チャプター6 羆(ひぐま)団
大空を舞う、最初豆粒のようだったそれは少しずつ大きくなって、輪郭が見え始めたかと思うと一直線にこっちへ向かってきた。
カデルの肩に降り立ったのは、一羽の鳩だ。シルバ・ニゲルの森を出たところすぐだから、もしかしたら、上空でずっと私達を探していたのかも知れない。森のはずれ、途切れた木々の先を朝日が満たしている。
私の後ろ、バルトへ一緒に乗っているミカゲが、興味深そうに目を丸くした。
「なになに? それってもしかして、伝書鳩?」
「ああ。」
と、カデルが短く答えた。足に結び付けられた小さな筒の中から、丸められた紙片を取り出すカデル。
「なんて?」
黙ったままのカデルへ、私は訊いた。出先の斥候とバイルシュタットは、普段、こうした伝書鳩を使って情報をやり取りするそうだ。移動している斥候兵をどうやって鳩が見つけ出すのか、そこだけは不思議でならなかった。
「羆団に注意しろ、と言ってきている。」
「羆団? どっかで聞いたような・・・。」
「最近、この近辺を荒らしまわっている野盗の集団だ。頭数は少ないが神出鬼没でな。ニール様も手を焼いておられたが、そいつらの被害が、昨日この辺りで出たらしい。」
「この辺り?」
「タチ、という小さな村だ。新たに開墾した畑がいくつかあるだけの、貧しい村だが、奴ら、なんであんなところを襲う・・?」
「行こう、カデル。その人達、困ってるかも知れないし、もしかしたら、また襲われるかも。ミカゲも、いいわよね。」
「もちろんよ。さーすが、姫様、領内の不届き者は見逃せないって?」
「見逃せないっていうか、村の人達、困ってるでしょ、きっと。助けなきゃ。」
自分が誰に言われるまでもなく、人のために、何かをする。こんなこと、学校じゃあんまり意識してやらなかったけれど、なぜかこのとき私は、タチ村の人々の為に、何かしなきゃいけない、そんな気持ちでいっぱいになった。なんだか、不思議な感触のする気持ちだ。悪いものじゃない。こう、燃える意思とでも呼べばいいのか、自分でも、こんな気持ちになるのがちょっと意外だった。
「この人数でできることは限られているぞ。それでも行くのか?」
「行く。」
「分が悪ければ引くぞ。」
「分かってる。」
「それと・・、念のために確認するが、これはフィオラ様としての命令か?」
「フィオラとしての命令って・・。カデル、なんで突然そんなこと言い出すの?」
「あんたの頼みなら聞いてやらんでもないが、命令は聞かない。どっちだ。」
カデルのプライドってやつがある手前、「フィオラの」命令なら聞くけど、私の命令は聞かない、ってことらしい。ややこしいこだわりってもんよね。くだらなくはあるけれど、そういうとこ、男子は気にするのかも知れない。
「・・・フィオラとしての命令よ。タチ村に向かう。案内して。」
「・・いいだろう。」
カデルがアナイの首を、ぐい、と西に向かって差し向ける。方向を転じるや、どど、と走らせ始めた。速い。
「あ、ちょっと・・!」
私も慌ててバルトを走らせるのだけれど、ミカゲを後ろに乗せてるからか、どうにも朝から機嫌の悪いバルトだ。いかにもしぶしぶ、という感じで走り出す。
「急いで、バルト。ミカゲ、しっかりつかまっててね。」
「オッケーよ、って・・・、なんか速くね? あたし、リウに乗るの初めてなんだけど。」
「我慢して。すぐ慣れるわ。」
「な、慣れるって言われてもさぁ。」
踏みしめる草の大地が、飛ぶように後方へ流れる。しなやかな脚力の蹴り出す勢いでもって、バルトはみるみる速度を上げた。これだけスピードを出してもそれほど揺れないってところは、さすがに訓練の賜物ってやつだろう。バルトはいい馬だった。
「うそぉぉ! すごいんですけど!」
ミカゲが私にしがみつきながら叫んだ。慣れるわ、なんてミカゲに対し余裕をかまして見せたけれど、そういう私も実は必死だ。リウで全速力を出すのは、これが初めてだった。バルトの首は前へのめるようにして倒れ、頭と、背中と尻尾がほとんど水平、一直線になっている。どっ、どっ、というリズミカルな音が、地面を力強く踏みしめてる。
思わぬスピードに感じた怖さが引くと、後に残るのは気持ち良さだけだ。自転車で、長く緩やかな坂道を走るに似てる。
ミカゲは、
「ウワァ!」
とか言いながら、私にしがみつくわけだけれど、
「ちょ、ミカゲ。変なとこ触んないでよ!」
お約束というかなんというか、ミカゲの両手が私の胸をわしづかみ状態だ。
「触るって、どこを?」
「胸よ、胸。お腹に手を回すとかしてよ。」
「えー? なんて?」
この子は・・。ミカゲ、口で言うほど、バルトの速さにびびってないな。振り落とされまいと必死、なフリをしてるだけっぽかった。もむもむとミカゲの指が怪しげな動作を取る。十本の指すべてが、それぞれ別の意思をもって動いてるかのよーな、奇怪な動きだ。なんというか、ものすごく、エロい。
「ちょ、やめてって。くすぐったい! 今、手を離せないんだから。」
言葉の通り、私はバルトの手綱を両手で握っていないと、バランスが取れない。
「しっかり掴んでないと、振り落とされチャウよぉ。」
と、ミカゲはいったいなんのエロシナリオか、棒読みでそんなことをのたまう。
「やめてってば!」
「ふふん。C、もしくはDマイナス。ある、あるとは思っていたけれど、あたしの見立て通りね、カノン。君、結構、着痩せする方でそ。」
「知らないわよ。やめてって、ちょっと、集中できないんだから。」
「なんで集中できないのかなぁ? ほれほれ。」
「やめ、あ、ヤメテェ!」
調子に乗るミカゲを、いつの間にバルトの横へ寄せたのか、カデルが鞘に入れたままのナイフでもって、ぺん、と叩いた。
「あ痛っ。」
「何してる。ふざけるんじゃない。落ちるぞ。」
「いや、つい夢中になってしまって。カデルも試してみる?」
なに勧めてるんだこの子は。
カデルは、
「遠慮しておく。」
と即答だ。
なんか、それはそれでちょっとあれな感じで、あれっていうのは別にも、もまれたいとかそんな変態チックなことじゃあないんだけれど、何もそんなに嫌そうな、道端に落ちてる泥団子食え、みたいなことを言われた顔つきしないでも。照れてんのかしら。
カデルの反応はさておき、
「試してみる? じゃないわよ。そんなこと試されてたまるもんですか。」
と、私は後ろのミカゲに言った。
「いいじゃん。減るもんじゃないし。」
「いや、すり減るでしょ。」
「おっぱいが?」
「違う! 人間としての何かがよ。」
「プライド的なもの?」
「そうよ。」
「その程度ですり減るプライドなら、最初から持たない方がいいっしょ。邪魔なだけよ。」
「そんなことない。」
「もまれて胸がすり減るなら、やめた方がいいけどね。・・・っく。私みたいになるから。」
ちら、と振り返れば、引きつった笑みを浮かべるミカゲだ。
抱きつかれた背中に感じる感触からして、胸がすり減るとかそんな話、ミカゲには自虐以外のなにものでもなさそうだ。
「その自虐、楽しい?」
「うん。楽しい・・・、わけないでしょ。私もカノンみたいに実らせたいわよ。今後の成長に期待だね。」
「だね、って私に言われてもさぁ。」
「つーか、なぜに自虐と? あたしが滑り台みたいにつるつるだと自覚してる、みたいな言い方よ、カノン。いいえ、むしろ、自覚しろと?」
「そうじゃないけど・・。自覚しろ、なんて言ってないでしょ。」
「言ったも同然よ。自分がいいもん盛ってるからって上から目線で。」
「別に上から目線とかじゃないし。」
「見てなさいよ。今にカノンもうらやむ、ナイバデーになってやるんだから。」
「はいはい。」
いや、手っ取り早く、魔法を使えば、とか、でもそんな魔法存在するのか、なんてひとり言を続けるミカゲだった。
それから、胸は果たしてすり減るものなのか、なんて議論をミカゲと交わす内、遠くの方に、小さな村が見えてきた。
十にも満たない数件の家が建ち並ぶのんびりとした村で、家、といってもこれまた、なんというか、ぼろい。とりあえず雨さえしのげればという、家というか、小屋と呼んだ方がいい家並みだった。
立て掛けられた鍬とか、水の満たされたバケツとか、生活の気配はあるんだけれど、人影がまったく見えない。風にそよぐ花だったり、その周りを飛び交う蝶とか、いたってのどかな場所だけれど、人の見えない静けさが不気味だ。
バルトにまたがったまま村に乗り入れると、私は周囲を見回して言った。
「ここがタチ村・・・。誰もいないみたいだけれど・・・。」
カデルはアナイから降りながら、
「いや・・・。」
そう言って、近くの家の戸口に近づくと扉を軽く叩いた。
「フィオラ様麾下、バイルシュタットの者だ。羆の奴らの被害にあったと聞いている。話を聞かせてくれないか。」
ちょっと間を置いて、おずおずと遠慮がちに扉が開く。顔をのぞかせたのは、おびえきった表情を浮かべる、中年のおじさんだった。
「フィオラ様・・?」
泳いだ視線が、私と合うなりぴたりと止まった。
「ま、まさか・・! お亡くなりになったと聞いておりましたが。」
「天の御力により、この世界に再誕されたのだ。まぎれもない、ご本人だ。」と、大仰な紹介をしてくれるカデル。まぎれもない偽者なんだけどね。
「あ、ど、どうも。話を聞かせてもらえるかしら。」
「こ、これは・・・! フィオラ様、御自らお越しくださるなんて。もちろんです。狭い場所ですが、さぁ、どうぞお入りください。」
招かれるまま家に入ると、古びたテーブルや椅子、戸棚があるばかりの質素な部屋で、ただ、目を引いたのが、子供達だ。ベッドの上で三人固まって不安げな顔をしているその女の子らは、みんな私よりちょっと年下くらいなんだけれど、とにかく、みんなかわいい。着ているものは粗末な服なのだけれど、アイドル並みの顔立ちをした子達だった。
もしかして、羆団がこの村を襲った理由って・・・。
「一応、こちらの村長をやっておりますサナロアと申します。村長と申しましても、近縁の者、八家族ばかりが暮らす小さな村でございますが。」
ミカゲがきょろきょろと部屋の中を見回しながら言った。
「この村が盗賊に襲われたっていうのよね。・・・なんか、盗るものなんて、ほとんど何もなさそうな感じだけど。」
「ちょっと、ミカゲ。」
困ったような顔を少し浮かべて、それでも笑いながらサナロアさんが返した。
「いえ、その通りです。ニール様のお名前のもとくだされた資金を元手に、ようやくいくつかの畑を開墾し始めたばかりの、貧しい村です。蓄えというほどの物はありません。ただ、奴らが興味を示しましたのが、その・・・。」
サナロアさん、ちら、と子供達の方を見た。
カデルがうなずいて言った。
「娘達か。」
「はい・・・。」
ミカゲは不思議そうな顔をしてカデルに訊いた。
「娘達って、どゆこと?」
「金になるんだよ。特に、容姿のいい娘はな。」
「金に・・・?」
「売るんだ。そういう売買ルートが存在する。」
「売るって、まさか、そんな人を商品みたいにさぁ。・・・。本気で言ってる?」
「ああ。人間の売買を生業とする奴らは存在する。公には認められてないがな。お前達の国にはいないのか。」
「いないよ、そんなの! ・・・多分。」
やっぱりだった。女の子達の怯え方が尋常じゃないし、サナロアのおじさん、髪の毛も後退して、ちょっと疲れちゃってるけれど、若い頃はイケメンで通った面影がある。きっと、おじさん一族には美男、美女が多いんだろう。そこを、羆団に目をつけられたんだ。
サナロアさんは疲れ切った口調で続けた。
「先日襲われた時は、村の男達総出でどうにか追い返したのですが、負傷者もかなり出ました。奴らはまた来る、と・・・。次に来られたら、防ぐ手立てはありません。」
私はサナロアさんの手を取りながら言った。
「大丈夫よ。私がどうにかします。いつ娘さん達がさらわれるかも分からないなんて、不安でしょうがないですよね。」
「フィオラ様・・・。」
サナロアさんの目に涙が浮かぶ。ここでどうにかしないといけないのは、私の役目だ。いや、厳密にはフィオラの役目であって、私の、じゃないのかも知れないけれど、黙って見過ごせる状況じゃなかった。
カデルはぼそっと、
「安請け合いを・・・。」
とか呟いてるけれど、聞かなかったことにした。
サナロアさん達、ひとまず今日は畑に出るということで、私達は部屋の一つを借りて作戦会議ということになった。
ミカゲは椅子の背もたれを前にしてまたがると、両手に顎を乗っけながら言った。
「カノンさぁ、どうにかする、なんて大見得きっちゃったけど、実際どうすんの? 聞けば相手は十人前後。私達三人じゃ、厳しくない? そもそも、あたしはほとんど戦力外みたいなもんだしさ。」
「戦力外って言っても、ミカゲは魔法、使えるんでしょ?」
「使えるったって、単発でだよ。一回使うごとに、ものすっごい疲れるのよ、あれ。」
「え? そうなの?」
「そうよ。カノンを助けたときだって、あたしぶっ倒れてたでしょ。火の玉ひとつであれだもん。盗賊の奴らをびっくりさせるくらいにはなるんだろうけど、過度な期待はしないでほしいわけよ。」
「あら・・。結構期待してたんだけど、そうなんだ・・・。どうしよう、カデル。」
腕を組んだまま、黙って聞いていたカデルが口を開いた。
「安請け合いするからこんなことになる。」
「でも、ほっとけない。フィオラとしての命令なら聞いてくれるんでしょ。手を貸してよ、カデル。」
「・・・ふん。手を貸さないとは誰も言っていない。・・・・。羆の奴らは、この村にろくな戦力が残っていないことを知っている。あまり間を空けずに襲って来るだろう。だが、そこが狙い目だ。」
ミカゲがうなずいた。
「油断してるってことだ。虎狩りに行くなら準備も心構えもするけれど、猫狩りへ行くのにそんなことしないもんね。」
私も、ふんふん、とうなずいて、
「私達が猫だと思い込んでいるところに、つけ入る隙があるってことね。」
と返す。窮鼠猫を噛む、なんて言葉があるけれど、窮した猫は羆も噛むってことになる。
カデルは続けて、
「こっちがおとなしく娘を差し出すフリをする。奴らが油断したところを急襲する。あんたも参加するんだぞ。」
「う、うん。」
カデルに言われて、私は思わず生唾を飲み込んだ。トロルとやりあった訳だし、テグウェンとの訓練もしてるわけだから、まったく素人ってわけじゃない。それでも、人間相手に斬り結ぶなんて、これが初めてだ。うまくいくのかな・・・。不安はある。けれど、今は不安がってるばかりじゃいけない。
カデルはさらに付け加えた。
「それと、村の連中に協力してもらって、準備しておくものがある。」
「準備?」と、私が聞き返すと、カデルはいつもの、にや、という笑いを浮かべた。
「ああ、そうだ。」
夜。日が暮れると、村の周囲は深い闇に閉ざされた。かかった雲のせいで、今夜は月も出ていない。目を凝らしても自分の手の指を数えるのにすら苦労する暗さだ。
やがて、いくつかの松明が村の北側から連なって近づいてきた。家の壁にある隙間からそっとのぞくと、明かりに照らされた男達の顔が浮かび上がる。
髭は伸び放題の毛むくじゃらで、ぎらぎらと光る眼は獲物を狙う獣のそれに似ている。思い思いの毛皮を肩にかけ、羆、と彼らを称するその名のとおり、人というより獣の群れが、松明を掲げてやって来た感じだ。がらがらと大きな音を立てているのは、闇に沈んでよく見えないのだけれど、馬車か何かを引かせているみたいだ。馬車は、村に入るかなり手前で止まった。
中でもひときわ体格の大きな男が、しわがれた声で叫んだ。
「娘を出せぇ! 隠れてやり過ごそうなんて思うなよ。出て来ないなら村ごと焼き払う!」
男達の顔に歪んだ笑みが浮かぶ。
圧倒的な優越と、この世界が自分達の思い通りに動いているという万能感が、そこには浮かんでいた。言い換えれば、油断しきってるってことだ。
サナロアさんが、娘三人を連れて村の中心へやって来る。
手はずどおりね・・・。私は剣の柄を握りしめながら、
「フィオラ・・・。力を貸して・・・!」
そうつぶやいて、家の外に出た。
「よーし、いいだろう。なに、殺しはしねぇ。むしろ、こんなしけた村にいるより、よっぽど食うに困らねぇ生活ができるぜ。」
泣き出しそうな、というより、すでに泣いているサナロアさんの子供達へ、羆団の男が手を掛けようとしたとき。
「そこまでだ! 我が領内での狼藉、見過ごすわけにはいかないっ!」
セリフはカデル指定のそのままに、私は声を張り上げた。フィオラなら言ったであろう口ぶりを、カデルに教え込まれたものだ。
私はバルトにまたがり、松明を掲げる。抜き身の直剣を下げたまま、なるべく胸を張って奴らにその姿をさらした。どうか、手の震えてることがばれませんように・・・!
「ぁあ? 誰だ、おめぇは。」
「バイルシュタットのフィオラ。」
「フィオラぁ・・・?」
どよ、と羆団の男達がざわめいた。
「フィオラって、ニールの娘の?」
「死んだってきいたぜ。」
「なんでこんなところに。」
頭と思しき男が、松明の光をこっちへ向けた。
「・・・ニールの娘が、こんなところで何してやがる。」
「あなた達に村が襲われたと聞いて、助けに来たのよ。もはや、逃げられると思うな。」
「逃げるつもりなんざ。」
羆団のお頭は、口ではそう言いながらも、すばやく視線を周囲に向けている。私達側の人数を把握しようとしてる。
「さらさらねぇんだよ。ニールの娘とは都合がいい。ついでにお前も取引のネタにしてやる。」
さすがに、悪名高い羆団のリーダー、こっちの戦力を推し量りながら、ひるむ様子は見せない。配下の男達も、動じない頭の態度に力を得たのか、再び顔をにやけさせながら、にじり寄ってくる。
そこへ、呼吸を合わせたようにカデルが村の外からアナイに乗って駆け込んできた。
「フィオラ様! 増援が到着いたしました。」
増援、と聞いて、男達に動揺が走るのが感じられる。
「カデル。ご苦労。」
ご苦労、て。うーん。カデルに言いたかったセリフを、ここにきてようやく言うことができた。カデルは私の態度にちょっと眉をひそめながらも、
「間もなく包囲が完了します。」
と、私にアナイを寄せながら言う。
羆団の男達の持つ松明が、右へ左へと揺れる。お互いに顔を見合わせたりして、あからさまに動揺しているんだ。
「落ち着け! ハッタリだ。」
頭の言葉で動揺が収まる、かに見えたのだけれど、男達の一人が、村の外を指さして叫んだ。
「お、お頭! あ、あれを!」
指差すその方向には、松明の群れ。夜の闇の中を、いくつもの松明がゆらゆらと村に向かって近づいてくる。それも、東と西、南側から、村を押し包むようにしてだ。
私はダメ押しで、剣の切っ先を差し向けながら言ってやった。
「羆団。お前達もここで終わりだ。おとなしく投降するなら、命だけは助けてやる。」
よしっ。なんか、行けそうな雰囲気だ。松明に浮かぶ羆団メンバーの顔に、弱気が出てる。カデルの作戦どおりだ。松明の群れは、村の人達、子供もおじいちゃん、おばぁちゃんも総出で持ってもらって、援軍がやってきたように見せかけてる。加えて、私がフィオラと名乗り出て、カデルにも私の名前を呼んでもらう。フィオラ、ニールの娘、一隊を率いて到着、という連想を羆団の連中に持たせるためだ。
カデルは包囲が完了すると言ったけど、実は完全に四方を囲むものじゃない。北側だけはわざと空けるようにしていた。完全に取り囲んでしまうと、脱出のために強行突破されかねない。村を囲む包囲が実はフェイクとばれてしまっては、元も子もない。
羆団の戦意がみるみる下がる中、私は松明を大きく振り下ろした。
合図。
ちょっと間を置いて、バスケットボール大の火の球が、村の広場の真ん中に着弾した。村の外に待機してもらってた、ミカゲの放った火球だ。
カデルは、
「こちらには魔導師もいる。お前達に勝ち目はない。」
と、一発屋のミカゲを魔導師と称し、はったりを重ねるわけで、けれど羆団、完全に慌てふためいて潰走し始める。松明の見えない村の北側目指して、奴らが走り出す。
そんな中、頭だけは私をにらんだまま、その場を動こうとしない。笑みすら浮かべるその顔が不敵だ。
「・・・フィオラか。噂には聞いていたが、なかなか肝の据わった娘だ。ニールの子でもなけりゃ、団に誘っていたぜ。」
「誰が盗賊団なんかに・・。手下達は逃げたわ。この人数、お前一人ではどうしようもないでしょ。」
早く行ってしまえ。早く。
「・・・くっ。」
「何がおかしい。」
「ありゃ逃げたんじゃねぇよ。見てな。」
頭は言い残すと、松明をその場に捨てて、身を翻した。あっと言う間に闇の中へ、その姿を消してしまう。
私は隣のカデルに、
「逃げたんじゃないって、どういうことだろ。」
と訊く。
「知るか。だが、少しやっかいだな。シナリオならここで奴らは潰走し、作戦完了となるはずなんだが・・・。奴ら、何か手を残しているのか・・?」
カデルにとっても、予想外だったみたいだ。
そこへ、ふらふらとよろめきながら、ミカゲが姿を現す。
「う、うまくいったみたいね。奴ら、逃げてったじゃん。」
「ミカゲ。ううん。違うのよ。ちょっと、嫌な予感がするの。」
「嫌な予感? 何で? 盗賊の奴ら、逃げたんじゃないの?」
「逃げたように見えるけど・・・。」
カデルは、
「追うぞ。何か手を打たれる前に、阻止する。」
言うなり、アナイの胴体をひと蹴りする。たちまち、アナイは走り出した。
「あ・・! 私も行く。」
私もバルトを走らせようとしているところ、ミカゲが鞍へ取り付きながら、
「あ、あたしも・・・!」
とか言って、必死によじ登ろうとしてる。
「ちょっと、ミカゲ! ミカゲは休んでなよ。まだろくに動けないんでしょ!」
「行くったら行くのよ。奴らが何をしようとしてるのか、見届けたいじゃん。」
「もうっ!」
私はミカゲの腕をつかむと、身体を仰け反らせるようにしながら、バルトの上に引っ張り上げた。羆団の頭や、カデルが姿を消した方角へとバルトを走らせる。
村から出際、サナロアさんが叫んだ。
「フィオラ様! お気をつけて!」
私は軽く手を振って合図しながら、村を飛び出した。
バルトを加速させようとしたけど、夜の闇が深い。松明程度の明かりじゃ、道の数メートル先までしか見えない。速度を上げられなかった。
「カデル、どこまで行ったんだろ・・。」
目を細めながら、見えにくい道を睨んでいると、私の背中にもたれかかってるミカゲが、あらぬ方向を指差した。
「あれじゃない? いくつか松明が走ってるっぽいよ。」
「え? どれ?」
道から九十度外れた方向、確かに炎が揺らいで見える。距離感が取りづらいんだけど、遠ざかってるみたいだ。
「あれか・・!」
バルトの首を、炎の方向へと差し向ける。バルトには、この闇の中、地形まで見えてるのかな? カデルに、暗闇の中でリウを走らせる方法、聞いとけばよかった。とにかく、ここはバルトに任せるしかない。
「バルト、急いで。」
バルトの歩速を上げる。
ぶふっ、と鼻息をひとつ鳴らして、バルトは歩幅を徐々に広げ、走り出した。
見る間に炎が近づく。
と、揺れる炎の一つから声が聞こえる。
「あんたらか! 来るんじゃないっ!」
カデルの声だ。
「カデルっ! 来るんじゃないって、何があったの!」
「いいから来るな!」
こんな必死の声、カデルから聞くのは初めてだった。
後ろのミカゲが言った。
「なんか、まずいことになってんのかな?」
「分かんない。とにかく、行こう。この暗闇じゃ、何が起こってるのかすら分かんないもん。」
私は、カデルの声が聞こえた松明の方へとバルトを寄せた。
カデルへ近づくにつれ、私はあることに気づいた。
「あ・・?」
「どしたの、カノン?」
「松明が、一つしかない。」
「・・・ほんとだ。」
さっきまでは、いくつかの揺らめく炎が見えていたのに、いつの間にか一つしか見えなくなってる。羆団の奴ら、みんなどこかへ行っちゃったのかな・・・。
アナイに乗ったカデルが、こっちにやってくる。炎で照らされた顔は、なんだか焦ってるみたいだ。
「くそっ! 来るなと言っただろ! なぜ来た!」
「だって、状況もよく分かんないし、カデル一人だけじゃ危ないでしょ。」
「俺一人なら切り抜けられたかも知れないのに・・!」
「え?」
「いいから、来いっ!」
駆け出そうとしたアナイが、身体を反らせて急停止した。
「遅かったか・・!」
「遅いって、カデル、何が・・・。」
訊きかけて、私はカデルの言おうとしたことが理解できた。
私の持つ松明の炎を照り返し、きらめく白刃はまるで、死にかけた狼が息を吹き返したかのよう。私達を囲むようにして、斧や剣が抜き身のままうごめいている。
罠だ。
気づいたときにはすでに遅い。いや、すでに遅いから罠なのか。羆団の連中は、逃げたふりをしただけだったんだ。私達の周り、大きな円を描くようにして手下達が配されている。
「囲まれた・・・?」
まずい。
羆団をフェイク援軍でびびらせて追い散らすって作戦が、ものの見事に逆転されてしまった。
暗闇の奥から、何かの重りを地面に叩きつけたかのような、ズシッ、という音が響いてくる。古い木製の扉を開けた時のような、木と金属の軋む音が続いて、再び、ズシッ、と何かが鳴る。何かとてつもなく重いものが歩いているような・・・。
ミカゲが囁いた。
「何の音よ・・・。」
「分かんない。分かんないけど、・・・ヤな予感しかしない。」
広い草原ではいかにも乏しい松明を光源として闇の中に浮かび上がるそれは初め、大きな鎧のように見えた。高さが三メートルにも達しそうな、鉄枠と木でできた大きな甲冑。プシッ、ていう炭酸のペットボトルを開けたみたいな音がそこら中からして、ギリギリと動くそれは、けれどただの鎧じゃない。まるで機械とは無縁の、自動車も、携帯もテレビもないこの国にあって、まったく似つかわしくないのだけれど、こう表現するしか他に言いようがなかった。
それはまるでロボットだ。
人の手足をそのまま長く、分厚く拡張したような、木と鉄でできた着るロボット。その右手には、凶悪なまでに巨大な斧が握られてる。
羆団の一人が叫んだ。
「ウルサのお頭ぁ! ひねりつぶしちゃってくださいよぉ!」
「おおよっ!」
羆団のお頭、ウルサと呼ばれた男は応じるなり巨大な斧を振り上げた。その切っ先が一瞬暗闇に飲み込まれる。
口を開けて見上げる私とミカゲ。次の瞬間、大気をそのまま割ったような風切り音をたてて、斧が斜めに振り下ろされた。
「くそっ!」
カデルがとっさに、私とミカゲをバルトから蹴り落とす。
私達のいた空間を斧が通り過ぎ、捲かれた風が頬をかすめる。
「きゃっ!」
「どわっ!」
と、頭から地面に落っこちる私とミカゲ。振り仰げば、私達が体勢を立て直す間もなく、再び斧が打ち下ろされようとしてる。
「くっ・・・!」
剣を構えてみるものの、あんな斧の一撃、受ければ剣ごと叩き割られそうだ。受けられるか・・。いや、避けなきゃだめだ。まともに受けたら、死ぬ。
剣を盾にしながら思い切って横に飛びのくのだけれど、私の速さに斧が追いついてしまう。
「ぅあ!」
目の前に星が飛び散らかるような衝撃を受けて、私は吹き飛ばされた。かろうじて受け身を取り、地面に叩きつけられるのだけは防いだけれど、斧を受けた手がしびれて使いものにならない。なんて一撃・・!
「おっといけねぇ。本物のフィオラかどうか怪しいもんだが、万が一ってこともある。大事な人質を、殺しちまうところだった。やるなら、こいつが先か。」
こいつって・・。ミカゲ!
「ミカゲっ!」
叫ぶ私の視線の先、ミカゲは、
「こ、この熊野郎! く、くるならこいっ!」
なんて強がってるけど、腰が抜けたのか、立ててすらいない。
「くっ・・!」
私はウルサに向かって駆け出した。ミカゲがやられる。作戦とか考えとか、そんなものはもう何も頭になかった。ただ、必死だった。
ウルサがこっちに向きなおる。斧を持たない方のハンマーみたいな拳が硬く握られるや、低く分厚い音を立ててこっちに突き出される。
あ、当たるっ!
両腕で頭をガードし、衝撃に備えるんだけど、いつまでたっても、骨まで砕きそうなその衝撃がこない。
「ぬぉお!」
雄叫びを上げたのはウルサの方だ。カデルがアナイの体ごと、鎧に体当たりしたんだ。よろめくウルサ、斧を振り回すけれど、カデルはアナイと共に飛び退る。四本足で立つ馬にはできない動作だ。人を乗せたまま、斜め後ろに飛びのくなんて。
大柄のナイフを抜くカデル。アナイはまるで、カデルの足となったかのようにその意図を汲み、ウルサとの距離を保ったまま円環上を周る。
「カデルっ! 気をつけて!」
私の口から、思わずそんな言葉が飛び出る。
言われなくても気をつける。そんなツッコミがカデルから聞こえてきそうなくらい、冷静な、いつもの人を食ったような表情だ。
「カデルの奴、場慣れしてるみたいね・・・。」
隣でお尻をさすりながら立ち上がったミカゲが言った。
「うん。」
そういえば、カデルが剣で戦うのを見るのは、これが初めてだ。最初に浜辺で私を助けてくれたときは、とっさのことともあって、何も見ていなかったんだ。
カデルの冷静さが伝わったかのように、アナイもまた、取り乱したり、落ち着きを失ったりということはない。
円を描くように距離を保っていたカデルとアナイが、不意に動いた。
どっ、と大地を蹴り、ウルサの脇をかすめるように過ぎる。すれ違いざま、ギンッ、という鋭い金属音と、火花の散るのが見えた。
「ぐぬっ・・!」
うめき声を上げるウルサ。見れば、鎧の腕のあたりから血が一筋、流れ落ちてくる。
「すごいっ。すれ違ったときに斬ったんだ。全然見えなかった。」
と、ミカゲが感嘆の声を上げた。
確かに、すごい。
カデルとアナイはもはや、人馬一体というべき境地に達していて、二人で一つの生き物みたいに、軽々と動き回っている。人間とは比べものにならないリウの脚力が生み出す突進は凄まじく、ほんの一呼吸で三メートル近い間合いを潰してしまう。
インとアウトの動きが速すぎて、ウルサの鎧はそのスピードについてこれなかった。
お頭っ、と口々に叫ぶ羆団の奴らの声に悲壮感が混じる。
「ぅおおお!」
ウルサが渾身の横薙ぎを繰り出した。
「カデルっ! 危ない!」
私の目には、カデルがその胴体ごと、斧によって薙ぎ払われた、かに見えた。
けれど違う。
アナイは首を倒してその一撃を避け、ウルサの大斧は宙を斬っただけだ。カデルが、いない。
闇の中、ウルサのはるか頭上に、キラ、と何かが閃く。カデルの短剣だ。
カデルはウルサの肩に降り立つ。ウルサは激しく身を揺さぶり、カデルは今にも振り落とされそうだ。
「危ないってば・・!」
私は反射的に、ウルサへ向かって駆け出した。背後にミカゲの声が残る。
「ちょ、カノン! 巻き込まれるよっ!」
ミカゲの言葉は、ほとんど頭の中に入って来なかった。
ウルサの左後背、死角と思しき位置から一気に近づく。けど、私に間合いの中へ入らせるほど、ウルサは甘くなかった。
ぐる、と鎧ごと振り向いたかと思うと、その重機みたいな手でもって、私の胴体ごと鷲掴みにする。
「しまっ・・!」
すかさず、鎧の手に力が込められる。
「ぅあっ!」
ものすごい力だ。メリメリと、自分の骨が嫌な音を立てる。まだ折れてはいないみたいだけど、ほとんど息ができない。
ウルサの肩上にあるカデルが叫んだ。
「何してんだっ、あんた! 邪魔だ!」
「邪魔・・・って、言って、も・・。少しは私だって、役に・・、立ちたい・・・。」
フィオラの名前ばかりに頼るのは嫌だ。私だって、村の人達のため、力になりたい。なのに、カデルの奴。邪魔って・・・。
私をつかんだウルサが叫んだ。
「よぉぉし! 小僧! 娘を取った。殺しはしねぇが、骨の二、三本折るのはたやすいぜぇ。」
ぎり、と力が加わり、
「くはっ!」
肺から空気が絞り出されてしまうのを感じる。苦しくて、息ができない。
「この娘の骨がポキポキやられる前に、そこから降りやがれ!」
けれどカデルは、慌てる様子なんかとっくのうちにどこかへ消え失せて、静かに返した。
「・・・ふん。降りる必要はないな。」
「・・何?」
言うなりカデルは、ウルサが反応する間もなく、手にした剣を深々と鎧の隙間に突き立てた。
「お前が倒れるからだ。」
「おあぁ!」
悶絶とも、戦意を見失わないための自らに対する鼓舞とも取れる声を上げ、一瞬後、ウルサの鎧の両腕がだらりと下がり、そのままけたたましい音を立てて、地面に仰向けでひっくり返ってしまった。
拍子に私は鎧の手の内から転げ出る。
「げほっ、ごほっ、うぇ!」
急に空気が肺の中に流れこんでむせた。
「お、お頭っ!」
「お頭が・・・!」
「ま、まずいぜ! 歩兵が来る!」
ボスを失った羆団は、それまでの威勢がどこに行ってしまったのか、動揺しまくっている。一人の指差す方向からは、松明の群れが近づきつつあった。村のみんなが来てくれたんだ。
倒れたウルサを放ったまま、残った羆団の連中は、我先にと闇の中に散っていった。今度こそ、本当に逃げ出したみたいだ。
「や、やった・・・!」
アナイはカデルのところまでやって来ると、撫でてもらおうとその頭をすり寄せている。
カデルは優しくアナイを撫でながら、私に対して向ける言葉は辛辣だ。
「なぜ飛び出してきた。あのまま俺は勝てたのに。あんたは邪魔にしかならなかったんだよ。」
「!」
何か言い返そうと思ったけど、悔しくて、情けなくて、私の感情はさっぱり言葉にならなかった。おまけに、涙まで出てきそうになるものだから、悔しさはなお増した。
「ちっ。威勢だけはいいんだがな。剣も馬術も、一から叩き込んでやる。」
うつむく私に対して、さすがにそれ以上責め句を続けなかったのはカデルの優しさと、そう解釈できなくもなかったけど、悔しさで頭に血の登った私に、そんな冷静な判断力なんてない。
「や、約束よ。まずは暗い中でリウを速く走らせる方法から。」
そう言うのがやっとだった。
カデルと私のやりとりを見ていたミカゲは、
「まぁ、何はともあれ、無事でよかったじゃん。あんなお化け鎧、私達全員、ピザみたいに平たくされててもおかしくなかったわ。特に私がね。」
と、危うく、ウルサの斧でぺちゃんこにされそうになったときのことを思い出したのか、その顔は心なしか青白い。
私は、大地に仰向けになったまま動かないウルサとその鎧を見た。
やっぱり、大きい。自動車並みの大きさで巨体が横たわる様は、異様だった。
「・・・ウルサって、あの頭領、死んじゃったの?」
私は沈黙したままの鎧を見ながら、カデルに訊いた。
「いや、まだ死んではいないだろうが、かなりの深手だ。このまま放っておけば、じきに死ぬ。」
「じゃ、じゃあ、手当てしないと。」
「手当て? なぜだ? こいつらに財産を奪われた奴も多い。因果応報だ。本人だって、死なずに済むとも思ってなかっただろう。こういう日がいつかくるもんだと、分かった上で盗賊なんてやってなきゃ、ただの馬鹿だ。」
「でも、それとこれとはやっぱり別だし・・。」
私は言いながら、鎧の胴体部分にある、ハッチの取っ手と思しきものを回してみた。
ごくっ、という重い音を立てて、鎧の前面が開く。
「おい、あんた。何するつもりだ。」
「手当てして、バイルシュタットに連れてく。そこで裁判とか、ちゃんと受けてもらうのよ。」
「バイルシュタットに連れ帰る、だと?」
私の言葉を聞いたカデルは、一瞬、怪訝な顔をしたけれど、すぐに、にや、と笑った。
「そうか。羆団の頭を連れ帰り、凱旋ってわけだな。フィオラの株も上がる。ここで死なせるより、よほど効果的だ。」
「あ、いや、そういう意味じゃ・・・。」
「いや。皆まで言うな。羆団の頭をニール様の娘御が撃退。バイルシュタットの連中も喜ぶ。」
そして俺の株も上がる。
カデルの顔には、そう書いてあるようにしか見えないんだけど、まぁ、いいや。とにかく、ウルサをこのまま死なせてしまうのは、何だか寝覚めを悪くしそうだ。
ウルサの肩口が真っ赤な鮮血に染まり、傷はかなり深そうだ。テグウェンに教えてもらった止血方法、裂いた布を固くあてがってみるけれど、血は止まらなかった。
「どけ。それじゃ、だめだ。」
カデルは強引に私をどかすと、ベルトについたポケットから、何かを取り出す。
ミカゲが興味深そうに、
「なになに? 何すんの?」
と、顔を寄せると、
「お前は明かりをかざしててくれ。」
カデルはそう言って、松明をミカゲに押し付けるなりウルサのところで屈み込む。手に持つのは、・・針と、糸?
「も、もしかして、縫うつもり?」
私が驚いて訊くのに対し、カデルは平然と答えた。
「そうだ。この傷だと、布で抑えるくらいじゃ止血にならない。幸い、動脈まではイってないみたいだからな。傷口ごと縫い合わせる。」
そう口を動かしながら、カデルは馴れた手つきで、すいすいと傷口を縫って行く。
ミカゲは顔をしかめながらも、目だけは爛々と光らせて言った。
「うへぇ。ほんとに縫うんだ。すごいね・・・。」
私は傷口を凝視してられず、立ち上がりながら目を背けた。血を見るのは好きじゃない。自分の血だって、いっつもあんまり見ないようにしてる。
ふと、暗がりの中から、何か金属を叩くような、コチン、という澄んだ音が聞こえてきたような気がした。
「・・・?」
コチン。
まただ。
「ねぇ、カデル・・。今の音・・。」
「何だ? 後にしろ。今、手が離せない。」
「私、ちょっと見てくる。」
「あんまり遠くまで行くなよ。羆の奴らの一部が、暗闇に残ってるかも知れないんだからな。」
「うん。分かってる。」
カデルは注意しろと言うけれど、正直、羆団の連中がまだそこらに残っているとは思えなかった。ウルサが倒れ、散り散りになって逃げる奴らの顔は必死で、もうこの場から逃げることしか考えてない。そんな表情ばかりだった。
私は松明を掲げながら、音のする方向へ歩み寄る。
何歩か歩いたところで、私はぎょっとして足を止めた。暗がりの中に光るものが二つ。獣の目だ。狼か何かが、血の匂いを嗅ぎつけてやって来たんだろうか。
カデル達のところへ戻ろうか迷っているところへ、光る眼は突然、
「ぬし。」
と、私へ語りかけてくるのである。
「・・・え?」
「おぬし。」
「・・・私?」
「近う。」
「?」
「もっと、近う。」
恐る恐る、私は声の主へと近づく。松明の炎が照らし出すのは、馬車の荷台だ。周囲を鉄の格子で囲った荷台はまるで、囚人を護送するために誂えたものみたいだ。羆団のこと、運ぶのはもちろん囚人なんかじゃないんだろうけど。
その檻の中に、ちんまりとした姿の、・・・女の子が座っている。声はその子の方から聞こえてきたみたいだけれど、私はひどい違和感を感じた。声は低くて、ひどく聞き取りずらいものだったから、その容姿と釣り合いが取れないのだ。
「羆の者じゃ、ないのであろ?」
違和感はあるのだけれど、間違いない。声は確かに、その子の口から発せられてるものだ。少し汚れているけれど、上等そうな生地でできた緑のワンピース姿で、胸の下あたりを赤い紐で結んでいる。何より目を引くのは、その耳。
ボブカットにした金色の髪の中から、みょいん、て耳が突き出してる。いわゆる、エルフ耳ってやつだ。
女の子座りをした檻の中の子は、物憂げな調子で続けた。
「そこの荷袋の中に鍵が入っとる。そいつで忌まわしいこれを、開けてくれんかの。」
これ、と指すのは、檻の扉についた頑丈そうな錠前だ。さっきから鳴ってた音はどうも、錠前を持ち上げて、それを鉄格子に打ち付けた時のものだったみたいだ。
「あなた、羆団の連中に捕まってたのね。いいわ。今、出したげる。ちょっと待ってて。」
袋の中から鍵を見つけ出して錠前を開けると、女の子はゆっくりとした動作で、中から這い出てきた。
「ふ、ぬぬぬ・・・!」
大きく伸びをして、それからストンと両腕を下ろすと、女の子は私を見上げ、虚ろな表情で言った。
「助かった。礼を言う。ええと・・・。」
「カノンよ。水際花音。呼ぶときはカノンでいいわ。その・・、フィオラって私を呼ぶ人もいるけどね。」
「ふん?」
女の子は首を傾げた。どうも、フィオラの名は知らないらしい。
「カノンか。私はサータリ。危うく奴らに売り飛ばされるところであったわ。」
「やっぱり、奴らに捕まってたんだ。タイミングが良かったね。えーと、サータリは、どこの村の子? この近くに住んでるの。」
「いや、村の子、というわけじゃあないのだが・・・。」
このあたりの村の子じゃないんだ。応えるサータリは、確かにちょっと不思議な雰囲気の子だ。見た目は小学生か、中学生に上がったばかりという年恰好なんだけれど、ひどく大人びてるようにも見える。言葉遣いといい、その声といい、子供らしさとは無縁で、どこか世を隔たったところに立っているというか、なんだか神秘的な雰囲気がある。
「・・・・?」
サータリと名乗るその子が一点を見つめたまま黙ってしまったものだから、私もつられて、その視線の先を追う。どうやら、私が腰にぶら下げてる直剣を見てるみたいだ。
「あ、ごめんね、武器とか。奴らに捕まったときも、怖い思いしたんだよね、きっと。」
「いや・・。つかぬ事を申すようじゃがの。その腰のもの、ちょっと抜いてみやれ?」
「え? これ? 抜くって?」
「鞘から。」
「う、うん・・・。」
変なことを頼む子だ。私は言われるまま、腰の直剣を引き抜いた。フィオラ愛用の剣ということで、私がそのまま引き継いだものなんだけど・・・。
剣身を鞘から抜くなり、それまで虚ろだったサータリの表情に、みるみる血の気がさす。
「ほぉぉ。いいの。いい!」
私の手元へ、がば、と食いつくように駆け寄ると、サータリ、舐めるように剣を見ながら、
「ふむ。グリップはテザ、赤蔦での拵え、ブレードはカッサリア鋼か。どうりで地金が黒みを帯びとると思ったわ。フラー(※剣身に入った溝)は浅めで重量感があるの。カッティングエッジ(※刃先)からポイント(※切先)に至るラインはなかなかに流麗。ポンメル(※柄頭)は・・、クナトル川の緑石か! にくい仕上げをするものだのぉ。良いぞ。剣匠のこだわりが随所に見られる。無骨ながらも繊細さを失わない、実用性の高い一振りじゃわ。」
と、早口でまくしたて、涎の垂れそうなくらい相好を崩して剣に見入るのだった。ほっといたら、剣に頬ずりしかねない勢いで、さっきまでの物憂げで虚ろな表情が嘘みたいだ。
「おぬし、どこでこれを?」
輝く瞳でサータリは私を見つめる。
「え、えーと・・。ある人の形見、みたいなもので・・・。」
「か、形見か・・・。それでは、譲ってもらうわけにもいかんの・・・。」
サータリ、そう言ってがっくりと肩を落とすのだった。
「な、なんか、サータリって、剣に詳しいみたいだけど、鍛冶屋の娘さん、とか?」
「鍛冶屋の娘に生まれとれば、どんなに幸せだったか。あては元、巫女での。見てのとおり、武具に目がなくて、神殿での職は肌に合わなんだ。なもので神殿を辞し、各地を流れている内、羆団の連中につかまるドジを踏みと、まぁ、そんなところじゃわ。いつ連中に乱暴されるものかとヒヤヒヤしておったが、ほんに助かったぞ。おぬしが、羆の奴らを追い払ったのか?」
「う、うん・・。正確には、私の連れなんだけどね。」
「連れ。」
遠くから、人の話し声が聞こえてくる。サナロアさん達がカデルと合流したみたいだ。
「もしかして、おぬし、結構な身分の者か?」
「結構な身分ていうか・・、まぁ、そうなる、のかな。」
「いや、その腰のモノを見れば分かる。あの動力鎧をどうにかできるところからして、連れの方もかなりの手練れ、なんじゃろ。」
「動力鎧? って、ああ、さっきの、ウルサが乗ってた。」
「あれは恐らく、東のローディニウム帝国から流れてきたもんじゃろ。どういう経緯で盗賊ふぜいがあんなものを手にしたか知らんが、魔力と水圧で稼働するアーマーモジュールじゃわ。軍用のな。」
「ローディニウム帝国・・・。」
座学で教わった。アユタル山脈以東に存在する強大な帝国で、まだ私達と直接的な紛争にはなっていないものの、レナ族やビトリナス族の領地に介入する意図がちらちらと見えるらしい。
「よし。」
ぽん、とサータリは握った拳をもう一方の手の平へ落とし、
「カノン。あてもおぬしらについて行ってよいかの。」
と、そんなことを言い出す。
「私達に?」
「いや、今までいろんな場所を巡ってきたが、確たるスポンサーを持たなくてな。独り身の気楽さというもんはあったんじゃが、何せ、野盗、獣の類に囲まれると、ひとたまりもないってことが身に染みて分かったんじゃ。強い連れもおるということじゃし、少々勝手なことを言うようじゃが、ついて回らせてもらいたい。流浪の武器商、サータリといえば、業界では多少の名も通っておるし、損はさせんぞ?」
「えーと・・・。うん。まぁ、いいか。いいよ、サータリ。」
一緒に来たい、というのを断る理由も私にはなかった。それに、動力鎧のことといい、いろいろと情報通みたいだし、損はさせない、というその言葉に嘘はなさそうだった。
「恩にきる。よろしくの、カノン。いや、フィオラ様、の方がいいかの。」
「あれ、やっぱり知ってるの? フィオラのこと。」
「ニールの娘じゃろ。バイルシュタットで見たことがある。死んだと聞いておったから、はて、と思ったんじゃが、ま、事情もいろいろあるんじゃろ。無理には聞かぬわ。」
「うん・・・。人前でない限り、私のことはカノンって呼んでくれていいよ。その方が私も、なんか嬉しいし。」
「じゃあ、カノンで。」
にっ、と笑うサータリの笑みにはようやく、年相応の女の子らしい明るさが浮かんだような気がした。そして、ちら、と動く視線の先には、私の剣だ。でへへ、と笑みがさらに崩れるところからして、私達についてくる、というより、フィオラの剣についてくる、と言ったほうが彼女の動機を穿っているのかも知れない。
元巫女の武器商というちょっと変わったエルフの子、サータリと共に、私達は、松明の集まるカデル達のところへ向かうのだった。