05 幼女の誘惑
扉を開けると、そこには顔を少し赤らめたナツメ先生がいた。
「どうしたんですか、こんな時間に?」
「お前、宿題置いて帰っただろ。見回りの公務員が見つけてくれたんだ、感謝しろ」
ナツメはそう言うと、スーツの内ポケットから二枚のプリントを手渡した。
「ありがとうございます」
俺はそれを受けとると、下駄箱の上に置いた。
「にしても、どうして部屋まで来たんですか?寮長に渡せば良かったのに」
何か別の理由でもあるのだろうか。
そう思って尋ねてみると、案の定。彼女は申し訳なさそうな顔をして答えた。
「今から家に帰ったら、夜中の二時を過ぎてしまうからな。ついでだから、お前の部屋に泊まらせて貰うことにした。……迷惑だったか?」
しゅんとした顔で、彼女は俺を見上げた。
(か、かわいい……)
いや、それはともかくとして。
事情はわかった。
そうだよな。こんな小さい子どもが、こんな時間に外を出歩いていたら危ないよな。
俺はそう建前をつけて、その話を承諾した。
「……にしても、お前。今日は変だったぞ?まるで別人の様だった」
「あ、あはは……別人、ですか」
笑えない。
全くもって笑えない。
愛想笑いも虚しく、俺の頬はピクピクと痙攣した。
「今のその口調だってそうだ。いつもは生意気な口を叩く癖に、今日に限ってやたらと敬語が多い」
「うっ……」
流石にバレるか。
見破られるのも時間のうちってところだろうな……。
俺は、ナツメをダイニングの椅子に誘導すると、キッチンへと向かって行った。
「その反応も、今日の仕草だってそうだ。いつものお前なら、こんな紳士的なことはしない」
(この程度で紳士的って……)
「……よく見てるんですね、俺のこと」
ことり、と俺はカップをテーブルに置く。
彼女は、ふーと息を吹きかけると、俺が淹れたミルクを啜った。
「……生徒だからな」
彼女は視線を窓の方へと向けながら言った。
しんしんと降る雪は、聞こえてくる秒針の音を長引かせる。
気がつくと、彼女の頬は薄紅色に染まっていた。
「さて、聞こうか」
彼女はカップを置くと、こほんと咳払いをした。
「お前、何があった?」
「……」
ナツメ先生は、その深淵のような黒い瞳で俺を睨んだ。
何か得体の知れない、摩訶不思議で、危険なものを視るような。そんな目だ。
──何があったのか?
正直、聞きたいのはこちらの方だ。
気がついたらあの場所にいて、とりあえず周りに勘づかれない様に平静を装って過ごしてきた。
城山を助けるために、俺は死ぬこととなった。
この話を、あったことをありのまま話してもいいのか?
この話はここでは伏せるべきか?
もし話さなければどうなる?
拷問でも受けるか?
吐かされた後は、解剖でもされる?
話したら何がどうなる?
研究所につれていかれるか?
やっぱり身体検査とか知能検査とか受けさせられる?
そんな自分の心配ばかりが思い浮かぶ。
周りの人に迷惑をかけたくない気持ちもある。
しかしそれ以上に、自分の身の安全が怖い。
考えると、両手が震えた。
無意識に俺は、自分の体を抱いていた。
「……わかった。お前が話したくなれば話してくれ。無論、ここだけの話ということにしておいてやる」
再びホットミルクを啜って、彼女は正面の時計を見た。
ゆっくりと動く秒針。
長い針も、それにつれて動き出す。
「もう九時か。ウィリアム、風呂を貸してくれるか?」
突如、彼女はカップを置くと、席を立ってそう言った。
「あ、はい。どうぞ」
「悪いな。感謝する」
ナツメは礼を述べると、浴室へと向かっていった。
彼女のいなくなったダイニングで、ウィリアムは悩んでいた。
彼女に前世のことを話すか。しかし、話すにしても、どのように言えばよいか。そもそもこの世界に転生という概念はあるのか。
転生の概念があったとして、それは受け入れられるものか?
馬鹿げた話だと、一蹴されるのがオチだろう。
俺はカップをシンクへと持っていきながら、そんなネガティブ思考を続けていた。
(……なら、適当な言い訳を作るか。それでいて、信憑性の高い、さらに、事実に基づく考えだな)
カップを洗い、タオルで細かく水滴を取り払う。
食器棚には、それほど物が置いてあるわけではなかった。
シンプルなデザインの食器が、必要な分だけ、申し訳程度にあるだけだ。
丼や茶碗に類いする食器はない。
この国には米はないのか。
少し残念に思いながら、俺は食器を棚に戻した。
暫くすると、だぼだぼのシャツを着たナツメが戻ってきた。
袖は長すぎたらしく、手首のところまで折り曲げられており、裾は床をすらないようにという配慮なのか、膝上くらいで結んである。
「……こっちを見るな。ノーパンだから、股がスースーして少し恥ずかしいのだ。……だから、こっちを見るなと言っておろう!」
ナツメは裾を下に押さえながら、必死にそう抗議した。
その表情は、風呂上がりのためか、それとも恥ずかしさの為か。上気したその頬は、ぷくりと膨れ上がっていた。
「そんな格好だと風邪を引きますよ?」
「ウィリアム。お前さっきから私を誰だと思ってるんだ?」
ふと、彼女のそのフレーズに、某お笑い芸人のネタが頭に浮かんだ。
でも、伝わらないだろうな……。
「ロリだと思ってますが何か?」
「ロリ言うな!私はれっきとした17歳だ!」
……え?今何て言った?17歳?
……いやいやいや。あり得んだろそれは流石に。
高く見積もっても精々10歳くらいが限度だろ。
俺は、両腰に手を当てて仁王立ちをする彼女に、訂正の確認を求めた。
「ごめんなさい。聞き間違えですよね?7歳って言ったんですよね?」
「誰が7歳だ!じゅ!う!な!な!さ!い!17歳!」
すると、ナツメは人差し指をこちらに向けて、そう叫び返してきた。
どうやら聞き間違えではなかったらしい。
なんということだ。
こんな残念な17歳が居ただなんて……。
でも可愛いから許す!
「おい、今何か──」
「細かいことは気にしない気にしない!さ、先生。そんな体じゃ冷えるでしょ?俺は書斎使うんで、先生はベッド使ってください」
ナツメの言葉を遮って、俺はそう告げた。
「……まぁ、いい。わかった、ありがたく使わせてもらおう」
彼女はそう言うと、くるりと背を向けて寝室へ向かっていった。