27.その父
由梨江が夏生と女を引っ張って壁の側に移動させる。慧は目を細めた。
「……今度はヴァルプルギスか」
「間違いないね」
慧と由梨江の意見が一致した。まあ、この二人でなくとも同じ結論に至ったに違いない。魚のうろこのような肌に黒目と白目が逆の目。この外見でヴァルプルギスじゃない方がびっくりするわ。
「ゆり、ヴァルプルギス戦の用意は?」
ビーム・ブレードがヴァルプルギスに対して大した威力がないことはすでにわかっている。いくらか改良はされているが、まだ由梨江がテスト中である。
「一応してあるけど、剣は持ってないんだよねぇ」
と言いながらビーム・ブレードをしまって拳銃を取り出す。思わず舌打ちが漏れた。
「拳銃か」
「さすがに対物狙撃銃は持ち歩けないでしょ。不審者で職質かけられちゃう」
確かに。でも、ギターケースなどに入れて持ち運ぶのもありなのでは、と思ったが、やっぱり目立つか。由梨江が動員されている時点でもう目立っているとは思うのだが。
「つーわけで、援護するから頑張って」
いい笑顔でそう言われて、思わずため息をついた。だが、ヴァルプルギスが動いたのに気付き、慧も剣を振り上げる。由梨江も拳銃を構えた。
「硬いな」
たいていのヴァルプルギスがそうなのだが、こいつも硬い。横になぐと腕のうろこが一枚外れた。夏生から「魚おろしてんじゃねーんだぞ」とヤジが飛ぶ。
「あれだよ、隙間つきなよ」
「そう言うならお前がやれよ!」
由梨江の指摘に慧は剣を振るいながら叫んだ。と言っても、彼女が的確な援護射撃をしてくれるので戦いやすいのは確かだ。
「ゆり!」
夏生の声が聞こえ、つられて慧も振り返った。だが、すぐにヴァルプルギスが鋭い爪を振り下ろしてきたので、それを避けて横ざまに剣を振るう。背後で射撃音が聞こえた。
「痛っ」
由梨江の悲鳴が聞こえた。今回、彼女は接近戦の用意をしていなかったので、対応が遅れたのだろうか。しかし、彼女は初期試作段階のビーム・ブレードでヴァルプルギスを倒した実績がある。
「何これ」
「硫酸だ! 気をつけろ!」
夏生の声が飛ぶ。何それめちゃくちゃ危険じゃないか。
「じゃあどうやって倒せってのさ!」
と言いながらしっかり反撃している様子。一瞬燃やせば、とか思ったのが、ここホテルの中だった。だが、由梨江も同じことを思ったらしい。
「先生、ここから一番近い非常口ってどこだろ」
「ここをまっすぐ行ったところだが、って、お前!」
「ここまで来たら、やるっきゃないっしょ!」
いつもちょっとおかしいが、今、かなりテンションがおかしい由梨江である。慧も由梨江に気をとられている場合ではない。慧は力が拮抗状態のヴァルプルギスの膝関節にあたるあたりを蹴った。そのまま自分の身を沈める。由梨江は隙間をつけと言っていたか。
慧は剣を逆手に持ち直すと、両手で柄を持ち、下から上に、首を動かすためにうろこがない部分に切っ先を押し込んだ。ヴァルプルギスが鋭い爪を慧に向けたために少し怪我をしたが、先にヴァルプルギスが動きを止めたため、慧は体勢を入れ替えて上から剣先を落とす。
そうして留めを完全にさしてから、あたりを見渡す。由梨江も夏生もその場にいなかった。まあ、由梨江がやられるとは思えないが、夏生をかばっていたらちょっとわからない。
先ほど拘束した女が気にならないわけではないが、夏生が先ほど特殊能力対策課に連絡を入れていたので、おそらく、高坂辺りが回収に来てくれるだろう。
というわけで、慧は由梨江たちを追った。非常口がどうの、と言っていたから、そちらに向かったのだろうと想定して廊下を走る。すぐに夏生と遭遇した。非常階段に続く扉が開けられていた。
「夏生先生!」
「おう、慧か! ヴァルプルギスは?」
「倒しましたよ。そっちも、ゆりは?」
「いや、ゆりのやつ、ヴァルプルギスをブッ飛ばして自分も一緒に落ちていったんだが……」
「はっ!?」
ヴァルプルギスをブッ飛ばすところまでは、何となくわかる。しかし、何故自分まで落ちるのか。ここ、地上何メートルだと思っているのだ。
「……とりあえず、俺たちも追いましょう」
「だな……」
というわけで、慧と夏生も非常階段を駆け下りる。最上階に近いところにいたのでかなり大変だった。半分くらい降りた時、慧も地面まで飛び降りようか迷ったのは内緒だ。
「ゆり!」
彼女は、ちょうど非常階段を降りたすぐのところにいた。本当に飛び降りたのだろう。側にヴァルプルギスが倒れている。そのヴァルプルギスには短剣が刺さっていて、どうやら彼女は短剣でヴァルプルギスを倒すという快挙を成し遂げたらしい。快挙と言うか、単純に怖い。
「ゆり、大丈夫か」
「あ~、夏生先生」
座り込んでいるがどうやら大丈夫そうだ。意識もはっきりしているし。ところどころやけどの痕のようなものがあるのが気にならないではないが。
「いやぁ。ちょっとしくじったなぁ」
「ってお前、腕折れてるじゃん……」
医師の夏生が応急処置を始める。さすがの由梨江も、短剣でヴァルプルギスを倒すのは難しかったのか。
「相変わらず無茶をしているのか、由梨江」
唐突に近くから声が聞こえ、慧は身構えた。すぐそばに男性が立っていた。見たところ三十代半ばほどに見えるが、どうだろう。
すらりとした男だった。黒髪にとび色の瞳をしていて、色彩的には日本人に近いが、肌の色が白いし、顔立ちもくっきりしている。慧が言うのも変だが、端正な顔立ちをした男性だ。
「あー、父さんじゃん」
「は?」
さらっと爆弾発言をしてくれた由梨江に、慧と夏生から同じ反応が漏れた。
「てっきりブルターニュに戻ったものと思っていたが」
「またまたぁ。そんなこと思ってなかったくせに」
ケラケラと笑う由梨江であるがさすがに痛みに顔をしかめた。由梨江の父、らしい人が、彼女の折れた腕に触れる。
「ちょっ、そっち、折れてるんですけど」
夏生が待ったをかけるが、由梨江父は聞かずに娘の腕をつかんだ。その娘は「いったーいっ」と叫んでいるが。
一瞬、力が迸ったように見えた。慧は目を細めてそれを見ようとするが、一瞬で消えてしまったので確認できなかった。
「どうだ?」
「……大丈夫。まったく、あいっかわらずふざけた力しているよね~」
引っ張られて立ち上がりながら由梨江が言った。夏生が「は!?」と驚きの声を上げながら折れていた方の腕を確認している。由梨江はされるがままだ。
「どうなってんだ? 折れてたよな!?」
「折れてたねぇ。これ、くっつけるのも痛いんだよ」
と、暢気な由梨江。夏生は「そうじゃない!」と叫んでいる。基本的に冷静な夏生にしては珍しい反応である。
「父さんは世にも珍しい強力な治癒能力を持ってるんだよ。あ、こちら、私の父です」
なんか普通に街を歩いているときに遭遇したので紹介しました、みたいなノリで紹介された。つられて慧と夏生もどうも、と頭を下げる。
「香林慧です」
「小柳夏生と言います」
「羽崎ランドール克弥だ。娘が世話になっている」
すごくハーフっぽい名前。いや、ハーフだから当然だけど。
「よく五年も姿くらましてたよね。あ、でも、半年前に離婚届出したんだっけ」
「イザベラにははじめから私の名前を書いた離婚届を渡していた」
「……あ、そう」
由梨江の母は待ちくたびれてブルターニュに帰ってしまったのだろう。おそらく。
「紗帆は元気か?」
「紗帆? ああ、吉野さん? 元気元気」
なんだか雑談になってきている。家族のノリの会話に慧と夏生はついて行けず、互いに顔を見合わせた。
「っていうか、父さんは何で今更出てきたの」
もっともな由梨江の問いかけに、ランドールはふむ、と一つうなずいた。
「お前、Wワクチンを見たか?」
それに対しての反応は、由梨江も含めて全員同じだった。
「何それ」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ゆりちゃんは戦闘狂。武器持たせたらダメなやつです。




