5.特殊能力対策課
その護衛依頼は、政府機関である特殊能力対策課からまわされてきたものであった。
「社長の護衛?」
「そうよ。高坂君からお願いされちゃったのよ」
にっこりと笑って吉野にそう言われ、慧は「はあ」と首をかしげる。
「それで、基本裏方の俺がどうして」
そう。今回慧は、関と一緒に表立ってその社長を護衛するようにと言われたのだ。依頼に来ている高坂が眼鏡を直しつつ言った。
「実は、あの会社に人食い鬼……つまりヴァルプルギスがいる可能性があるんです」
「……ヴァルプルギス」
慧は高坂の言葉を繰り返した。慧も過去に、ヴァルプルギスに遭遇したことはあった。
ヴァルプルギス。日本では人食い鬼と言われることもある。人をくらい化け物で、普段は人間に擬態しているために見分けることは難しい。だが、能力を持つ人間を好んで食らう傾向があり、慧などのような能力者が出張ってくると、比較的見つけやすかったりもする。
ヴァルプルギスを倒す力を持つ者は、討伐師と呼ばれる。まあ、魔法剣士のようなものだ。日本ではそのまま討伐師で通っているが、ちょっと国外に出ると、『エクエス』や『パラディン』、『シュヴァリエ』などと呼ばれることもある。
このヴァルプルギスと言う人食い鬼、ただ人では太刀打ちできない。よほど剛毅な人であれば、互角に戦うくらいはできるとのことであるが、危険であるのに違いはない。ヴァルプルギスは人間に似ているが、変化し、人を襲うのだ。思考能力があり、体も頑丈なヴァルプルギスは、能力を持っていても倒すのが困難なのである。
もともと、高坂が所属する特殊能力対策課はヴァルプルギスとの戦闘を想定した対策課である。そのため、討伐師も多数所属しているが、全国に散らばっているためにいつでも戦力不足なのである。
能力者であるからと言って必ずヴァルプルギスを倒せる技量があるわけではない。日本国民約一億二千万人のうち、約五千名が能力を持っている。だが、討伐師として登録されているのはその約半数。そのうち、さらにヴァルプルギスを必ず倒せる技量を持っていると言えるのはさらに半数となるだろう。
慧も、もちろん由梨江も討伐師として登録されている。二人とも、過去にヴァルプルギスに遭遇して戦った経験がある。
「一度捜査したいところなのですが、拒否され続けてすでに半年。吉野社長から護衛依頼の話を聞きまして、お願いさせていただきました」
「ヴァルプルギスがいる可能性があるのなら、慧たちのような討伐師に任せてしまった方が安全だと思ったの。頼めるかしら」
吉野がにっこり笑う。相変わらず、笑っているのに有無を言わさぬ口調だ。慧は「大丈夫です」と応える。というか、そう答えるしかない。
「それじゃあ、俺と関さんだけですか、行くのは」
本当にヴァルプルギスがいるのなら、慧だけでは不安である。せめて由梨江をつけてほしいところだ。彼女がいると全体的に戦力過剰となるのだが、安心感はある。
「ゆりちゃんはつけられないけど、対策課から討伐師を一人出してくれるそうよ」
ね、と吉野が高坂を見る。高坂はうなずいた。
「ええ。新人の宮森を出します。よろしくご指導ください」
「……わかりました」
足手まといの雰囲気しかない。本気で由梨江が欲しい。まあ、相変わらず一緒に暮らしているので、いざとなれば引っ張り出せる。
とにかく新しい仕事をもらい、社長室を出るとそこで昌人とZSC開発担当者である神宮梢に遭遇した。由梨江の言うところの、昌人のハッキングをはねかえした『梢ちゃん』である。
「やあ慧君! 久しぶり!?」
「こんにちは、梢さん。今日もテンション高いな……」
「いや、今ちょっと眠たくて」
急にテンションが落ちた。梢は波打つ黒髪にアーモンド形の目をした整った顔立ちの女性であるが、言動が何かとエキセントリックなのである。感情の浮き沈みも激しく、テンション高いな、と思った次の瞬間にはテンションが落ちていることもある。
「まあ、そんな慧君にお知らせがあります」
ちょっと意味が分からないが、何か伝えたいことがあるのだと言うことはわかった。
「とりあえずほい、これ」
「……いつも思うんだが、梢さん、開発担当だよな?」
「まあ、私はいろいろ手ぇ出してるからね」
へにょっとした笑みを浮かべる梢である。慧は昌人を顔を見合わせて苦笑し、それから手渡された情報端末を見た。
「慧君の護衛対象の情報だよ。今回は特殊能力対策課からも情報提供があったから、調べるのが簡単だったよ」
開発担当である梢だが、彼女は情報も担当している。何度も言うが、昌人のハッキングをカウンターではねかえした技術の持ち主なのだ。今は、昌人に何かと仕事を教えているらしい。しょっぱなから戦闘に連れて行かれた彼であるが、本来は梢のようなバックアップ任務が向いているのだ。
護衛対象者はシステム会社の社長、藤野敏則氏。五十三歳。三十七歳の時の現在の会社、オール・システムズを創立。パソコンソフトやサーバ構築、ネットウイルスチェックソフトなどを開発している。
家族は四人家族。自分、妻、娘が二人。性格はやや短気であるが、カリスマ性があり人望がある。などなど……。
とのことだ。よくここまで調べたものだと思う。
「昌人がいたからだいぶ楽だったよ。さすがはうちのスパコンにハッキングしようと思うだけあるわ」
「ありがとうございます。でも、梢さんには及ばないですね……」
昌人はそう言って苦笑を浮かべた。しかし、梢レベルの情報官が二人になったと言うことか。ちょっと恐ろしい。
「慧君。今回はわかってるね? 危険だよ。君は過去にもヴァルプルギスと戦ったことがあるし、それを倒してもいるのはわかってるけど」
「心得ている。まず、事実を確認してから討伐する必要があるからな……」
慧にとって、人を食らい、人より強靭な肉体を持つヴァルプルギスと戦うのは大した問題ではない。むしろ、その前の調査が問題だった。しかも、今回は特殊能力対策課の新人を連れて行かなければならないのだ。今から気が重い。
ヴァルプルギスは見つけづらい。かつて、魔法がまだあったころは、魔法による探査能力でヴァルプルギスがいそうな場所を見つけたりしていたようだが、そもそも、魔法とヴァルプルギスを倒す浄化能力は別物だ。そのため、科学が発展し過ぎて姿を消した魔法に対し、まだ需要のある浄化能力……エクエスの力とも呼ばれるが、これは残ったままだ。
魔法による探査でも、必ず見つけられたわけではないらしい。ここにいる、と思って調べてみたらいなかったり、突然現れたりなどもしたらしい。なので、最終的にヴァルプルギスの有無を確認するのは、いつだって討伐師だった。
面倒な仕事をもらってしまったものだ、と思いながら、慧はアパートに戻った。いまだに同棲状態の由梨江の「おかえり~」という声が聞こえた。夕食を作っているらしく、いい匂いがする。
「ただいま。今日の夕食は?」
「オムライスとオニオンスープ」
「お、いいな」
なんだかんだで同棲生活がうまく言っている二人である。押しかけられた側である慧だが、もうこのまま一緒にいてもいいかななんて思ってしまう。それくらい、由梨江の作る料理はおいしい。がっつり胃袋をつかまれた自覚はある。
「社長、なんて?」
「システム会社の社長の護衛をして来いと言われた。その会社にヴァルプルギスがいる可能性があって、調査してこいだと。あと、対策課の新人が一緒に行く」
「うわ。それ面倒なやつ」
由梨江が率直に言ってのけた。彼女は卵に生クリームとバターを入れてかき混ぜていた。
「私も大学内を注意してみろって言われたんだよね。ヴァルプルギスがいる可能性があるんだって」
「……それ、俺には言わなくてよかったのか?」
「私がいるキャンパスにいる可能性が高いんだってさ」
由梨江がそう言って見事なふんわりオムレツを作り、それをライスに乗せた。こういう技術が無駄に高いのである。
「そう言うデータって誰が取ってるんだろうな」
「梢ちゃんじゃないの? 慧、スープよそってよ」
「了解」
由梨江に頼まれ、慧は食器棚からスープ用の皿をふたつ取り出す。当初は一つしかなかったのに、今ではかなり由梨江に侵略されている。
慧はオニオンスープをよそい、食卓に並べた。ちなみに、食事用のテーブルは椅子が一つしかなかったので、追加で椅子を買ってきた。
「ほい。オムライス。自分で開けてね」
「わかった」
由梨江がオムライスの皿を食卓に並べた。さらにサラダと冷えたお茶を出す。
「いただきます」
二人で同時にそう言って食べ始める。当たり前だが、オニオンスープもオムライスもおいしかった。
「っていうか、慧とその新人さんと二人で大丈夫なのか?」
「ダメだったらお前を呼ぶ」
「あはは。りょーかい」
由梨江は笑って了承した。ヴァルプルギスとの戦歴は、由梨江の方が長かった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
日本には1000人以上の討伐師がいます。スティナちゃんのいるスカンジナビアは200人切ってますが、単純に人口の差です。まあ、それにしても少ないですけど。