08 不穏な来客
事件のあったその翌日。
小鳥の囀りが耳を打つ中、二人の耳はもうひとつの音をとらえていた。
──ピンポーン!ピンポンピンポンピンポンピーンポーン!
騒音である。
このまま平和にすぎてくれれば良かったのに、という感想はあるが、それも不可能なことだったのだろう。
「誰だ?こんな朝早くから」
席を立って、玄関へと向かおうとする彼女に、俺は冷や汗をかいた。
俺の予想が合っていれば、彼女が今向かうことは不味いことである。
「ナツメ先生待ってください!」
咄嗟に腕をつかんで、俺は彼女をこちらに引き寄せた。
「俺が出ます。たぶん、先生が出ると厄介なことになりそうなんで」
「そうか。わかった」
彼女は怪訝な顔をすると、了承の返事を出した。
昨日のナツメ先生の悲鳴。
男女共用の寮であるとはいえ、流石に夜中にそれを聞けば、誰かが駆けつけてくるに決まっている。
しかし、その時に駆けつけなかったということは、別件である可能性が高い。
そこで思い出してほしいのが、昨日のケイトとのやり取りのあとに俺が思った感想。
そうだ。それらから導き出される結論として、もっとも高いと思われる次の事象は──。
「ウィル!開けろ!」
──ケイト・ハートフィリアの来訪である。
それを瞬時に察して彼女を引き留めたのだが……。たぶん、この様子では誤魔化しきれる気がしない。
「何のようだ?」
扉にチェーンロックをかけて、その隙間から外をうかがうウィリアム。
「何のようだじゃねぇよ。ウィル、昨日お前の部屋にナツメせんせーが入ってったって話を聞いたんだけど、本当か?」
やっぱりこの事か。
てか、そんな情報どこから仕入れてくるんだよ?
仕方ない、ここは白を切って帰ってもらうか。
「何の話かわからないな。用事がそれだけなら閉めるぞ~」
「待てよウィル。そんな白々しい演技が私に通じると思ってんのか?」
そう言って扉を閉めようとする俺であったが、しかし彼女はそれを許すまいと扉にてをかけて引き戻した。
チェーンが音をたてて張る。
「いいから中に入れろ。何もないなら問題ないだろ?それにどうせ課題終わってないだろうし、一緒にやろうって思ったんだけど」
そう言って、目の前に二枚のプリントを突きつけるケイト。
今のところ彼女にはボロが出ていないと信じたいところだが、これ以上の付き合いは危険が及ぶ可能性もある。
だからといって、無下に追い返すのも不自然だし、彼女に悪い。
(ここはひとつ、策を打つか)
俺はそう考えると、こう答えた。
「わかった。部屋片付けてくるから、ちょっとそこで待ってろ」
「片付けるほど家具も荷物もないだろ」
「こっちにも準備があるんだよ、わかったらちょっと待ってろ」
俺はしっしっと手を振ると、ドアを閉めて鍵をかけた。
「もう話は終わったか?」
いつの間にかスーツに着替えていたナツメが、俺の寝室から出てきた。
俺は彼女を部屋に押し戻すと、こう言った。
「いや、問題はこれからだ」
「問題?」
聞き返し、首をかしげる幼女。
「これからケイトが部屋に来る。だから先生は、ケイトに見つからないように隠れていてほしいんだ。そうだな……透明になるとか、そんな感じで」
「馬鹿なのかお前は?」
流れるようなその黒髪を掻き上げて、呆れたように言い返す彼女。
「まぁ、お前には迷惑かけたからな。それに……」
「それに?」
「いや、何でもない。わかった、私はこの部屋で穏形の術でも使っていよう」
俺は彼女に礼を述べて、寝室から出た。
後はテキトーに部屋を片付けて、机を準備して……。
「ウィル~、まだ終わらないのか~?」
「いや、もう終わった、今行く!」
「どうだ、我輩のコレクションは?」
一方その頃、城山の前には、相変わらず魔王がふんぞり返っていた。
彼がそう言って見せつけてくるのは、支配してきた世界を凝縮して、まるでフィギュアの様にしたものだ。
丸いビー玉の様なケースに入れられたそれは、内側から光輝き、陰鬱なオーラを発生させていた。
(なんて趣味の悪い……)
「魔王様らしいよ」
そう言う彼女の言葉は、虚言に満ちていた。
趣味の悪い、なんて口走ったものなら、心臓の鼓動を早められてすぐに寿命を奪いられかねない。
「そうか」
彼はそう言うと、彼女の白い肌を指先でなぞった。
その指はちょっとした木ほどの大きさがあり、ごつく、そして何より臭い。
嗅覚で感じた臭いではない。心がそのまま腐って、それが滲み出ているような、そんな臭気だ。
その指が、彼女の脚、股、お腹、胸と辿って、顎をクイと持ち上げる。
加減を間違えれば即に首の骨なんぞ折れて無くなるだろう。
彼女は動かない。
微動だにしない。
──ただ、動く場所があるとすれば、彼に助けを求める心だけだった。
「しかしお前の力は本当に良い。我輩の世界征服が、お前の存在だけで、一晩にして数個も増えたのだから」
そして彼は呟く。
「……惜しい奴よ」
その声は、若干涙に濡れていた気もするが、しかし恐怖を植え付けられた今の彼女には、本来の頭の回転が鈍くなって思い付きもしなくなっていた。
「我輩は美しいものが好きだ。お前を助けようとした人間……たしか、神路といったか?」
「はい、魔王様」
震える声で、必死に死から逃れようとする城山。
「彼を招待しよう。彼と同じ魂を持つ者をここへ呼べ。しかし、直接的に関わるな。我輩は美しいものが好きなのだ」
「御意」
彼のとなりに居た悪魔に、彼は命令した。
その台詞に、白い城山の顔が一層白くなった。
その表情に、彼はニタリと嗤う。
彼の指が、彼女の背中に回り、その髪を一撫でした。
「大事なことなので二度言おう。我輩は美しいものが何より好きなのだよ」