aは畳の網目を眺めていた。四方からは鼻をすする音がし、心なしか、皺の滲んだ老いた住職の目にも潤いを見た。
ふと目を縁側にやると、庭に立つ痩せた木々が寒い風に揺らされている。Aは頬に多少の冷たさを感じつつ、ぬるい侘しさを一層感じた。棺桶の中を思うと、とうとうその侘しさはやむことを知らなかった。
お経は終わり、住職は少しばかり俯いてから
「・・・最後のお別れです」と一言口を開いた。
周囲の人達は各々花を棺桶に添えた。ある者は淡々と、またある者は懇々と花を添えた。そこには、色とりどりの花が添えられた。
Aはシオンの花をキッとにぎり、前に進んで行った。視界は涙でぼやけていたが、それももう無くなった。
棺桶を覗き込むと、そこには見慣れた顔があった。いつも一緒にいた馴染みの顔。笑いあった時、喜びあった時、泣きあった時、いがみあった時。そういう時には必ず傍にいてくれた。しかし、いつものように笑うことなく、動くことすらない。
Aは思った。どうして最期に会うことができなかったのかと。もしも最期に会うことができていれば、多少悲しみは薄れたものかと。
その瞬間、堪えていたものが溢れだした。抑えることなどできなかった。只々涙が止まらない。しかし、不思議と吃逆は無く、むしろ口を開くことすらしなかった。
亡き級友の顔を見つめ、大粒の涙をこぼしていた。
線香の香りが鼻を撫でた。Aはマッチに吐息を吹きかけて火を消し、墓石に水をかけた。頭から地面までゆっくりと流れてゆく、地面に届いた水は土にしみこまれてゆく。
よく見るとそこかしこに案外草が生えていた。あまり気持ちの良いものではないので、Aは草むしりを始めた。いそいそと手を動かしていると、ふと、紫色の花が目に止まった。
それはシオンの花であった。可愛らしく、健気に見えた。また、何だか可哀想にも思えてきた。
Aはその小さな花を、大きな手で撫でてやった。