03 いやいやいや、聞いてないし。
「──と、言うことだ。……ん、もうこんな時間か。続きは宿題にするとしよう。何、明日は土曜だ。休日が二日あるし、その間に宿題も終わるだろう」
ナツメは補習室の教卓から荷物を下ろすと、上っていた台から飛び降りた。
時刻は午後五時。最終下校時間を遠に過ぎた教室には、フクロウの鳴き声が響いてきていた。
ナツメは、俺とケイトを教室から追い出して、鍵をかける。
「あ、そうだウィリアム。図書館には行ったか?」
ナツメは鍵をポケットに仕舞い、ちゃんと扉がしまっていることを確認する。
「……どうでしたっけ。忘れてしまいました」
「……おいおい、今日は物忘れがひどいな?どうしたんだ?アルツハイマーにはまだ早いんじゃないのか?」
この世界にアルツハイマーなんて概念あったんだ……。
「いえ、なんか……その、今日はちょっと」
「寝不足なんだよな、ウィル?」
「たぶんね」
そう適当に返す。
そういえば、この世界のことは未だよくわからない。
魔法があって、魔王がいるということはわかった。
この世界の大半が、その魔王によって支配されていることも、人類と魔族が戦争をしているということも。
──どうして、こうなったんだろうな。
あの日、『あの娘』を救うためとはいえ、俺は死んでしまった。
気がつけばどこかの寮制の学校の生徒として、授業を受けていた。
いったい、何がどうなっているのか……。
俺はそんな内心を悟らせないように、笑顔を浮かべた。
「ちゃんと睡眠は摂れよ?眠りが浅いと、最悪死ぬって言うしな」
「え?それって本当ですかナツメせんせー!?」
「あくまで噂だよ」
肩をすくめて、彼女は職員室へと歩き始める。
「ウィリアム、図書館へは早めにいっておけよ?気を付けて帰れよ、二人とも!」
「わかりました!さようなら、ナツメせんせー!」
言って、二人はその場をあとにした。
ケイト・ハートフィリア。
名簿から得た情報は、彼女の名前と、出席する授業だけだ。
接し方から想像するに、たぶん友人関係だろう。
金色の髪をアップにして、縁の黒い赤色のリボンで髪を結んでいる。
身長は俺より頭二つ分低い。
スレンダーな体型で、口調から察するに能動的。
授業中の態度から予測して、お調子者といったところだろうか。
──にしても。
この世界での記憶がない以上、彼女とどう接すればいいかわからないな。
この世界での俺がどういう人物かわかるまでは、接触を避けるべきだろうか?
フクロウの鳴くオレンジ色の空の下。校庭を歩きながら、二人は無言でいる。
「なぁ、ウィル。どうしたんだ、今日はいったい?」
「え?」
「え?じゃねぇよ。らしくないって言ってるんだ」
らしくない、か。
……そういえば、彼女は俺のことをどう思っているんだろうか?
「じゃあ、ケイト。お前は俺のことをどう思ってるんだ?」
「ふぇ!?お、お前、いきなりファーストネームで呼ぶなよ!?ビックリするじゃんか!」
どうやら二人はそこまでの仲ではなかったらしい。
「え、あ、あー。すまん。でも、お前だってウィルって呼んでるし、こっちもケイトって呼んでも良いかなーとか思ってさ」
すると、ケイトは少し顔を赤らめると、こう答えた。
「わ、忘れたのか?お前が名前で呼ぶのは、お互い付き合ってからだって。わ、私が告白して、お前がそう言ってきたんじゃねえか。……時間、くれって言って、それから……」
彼女の目には、涙が溜まっていた。
──あ、これ地雷踏んだかもしれない。
「す、すまん。あ、でも俺お前のことは嫌いじゃないぞ?うん」
「フォローになってねぇし!てか、さっきの私フラレたも同然なんだぞ!?」
えぇぇぇ……。
俺、そんなの聞いてないし。
「ご、ごめん。気が回らなかった」
「もういいよ!どうせ、どうせ私なんか、魅力の欠片もない子供だって思ってるんだろ!?私、帰る!」
くるりと背を向け、帰っていくケイト。
(うわー……。どうしよ、これ)
異世界転生(?)初日、俺は修羅場になる予感を覚えた。
──これ、包丁もって部屋来たりしないよな?
一抹の不安を抱きながら、俺は寮へと向かった。