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ミギワメンテリスカノン  作者: 桜田駱砂 (さくらだらくさ)
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チャプター7 ヘイデンケル砦の攻防

「ねぇ、それ、さ。本当に目を覚まさない?」

 私はそれ、と視線で指すものを見ながら、不安の混じる声で言った。視線の先にあるのは、アナイの脇に荷物みたいにくくりつけられたウルサだ。団の名にあるとおり巨大な羆のようにも見えるその男が、ぐったりと吊るされていた。

 私の後ろ、共にバルトへ乗ったミカゲは、

「大丈夫よ。ばぁちゃんのとこからちょろまか・・、もらった、ゼンナの草の眠り薬だもん。あと二日は目覚めないわ。」

 と、自信満々だ。

「だったらいいんだけどさ。」

 こんなところで目を覚まされて、暴れられてもかなわない。夜明けの日が差す中、私達は細い街道をバイルシュタットに向かって帰るところだった。

 あれから、サータリをカデル達に紹介すると、二人とも二つ返事で彼女が同行することに賛成してくれた。カデルは例によって何か思うところがあるらしく、サータリをじろじろ見てから、にや、と笑って、いいだろう、の一言だし、ミカゲは、いいんじゃない、一緒に来れば、とあっさりしたものだった。

 なので、今、アナイの背中にはカデルと、吊るされた男、ウルサ、サータリが乗っている。三人も乗ってかなりの重さになりそうなものだけれど、アナイは平気な顔で歩いている。リウってずいぶんタフなのね。

 サータリはカデルと背中を合わせるようにして、後ろ向きに座ってる。そのサータリが、ミカゲに言った。

「ミカゲは、いわゆる魔女、ってやつなのかの?」

「魔女? うーん、魔女かって言われるとそうでもないね。魔女見習いっていうか、魔女の弟子っていうか。実際、やってたことは雑用ばっかだしね。」

「ふむ。在野の魔女とはまた珍しい。」

「そうなんだ。」

「たいていの場合、有力者に召し抱えられて、その庇護(ひご)の下、術を振るったり、研究したりという者が多い。特に研究に関しては、金も人手もかかる。個人でやるには限界もあるからの。」

「へぇー。ばぁちゃん、そういうことはあんまり話してくれなかったなぁ。あ。じゃあ、昨日そいつが使った動力鎧? ってやつ。あれも・・・。」

「そうさの。ローディニウム、魔導研究の成果、といったところじゃろ。皮肉なことではあるが、戦争に供される道具の(るい)は進歩も早い。」

「なるほどねー。あんなの戦場に何体も持ち込まれたら、相手はひとたまりもないもんね。」

「して、ミカゲ。」

「何?」

(じょう)は何を使っておる?」

「ジョウ?」

「魔法を発動する際の触媒(しょくばい)よ。使っておるんじゃろ?」

「いんや。別に何も。」

「何も、使ってない?」

「使ってないよ。手の平からばーんて。それでいいんじゃないの? ばぁちゃんも、最初は何も使うなって言ってたし、それに従ってたんだけど。」

「信じられんの・・・。」

「え? なんでなんで? 使った方が威力が増すとか、疲れにくいとかってあるの?」

「ある。普通はルイナの枝で作った触媒なんかを使うんじゃが、知らんのか?」

「ルイナの枝・・? あー、なんかばぁちゃんの書斎に、それっぽい枝があったような。本当はそんなんを使うんだ。」

「ふむ・・・。」

 サータリは、アナイの脇に吊ってあるでっかい皮袋をごそごそと探り出す。ところどころ継ぎ布が当ててあって、かなり年季が入ってる。何が詰まってるのか知らないけれど、サータリの私物、なんだそうだ。

「これを使ってみやるか?」

 と、サータリが袋から取り出したのは、人の腕くらいの長さがある、木の棒だった。赤と青、それに緑色のふさふさした飾り紐が結ばれてるけれど、それがなければ、ほんとに道端に落ちてるような「棒」としか言いようがない。

「ルイナの枝、七十年ものの魔杖(まじょう)じゃ。」

「おお。魔杖だって! なんかそれっぽいじゃん。」

 ミカゲが腕を伸ばしてその魔杖、というか棒を受け取ろうとするのだけれど、すい、とサータリ、それを引っ込めてしまう。

「ただし。」

 サータリの目がきらりと光った。

「ただじゃないでな。」

「ええ? くれるんじゃないの? 話の流れから、おぬしにこれを授けよう、的なことになるのかと思ったのに。」

「冗談ではない。それじゃ商売にならん。」

 サータリも根っからの商売人気質らしい。興味を持たせといて、値段の話に移る、と。

 ミカゲはふくれた表情で、

「じゃあ、いくらになるのよ。」

 と、サータリに訊く。

「同じ道行きのよしみじゃ。特別サービスで10クァドラと3デナリスのところ、3デナリスはまけておこうぞ。」

 私の頭の中で、金額の概算が出される。兵隊さんの日給が4サラディス。100サラディスで給料25日分、それが1クァドラだから・・・。

「・・・高っ!」

 私は思わず、サータリに突っ込んだ。250日分の給料って。サラリーマンの年収、7割分近くに相当するわけで、たぶん新車が買えちゃうくらいの値段だ。

 ミカゲも私と同じリアクションで、

「ぇえ? 高すぎじゃない? ばぁちゃんとこで稼いだ小遣いくらいじゃ、全然足らないんですけど。」

 と、不満を漏らす。

 サータリは、さも意外、といった顔で応えた。

「別に、ふっかけてるわけじゃないでの。武器や防具の品質は戦場で生死を分ける生命線。安物を使って命を落とすなんぞ、よくある話じゃわ。決して高くはない買い物ぞ。そうよの、カデル殿。」

 サータリに振られてカデルも、

「俺も魔杖には詳しくないが、まぁ、そんなもんだろう。良い武器は高い。そこでケチると早死にするぞ。」

 と、同調するのだった。ミカゲは肩を落とし、

「でも、そんなお金ないし・・・。」

 しょげるところを待ってましたとばかりに、サータリは、

「であれば、安心の分割払いも受け付けとる。十日以内なら、品質に納得できない場合の払い戻しも受けておる。買わない手はないと思うがの。」

 なんだとか。クーリングオフまで付いてるなんて、商売上手な武器商ね。とはいえ、10クァドラはやっぱり高い。ミカゲも断るかと思いきや、

「じゃあ、買う。」

 って。

「ミカゲ、買っちゃうの?」私は思わず、後ろを振り向いて言った。

「だってさ、カデルもカノンもなんかいい武器持ってるし。私だけ手ぶらって、なんか寂しいじゃん。だから、買う。」

「買うって言っても、払える目処なんてあるの?」

「ばぁちゃんとこで薬の調合教わったし、セスロナで作る滋養強壮レシピもちゃーんと写してきたのよ。ばぁちゃんには内緒だけど。これで作ったものを売れば、分割払いでしょ。どうにかなるって。」

 と、いたってポジティブだ。

「よかろ。それでは、ひとまず十回払いの分割でよいな。」と、サータリはうなずいた。

「うん。よいよい。」

「では、これが保証書。取り扱い説明書はこれじゃて、メンテナンス方法も書いてあるから、ちゃんと読むんじゃな。」

 保証書と取り説まで付いてくるんだ。私はむしろ、魔杖本体より、そっちの方が気になったりする。

「毎度あり〜。」

 と、白木(しらき)の箱に入れて渡された商品を、ミカゲは大事そうに受け取ると、頰ずりをした。

「ぇへへ。買っちった。」

 私は前に向き直りながらミカゲに言った。

「そんな高い買い物しちゃってさ。支払いできなくなっても、知らないよ。」

「だいじょぶだって。セスロナの滋養強壮薬はよく売れるんだから、どうにかなるよ。」

 武器が売れて上機嫌なのか、サータリはにこにこしながら、しかし、ミカゲにはこんなことを言うのだった。

「ミカゲ。分割で払いきれなかった場合は、支払い証を取り立て屋に流すから、気をつけるんじゃぞ。」

「取り立て屋?」

 首をかしげるミカゲに対し、カデルが、ぎくりと振り向いた。

「取り立て屋、だと・・・。」

 私が、

「知ってるの、カデル? その取り立て屋って。」

 と聞けば、

「ああ。死神みたいな奴らだ。狙われたら最後、地の果てまでも追ってくる。盗賊に狙われるより、よほどタチが悪い。おまえ、悪いことは言わない。きっちり払った方が身の為だぞ。」

 と、青ざめた顔でミカゲに忠告する。

 ミカゲはごくりと生唾を飲み込んで、

「う、うん。分かってるわよ。払うって、ちゃんと。」

 と、返すのだった。

 なんとなく、サータリがこれまで一人で旅の武器商なんてものをやってこられた理由を、垣間見た気がした。

 小高い丘の上にあるバイルシュタットの市街が見えてきた頃、粒のような人影がだんだんとこっちに近づいてくることに気づいた。それがリウに乗った伝令兵だと分かるのに、さして時間は掛からなかった。

「何だろ?」

 ミカゲが私の肩越しに言うのだけれど、

「さぁ・・?」

 としか私も答えられない。

「フィオラ様!」

 伝令兵の浮かべる表情にはかなり切迫したものがあって、ただならない出来事を抱えてやってきたと、そんな雰囲気をまとっている。

「急ぎ、館までお戻りを!」

「どうしたの?」

「我が方、ヘイデンケル砦がビトリナス族の攻撃を受けています。」

「攻撃って・・。」

 私はカデルと目を見合わせた。緊張状態にあったビトリナス族と、ついに戦闘が始まってしまったんだ。

 バイルシュタットに急いで戻ると、ウルサはカデルに任せて、私は館の回廊の突き当たり、大きな扉を押し開けてから、開口一番、言った。

「父上。ヘイデンケル砦が攻撃を受けたと聞きましたが。」

 部屋にはニールおじさん他、百人長ら、軍の主だった面々が連なっている。みんなの前ではさすがに、おじさん、とは口に出せないものだから、ニールおじさんをして父上と呼ぶ。実家のお父さんのことを父上と呼ぶようで、なんか時代がかった言い方がくすぐったいのだけれど、それも最初だけの話。すっかり板についてしまった。

「フィオラ。戻ったか。」

 ニールおじさんは、ちら、と私を見てから、すぐに険しい表情で、大きな机の上に置かれた地図に目を落とした。

 私は山のように大きな百人長達の間をすり抜けて、机の側に立った。地図上、バイルシュタットの南東に位置するヘイデンケル砦の周りに、チェスで使うような駒が置かれている。砦上に置かれた白駒一つに対し、周囲を囲むようにして配置された黒駒三つ。敵の戦力がこっちの三倍、ということなんだろう。

 百人長の一人が言った。

「砦の劣勢は明白です。援軍はもう間に合わないでしょう。ここは砦に兵力を割くより、バイルシュタットの防備に徹した方が良いのでは。」

 数人の百人長が、それにうなずいて同意を示した。

「その通りです、ニール様。兵の分散は極力避けるべきです。バイルシュタットに集結させた全兵をもって、ビトリナスの奴らを一気に叩く。これしかありません。」

 軍議の流れは、バイルシュタットに兵を集結させて、一気に反撃、という方向で進んでるみたいだ。

 ニールおじさんが固く結んだ口を開いた。

「・・・砦の守備兵はどうする。」

 宰相、ハイネルがそれに応えた。

「バイルシュタットが()ちては元も子もありません。酷なようですが、切るしかないかと。」

「むぅ・・。」

「テグウェンもいることです。バイルシュタットに兵を集める時間は、十分に稼いでくれましょう。」

 聞いた私は、思わずハイネルに聞き返した。

「テグウェンが? 砦に行ってるの?」

「フィオラ様。はい。砦の救援としてすぐに動けるテグウェンの隊が向かいましたが、その後の報告で想定外の敵兵力が判明しました。これ以上、中途半端に兵を送っても、各個に撃破されるだけでしょう。」

「想定外って・・・。でもそれじゃあ、砦の守備兵や、テグウェン達を見捨てるってこと?」

「見捨てる、などと。言葉をお選びください、フィオラ様。バイルシュタットに全兵力を集中し、反撃するのです。砦が陥とされるのは作戦全体の過程の一つです。時間を稼ぐという目的は、十分に果たせます。」

「過程の一つって、でもそれじゃあ、テグウェン達が死んじゃうってことじゃない。」

 私と、ハイネルの視線が空中で激しくぶつかった。

 ハイネルの目は氷のように冷たくて、砦を守る兵もテグウェンも、この机上にある駒の一つにしか見えてないと、そんな風にしか思えない。駒がやられるのは避けられない。最後に勝負の大局で勝てばいいと考えてるんだろうけれど、私はどうしても、その考えに納得できなかった。

「砦への援軍は動かせないって言ってるのね。」

「一兵たりとも。」

「・・・分かったわ。私が行く。」

 どよ、と場がざわめいた。

「フィオラ様が・・?」

「砦は今、完全に孤立してるわ。援軍が来ないとなれば、一気に潰されてしまう。でも、私が行けば士気も上がるし、守備兵やテグウェンと一緒に、包囲を突破できるかも知れない。」

「しかし、フィオラ様ご自身が行かれるのは・・・。」

 さすがに、ハイネルが動揺を見せるのだけれど、ニールおじさんの目が、かっ、と輝いた。

「フィオラ! よくぞ言った。それでこそ我が娘。レナ族の長、ニールの名において命ずる。ヘイデンケル砦に向かい、守備兵共々攻囲を突破せよ。」

「父上。ありがとうございます。では、これより砦に向かいます。」

 私は、お互いに顔を見合わせる百人長やハイネルを背に、肩で風を切って部屋を出るのだった。

 扉を閉めてから、私はごくりと生唾を飲み込んだ。勢いでつい砦に行くなんて言っちゃったけど、やっちまったか、これは・・・。砦はすでに包囲されてるだろうし、そもそも、砦の中へたどり着けるかどうかすら怪しい。それでこそ我が娘、なんてニールおじさんに言われるわけだけれど、私、おじさんの娘じゃないし。フィオラという名に、自分が縛られている気がしてならない。

 ・・・けど、うじうじ考えてる暇はない。テグウェンや隊のみんなが苦戦してる。助けに行かなきゃ。私は自分自身を励ますように、大きな歩幅でもって回廊を急いだ。


「馬鹿か、あんたは。」

 カデルは、アナイの騎上で予想通りのリアクションを取ってくれやがる。バイルシュタットから伸びる街道を南東へ。途中、馬車いっぱいに詰め込めるだけ荷物を詰め込んだ人達、何組かとすれ違う。砦への攻撃を知って、早々に避難してきた近隣の村人達だろう。

 私の後ろのミカゲと、アナイに同乗したサータリも一緒だ。バルトを走らせ始めてから話した事情に対する、カデルの反応がこれだ。

「砦はすでに包囲状態だろう。今さら行っても無駄だ。テグウェンがいくら手練れだとはいえ、一人で戦況を覆すことなんてできないんだよ。俺達も巻き込まれるぞ。」

「でも! 見捨てるなんてできないよ。無理やり突破するとか、夜間にこっそり砦から抜け出るとかして、なんとか生かしたいの。」

「生かしたいのは分かるが、自分が死んだら元も子もないんだぞ。」

「分かってる! でもやらなきゃ。カデル。これはフィオラとしての命令よ。」

「ぐ・・!」

 またしてもフィオラの名前を出すことに私は多少なりとも心が痛む訳だけれど、そもそも、私をフィオラに仕立て上げたのはカデルの策によってだ。カデルにとって、フィオラに逆らうことは、あいつの描いている壮大な出世計画を自ら崩すことに他ならない。

「・・・ちっ。分かった。ヘイデンケル砦に行くぞ。その強引なところ、本物のフィオラ様に似てきやがったな・・・。」

 私が、フィオラに似てきた・・。

 カデルの言葉は私に複雑な気分を起こさせる。フィオラはフィオラであって、私じゃない。水際花音という人格を、否定されてるような気にもなる。けれど、真っすぐで、明るくて、ちょっと頑固だけれど自分の意思を曲げない、フィオラという一人の少女の姿が私の中で少しずつ形をなしてくるにつれ、私はフィオラを好きになってもいる。

「カノン。ちょっといいかの。」

 カデルと背中合わせで座っているサータリが言った。

「何? サータリ。」

「ヘイデンケル砦の構造じゃが。」

 と言って、色あせた地図みたいなものを広げている。

「西側に小さな排水溝があって、そいつが川に注いどる。川沿いから夜陰(やいん)に乗じて接近すれば、とりあえず砦の中には敵に見つからず入れそうじゃわ。どうかの?」

「その案、いいと思う。」と、私はうなずく。

 後ろのミカゲは、感心したように付け加えた。

「サータリ、よくそんなこと知ってたわね。」

「こいつのおかげじゃわ。全国砦マップ。主要な砦の概観が記されとる。あての加筆部分も多いがの。」

「お前、そんなものを・・!」

 カデルが驚いて言った。

「砦の位置や構造は軍事機密だぞ。どこでそれを・・・。」

「もちろん非売品じゃがの。一部の裏ルートで高額取り引きされとるわけよ。見栄っ張りの隊長が分に合わぬ買い物をしおってな。そこで(かた)替わりにこいつを手に入れたんじゃ。」

「お前・・・、いいものを持っているな。」

 にや、とカデルの顔に笑みが浮かんだ。早速、砦マップを利用した良からぬ計画の二、三を思いつきでもしたんだろう。カデルの計画はさておき、とにかく今は、サータリの情報が命綱だ。

 日もだいぶ落ちかけて、私達はヘイデンケル砦をうかがえる林にまで達していた。遠目に見ると、砦の東側は大人の背、二人分くらいの崖になっていて、土塁と石積みで造られた砦はなかなかに堅そうだ。けれど、革鎧やら毛皮やら、思い思いの武装を施したビトリナス族の、なんて言ったらいいか、部隊というより、「群れ」が、砦の壁にわらわらと取り付いている。ざっと見て、数百人くらいいそうだ。彼らの雄叫びや悲鳴が合わさって、遠雷のようにここまで響いてくる。

「・・やはり苦戦しているな。」カデルがつぶやいた。

 ビトリナス族に見つからないよう、大きく迂回して、私達は砦の西側に回り込んだ。小さな川が流れていて、サータリの言うように、砦に向かって明らかに人工のものと分かる溝が掘られている。溝は草や盛り上がった土で巧みにカモフラージュされていて、周囲からはその存在が分からないようになっている。辺りは暗くなり初めていて、お互いの顔もよく見えない。

 私達はうなずき合うと、身を屈めながら溝を進んだ。

 それにしても・・・。

 溝に近づいた時から感じてはいたんだけれど、その、なんて言ったらいいか、

「くっっさいわぁ。ちょ、これさぁ。しばらく、匂い取れないんじゃないの。」

 と、ミカゲが率直な意見を口にした。アナイとバルトもなんだか嫌がってる様子で、バルトなんかは、さっきからしきりと鼻先で私の背中をつんつんと押してくる。

「うん・・・。臭いね。バルト、我慢して。」

 下水も兼ねた排水溝なわけで、当然、いい匂いなんかしないのだけれど、頭がくらくらするほどの悪臭には閉口する。

 いったい何に使うのか、途中で拾った太い木の枝を肩に担いだカデルが、ちょっと私達を振り向いて言った。

「この程度、我慢しろ。この悪臭のおかげでビトリナスの奴らも近づかないんだ。むしろありがたく思え。」

「それはそうなんだけどね・・。」

 やっぱり、臭いものは臭い。

 最後尾についてくるサータリはサンダルを脱いで、ワンピースの裾を両手で思いっきり端折(はしょ)って太もももあらわに、

「人の営みの一部じゃわ、これも。汚濁(おだく)清浄(せいじょう)は表裏一体、どちらも受け入れる度量が必要じゃぞ、カノン。」

 と、なんか巫女さんらしいことを言う。

 溝を進むと、石壁に鉄の格子がはまった出水口(しゅっすいこう)に突き当たった。カデルは格子の間に担いでいた棒を突っ込む。

「そのための棒だったんだ。」と私が言うのに対し、カデルは、

「何だと思ったんだ。」

「いや、新らしい武器にするつもりかと。」

「馬鹿を言うな。こんな重いもの、俺に振り回せるわけないだろう。あんたらも手伝え。」

 そう言って、梃子(てこ)の原理で棒の一端を押し始める。

「分かった。」

 私とカデル、二人で棒を押し、私達の背中をミカゲとサータリが押す形、四人掛かりだ。加えて、アナイとバルトも頭の先で、ミカゲとサータリの背中を押してくれてる。

「せーのっ!」

 私の掛け声でみんなが力を加えると、思ったよりもあっさりと、鉄格子が枠から外れた。出水口の中はかなり暗くて、しかも、狭い空間だからか匂いもさらにひどい。

「こ、ここに入るの・・?」

 ミカゲがあからさまに嫌そうな顔をするのだけれど、カデルは、

「そうだ。」

 と言っただけで、中に潜り込んでしまう。バルト達リウからすれば、ほとんどぎりぎりの広さだ。

 狭い水路を、私はカデルについて進んだ。

「よくこの暗さで前が見えるわよね、カデルは。」

 私が前を進むカデルの毛皮の裾につかまりながら言うと、

夜目(よめ)がきく。この程度なら明かりはいらん。」

 なんだとか。

 もう息が詰まりそうなくらいの匂いの中、ようやく突き当たった場所で重い木蓋を押し上げると、篝火(かがりび)のたかれた、畳六畳ほどの部屋に上がることができた。

 さっきから鼻をつまんだまんまのミカゲは部屋を見回して言った。

「ここってさぁ、もしかして・・・。」

 多分、ミカゲの予想は正解。

「トイレ、だよね。ぬぁ〜、やっぱり、下水を逆行してきたってことじゃん。きっついわー。」

 私も自分の身体についてしまった匂いには閉口だけど、

「ともかく、砦の中には入れたんだし、よしとしよう。サータリの情報、正確だったね。」

 と、ポジティブ思考で行くことにした。

 サータリは、

「当たり前じゃ。高い料金の形に取った砦マップ、いい加減なことが書いてあったら割に合わんからの。」

 と、得意げにうなずいた。

 ミカゲは顔をしかめて、

「と、とにかくさ、こっから出ようよ。もうたまんないっす、この臭さ。」

 とうながしてくる。

「そうだね。」

 アナイとバルトが壁に足爪を引っ掛けてるところへ、私達全員で手綱を引っ張って、どうにか部屋の中へ引き上げる。

 部屋の扉を開けて外へ途端、松明を持った人影とぶつかりそうになる。揺らめく炎の向こう側に見える顔が、驚きのあまり、呆然となるのが目に入った。

「フィオラ・・様?」

 テグウェンだ。綺麗な顔のあちこちに擦り傷を作って、鋳鉄の鎧にも深くえぐられたような傷ができてる。疲れ切ったその表情から、昼間の激戦を想像するのは容易だった。

「ど、どうしてそのようなところから・・! ほ、本当にフィオラ様でありましょうか。」

「本物よ。」

 と私はうなずいた。水際花音がどの口で本物のフィオラだと言うか、って感じだけれど、私はとにかく、テグウェンを安心させたかった。

「排水溝から入ってきたの。テグウェンが砦の救援に向かったって聞いたから。」

 テグウェンは私の来たことがよっぽど嬉しかったみたいだ。館の中じゃ絶対に見せなかった笑顔に、涙をためてる。・・・可憐(かれん)だ。

「よ、よくぞ、このようなところまで・・・。見慣れぬ方もご一緒のようですが・・・。」

 私はミカゲとサータリを振り返りながら、

「テグウェンは始めてだよね。えーと、魔導師見習いのミカゲと、武器商のサータリ。二人とも訳あって、私と一緒に来てくれることになったのよ。それと、カデルもね。」

 カデルは、ふい、とそっぽを向いてしまうのだけれど、テグウェン、ミカゲとサータリに向かって深々と頭を下げ、

「テグウェン・アルカナージと申します。苦戦中の折、このような場所まで足をお運びくださったこと、感謝いたします。」

 と、なんともご丁寧だ。

 ミカゲはあたふたしながら、

「い、いや、なんというか、カノ・・、フィオラ、様とは一蓮托生(いちれんたくしょう)といいますか、ちょっとのっぴきならない事情がありまして、一緒に行動することになったんです。ど、どうも、よろしく。」

 と返し、サータリは、

「苦しゅうない。好きで来たんじゃ。礼には及ばん。」鷹揚(おうよう)にうなずくのだった。

 テグウェンの肩に手を置いて、私は言った。

「それで、状況は?」

「は、はい・・。こちらへ。」

 アナイとバルトは厩舎へ引いてもらい、テグウェンの案内で砦の中を上へ上へと登りながら、状況を説明してもらう。

「ビトリナス勢の兵はおおよそこちらの三倍、六百を越えます。弓や投石などでしのいでおりますが、陥落(かんらく)は時間の問題です。今は一旦、相手の攻撃の手も止んでおりますが、明朝、日の出と共に総攻撃に出ると思われます。我が方、水と食料は十分に備えておりますが、相手も長期の籠城戦に持ち込まれるのを嫌がっている様子。初手(しょて)から全力で落としにきています。かなりの・・。」

 テグウェンは、ちょっと言葉を切って唇を噛むと、続けた。

「死傷者も出ています。」

 砦の最上部、物見櫓まで登り切ると、東側に広がる原野、暗闇の中に多くの篝火が焚かれているのが見渡せた。ビトリナス族の野営陣だ。

「多いわね・・・。」

 これが全部、敵なのかと思うと、心が折れそうになる。けれど、ここで私が弱気を見せちゃだめだ。

「こっちの士気はどう?」

 私はテグウェンに向かって聞いた。

「多勢に無勢、あまり高いとは言えません。」

「そう・・。」

 無理もない。三倍の数で押しまくられたら、士気が上がるはずもない。

 そこへ、すす、とカデルが寄ってきて私に囁くのだ。

「何、カデル? え・・? うん、うん。ああ、そういうこと。・・・そうね。それ、いいかも。」

 カデルは、にや、と笑みを浮かべる。

 不思議そうな顔をして私達を見ているテグウェンを手招きして、私は手順を説明した。テグウェンの顔が、ぱっと輝いてうなずく。

「なるほどっ! さすがフィオラ様。そこまでは私の考えも至りませんでした。では、早速。」

 テグウェンは、すぅ、と息を吸い込むなり、大して張り上げてもいないのによく通る、凛とした声で砦の皆に向かっていった。

「皆の者、聞けっ! 我らの苦境を救うべく、バイルシュタットよりニール様が御子(おんこ)、フィオラ様が馳せ参じてくださった。」

 砦の方々から、どよめきが起こる。フィオラ様・・? フィオラ様がここへ・・? 嘘だろ?

 私は、篝火で自分の顔がよく見える位置に立つと、お腹に力を込めて、大声で言った。

「レナ族の勇士達よ。よくぞ今日まで持ちこたえた。昼間の戦いで傷ついた者も多いと聞く。だが、私が来たからには、もはや一兵たりとも死なせはしない。(つるぎ)をもち、立て。ビトリナスの侵攻を許すな!」

 噛まずに言えた・・!

 けど、私の言葉はみんなに響いたんだろうか。篝火の爆ぜる音だけしか聞こえない静寂。カデルがダメ押しとばかりに私へ囁いた文句。抜きはなった直剣を夜空へ指しながら、私はその言葉を叫んだ。

「レナ族の誇りを、我に見せよ!」

 一瞬間を置いて、

「応っ!」

 と、砦にいたすべての兵が呼応した。

 すごい・・! 砦全体が身震いしたかのような掛け声だ。皆の目が私に注がれ、一つ一つの意志が、私のかざした剣に集約されたかのような一体感。この瞬間、私は肉親よりも強い結びつきを、応じた兵隊さん達との間に感じるのだった。私の思考が自分の身体をあまねく支配するのと同じように、私と兵隊さんがひとつの意志でもって統一された、といえばいいのか。興奮で、指先が震える。

 カデルが私の隣に来て言った。

「初めてにしては上出来だ。だいぶフィオラ様としての貫禄がついてきたな。」

「・・貫禄って、カデルに言われた通りのセリフを言っただけだよ。」

「それでもだ。ああいう士気の底上げは、セリフを教えただけで成功するもんじゃない。」

「そう・・なのかな。」

 珍しく褒めてくれるカデルに、私はどうリアクションを取ってよいか分からず、なんだかもじもじしてしまう。

 テグウェンは、

「お見事でした、フィオラ様。館のような設備とはいきませんが、湯を沸かさせます。お身体をお清めください。」 

 と、ぷんぷん匂ってる私達への配慮も欠かさないのが嬉しかった。

 砦の一角、露天風呂とはさすがにいかないけれど、崩れた屋根からいい感じで星空の見える部屋に、底の浅い大きな桶が置かれていて、湯気と一緒に立ち上る香り。張られたお湯にはカドゥの花が散らされていて、花から出る油分が、お湯にとろみをつけていた。カドゥの花には、こんな使い道もあるのね・・。蝋燭の灯りに揺れる室内の影が、なんともエキゾチックだ。

 ミカゲは桶に手を突っ込んで湯加減を見ながら、

「いい匂いがすると思ったら、カドゥの花風呂だよ。豪勢だねこりゃ。」

 と、排水溝を通らざるをえなかった不機嫌も、一気に吹き飛んだみたいだ。

「三人一緒に入れるんじゃ・・。」

 ミカゲがそう言いかけたときにはすでに、サータリがはらりとワンピースを脱いで、すっぽんぽんで桶に片足を突っ込んでいる。

「ちょ、サータリ。脱ぎっぷりいいね。」

 ミカゲが驚くのを意外とばかりに、サータリ、

「何がじゃ。女子(おなご)同士、恥ずかしがることもあるまい。」

 と言いながら、お湯の中に立つのだった。

「そりゃ、そうだけどさ。」

 私はミカゲに向かって、

「私達も入ろうよ。せっかくテグウェンが用意させてくれたんだし。冷めちゃう前にね。」

 と言いながら、身につけていた装備を手早く外すと、桶に右足を入れてみた。お湯の中にじんわりと疲れが溶け出すような、なんともいえない心地良さだ。

「・・・ん? ミカゲ、どうしたの?」

 ミカゲがぽっかりと口を開けて、私とサータリを交互に見比べている。

「い、いや、別に。」

 もにょもにょと言いながら、ものすっごい恥ずかしそうに服を脱ぐミカゲが、なんかエロい。タオルで前を隠しながら、もじもじとお風呂に入るミカゲだ。

「何? そんなに恥ずかしがって。」と私が訊けば、

「だって、カノンもサータリも、プロポーションが良すぎっていうか・・。二人と一緒に入るの、なんか急に恥ずかしくなってきたんですけど。」

 ミカゲが服を脱ぐのに躊躇しだしたのは、そこか。自分のプロポーションなんてあんまり気にしたことなかったけど、言われてみれば確かに、サータリは、なんというか、・・・すごい。小柄なんだけど、出るとこは出てるというか、肌も白いし、エルフというより、ナイスバデーな妖精(フェアリー)ってイメージの方がぴったりくるくらいだ。

 サータリはというと、いきなりミカゲの身体に張り付いていたタオルを引っぺがした。

「きゃっ!」

 と、普段からは想像に(かた)い声で恥ずかしがるミカゲの、ボディラインを見ながらサータリは率直すぎる感想をもらす。

「ふむぅ? ほうほう。確かに小ぶりじゃの。まぁ、それほど落胆することもないじゃろ。これはこれで、需要もある。」

「じゅ、需要って、何の需要よ。そんな需要に応えたくないわ。」

「大きければいいってもんでもないからの。肩もこるし、走るときには邪魔じゃて。」

「なんか、嫌味にしか聞こえないんですけど。」

「ミカゲにもその内、分かる。」

「その内っていつよ! そりゃ、駆け込みで間に合うことを期待してるけどさ、そろそろ成長期終わっちゃうのよ。ああー、こんなんなら、ばぁちゃんとこでそっち系の怪しげな秘薬を調達しとくんだった。ボン、キュッ、ボンになっちゃう的なさぁ。」

 そんなことを言い出すミカゲに、私は、

「ボン、キュッ、ボンて・・。怪しげな秘薬とか、やめときなよ。絶対、副作用とかありそうだし。」

 と、思いとどまるよう説得する。

「多少の副作用なら目をつむるわ。カノンみたいにいいもん持ってる人にはさぁ、分かんないのよ、この切実な気持ちが。授業でプールの日のたんびに感じる、あの持つ者と持たざる者の間に立ちはだかる圧倒的な壁を。格差社会の被害者なわけよ、私は。」

「いや、格差社会って、ちょっと意味が違う気がするけど・・。人それぞれだし、個性っていうか・・。」

「個性!」ミカゲの声が裏返る。

「劣った要素を個性なんて言葉で呼ばわって、そんなのもありだよねーって傷の舐め合いしたところで、何の解決にもなんないのよ。男子の視線はやっぱりおっきい方に流れるわけでさ。ぬぅう。揉んでやる! こんなもの、揉んでやるー!」

 胸のせいで男子と何かあったんだろうか・・。と思う間もなく、

「わ、ちょっ・・! やめ・・! くすぐったい! あははっ、やめー!」

 ミカゲのもみもみ攻撃に身をよじらせる私。サータリは、無表情のまま両手を頭の後ろにやってミカゲの揉むに任せるという、なんだか妙に大きな貫禄を誇るのだった。

 カドゥの花風呂から上がって身も心もさっぱりしたところで、私達はテグウェンの部屋に向かった。部屋の前で、カデルとばったり出会う。

「カデル。湯加減はどうだった?」

「ああ。この状況下、手桶一杯の湯でもありがたい。それすらない兵も多いからな。」

「手桶一杯・・?」ミカゲが首を傾げる。

 私は慌てて、

「じゃ、じゃあ、テグウェンのとこ、行こ。」

 と、みんなを部屋の中へ押し込む。まさか、カデルと私達でそこまで待遇に差があるなんて・・。カドゥの花の散ったお風呂に入れたなんてこと、カデルには黙っておこう。

 机に向かって羽ペンで何か書類へ書き込んでいたテグウェンが、顔を上げて立ち上がった。

「フィオラ様。」

「テグウェン。ちょっといいかしら。」

「もちろんです。」

「・・それでね。今後のことなんだけれど・・。」

 私はどうにもその先が言いにくくて、言葉を切った。

 テグウェン達からすれば、砦を守るために孤軍で戦い、救援を待ち望んでいるこの状況で、援軍は来ないと、その事実を伝えなければならない。砦にこもって戦う兵隊さん達にとって、援軍が来ないというのは、言い換えれば見捨てられたに等しいこと。伝えるのがつらい。

 テグウェンは私の顔をじっと見て、口を開いた。

「援軍は来ない、ということですね。」

「え・・? どうしてそれを・・・。」

 考えを見透かしたかのように、テグウェンがその事実を言葉にしてしまった。

「フィオラ様が単身、この砦内に来られたときから、そのように思っていました。戦況の劣勢はすでに明白。落ちかけた砦の救援に兵を割く余裕は、バイルシュタットにもないでしょう。恐らくハイネルのこと、砦にこれ以上兵を送らないと、判断したのでしょう。」

「・・うん。そうなの。でも、それってやっぱりテグウェン達を見捨てることになるし、放っておけなくて・・・。」

「フィオラ様のそのお気持ちだけで、私や兵共々、大いに励まされているのです。どうか、お気になさらぬよう。」

「ありがとう・・、テグウェン。でね。このまま、包囲に押しつぶされちゃうくらいなら、みんなで脱出したらいいと思うのよ。例えば、私達が通ってきた排水溝から抜け出すとか。」

 そう言う私に向かって、テグウェンは首を振った。

「いいえ、フィオラ様。我々に課された命令は、この砦を守ること。おめおめと逃げ出すわけにはいきません。砦の陥落を一日でも延ばすことで、敵をここに繋ぎ止めておくという目的もございます。脱出はできません。」

「でも・・!」

 すがるように見つめる私を、けれどテグウェンは、静かな瞳で見つめ返すのだった。青い炎がその瞳の奥で揺らいでいるような、強い意志を感じる。

 それまで黙って成り行きを見ていたカデルが、おもむろに口を開いた。

「テグウェン。あんたも分からん奴だな。」

「・・何?」

 テグウェンの美しいラインを描く眉が、ぴく、と動いた。

「フィオラ様はあんたや、あんたの率いてきた中隊の連中、ここの守備兵なんかを死なせないためにわざわざ出向いて来たんだ。それをむざむざ、全滅させようとするなんてな。フィオラ様の意思に背くことになるんだぞ。」

「・・・・。」

「それにな、他の隊長連中に、あんた、(うと)まれてるんだよ。女のくせに若くして、率いる隊は常勝無敗。古参の奴らからすれば面白くない話だ。ハイネルにしてみれば、全体を俯瞰(ふかん)した駒の動きを考えての結論なんだろうが、他の隊長らからすれば、何のことはない、邪魔なあんたを潰せる格好の好機と捉えてるのさ。」

「なんだと・・?」

 カデルの言うことは、私にとっても初耳だった。まさか、テグウェンがそうした状況にあったなんて、知らなかった。そういえば、バイルシュタットの軍議でも、隊長の人達はしきりと援軍に反対していたような・・・。裏にあるのがそんな動機だったなんて。

 小さい。器が小さすぎて、悲しくなる。

 カデルは続けた。

「そんな奴らの思惑に乗って、捨て石になる必要なんざ、これっぽっちもない、とフィオラ様はお考えだ。」

「あ・・、う、うん。そうなの。」

 と、私はカデルの言葉に乗っかる。カデルはあくまでも、自分のではなく、私の意見として通そうとしている。その方が、テグウェンも従いやすいと見てのことなんだろうけど、この辺りの細かな策略は、さすがにカデルならではだ。

「テグウェン、お願い。いえ・・。」

 私は、ぐっ、と目に力を込めてテグウェンを見据えた。

「これは命令よ。あなたがここで、兵もろとも果てることを許さない。包囲を突破して脱出する。ついて来なさい。」

 きっぱりと、私は断定して言った。

 こういう状況では、お願い、とか、相手の意見を尊重して、といった言い方は、かえってよくないということが、最近なんとなく分かってきた。私はあくまでも判断を下す側の者であって、判断を誰かに委ねることはできないんだ。右へ行くのか、左へ行くのか、どちらか一択。選ばなければならない。そこには重い責任が伴うことも感じている。けれど、その重さに負けてはいけないと、私の中のフィオラが囁いている気がしてならない。

「・・・分かりました。フィオラ様の命とあらば、従わぬわけにはまいりません。」

 す、と頭を下げるテグウェン。よかった、分かってくれた。

「ただ、突破の手段となりますと・・・。」

 テグウェンの懸念に、カデルもうなずいたする。

「ああ。排水溝からの脱出では時間もかかりすぎるし、単縦陣(たんじゅうじん)の状態で攻撃されればひとたまりもない。やはり、正面の門から一気に突破するのがこの際、良策だろう。・・・かなりの数が脱落するだろうがな。」

「脱落・・・。」

 脱落、とカデルが言うのは、そのまま死を意味した。門の前には敵の陣が分厚く張られている。ここを無理やり突破するのだから、多くの死者が出るのは避けられない。

「せめて、何か敵の気を引き付ける要素があればいいのですが・・・。」

 テグウェンの言葉に、ミカゲが口を開いた。

「じゃあさ、私の魔法で、どうだろ。」

 みんなの視線がミカゲに集中する。

「一撃で敵をどうこうできるほどのもんじゃあないんだけど、驚かせるくらいには役立つと思うのよ。そんで、ひるんだところを、さーって突っ切る。」

 私はミカゲの提案を嬉しく思ったけれど、

「でも、あの火の玉で相手がそんなに驚くかな。大きさって、せいぜいドッジボールくらいだったんじゃ・・・。」

 不安があった。

 トロルとの戦いでミカゲの見せた火球は、両手で持てるボール程度の大きさだ。相手が十人くらいだったらどうにかなるかもだけれど、今回の敵の規模では、影響が限定的になりそうな気がする。

「あう・・・。まぁ、威力の面じゃ確かに物足らないかもだよね・・・。」

「あ、ごめん、ミカゲ。別に責めるつもりはなかったんだけれど。実際のところ、どーかなー、と思って。」

 けれどカデルは、まんざらでもない様子だ。

「魔法、か。いや、悪くない手だ。威力はしょぼくとも、心理的にはかなりの動揺を与えられる。要は、こちらに魔導師がいると、効果的に示せればいいわけだ。敵の横陣(おうじん)全体を揺るがす必要はない。一点、突破口を開ければそれでいい。」

 テグウェンもうなずく。

「フィオラ様。ミカゲ殿のご提案、私も賛成です。三列縦陣で一気に抜けます。フィオラ様の護衛には、私が付かせていただきます。」

「うん。ありがとう、テグウェン。ミカゲ、よろしくね。」

「はいよー。・・・なんか、自分で言いだしといてなんだけど、私の魔法が作戦の鍵になっちゃったね・・・。」

 不安な表情をのぞかせるミカゲだけれど、私はその手をぎゅっと握りながら言った。

「大丈夫だよ。ミカゲならできるって。私をトロルから救ってくれたのもミカゲなんだし、今度もきっと、うまくいく。」

 じっと、ミカゲの瞳を見つめる。不安に揺れていたミカゲの目が、落ち着きを取り戻すのが見て取れた。

「・・うん。やるしかないもんね。」

 話を聞いていたサータリは、むしろ私やミカゲよりも自信ありげに、

「大丈夫じゃて。うまくいかんはずがない。」

 と、そんなことを言うのだった。

「・・・・?」

 サータリの自信がどこからくるのかよく分からなかったけれど、とにかく、突破作戦の決行は夜明けの直前ということに決まった。


 東の地平線が、ぼんやりとした夜明けの明るさを増しつつある。太陽が地平線のすぐ向こう側まで来てるのは分かるんだけれど、その光はひどく曖昧だった。

 霧のせいだ。

 乳白色の濃い霧が、このヘイデンケル砦と一帯を重く覆っていた。テグウェンが作戦の開始時刻を夜明けの直前に設定したのは、この霧の出現を狙ってのことだった。

 砦内で北側に位置する正門前に集まった私達は、ときおり聞こえるリウの鼻息や、鎧の鳴る音以外一切を立てず、静かにたたずんでいる。中央突破を目論(もくろ)んでいると、敵に悟られるわけにはいかない。

「ミカゲ、準備はいい?」

 私は、バルトへ一緒に乗ったミカゲに言った。

「オッケーよ。まさかこんな状況でこいつの初使用とはね。」

 ミカゲがそう言って握り直すのは、サータリからローンで買った魔杖だ。

「十クァドラに見合う効果は発揮してもらわないと。」

 ミカゲの言葉に、私も笑ってうなずく。 

 テグウェンの無言の合図で、砦の木門が「八」の字に開かれる。

 同時に、私達は門から砦の外へ飛び出した。私達、先行するリウからすると、もどかしいほどのスピードだけれど、全力を出してしまうと後ろに続く歩兵がついてこられない。どっ、どっ、どっ、という規則正しい足音を響かせ、北西方向に向けて私達は突き進んだ。

 すぐに敵のいる方向から騒がしい声が聞こえ出す。こっちが突出し始めたことに気づいたんだ。幸い、深い霧がこっちの位置を幻惑(げんわく)している。

「まだ、時間は稼げる・・!」

 敵の声が、リウのいななきがどんどん近づく。

「ミカゲ殿! そろそろです!」

 一番先頭を行くテグウェンが叫んだ。

「承知よ!」

 ミカゲが魔杖を両手で構え、目をつむって意識を集中し始めた。涼しげな風鈴みたいな、音色のついた囁きがミカゲの口からどんどん出てくる。魔法の詠唱ってやつだろう。暖かな揺らぎが周囲を包み込む。

 乳白色の霧を透かして、敵の姿がぼんやりと見えてきた。もう目と鼻の先だ。

 不意に、ミカゲの詠唱がぴたりと止まった。

「ミカゲ・・・?」

 私が振り向くと、ミカゲはおたおたと慌てながら言った。

「ちょ、カノン・・。ど、どうしよ。」

「え? 何? まさか、失敗したの?」

 ここでミカゲの魔法に失敗されたら、私達は敵陣に正面から突っ込むことになる。突破できなければ後はない。

「違うのよ。なんか、すごいことになってんですけど・・。」

「すごいこと・・?」

 私はミカゲの視線に沿って、自分の頭上を見上げた。

「わぁ! な、なによ、これ!」

 ミカゲの掲げる魔杖の先、私達の頭上に浮かぶのは、巨大な火球だ。小学校の頃、運動会で転がした大玉ってやつ。あれくらいの大きさがある火炎球が、炎をほとばしらせながら、打ち出されるのを今か今かと待っているのだった。

 呆然とした声でミカゲが言った。

「私、こんなにおっきなの出したことない。魔杖の効果ってやつかも・・。」

「ミカゲ!」私は、あっけにとられているミカゲに対して、前を指差しながら叫んだ。

「分かってる!」

 ミカゲが杖を振るう。

 炎の輝きは一層強くなり、台風で飛ばされた傘みたいな勢いで、火球は敵の横陣に向けて、吹っ飛んで行った。

 大地を揺るがす轟音と共に、兵を、リウを、えぐられた石と土を高く空へと巻き上げて、ミカゲの放った大火球が炸裂した。

「な、なんという威力・・!」

 テグウェンが思わず叫ぶ。

 私達は吹き飛んだ前線目指して殺到した。

 火球の炸裂した場所だけ地面がえぐれ、草は焼き尽くされて黒い土が露出し、直径十メートルくらいのクレーターになっている。爆風でその部分だけ霧が晴れ、青い空までのぞいて見える凄まじさだった。

 敵はもう大混乱だ。武器を放り出して逃げ出す兵もいれば、尻もちをついたまま動けずにいる若いビトリナス族の男もいる。私達に構う余裕はこれっぽっちも残っていない。混乱は、波紋を広げる水面(みなも)のように敵から敵へと伝達されて、敵全体が収集のつかない大混乱に陥っていた。

 潰乱(かいらん)する敵の様子を見ながら、テグウェンが私達の乗るバルトにリウを寄せてきた。

「ミカゲ殿! 想像以上の威力です。まさか、これほどまでとは。」

「い、いやぁ。むしろ、私が一番驚いてるっす。」

 くた、と力なく私の背中にもたれ掛かりながら、ミカゲが言った。

 テグウェンはうなずくと、私に向かって続けた。

「フィオラ様。敵がここまで崩れるとは、予想以上です。作戦を変更し、我々はこのまま敵陣の後背(こうはい)を突こうと思いますが、よろしいでしょうか。」

 敵の崩れたここが好機と見たんだろう。テグウェンの提案は当然のものだった。

「分かった。そうして、テグウェン。気をつけてね。」

「ありがとうございます。フィオラ様方は、先行してバイルシュタットにお戻りください。我々もすぐに追いつきます。ではっ!」

 テグウェンはそう言い残すと、ぐるっと後ろを振り返りながら叫んだ。

「作戦を変更するっ! 歩兵はここを突破後、横拡陣(よこかくじん)に整え直して展開。残兵を逃がすな。騎兵は私に続けっ。」

 両手持ち用の大剣、ツヴァイハンダーを軽々と前に差し向けテグウェンは、

蹂躙(じゅうりん)せよっ!」

 そう宣言して一気に加速する。

 応っ、とばかりに、他のリウ騎兵もテグウェンの後に続いた。ミカゲの大火球が炸裂するのを、みんな見てたんだろう。敵とは対照的に、士気は上がりに上がっている。これなら、三倍近い数の相手でもきっと勝てる。

 私はバルトを北西の方角へと向け直し、一気に駆け進んだ。戦場の喧騒が、瞬く間に遠くなる。作戦は成功だ。というより、大成功だ。当初は逃げ切れるかどうかすら危うかったのに、ここまで形勢を逆転してしまうなんて。

「やったよ、ミカゲ! すごいじゃない。ほんとは魔法って、素手で使うもんじゃなかったんだよ、きっと。グローブ付けずに野球をしてたようなものでさ。魔杖を使ってなんぼって感じなんだよ。」

 私は興奮気味に、後ろのミカゲへ言った。

「へっ、へっ、へぇー。どうやらそうみたいだね。ばぁちゃん、きっと修行のためとかで、杖を私に使わせなかったんだろーね。こりゃ、ローン組んでまでサータリから買った甲斐はあるよ。」

「ほんとね。バイルシュタットに戻ったら、お祝いしなきゃ。ご馳走が出るよ、きっと。」

「ご馳走もいいけどさ、私はどちらかっつーと、あれよ、あれ。キャッシュの方が嬉しいのよ。」

「分かってる。ニールおじさんに頼んでみる。ヘイデンケル砦の攻防、最大の功労者だもん。きっと、それなりのご褒美が期待できるって。」

「ふほほっ。いいねぇ、ご褒美。甘美な響きだわ。ご褒美なんて、ここ数年来(すうねんらい)もらった試しがないもの。楽しみだわぁ。」

「そろそろ、いいかな・・?」

 私はバルトの手綱を引いて、歩速を緩めた。戦場の音はもうずいぶん後ろに遠ざかり、バルトを全力で駆けさせなくてもいいと思ったからだ。

 昔。何かの本で読んだことがある。格言みたいなもので、勝って兜の()を締めよ、ってやつ。勝ったからこそ気を引き締めて備えることが大切だって。それはつまり、勝ったと思って浮かれてるときが、一番危ないってこと。私はそのことに、まるで気づいていない。何も分かっていない、ただの小娘にすぎないんだってことを、死ぬほど痛いくらい思い知らさせる。

「ぅえ?」

 突然、後ろのミカゲが変な声を上げた。

「何? ミカゲ。ご褒美の皮算用、計算が間違ってた?」

「ど、どうしよ、カノン・・・。」

「どうしよって、何が・・?」

 振り向くと、ミカゲが青ざめた顔で私を見ている。額には、びっしりと脂汗が浮いている。何か、ただごとじゃない雰囲気だ。

「・・え?」

 私は目を疑った。それがいったい、どうすればそんなことになるのか、私には理解できなかったからだ。ミカゲの胸から、ぬらぬらと濡れそぼった矢尻の先が飛び出している。

 かふっ、という弱々しい咳と共に、ミカゲの口から赤い何かがこぼれ落ちた。

 血だ。

「え? ミカゲ? ちょ、あれ? どういうこと? ねぇ、嘘でしょ・・。」

 私は気が動転して、うまく言えないけど、見ている現実が現実のものでありませんようにと、必死で念じながら、ミカゲの様子を冷静に観察している自分がいる。

「やばい・・かも・・・。すっごい、痛い・・・。」

「え? え?」

 かすれた声で言いながら、ミカゲが私に力なくもたれかかってきた。

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