1.何この状況
新連載です。ヴァルプルギスの宴と同じ世界観ですが、場所は日本です。
緩いですがよろしくお願いします。
今年江州大学大学院へ進学したばかりの青年、香林慧は空港の吹き抜けから階下を見下ろしていた。多くの人がその視線の先に集まっているのが見える。要するに出待ちというやつだ。
「すごい熱狂ぶりだねぇ」
少し驚いたような声音で言うのは、慧の隣にいる少女だ。少女と言っても、すでに十代後半の女性と言ってもいい年齢の少女。手すりに肘をついて慧と同じく階下を見下ろしていた。慧も視線を階下に戻す。
「まあ、国民的アイドルの帰国だからな……」
「そうだねー」
慧もだが、少女もこの人の熱気に辟易しているらしい。そこに明るい声がかかった。
「ゆりちゃん。飲み物買って来たよ」
「おー、ありがとー!」
少女が手をあげて両手に飲み物の紙コップを持った少年に合図を送る。少年はにこにこ笑って左手に持ったコップを渡した。慧は子供二人を引率している気分である。
こうなった理由を説明するには、今から五日ほどさかのぼる必要がある。
△
四月は入学式の季節である。香林慧が通う江州大学とその大学院もそうだった。
とはいえ、大学と大学院の入学式は別にある。正確には、大学の入学式が午前中、午後から大学院の入学式だ。別に分ける必要もなさそうだが、この大学ではそれが伝統なのである。
しかし、大学院に進学するはずの慧は、大学の入学式が行われている午前中、その会場である体育館の出入り口付近にいた。出待ちである。待ち人は目立つので、見過ごすはずはない。
入学式が終わり、初々しい新入生たちが体育館から出てくる。慧はちらちらと視線を感じたが、頑として無視した。そして、目当ての人物を見つけて声をあげた。
「ゆり!」
ゆり、と呼ばれた女性は慧を見つけると笑みを浮かべた。
「慧じゃん。どうしたの? 大学院は午後からでしょ」
「忘れ物だ、この馬鹿」
と、慧はゆり……羽崎由梨江に小さめの手提げかばんを差し出す。由梨江は「あ!」と言って受け取った。
「ありがとう。いやー。電車乗ってから気づいたんだよね」
「馬鹿だなお前は。せっかく作ったのに置いていくなよ」
「慧の分もおいといたんだけど」
「ああ。食った」
「早!」
ポンポンと気安い会話をする二人だ。二人とも見目が整っているので人目を引くこと。
今年大学院に進学した香林慧は、黒髪に切れ長の黒目の青年だ。やや肌が白く、秀麗な面差しをしている。一見日本人であるが、四分の一スカンジナビア王国の血が混じっていた。
一方、今年大学に進学した羽崎由梨江は肩にかかるほどの黒髪にヘイゼルの瞳をしたくっきりした顔立ちの美女だ。日本人には見えない。それもそのはず。彼女は慧とは逆に、四分の一が日本人なのだ。四分の三はブルターニュ人なのだが、彼女は日本人だと言い張っている。ちゃんとブルターニュの名前もあるのだが。
「それと、これも忘れていた」
「ああ、うん。弁当と一緒に玄関に置いてあったよね」
「お前ホントにふざけんな」
慧が差し出したのは通信用携帯端末である。これも忘れていったので、連絡も取れなかったのだ。
何故慧が由梨江の弁当や携帯端末を持っているのか、理由は簡単で、二人は現在、一緒に暮らしているからである。
そもそも、慧は一人暮らしであった。しかし、三月半ばごろに由梨江が転がり込んできたのである。由梨江はそれまで家族と暮らしていたのだが、両親の離婚で、急遽母方の実家があるブルターニュ連合王国に行くことになった。由梨江はこれに反発。自分だけ残る! と言って、慧の部屋に転がり込んできたのである。
由梨江自身は、今からでも引っ越し先を探す、と言っているのだが、今のところ、同じアパートの部屋で暮らしていても不都合を感じない。むしろ、慧としてはやや余裕のある由梨江が家事を行っているので助かっているくらいだ。
だが、付き合っているわけでもないのに、未婚の男女が一緒に暮らしているのはどうなの、という点もある。しかし、本人たちが気にしていないので、それはどうでもよい話なのかもしれない。
由梨江は、大学の入学式がある今日、朝から弁当を作り、朝食も作り、それから出発したようだが、残念ながらせっかく作った弁当を忘れていったのだ。ちなみに、朝食も弁当も慧の分も作ってあった。
由梨江が出て行ったとき、まだ寝ていた慧だが、起きてみると弁当も携帯端末も置きっぱなし。弁当はともかく、端末は届けなければならない、と、彼が出席する大学院の入学式は午後からであるのに、わざわざ午前中の間に大学に出てきたのだ。
「ごめんて。次から気を付ける。――――で、今日の夕食、どうする?」
「俺は実験があるから遅くなる。先食って寝てろ。俺の分はいらん」
「了解。頑張ってね」
由梨江はニコリと笑うと、軽く手を振り待っていた友人の方に走って行った。慧はため息をつきそれを見送る。由梨江は友人たちと楽しげに話をしながら、教養講義棟の方に歩いていった。
「おい」
背後から声をかけられた慧は視線だけそちらに向けた。大学入学から院まで同じ、親友と言うよりもはや腐れ縁である門倉康介がそこにいた。
「お前、なんでここにいるんだ? いや、すまん。何でもうここにいるんだ?」
慧たちが使用する棟は、こことはほぼ反対側になる。この大講堂がある棟では、今日、入学式が行われており、慧と同じく院の入学式に参加する康介がいるのはおかしくはない。おかしくはないが、時間が早い。
「実験の準備をしに来た。そしたら、お前がやってくるし、何だろうと思ってみてみれば……!」
「覗き見か!」
「見えただけだ! 今の美人、彼女か?」
要するに、それが気になったらしい。慧はため息をついて「いや」と言った。
「まあ、バイト先の妹分と言ったところだ」
ただ、同棲しているが。これを言うと面倒なことになる気がしたので、黙っておく。
「へえ~。あんな美人な子と。うらやましいな、こいつめ!」
康介が無駄に小突いてくる。それからやけに真剣な表情になって言った。
「で、あの子、お前の彼女じゃないなら紹介してくれないか?」
そっちが本音か、と思ったが、慧はすぐさま「断る」と返答した。康介が憤慨する。
「なんでだよ! 彼女じゃないんだろ? あ、もしかして狙ってるのか」
「違う。あの女をお前が御しきれるとは思えない」
見た目はハンサム系の美女で落ち着いて見えるが、あの女はとんでもないじゃじゃ馬なのである。それなりに付き合いの長い慧であるが、苦労した経験が多すぎる。何しろ、今ですら家に押しかけられているのだ。最近、一応部屋を探しているようだが、なかなか条件に合うところが見つからないらしい。かといって、学生寮に入るわけにもいかない事情があるので余計に面倒なのだ。
「ちくしょー、何だよ。っていうか、あの子、日本人っぽくなかったけど、外国人?」
「ほぼブルターニュ人の自称日本人だ」
「いや、意味わからん。何? 慧みたいにスカンジナビアの血が混じってます、とかそういうこと?」
康介が戸惑うのも尤もだ。慧の言ったことは意味不明だ。しかし、事実なのである。
「俺は四分の一スカンジナビア人だけど、あいつは四分の一日本人なんだ」
なので、慧はスカンジナビア人のクォーターと言えるが、彼女、由梨江は日本人のクォーターなのだ。どちらかというと。この時代、外国の血が混じっていることは珍しくないが、由梨江のような人間は珍しい。
「ああ~。なるほど。それはほぼブルターニュ人だわ」
康介も納得したらしい。これを説明すると、たいていの人は納得する。
「やっぱり、美形には美形が集まってくるのか?」
「知らねぇよ」
康介の問いかけに、慧は適当に答えた。まだ入学式まで時間があるとはいえ、ぼうっとしていては昼食をとり逃すことになる。まずは式の前に腹ごしらえが先決。
「俺は昼飯に行ってくる」
「え、マジで? 俺も行くよ」
と康介もついてきたが、取り合えず昼食はとれた。それから間もなくして、院の入学式が始まる。眠い式典を何とかやりきり、オリエンテーションを受け、実験に移る。夜通しかかる予定なので、由梨江に夕食はいらない、先に食べて寝ていろ、と言ったのだ。
慧の携帯端末が震えた。取り出して到着したメッセージを確認すると、慧は顔をしかめた。
「明日の午前中か……」
それは呼び出しメールだった。由梨江の元にも届いているだろう。バイト先からだ。少々特殊な『バイト』なので、時間が決まっているわけではない。そのため、こうして時々妙な時間に呼び出しがあったりする。まあ、明日は土曜日なので、由梨江も行くことができるだろう。
「おぅい、慧! そろそろ入学式に行くぞ~」
康介に呼ばれ、慧は「ああ」と返事をする。携帯端末をポケットにしまい、康介のあとに続いた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ちなみに、『ヴァルプルギスの宴』でも『エクエスの軌跡』でも国名が出てこなかったと思いますが、スティナちゃんがいる国はスカンジナビア王国です。