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ミギワメンテリスカノン  作者: 桜田駱砂 (さくらだらくさ)
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チャプター8 巴鹿毛とエイラ

悔しくて、涙が止まらなかった。

 カデルとサータリの乗るアナイと共に、私はバイルシュタットをとっくに通り過ぎてなお、スピードを緩めることなくバルトを走らせている。私の腕の中へ抱えるようにして座るミカゲの身体は、バルトの蹴り足に合わせて力なく揺れる。

 あの時、私が油断してバルトの足を緩めなければ・・! ミカゲが流れ矢に撃たれることはなかった。私のせいだ。私が油断して、戦場を甘く見た結果だ。私はバカだ。なんでミカゲが。ミカゲじゃなくて、私に矢が当たればよかったのに、なんで・・! こんなに、苦しんで・・!

 何度も頭の中で繰り返される悔恨が、私の視界を涙で濡らす。

 でも、泣いたり、悔やしがったりしてる暇なんてない。今はとにかく、一刻も早くエイラさんのところへ。ミカゲの傷を見たカデルが言った。エイラさんだったら、傷の手当てをできるかも知れない、と。

 私達はエイラさんのいるシルバ・ニゲルに向けて、ひたすらバルトとアナイを走らせる。

 早く。もっと早く。

 周囲の景色が飛ぶように後ろへ過ぎていくけれど、それでも前へ進む速さにもどかしさを感じる。いっそ、空を飛べたらと、今ほど強く思ったことはなかった。

「おい・・! おい、カノン!」

 カデルが私へ呼びかけているのに、ようやく気がつく。私の名前をさっきから叫んでいたんだ。

「飛ばし過ぎだ! いくらなんでも、リウが潰れるぞ。」

「でも・・!」

「ここで立ち往生したら、それこそ取り返しがつかなくなる。いいから手綱を絞れ!」

 カデルが強い口調で言った。

 気がつけば、バルトが苦しげに口の端から泡を吹いている。前を見据えてばかりで、まったく気がつかなかった。強靭なリウが苦しがっているんだ。相当な無理をさせていることに、ようやく私は思い至った。

「くっ・・! ごめんね、バルト。」

 バルトの首筋を撫でながら、私は手綱を引いて、少し速度を落とした。

 リウの足で、ヘイデンケル砦からここまで通常二日近くかかる距離を、半日でやって来たことになる。太陽はまだ、中天(ちゅうてん)に昇りきってすらいなかった。

「ミカゲ。頑張って。もうすぐエイラさんのところにつくから、手当てしてもらお。ごめんね、ミカゲ。私のせいで、こんなに辛い思いさせて、ごめんね。」

 血の気のない顔で、ミカゲが無理やり作る笑顔があまりに弱々しくて、私は続ける言葉を失ってしまった。

 黒々とした木々をたたえる、シルバ・ニゲルの森が見えてきた。もうすぐだ。

 森に入ると、エイラさんの家までの道のりは、カデルが覚えてくれていた。まるで永遠とも思える道のりを経て、ようやく、私達はエイラさんの住む大樹のもとにたどり着いた。

 ミカゲを貫いた矢は、カデルの言うに従って、そのままにしてある。抜けば、さらに出血がひどくなってしまうんだそうだ。私とカデルがミカゲを両側から抱きかかえるようにして運び、サータリが素早く先導して階段を登る。

 運良く、本当に運良くエイラさんは、私達と初めて会ったその部屋、同じ場所に座っていた。「エイラさん! ミカゲが、ミカゲが怪我を・・! ひどい怪我なの! すぐに診てあげて!」

 エイラさんの顔を見るなり、私は一息に言った。

 エイラさんの表情に緊張が走る。細かいことは何も聞かず、エイラさんはただ、

「ここへ。」

 と、奥の部屋にあるベッドを指して、そこに横たえられたミカゲの傷の具合を見る。ミカゲの胸に突き刺さったままの矢があまりに痛々しくて、見ているのが辛い。

「エイラさん。どう・・? 血を止める薬とか、傷をふさぐ薬で治療できそう?」

 私は不安の誘うまま、エイラさんの背中に尋ねた。

 じっ、とミカゲの顔を見つめていたエイラさんが、静かに応える。

「薬は効かないでしょうね。」

「え・・?」

 す、とエイラさんは立ち上がって、私を見つめながら言った。

「死者に効く薬は存在しないわ。」

「し・・・?」

 何を言っているのか。エイラさんがいったい、何を言っているのか、私にはまったく、全然、意味が分からなかった。死者の話をしてるんじゃない。私は、ミカゲの傷が治るかどうか、そのことを訊いたんだ。

「ど、どういうこと、エイラさん。死者に効く薬がないのは分かるけど、そうじゃなくて、ミカゲの傷は治るのって話で・・・。」

 サータリが私の肩へ静かに手を置いた。伏せた顔から、その表情は読み取れなかった。

「だって、だって・・・。今朝まであんなに元気で、一緒にバルトに乗って、褒美に何をもらうかって話もしてたのに、そんな・・・。」

 膝が震えて、足に力が入らない。

 私は崩れるようにして、ベッドの上で眠るように目を閉じているミカゲの身体に触れてみた。その手はまだ温かくて、本当に、眠っているようにしか見えない。なのに・・・。

「ミカゲ・・。ミカゲぇ・・・!」

 涙がとめどなく溢れて、自分がどんな声を上げているのかすらよく分からない。窓の外に見える空がどこまでも青くて、残酷なほどに美しく澄み渡っている。

 エイラさんが静かにつぶやいた。

「気をつけなさいと言ったのに・・・。ほんとに、慌て者だわ。」

 そのまま涙のひとつも見せずに部屋を出て行くエイラさんに対して、けれど、私には腹を立てる余裕なんてなかった。

 私のせいだ。自分の身を、心を引き裂きたくなるくらいの悔恨が重くのしかかる。サータリも、カデルも、うなだれたまま、一言も口をきかなかった。

 どれくらいの時間が経っただろう。無言のまま横たわるミカゲのそばに突っ伏したまま、ぐるぐると回る自責の念に時間の感覚を奪われて、泥沼の底に沈み込んだような、そんな思いでいる私のところへ、エイラさんが戻ってきた。

「顔を上げなさない、カノン。」

 エイラさんが静かに言った。涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔を私は上げる。

「名を。」

「・・・?」

 エイラさんが、短くそう言った言葉の意味が、私にはよく分からない。

「名前よ。あなたの名前。」

「カノン・・・。水際(みぎわ)花音(かのん)・・。」

「メンテリス。遠き場所より来たる者。古代ガリアナの言葉よ。今日からあなたは、その名前を内なる呼び名として(いだ)きなさい。私、エイラの授けた名として。」

「メンテリス・・・? エイラさん。いったい・・。」

「ずいぶん自分を責めているようだけれど、この世界はね。」

 エイラさんが、私に向かって優しく微笑む。おばあちゃんが、孫に対して向けるような笑みだった。

「バランスで成り立っているのよ。水は高いところから低いところへ。暖かい空気は、低い場所から高い場所へ。蒸発した海の水は、やがて雲となり、雨となって大地に降り注ぐ。万物は流転し、どこかへ(かたよ)りそうになると、必ず均衡を取り戻すべく、力が働く。それが自然の摂理(せつり)であって、人間の営みもまた、例外ではないわ。大きなうねりのような力が人の運命を落としこむこともあれば、持ち上げることもある。ひとつどころに滞らせない、巨大な力学が存在するものなの。・・・ミカゲのことも、うねりによって起こされた、辺縁(へんえん)での出来事。誰が悪いということではないのよ。だからカノン。自分を責めるのはよしなさい。」

「でも、エイラさん・・。私・・・。」

 エイラさんは、人差し指を自分の唇に当てて、私の言葉を押しとどめた。

 カデルの方へ向きなおると、

「カデル。手伝いなさい。」

 有無を言わさない態度で、エイラさんは命じた。

「・・・?」

 いったい何をするのか理解できていない私達の目の前で、エイラさんはミカゲの身体を押さえる。

「抜くのよ。」

 矢を、ということだろうか。

「何のために。そいつは、ミカゲはもう・・。」

 カデルが反論するのに対して、エイラさんは鋭い視線で応えた。

「いいから。言う通りにしなさい。」

 エイラさんの気迫に気圧されたのか、カデルもそれ以上何も言わず、ミカゲの身体をまたぐと、渾身の力でもって矢を引き抜いた。

 エイラさんはミカゲの前髪を愛おしそうにかき上げながら言った。

「ずいぶんおっちょこちょいだし、薬をちょろまかしたりと悪さも絶えない子だったけれど、センスは教え子の中でも一、二を争うものだったわ。かわいいミカゲ。私より先に()くなんて、順番が逆じゃない。・・・カノン。」

「はい。」

「もう一度言うわ。自分を責めるのはやめなさい。ミカゲの死に対して。」

 死、という言葉に、私は戦慄した。そうか。ミカゲは死んでしまったんだ。冷たく、硬い現実。取り返しのつかない出来事。死という言葉が、私の心に鋭く刺さった。

「それと、これから起こることに対しても。」

「・・・?」

「これを目の当たりにした人間は、ガリアナでもごく限られた数しかいないわ。あなた達は幸運よ。」

 エイラさんが笑う。

「・・エイラ? まさか、あんた・・・。」

 カデルが驚いたような声を出す。

「ニールとはもう一度、お酒でも飲み交わしたかったけれど、ちょっとできそうもないわね。彼にはよろしくと伝えなさい。」

「エイラ、しかし・・・。」

「若造が口を出すことじゃあないわ。これは均衡、バランスの問題。世界の結果は、総じて保たれるの。私の決めたことに、口を出せるほどあなたが偉いとでも?」

「・・・・。」

 そこまで言われて、カデルは黙った。

 エイラさんは、いったい何をしようとしてるんだろう。ミカゲの額にその手を乗せたまま、エイラさんの囁くような詠唱が始まった。その手のひらが、淡青色の輝きを帯び始める。

 輝きはどんどん増して、もうまともに目を開けてすらいられない。不思議なことに、その光は影を作らなかった。部屋全体が光で満たされるような。太陽の木漏れ日が、優しくこの世界を包み込んだような、そんなイメージが私の身体を突き抜けて行く。

 輝きの頂点に達したところで、エイラさんが私に何か言った気がする。

 それはもう、そよ風に揺れる小さな若葉の葉ずれの音みたいな囁き声で、けれど、しっかりと私の耳に届いた。

 ミカゲによろしく、と。

 囁き声は確かに、そう言った。

 唐突に、部屋を満たしていた光が消えた。吹き荒れた風がいきなり止んだような静寂と、明るさに慣れた目には暗すぎる室内の陰影が、沈黙を生み出す。

 ぴく、とミカゲの指先が動いた気がした。気のせい・・・、じゃない。

 私の目のまで、ミカゲは突然、むく、と上半身を起こした。

「・・・おや? ここは、どこ?」

 きょとんとした顔で周りを見渡すミカゲ。

「・・ミ、ミカゲ!」

 私は夢中でミカゲに飛びつくと、その身体をきつく抱きしめた。

「わぁ! ちょっと、カノン。何よ、いきなり。く、苦しいって・・。締めすぎ・・!」

「よかった・・! 私、だって、ミカゲが、死んじゃったって、私のせいで、うぐ・・、うぇぇぇ。」

 あとはもう、言葉にならない。訳も分からず、私はただひたすらに泣いた。あれだけ悲しんで枯れ果てたと思った涙が、今度は喜びのものとして、後から後から湧き出てくる。人生で、これほど泣いたことはなかった。

「・・・・。」

 ぽかんと私を見ていたミカゲが、急に思い出したように言った。

「ぁあ! そうだっ! 私! 矢が刺さって、死ぬほど痛い思いして、なんかだんだん、意識が薄れて、そんで・・・。あれ? それで、どうしたんだっけ?」

 カデルが私の替わりに答える。

「ミカゲ。お前は一度、死んだんだよ。死んで、黄泉返(よみがえ)った。」

「・・・死んだ? 私が? またまた。いや、冗談きついよ、カデル。死んじゃったら生き返るわけないじゃん。」

「冗談じゃない。胸の傷も治ってるだろう。」

「胸の・・?」

 ミカゲが自分の胸に目を落とすと、

「わ。シャツに穴が・・。中身が見えちゃう・・・って、ほんとだ。傷が、ない。」

 ミカゲの着るシャツには生々しい血痕があるのだけれど、そこからのぞく素肌には、かすり傷一つついてない。これは、いったい・・・?

 カデルを振り返ると、ミカゲが生き返った私の浮かれようとは裏腹に、唇を固く「へ」の字に結んだままだ。

 サータリが口を開いた。

「かの魔女、均衡、と申したな。世界の調和は保たれると・・・。命の総量が、という意味でじゃな。」

 私は何のことか分からず、サータリに訊いた。

「命の総量って、どういうこと、サータリ?」

「総量じゃ。この世界に存在する、魂の総数といってもよいかの。プラスとマイナスで等しく差し引きした結果じゃ。エイラ殿、といったな。ミカゲのことが、よほど愛しかったんじゃろ。その身を(てい)して、ミカゲを引き戻しおった。」

「その身を・・・?」

「あても話程度でしか聞いたことのない呪法、まさか、この目で見ることができるとは思わなんだ。いわゆる禁呪(きんじゅ)じゃ。反魂(はんごん)、魂を蘇らせる技。自らの命と引き換えに、じゃ。」

「引き換えにって・・。」

 私は部屋を見回す。そうだ。ミカゲが息を吹き返したことに気を取られて、あることに私は気づいていなかった。エイラさんが、いない。

「じゃ、じゃあ、エイラさんは、ミカゲの命と引き換えに、自分の命を・・?」

「そういうことじゃ。」

「そんな・・・。」

 ミカゲが、きょとんとした顔で私を見つめる。

「ばぁちゃんが・・・? え? ばぁちゃんが、どういうこと? だって、あっちの、いつもの部屋の、いつもの椅子に、座ってるんでしょ。そんなこと、あるわけないじゃん。ばぁちゃんがいなくなるなんて・・。」

 ミカゲはベッドから降りると、隣の部屋に向かっておぼつかない足取りで駆け出す。

 信じたくはない。

 その気持ちは私もミカゲと一緒だった。けれど、サータリの話と、エイラさん自身の言った言葉。それらを考え合わせれば、結論は確かだ。

「あれ? ばぁちゃん? おーい。かわいい弟子が帰ってきたんだよ。どこにいるのさ。ねぇ。」

 部屋から部屋へ、次々に顔を出すミカゲを後ろから、私はぎゅっ、と抱きしめた。

「ミカゲ・・、エイラさんは、もう・・・。ごめん。」

「なんで?」

 ミカゲの肩が小さくふるえている。

「なんでカノンが謝るの? カノンのせいじゃないのに。・・・ばぁちゃん。わ、分かってたんだよ。眩しい光の中で、ばぁちゃんとすれ違ったの。私が声をかけたのに、全然聞こえてないみたいで・・。そのまま行ってしまった。そしたら、私、気がついて・・。ばぁちゃん・・・!」

 ミカゲは私の胸に頭を押し付けると、絞り出すようなくぐもった声で泣いた。私にはただ、その頭を撫でてあげる。ただそれだけしか、できることがなかった。


 一夜を明かした私達は、翌朝、日の出と共に発った。大樹の家の扉は、ミカゲが堅く封印した。主人のいなくなった家が、誰かに荒らされないようにという用心のためだけれど、ミカゲにとってはそれ以上に意味を持つ行為だ。エイラさんの心の象徴、彼女の生きた証を、ミカゲはこの家の存在に見ている。そのことをもう一度確認するかのように、ミカゲは扉へ呪文をかける。開きの言葉を唱えなければ、決して開くことない封印は、ミカゲとエイラさん、二人の関係を壊されまいとする、ある種の儀式めいた香りを帯びているような、私にはそんな風に見えた。

 墓標(ぼひょう)、と言ってしまうと冷たい印象しか残らないけれど、いわば、ミカゲにとっての道標(みちしるべ)のひとつなんだ、ここは。もちろん、私にとっても、そう。エイラさんは、自分を責めるなと、私に向かってそう言った。けれど私は学ばなければならない。自らの未熟さが、自分にのみ悪い結果をもたらすわけじゃないということを。私は私自身に対して責任を持つと同時に、私と関わる人たち、世界そのものへも、責任を果たさなければならない。メンテリスという名を与えられた、それが私なりの、ひとつの覚悟だった。

「行こう、ミカゲ。」

「うん・・・。」

 バルトに乗ってからも、ミカゲは何度も後ろを振り返った。森の木々からさす木漏れ日が、揺らぐ光のカーテンみたいに、大樹の家を覆い隠して行くにも関わらず。

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