25.再会と遭遇
その日、由梨江が帰ってきたのは慧よりも遅かった。ただいまぁ、と間延びした声が聞こえて玄関に迎えに出る。眼があった瞬間手刀をそのたまに落とした。
「いったぁ! 何すんの!」
「お前、夜でもテンション高いな……」
靴をそろえて由梨江が部屋にあがる。恰好は空港で見た時のままだ。
「やっぱりお前だったか。つーかその服、俺のだよな?」
「勝手に拝借した。ごめんねー。でも、着てないでしょ」
「……まあそうだが」
確かに改めて見てみれば、慧がまだ二十歳ぐらいだったころに着ていたものだ。
「似合ってるだろー」
「……」
殴られたと言うのに、へらりと笑う由梨江の神経は図太い。
「……もういいが、せめて一言断りを入れてから使え」
「はーい」
軽い調子で由梨江が手をあげた。
「袖つめたのか?」
「少しねー。やっぱり体格は違うしねぇ。あ、いわゆる彼シャツというものが見たかった?」
「いい加減にしろ」
「あたっ」
もう一発手刀を食らっても、由梨江はへらへらと笑っていた。このメンタルの強さは一体どこから来るのだろう。
「そう言えば、お前の兄と一緒に仕事をすることになった」
「うん。見てた」
あっさり答える由梨江に、慧は「夕食は」と尋ねた。彼女は「食べてきた」と返す。
「もしかして作った?」
「いや。俺も適当に済ませたから食べると言われたらどうしようかと思った」
正しく白ごはんくらいしかないので、チャーハンとかになるだろう。
「夏生先生にステーキおごってもらった~」
「……あんまり迷惑をかけるなよ」
何となく、由梨江の保護者の気分である。
「で、話を戻すが、お前、兄へのメールに俺のこと、書いた? なんか探られてる感じだったんだが」
いくら慧が鈍い方だと言っても、あれは気づく。空港を出てからもいろいろ聞かれたし、探られている感じがした。
「まあ、お世話になってる人ってことで。一緒に住んでることはいってないけど」
「当たり前だ馬鹿」
何となく流れで同棲状態であるが、これが由梨江の兄に知られたらと思うと怖い。いや、意外とおおらかに流される可能性もあるが。
「まあ、兄さんなら気づいてるかもしれないけど」
「お前、俺にどんな緊張を強いる気だ」
由梨江の兄なら、アランも洞察力が鋭いだろうと思う。彼女のような演算処理能力は珍しいが、由梨江の処理能力はその優れた洞察力があることによって発揮されるものである。
「慧が知らないふりしてたらツッコんでこないと思うけど。兄さんも、母さんから様子見てきてって言われてるだけだろうし」
冷静な指摘である。やはり、冬の終わりにブルターニュに帰る、帰らないでもめた相手は母親らしい。
「それで、お姫様の護衛はどうなの?」
「聞き分けのいいお姫様だな。古都に行きたいと言っていたが、説得したらあきらめた」
「脅迫したの間違いじゃなくて?」
「殴るぞ」
「もう二回殴ってるだろ」
由梨江のツッコミに、慧は肩をすくめる。そのまま「そっちは?」と尋ねる。
「進展なし。うまく隠れてるよね~」
「……」
時折、由梨江はこういう発言をする。彼女は適当な性格に見えてその実、かなり理性的な合理主義者だ。『うっかり』発言などしないだろう。だから、これは、慧に何かを察してほしくていっているのだと思うが……。
「ねえねえ。今日一緒に寝る?」
やっぱり思い過ごしなのだろうかという気もする。
△
ベアトリス王女の日本滞在は彼女にとって充実したものだったようだ。タワーに上り和菓子を食べ遊園地にも行き、本当に観光だったけど。だが、博物館などにも興味を持っていたようだ。科学博物館に入りたいと言われて面食らった。ブルターニュ側の護衛たちは慣れているようだったが。
その間、由梨江は夏生と何かを探しているようで、たまに見かけたりした。こちらを監視しているような気もする。そして、彼女の兄アランは、彼女が言っていたように由梨江がついて回っていることに気付いているような気もする。
実はその日の朝、慧は由梨江に「飛び出し注意!」などと言われたばかりだ。由梨江のこの予言ともいえる直感は本当にシャレにならない確率で当たる。なので、今日の慧は飛び出し注意なのだ。飛び出すのが自分か、それともほかの人間かすら分からないのだが。
慧たちは毎回、夜、ホテルまでベアトリス王女たちを送っていく。その先はブルターニュから来た護衛たちだけでうまくやっている。その日も、ホテルまでベアトリス王女を送り届けた。
「ん?」
慧は何かを感じ取り、立ち止った。昌人が「どうしたのー」と間延びした口調で尋ねた。こいつ、もうすぐ模試だ、とか言っておきながら、なんだかんだで午後には合流してくる。
「……いや」
歩き出そうとした瞬間、慧の行く手を何かが遮った。その瞬間よぎる、『飛び出し注意』の由梨江の声。自分が飛び出すのではなかったらしい。間一髪、慧は自分を襲いかけた凶刃を握る腕をつかんで止めた。
「慧!」
「大丈夫!」
山瀬が心配して叫ぶが、慧は素っ気なく返す。飛び出してきた人物と目があった。
そいつは、両目から涙を流した。
「たす……けて……っ!」
若い男だった。慧と同じくらいか。絶望をにじませた目で慧を見上げ、小さな声で、しかし、確かにそう言った。慧は目を見開く。とっさに手首を返し、男の腕をひねりあげた。
「だ、駄目だ駄目だ駄目だ……たす、けてぇ」
助けて、と繰り返す声。慧はそこでようやっと気づいた。男の首から爆弾のようなものがさげられていた。
「どうすんのそれ」
一番近くにいた麻友が声をあげた。情報担当、昌人が「か、解除する?」と言ったが、旧式の爆弾はパソコンでは止められない。
「……解体する」
「って、お前がやるのか」
山瀬に男の拘束を代わってもらい、慧は爆弾を揺らさないように解体を試みた。
「そ、そっか。慧って理工学部だっけ」
「専門は量子力学だけどな……」
きってもきれないので、工学の知識がないわけではないが、やや曖昧である。爆弾処理はZSCに入ってから資格を取ったっきりだ。実際にやったことなど一度もない。それは他のメンバーも同じだろう。ZSCの人間が爆弾処理を行う機会などめったにない。たいてい、警察が出てくるものだ。
上の蓋さえ外してしまえば、結構簡単な作りの爆弾だった。ためらわずに慧が線を切る。
「ひぃっ」
麻友が悲鳴をあげた。あまりにもためらわなかったので、爆発するかもしれないと思ったのだろう。慧の事前の言葉も不穏だったし。
「なんかあっけなくない?」
山瀬が押さえる男が気を失ったのを確認しながら、昌人が言った。山瀬が落ち着いて言った。
「こっちが陽動ってことだろ」
その冷静な言葉に、慧たちは山瀬の方を見る。
「……じゃあ本命は?」
四人が目を見合わせる。本命はベアトリス王女しか考えられない。
「やばいんじゃないの!? 急いだ方が……」
「いや、近くにゆりがいるだろ」
由梨江の探し物が何なのかはわからないが、おそらく、今日も近くにいるだろう。となれば、夏生も一緒だろうし、いろんな側面から見てベアトリスは大丈夫だろう。戦力も治癒魔法もある。
だが、見に行かないわけにはいかないだろう。気を失った男は拘束し、昌人も連れてベアトリスが使っているスイートルームに向かう。
「ゆり!」
慧が叫ぶと、由梨江が笑顔で手を上げた。その足元には。
「……何やったんだお前」
倒れた武装した者たちが三人。なんだか既視感のある光景だ。
「今回は私だけじゃないもん」
と由梨江がわざとすねたように言った。確かに、彼女の隣にはアランの姿もある。そして、二人は並ぶと思ったほど似ていなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
というか、ゆりちゃんメンタル強すぎ。




