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ミギワメンテリスカノン  作者: 桜田駱砂 (さくらだらくさ)
6/10

チャプター5 東の森のアルケミスティック魔女

 泥の中から引き起こした彼女を背中におぶって、カデルのとこまで戻ると、カデル、巨人に襲われた事情を聞くなり開口一番、

「人が襲われそうだったから、注意を引きつけた、だと? トロルだぞ、それは。死なずに済んだのが奇跡だ。死ぬ気か。」

 と、心配の「し」の字もなく、私を案じてくれるどころか怒られる始末だ。

「私だって死ぬつもりでやったわけじゃないわよ。けど、この人が狙われてるっぽかったし、とっさに・・・。」

「あんたに死なれると困るんだ。もっと自重しろ。」

「お説教なら後にしてよ。私、この人、介抱しなきゃいけないんだから。」

「そいつは? あんたが助けた奴か。」

「そうよ。あ、そうだ。カデル、お鍋、取ってきてもらえる? 落としてきちゃった。」

「まったく、トロルにのこのこ近づくなんてな・・・。」

 なおも何か言いながら、カデルは小川の方に歩いて行った。

 おぶってきた女の子の顔についた泥をぬぐってあげると、なんだかひどく上気した顔で気を失っている。笑みさえ浮かぶ頬が、林檎みたいに赤くなってる。

「ずいぶん幸せそうね・・? 怪我、とかじゃないみたいだけれど。・・・あれ?」

 この顔、どこかで見た覚えが・・。どこでだっけ? 館の中ですれ違った・・? いいえ。すれ違ったのは、館じゃない。もっと以前のような・・・。

「ん・・・。はっ。」

 がば、と女の子が起き上がった。

「あ、あれ? ここは・・?」

 きょろきょろと辺りを見回し、状況を理解できていない様子のその子へ、私は言った。

「突然気を失ったみたいだから、ここまで運んできたのよ。大丈夫? どっか痛いとこ、ない?」

 あちこち身体をさする私をぽかんと見つめてから、

「ああ、いや、あたしは平気だから。あんな近くにトロルがいたなんて。君がいなきゃ頭からぱっくりいかれてたとこよ。ありがとう。」

 と頭を下げられてしまった。

「いいのよ。無事でよかった。」

 女の子は、泥が少し付いちゃったけど、つやつやした黒のロングをぱさ、とかき上げ、あぐらを組んで座り直した。フードを後ろに下ろしているけれど、見たところローブみたいな服を着て、腰のあたりを紐で結んである。小柄な体躯(たいく)にくるくるとよく動く目は、いかにも好奇心が強そうだ。

「私は、えーと・・。」

 この場合、自己紹介をするにはどっちを名乗ればいいんだろう。水際(みぎわ)とフィオラ。フィオラで通してもいいのだけれど、なんとなく立場を明かしたくなかった。普通に高校生をやってた頃は、こんなこと考えもしなかったのだけれど、フィオラという立場を明かすことで、相手の態度や思惑が急変しそうな、それが嫌だった。

「カノンっていうの。あなたは。」

「ミカゲ。」

 ミカゲ・・・。御影(みかげ)? 名前の響きがなんだか和風で懐かしい。

 ミカゲは、どっこいしょ、といわんばかりに立ち上がると、

「カノン。ほんとに助かったわ。何かお礼をしたいとこだけど・・。」

「いいよ、別にお礼なんて。それを目当てにしたわけじゃないし、ほんとに何も考えずにとっっさの判断だったから。」

「とっさの判断でああいうことができるって、なかなかないよ。君、どこに住んでるの?」

「あ、えーと、バイルシュタットの方、かな。」

「ふーん。バイルシュタットのカノンね。じゃあ、今度、お礼に行かせて。何かみつくろって持ってくからさ。」

「いいのよ、ほんとに。」

「でもそれじゃあ、あたしの気が済まないし。また日をあらためてね。じゃあ悪いけど、今日のところは私、帰らなきゃだから。」

 そう言って立ち上がるものの、ミカゲの足はおぼつかない。

「ねぇ。大丈夫? まだ、なんかふらふらしてるよ。」

「平気。」

「そうは見えないんだけど・・。」

「早く帰らないと、ばぁちゃんにしかられちゃうからさ。」

「ばぁちゃん・・? おばぁさんと住んでるの。」

「そうだよ。怖いのなんのって。ありゃあ、(つの)をどこかに隠してるとしか思えない。オニババってやつよ。・・っと、今私がそんなこと言ったなんて、言わないでね。」

「そりゃ、言わないけどさ・・・。」

 ミカゲは歩きかけるのだけれど、ふら、とバランスを崩した。

 私は慌てて、

「ほら。まだだめよ。もうちょっと休んでけば? 具合が悪いんだったら、帰るの遅くなっても、そのおばぁさんだって分かってくれるよ。」

 ミカゲの身体を支える。その拍子に、ローブの内側がちら、と見えた。

「! それって・・・。」

「ん? ああ。変な服でしょ。別に気にしないで。私の趣味。」

「趣味っていうか、制服でしょ、それ。うちの学校の。」

 やっぱりだ。ミカゲの顔、どこかで見た覚えがあると思ってたんだけど、学校の、たぶん廊下かどっかですれ違ってる。

「え?」

 驚いたようなミカゲと、私の目ががっちりと合った。私達の考えていることが、はっきりと一致した瞬間だった。

 ミカゲの目が、ぱっ、と輝く。

「じゃ、じゃあ、もしかして、カノン、あの船に・・?」

「うん。乗ってた。」

「ぉおおお! やった! 他にも流れ着いてた奴がいたなんて! いや、どっか懐かしい雰囲気だなーって思ってたのよ!」

 ミカゲは上がりっぱなしのテンションで続けて、

「それで?」

 と、何の脈絡もなく質問に移る。

「それでって・・?」

「連絡、ついてるんでしょ。いつ迎えが来るの?」

「いや、あの・・・。」

「私の携帯、海に落ちたときに壊れちゃってさ。電話もできない状態だったのよ。」

「だからね・・。」

「なんか、地理関係の本を読んでも知らない地名ばっかだしさ。いったいどこよここ、って感じで。おまけに─。」

 ミカゲのものすごいハイテンションに押されて、私は完全に、事実を言いそびれてしまった。帰れないのは私も同じなのだ。

 私は思い切って、ミカゲの言葉をさえぎった。

「ちょっと、聞いてミカゲ。」

「え? なんて?」

「私も同じなのよ。帰れないの。携帯は壊れてるし、遠方との連絡手段なんて伝書鳩くらいって言われてるのよ。なんかぬかよろこびさせてごめんだけれど、私の状況もミカゲと全然変わらないのよ。」

「・・・マジで?」

「マジで。」

「・・・ぬぁぁ! そうか。カノンも同じかぁぁ。そっかぁ。」

 頭を抱えるミカゲ。早とちりに加えて、なんだか、喜怒哀楽がストレートに表に出る子だ。

「はぁぁ。まぁ、帰る手段が分からないんじゃ、しょうがないけどさ。いろいろと面白いことも分かってきたし、もうしばらくここにいてもいいかぁ。」

 と、なんだか帰るのを諦めたというか、順応してるというか、切り替えの早い子でもある。とにかく、感情の移り変わりに忙しいミカゲだった。

 私は、なかば自分へ言い聞かせるようにもして、ミカゲを励ましてみる。

「情報を集めてみようよ。絶対、家に帰る方法はあるって。・・・ところでさ、今、面白いことも分かってきたって言ったけど、何のこと?」

「ああ。えーと・・。ばぁちゃんにはあんまり外で話すなって言われてんだけど・・、ま、カノンならいいっしょ。異国に流された同郷のよしみってやつでね。あたし、使えるのよ。」

「・・・何を?」

「魔法。」

 ま、ほう・・? また、この単語だ。ゲームとかおとぎ話じゃ馴染みのある単語だけれど、現に魔法とか言われても、「あなたも変われる! 魔法のメイク」とか、「魔法の整頓術 これでお部屋が広くなる」なんて、キャッチコピーしか連想できないわけで。ふわふわした、とらえどころのない言葉には違いなかった。

「さっき、巨人の顔面にぶちかました火の玉。あれよ。」

「あれが・・?」

 私が首をかしげる背後から、食いつくようなカデルの声がした。

「魔法、だと・・・?」

 鍋を放り出して駆け寄ったカデルは、ミカゲの腕をつかみながら一気に言った。

「あんた、魔法が使えるのか。ここらで最近出没する魔女ってのは、あんたか? こいつに助けられたらしいが、いったい何をしていた。俺達(レナ族)につく用意があると、そう考えていいのか。」

 突然、いろんなことを聞かれたミカゲ、

「えーと・・。誰?」

 と、私に顔だけ向けてくる。

「カデル。そんな急にいろいろ訊いたって、いっぺんには答えられないよ。ミカゲ。この人、カデル。斥候のエキスパートで、私の護衛みたいなことも兼ねてやってる人よ。」

「カデル、ねぇ。ふぅん。へぇ。」

 ミカゲはカデルをじろじろと見て、それから私と交互に見比べながら、

「見たところ、二人連れってやつよね。こんな辺鄙(へんぴ)な場所で、男女二人。・・ふへへ。」

 なんか、よからぬことを考えてる様子だ。

「何?」

「いや、お楽しみのところを邪魔しちゃったんじゃないのかと。」

「お楽しみって・・。・・は? いや、別にカデルとはそんなんじゃないわよ。」

 カデルの方はもっとむきになって、

「冗談じゃない。なんでこんな小娘なんかと。」

 と、怒り出したくらいだ。いや、小娘て、あんたも同い年くらいじゃないの。

「違うの?」

「違うわよ!」

「なんだ。てっきり、ボディガードとの許されざる恋路、退廃への逃避行ってやつを目の当たりにしたと思ったのに。あれ? でも、護衛ってことは、なんかVIP扱いされてんの? 重要人物ってこと?」

「いや、別にVIPとか、そんなんじゃ・・。」

 しまった。護衛とか、うっかり口を滑らせていた。私がもごもごと否定する努力を、カデルはあっさりと、

「そうだ。ニール様が娘、第六子にしてその世継ぎ、フィオラ様だ。」

 蹴散らしてしまう。

「ニールって・・、あのバイルシュタットのニール? レナ族の長?」

「う、うん。」

「その娘っていったら、姫様じゃん! なんで? どうしてそんなポジションに収まってんのよ?」

「い、いや、収まったっていうか、なかばはめられたっていうか・・・。私、そっくりなんだって。そのフィオラって人と。だから、亡きフィオラの再誕ってことに・・・。」

「ほぇぇ。なんか、うまいことやったわね。」

「うまいっていうか、全然そんな気なかったのに、カデルが勝手にさ。」

 と、カデルを見ても、ふん、とそっぽを向かれてしまう。

 ミカゲは、うんうん、とうなづきながら、

「いや、ラッキーだと思うよ、カノンは。こんな知り合いもツテもないところでさ、ふらふらさまよっても野垂(のた)れ死ってのが、一番ありえるオチだもん。とりあえず、食うに困ってないわけでしょ、今は。」

「ま、まぁ、それはあるけれど・・・。」

 私達の会話にじっと聞き入っていたカデルが、ミカゲに向かって口を開いた。

「聞いた話の内容といい、あんた、なんだかこいつと雰囲気が似てるんだが・・・。もしかして、同郷の人間か?」

「同郷っちゃ同郷よね。学校同じだし。」

「つまり、異国の船が沈んで、ガリアナに流されたと。」

「そうなるね。」

 そこでカデルは、にや、と笑った。

 あ。こいつ、また何か思いついたな。カデルの笑みには裏がある。好意や親切と見えても、そのまま受けとめちゃいけないってことを、私はすでに思い知らされてる。

 カデルはすぐに笑みを消すと、私達に向かって言った。

「あんたらは異国から来た。乗っていた船が難破し、仲間とも連絡がつかず、帰るに帰れない。そうだな?」

 うん、と私達はうなずく。

「帰りたいか?」

 私は即座に、

「帰りたい!」

 そう応えた。

 つまらない日常。退屈と、欺瞞(ぎまん)とくだらない見栄の続く日々に嫌気がさしてもいたけれど、それは、毎日の生活が当たり前のものとしてつながっていることが前提の、ある意味ぜいたくな悩みだったのかもしれない。ぐるぐると続く円環(えんかん)の中にいると、その輪から外れてみたくもなるのだけれど、いざ、外れてみると、元の輪っかに戻りたくなる。少なくとも、トロルに襲われたり、熊みたいな男達に追われたりはしない世界へ。恵にも会いたい。

 こんな異郷にあって強まるのは、やっぱり帰りたいという気持ちだった。

 ミカゲの方はというと、

「うーん。まぁ、帰れるんだったら、そりゃ帰りたいよね。」

 あっさりしているように見えても、その辺の気持ちは私と変わらないみたいだ。

 カデルは私達の返事を聞いてうなずくと、

「よし。帰る手立てを探すのを、手伝ってやる。」

 親切。でも、

「ただし。」

 と続く。これだ。カデルの策略。

「あんたは、これまでどおりフィオラ様で通してもらう。お前は魔法が使えるんだな? 俺達に協力しろ。それが条件だ。」

 ミカゲが、

「協力って、具体的に何すればいいの?」

 とカデルに訊けば、

「とりあえず、俺達と行動を共にしろ。まずはそれだけでいい。」

 と、案外シンプルな要求だ。

「ふーん。そんくらいなら別にいいけど。なんか、面白そうだしね。誰かのおもちゃになれとか、靴下でその顔を踏んづけてもらいたがってる人がいるってのは困るけどね。ま、踏んづけるくらいならやってあげてもいいんだけどさ。」

 やってあげてもいいんだ。

 私への、フィオラとして通してほしいって要求は、なし崩しではあるけれど、すでに実行してるわけだし、拒否する理由にはならなかった。

 なんとなく、カデルの思惑に乗せられてる気がしてならないんだけど、それ以外の選択肢がないのも事実だった。

 ミカゲは私を見ると、

「ほんじゃ、まぁ私はフィオラ様に付き従う者ってことになるね。坂凪(さかなぎ)よ。名前。談合坂(だんごうざか)の坂に海が凪ぐ。辰巳(たつみ)()に毛色の鹿毛(かげ)坂凪(さかなぎ)巳鹿毛(みかげ)よ。よろしく、カノン。」

 にこ、と微笑む笑顔の明るさは、この子の怪しげな性癖(せいへき)を覆い隠すに一役買っていそうな感じだ。

「うん。私は水際(みぎわ)。下の名前は花に音でカノンよ。」

 ガリアナなんて、聞いたこともない場所にきて一ヶ月。ようやく私は、元居た世界とのつながり、同じ学校の子と相見(あいまみ)えることができたんだ。どちらからともなく伸ばした手で握手をすると、一人ぽっちだった寂しさが少しずつ癒えてゆく気がした。ミカゲの手は柔らかくて、すべすべしていた。

「・・・・。あ!」

 ミカゲが、私の手を握ったまま不意に叫んだ。

「ど、どうしたの?」

「か、帰らないと・・・! いくらなんでも、やばい。遅くなりすぎた。カノン達も来なよ。ここでキャンプでもいいんだろうけどさ、うちなら屋根がある分、多少マシでしょ。二人と一緒に行くなら、ばぁちゃんにもひとこと断っとかなきゃいけないし。」

 早く早くと急かされて、私とカデルはアナイとバルトに荷物を積み上げると、その手綱を引いて、森の中へ誘うミカゲの道案内に従うのだった。

 拾った太めの枝先に布を巻きつけ、カドゥの花油を入れた瓶に先をひたす。ほくちとなる綿へ火打石で着火し、じんわりと火がついたところへ藁をつっこむ。藁の先にできた小さな火を枝の先に近づけると、カドゥの花の芳香と共に明るい火が灯った。たいまつの完成だ。

「手馴れたもんねぇ。」とミカゲが感心したような声を上げた。

「いやぁ、毎日やらされたからね。火ぐらい起こせないと、何かと不便だし。」

 ちら、とカデルを見る。火も起こせないと私を小馬鹿にしたのは、こいつなのだ。

「ま、確かにそうよね。ライターすらないってのには、さすがに焦ったものよ。」

 私達は再び歩き出す。背の高い巨木の枝が風に揺られて、うねりのようなざわつきが辺りに響いている。

「ねぇ、ミカゲ。さっきの、魔法、なんだけどさ。どこで覚えたの?」

 ぴく、とカデルの耳が反応するのが目に入った。

「ああ。ばぁちゃんに教えてもらったのよ。」

「ばぁちゃん・・? その人が、いわゆる魔法使い、ってこと?」

「そうなるんだろうね。私が海岸で目が覚めてうろうろさまよってたら、そのおばあちゃんに話しかけられてさ。しきりと、私が臭う、臭う、なんて言うのよ。そりゃ、海水でずぶ濡れになってれば磯臭いのは当たり前でしょ、って言っても、違う、その匂いじゃないとかってさ。んで、とにかく来いって言われるまま、あとはなし崩しで弟子入り状態よ。カノンも使えるんでしょ、魔法。」

「いいやぁ。」

 ぷるぷると頭を横に振る。

「使えないよ。反復横跳びできるでしょ、くらいに言われても・・・。」

「あれ? そうなの? この国の人って、みんな使えると思ってたんだけど。」

 カデルが顔だけ振り向いて口を開いた。

「皆は使えない。マニュアル化して兵達全員が魔法を使えるようにしようとした計画もあるらしいが、結局は頓挫(とんざ)した。教えて使いものになる奴がいないからだ。魔法使いと称される本物は、ほとんど伝説扱いされるほど少ない。」

伝説(レジェンド)?」と、ミカゲは驚いてる。

「はぇー。普通は使えないんだ。知らなかったわー。」

 私はミカゲに聞いてみた。

「どうやって使うの? 私も試してみたい。」

「どうやって・・・。どうやって? いや、言葉ではものすっごい説明しにくいんだけどさ。火の玉、出ろー、みたいな感じで念じると出てくるのよ。」

 火の玉、出ろーって。

「・・・へぇ。」

 としか、言いようがない。

 試してみた。

「むぅぅ・・。火の玉、出ろー・・。」

 頭で念じた火の玉が掌から飛び出すイメージ・・。なんか完全に、か◯はめ波を真剣に試みる、小学生みたいだ。予想に(たが)わず、何も出てこない。

「・・・・無理。無理だよ、やっぱり。どうやってるのよ、いったい。」

「どうやってって言われてもさぁ。カノンだって、テレビがどうやって映ってるのか、知った上で使ってる?」

「どうやってって・・。それは、電気が通って、プラズマが色で、その、赤とか、緑とか・・・。」

 私は口ごもる。

「でしょ? その程度の認識でも、当たり前に使ってたわけじゃん。大事なのはスイッチを入れると画像が見えるって事実であって、どうやって映るのか、は二の次なわけよ。」

「つまりミカゲは、そのスイッチの押し方を知ってると。」

「そうなるね。」

「えー。いいなぁ。私もそのスイッチ、押してみたいよ。」

 カデルは口を挟んで、

「やめておけ。やるだけ無駄だ。」

 と断言なんかしてくる。

「どうしてよ。頑張ればできるかも知れないでしょ。」

「それが無駄だって言ってる。使える奴は頑張らなくても初回で成功する。ダメな奴は何度やってもダメだ。そういうものなんだよ。」

「なんだぁ。っていうかさ、もしかしてカデルも、試してみた口なんじゃないの? さっきの、火の玉出ろー、みたいな感じでさ。」

「・・・・。」

 無言の返答。

 やってる。カデルもこっそり、やってみたんだ、絶対。火の玉、出ろーとか、カモン! ライジングサンダー! とか。カデルが仏頂面でそんなことしてたかと思うと、ちょっと笑える。

 ミカゲは続けて言った。

「ま、使えるとは言っても、連発はできないんだけどね。」

「へぇー、そうなんだ。やっぱり、疲れるの? そういえば、さっきも倒れちゃったし、あれも術を使ったから?」

「そうなるね。まともに立ってられないくらい疲れるのよ。」

「魔法使って疲れるって、ちょっとイメージ湧かないけど、やっぱり、百メートル走を十回連続してやった後みたいな、そんな感じ?」

「走った時の疲れとはちょっと違うんだけどさ。・・・まぁ、なんつーか。あれなのよ。」

 急にミカゲは口ごもった。

「あれって?」

「結構、気持ちいいの。」ぼそっと、そんなことを言う。

「気持ちいい? 苦労して登った山の頂上で深呼吸する、みたいな?」

「違う。もっと、こう、さ。分かるでしょ。」

「いや、分かんないよ。」

「気持ちいいったら、あれでしょ。性的な意味でよ。」

「せ・・!」

 性的な意味で、気持ちいいって・・・。思わず、自分の顔が赤らむのを感じた。カデルは聞こえているんだかいないんだか、黙々と前を見たまま歩き続けている。

 なんとなく、カデルには聞かれたくなくって、私はミカゲの隣に近寄ると小声で言った。

「ど、どういうこと?」

「どうもこうも、言ったとおりよ。気持ちいいの。」

「き、気持ちいいんだ。・・・・どれくらい?」

 私はどきどきしながら訊いてみる。

「カノンも難しいこと訊くのね。どれくらいってさぁ。こう、ふぁぁって身体が浮いて、ジェットコースターで下り続けるっていうか、ものすごい勢いでいつまでも沈んで行きながら電気がどかーんて走る感じよ。分かるでしょ。」

「分かるでしょって言われても・・、その、・・うん。」

 ああいう感じなのか。

 魔法を使うたんびにそれって、ちょっとうらやま・・、いや、べ、別にやましい気持ちで思うんじゃないけど、やっぱり私も魔法を使ってみたかったというか、ちょっと残念っていうか。

 ということは、ミカゲ、例の火の玉を出すごとに、そういう気持ちでいる、と。なんか、魔法を使った後に浮かべるミカゲ、恍惚(こうこつ)の表情がひどくエロいものに思えてくる。私も魔法を使ってみたかったという、好奇心はますます強まるのだけれど、こればっかりは仕方がない。使えないものは使えないんだ。百メートル走で十秒切れないことを悔やむに似て、そもそも無理である以上、残念がる意味もないのだけれど。

 森は、奥へ進むにつれてどんどん深くなっている。木々は太く、高くなって樹齢の長さを感じさせるし、生い茂る葉は、きっと昼でも太陽をさえぎるんだろう。

 ひときわ立派な大樹の前まで来て、ミカゲは言った。

「ここよ。」

「ここ?」

 と、私は聞き返す。見たところ、家らしきものは建っていない。

「こっち。」

 ミカゲはそう言って、ちょっと回り込むと大樹の(うろ)の中に入って行った。ちょっと身を屈めるだけで入れるような、大きな洞だ。中は螺旋状に段が続いて、上へ登れるようになっている。ぐるぐると、ビルの七階分くらい登り続けたところでようやく、扉に突き当たった。なんか、蛙の浮き彫りが彫られたヘンテコな扉を、ミカゲは恐る恐る開けた。

「ばぁちゃん。ただいまー。」

 揺らめく炎に映し出される影。緑や青の、得体の知れない液体が詰まった瓶や草の根っこ、種、蝉の抜け殻みたいなやつ、なんかの動物の骨。怪しげアイテムが棚にずらりと並ぶ、いかにも、な魔女の隠れ家という感じだ。どうも、太く張り出した枝の上に、この小屋が乗っかっている、という構造みたいだ。

 背の曲がったフード付き婆、という私の予想を完全に裏切って、部屋の中では白髪のおばぁさんが凛然(りんぜん)と椅子に座って、分厚い本を繰っている。眼鏡をかけたその容姿は、魔女、というより、大学の教授ってイメージの方がしっくりくる。若い頃は絶対、二度見されちゃうタイプの人だ。とても、きれいな人だった。

 ただいま、と言うミカゲに対し、おばぁさんの返す沈黙が怖い。たっぷり十秒は黙って、書物から目を離さないままおもむろに口を開いた。

「この季節、セスロナの花は水辺のいたるところに生えている。見つけるのはたやすいはず。そうよね、ミカゲ。」

「う、うん。ばぁちゃん。あ、あのね・・。」

「なぜ。」

 そこでちょっと言葉を切って、おばぁさんは続けた。

「こんなに遅くなったか説明しなさい。」

 こ、怖い・・・。

 圧倒的な高さの壁が迫ってくるような威圧感が、小柄なおばぁさんの全身から発せられているようだった。

 私はごくりと生唾を飲み込むと、たらたらと冷や汗をかいているミカゲに代わって応えた。

「あ、あの、水辺でトロルに襲われてしまいまして、いろいろあってこんな時間になってしまったんです。ご、ごめんなさい。」

 遅くなったと叱られているのはミカゲであって、私が謝る問題じゃなかったんだけど、なんだか雰囲気に飲まれて謝ってしまう。

「トロルに。」

 そう言ってから、初めておばぁさんは私達に目を向けた。吸い込まれそうになる、翠玉(すいぎょく)色をした目だった。

「彼らは縄張り意識が強い。水辺で寝るのを好むが、むやみに近づきさえしなければ襲ってくることはない。そう教えたはずだわ、ミカゲ。忘れたわけでは、ないわよね。」

「わ、忘れてたわけじゃないのよ。ただ、その、ちょっと気づかなくて・・・。そんで、この、えーと、カノンって子がトロルの気を引いて助けてくれたのよ。そのお礼も兼ねて、一緒に来てもらったの。」

「助けて・・・? そう。」

 おばぁさんは立ち上がると、

「ミカゲを助けていただき、感謝します。」

 す、と頭を下げた。感じる威圧感が、ちょっとだけ薄らいだ気がした。

「い、いえ、別に、大したことじゃ・・。」

「あなたにも礼を言うわ、カデル。久しいわね。」

「俺は何もしていない、エイラ。」

 ん? エイラ? 私はエイラと呼ばれたおばぁさんと、カデルを見比べて言った。

「あれ? 二人は知り合い? エイラって確か・・・。」

 カデルが応えた。

「ああ。長い間行方が知れていなかったが、こんな場所に引っ込んでいたとはな。死んだという噂すら耳にしていたが。」

 そうだ。ニールおじさんの片腕だった、魔法使い。それがこのおばぁちゃん、エイラさんだったんだ。

「お生憎(あいにく)さまね。まだこうして生きてるわ。いろいろと些事(さじ)に煩わされたくなかったから、死んだという噂を流したのはそもそも私だけれど。口は相変わらず悪いようでも、あんまり大きくなっていないわね、身長。」

「うるさい。俺の身長はあんたと関係無い。」

 ずけずけと言い合う二人だけれど、仲は悪くないみたい。ミカゲは、帰りの遅くなったところから話が逸れたのを幸いと、

「さ、さぁ、狭いとこだけど、まぁ、座って、座って。ばぁちゃん。あたし、お湯を沸かすから。」

 そう言って、そそくさと部屋から出て行こうとするところ、エイラさんに呼び止められた。

「待ちなさい、ミカゲ。トロルに近づいたのは、あなたの不注意ね。その服の濡れ方、うっかり川に落ちた、と。」

「え? いや・・・。はい。」

 しょぼんとなるミカゲだった。

「注意深く行動することを怠ってはならない。知識は、実践を伴ってこそ威力を発揮するもの。気をつけなさい。」

「はい・・。」

 さらにしょぼぼん、となるミカゲに私は同情を禁じ得なかった。

 怖ーいイメージのエイラさんなのだけれど、手ずから作ってくれたサーモンの燻製(くんせい)みたいな魚と野菜入りのサンドイッチ、入れてくれたハーブティーは絶妙な美味しさだった。

 お腹がいっぱいになって、一息ついたところ、私が(すず)製のティーカップを両手でもてあそんでいると、エイラさんが言った。

「ところで、カノン、といったわね、あなた。」

「あ、はい。」

「それは、本物かしら?」

「え? 本物、って?」

「名前。本当の名前かどうか。」

「本当のって言いますか・・・。」

「そっくりだわ、フィオラ様と。顔形からその立ち姿まで。でも、あなたはフィオラ様ではない。」

 あら。なんか、ばれてる。

「ミカゲと同じ、遠い異国からやって来たようね。フィオラ様とそっくりなその容姿をいいことに、フィオラ様の役を演じさせられている、というところかしら。誰かの。」

 エイラさん、ちら、とカデルを見る。

「たくらみによって。」

 すげー。なんか、すべてお見通し状態だ。

「は、はい。そうなんです。それで・・・。」

 言いかけるのを、カデルが制した。

「さすがだな、エイラ。頭のキレは依然と変わらずか。そこまで察しているなら、話が早い。こいつらは故郷に帰りたがっている。俺はその手助けをすると申し出た。こいつらが俺に手を貸すことを前提として、だがな。そこで、そっちの小娘にも来てもらう。」

 そっちの小娘、と顎で指すのはミカゲの方だ。

「ミカゲを・・?」

「ああ。聞けば、そいつも魔法を使えるそうだな。」

 エイラさんは、静かにミカゲを見つめる、というか睨む。

「どういうこと、ミカゲ。外では魔法のことを話すべきではない。これも教えたわね。」

「あう・・。ごめん、ばぁちゃん。トロルが暴れまくって、どうしようもなかったから使っちゃった。」

「・・・・。」

 沈黙と、それからエイラさんは、ふぅ、とため息をついて続けた。

「過ぎたことを言っても仕方がないわ。ミカゲ。あなたはカデルやカノンと一緒に行く、それでいいのね。」

「うん。だって面白そうだし、やっぱりあたし、帰れるんなら帰りたいしさ。」

 素直にそう言ってしまうミカゲだけれど、ほんの、ほんの一瞬だけ、帰りたいと言ったミカゲの言葉を聞いて、エイラさんは寂しそうな表情を浮かべた。そんな気がした。

「・・・いいでしょう。行きなさい。このような森の奥に引きこもっているばかりでは、視野も狭まる。経験を積むという意味でも、外の世界に出る方がいいわ。」

 カデルはうなずいて、エイラに向き直った。

「できれば、あんたにも復帰してもらいたいんだがな、エイラ。ビトリナス族との緊張が増している。あんたが来れば、大きな力になる。」

「・・・。この期に及んで、まだ老人にムチ打とうとするとはね。説得は無駄よ、カデル。私は自らの意思で身を引いた。再び力を貸すことはないわ。」

「ニール様も待ち望んでおられるはずだが。」

「ニール・・・。」

 その名前を聞いて、エイラさんはちょっと遠い目をした。ニールのおじさんの片腕だったくらいだから、二人で山河を馳せた日々が、きっとあったに違いない。

「・・・あの人は、自分でどうにかするでしょう。強い人だから。私にもはや出る幕はないわ。さぁ、夜も()けた。あなた達、もう寝なさい。」

 カデルはなお、何か言いたげではあったけれど、エイラさんの態度には、それ以上どんな説得も受け付けないという、確固たる意思が見えた。

 私はミカゲの部屋で寝ることにした。狭いハシゴを降りたところ、小さな小部屋だけれど、ベッドと机が置いてある。大樹の枝から枝へ、部屋があちこちに分散しているみたいだ。机の上には、蛍のような光を放つ虫の入った小瓶がランプ替わりに灯っていて、取り散らかった机上はミカゲの性格をそのまま表しているようだった。

 私はベッドにもふ、と座ってからミカゲに言った。

「エイラさんって、厳しいとこもあるけれど、いい人そうね。」

「そうだね。いい人はいい人よ。厳しいけど。・・・厳しいけど。」

 厳しいって、二回言った。

「でも、何で引退しちゃったんだろうね。ニールのおじさんからも信頼されてたみたいだし、まだまだ元気そうだけれど。」

「さぁ。その辺のことは、あんまり詳しく聞いたことないのよね。微妙にはぐらかされる感じでさ。こんな森の中で、世捨て人同然に暮らしてるんだもん。何でって、聞いてみたけど、理由はよく分かんないのよ。もちろん、町の人とのつながりがまったくないわけじゃないけどさ。ほら、トロルに襲われたとき、あたし川の中に落っこちたじゃん。」

「うん。」

「あれってさ、セスロナっていう植物を取ろうとしてたんだよね。」

「セスロナ?」

「そう。その植物の茎とか、他にもいろいろ入れてさ、煮出した汁が滋養強壮の薬になるわけよ。それを売りに行ったりしてね。お使いで何度か行かされたわ。だから、完全に仙人みたいな生活ってわけでもないのよ。」

「へぇー。魔女じるしの滋養強壮薬って、なんかとんでもなく効きそう。」

「キクわ。こっそり一本飲んでみたことがあるんだけど、やたらと野山を駆けずり回りたくなったわ。」

「ええ? それって、別の意味でキいてるんじゃあ・・・。」

「それくらい、元気になるってことよ。あ。私が一本ちょろまかしたってこと、ばぁちゃんには内緒よ。吊るされるから。」

「吊るされるって・・・。別に言わないけどさ。」

 あのエイラさんが相手だ。とっくに気づかれてる気がしないでもない。

「それで、ミカゲはエイラさんの弟子、ってことになるよね。」

「弟子・・・。まぁ、弟子っちゃ弟子かな。小間使い的なこともたくさんやらされてるけどね。人使い荒いんだから、ばぁちゃんは。」

「でも、魔法のこととか、いろいろ教えてくれるんでしょ。」

「うん。初めてここに連れられて来たとき、置いてあった書物に興味を示したら、あとはもう怒涛(どとう)のごとく読まされたわ。四元素を基調とする基本体系からその応用まで。私が起こした火の玉は、中でも比較的簡単な方らしいんだけどね。」

「エイラさんは雷を起こしたって、カデルから聞いたわ。」

「それよ。雷を人為的に起こすのって、ものすっごい難しいらしいのよ。書物レベルの知識だけどね。空気中に電位差を発生させつつ、先駆放電から主雷撃までコントロールしなきゃだし。」

「じゃあ、目標に向かって雷十本落とすとかは・・・。」

「もう、神業(かみわざ)レベル。でも、雷って一度発生したら、避けようがないじゃん。成功すると、効果は絶大みたいよ。相手に動揺を与えるって意味でもね。」

「まぁ、確かにそうよね。だからニールおじさん、バイルシュタットの雷神とかなんとか、そんな二つ名で呼ばれたんだろうなぁ。雷落としてくる首長(ヤール)なんて出てきたら、真っ先に逃げたくなるもん。」

「そりゃそうよ。」

「ミカゲ、すごい人に弟子入りしたのね。」

「弟子入りっていうか、取り込まれたっていうか。ま、こき使う人間が欲しかったってのも、あるだろうけどね。」

「でも、それだけじゃないような気もする。」

「? どゆこと?」

「エイラさん、ちょっと寂しかったとか。」

「ええ? あの、(はがね)でできたようなばぁちゃんが寂しいって? それはないない。」

「そうかな。」

「そうだよ。寂しいとか、そんな感覚、超越しちゃってるんだよ、あの人は。寂しいから私を拾ってきたとか、ありえないよ。」

「そうなのかな?」

「そうそう。さ、もう寝よ。ベッド狭いけどさ。蹴落とさないでね。」

「うん・・・。」

 ミカゲには頭から否定されてしまったけれど、エイラさんがミカゲを迎えた本当の理由、それはこき使える弟子が欲しかったとか、そんなところにはなくて、やっぱり、こんな森の奥、一人でひっそりと暮らすのが寂しかったからじゃないか。私には、そう思えてならなかった。

 私と一緒にベッドへ入ったミカゲが、ぽつりとつぶやいた。

「ばぁちゃん、引退した理由は教えてくれないんだけど、最近、座ってることが多くなった。どっか悪いのかな・・?」

「・・・・。」

「ばぁちゃんの性格じゃ、たとえそうだとしても話さないだろうけどね。いや、気のせいでしょ。気のせい、気のせい。」

 なんとなく、ミカゲが気のせいにしたがる気持ち、分かる。エイラさん、もしほんとに身体が悪かったら、ミカゲにはここを離れないという選択肢が生まれてしまうからだ。

 ミカゲは無理やり、話題をそらすようにして、

「カノン、バイルシュタットの暮らしはどうよ。お姫様暮らしってやつなんでしょ。」

 と、私の脇を突っついてきた。

「お姫様暮らしなんて、上等なものじゃないわ。毎日こってり絞られて、息つく間もないくらいよ。むしろこうやって、館の外に出てた方がどんなに自由か、って感じ。」

「ふーん。そんなもんなの。」

「そんなもんよ。」

「でも、メイドとか執事? みたいな人、いっぱいいるんでしょ。」

「いないよ。鎧職人とか、鍛冶のおじさんとか、専門職の人たちはいるけどさ。基本、自分のことは自分でやらなきゃだし。」

「そうなんだ。なんか、イメージと違う。」

「来てみれば分かるわ。なんというか、ひとことで言って、武骨(ぶこつ)なところよ。」

「でも、カノンはそういう場所、なんか似合ってるかも。」

「似合ってる? 私が?」

「うん。」

 そうなんだろうか。違和感だらけの毎日だというのに、ミカゲから見ると私も適応しちゃってると、そういうことなのだろうか。

「冗談じゃないわ。今は仮の姿なの。帰り方さえ分かれば、さっさと抜け出したいものよ。」

「・・・本音で言ってる?」

「本音よ、ホンネ。」

「・・・・・。」

「ミカゲ?」

 気がつくと、ミカゲはすぅすぅ寝息を立てていた。話を振るだけ振って、寝てしまったのだ。まったく、マイペースな子よ。いつの間にか私も、ミカゲの寝息に誘われるようにして、眠りの中へと落ち込んで行った。

 夜が開けて、エイラさんの部屋に立つ私達。ミカゲがエイラさんの机の上をちらちらと見ながら、

「そんでさ、ばぁちゃん。それ、持ってってもいい?」

 と、何やらお願いモードに入っている。それ、とミカゲが物欲しそうに見ているのは、立派な装丁(そうてい)の本だ。

「だめよ。あなたにはまだ早いわ、ミカゲ。」

「えー。ケチ。」

「ケチじゃない。これを見るべきときは、いずれ来ると言っているの。そもそも、あなたの今の知識の段階じゃ、大半は理解できないでしょう。絶対に見せないとは言わない。ただし、見るべきときは、私が決めます。いいわね。」

「はーい・・。」

 私はこっそり、ミカゲに囁いてみた。

「ねぇ、ミカゲ。あの本? なんなの?」

「ばぁちゃんのノートみたいなもんよ。いろいろ書き足してるみたいなんだけど、あれだけは見せてくれなくてさ。きっと、ものすごい秘術的な何かが書かれてるのよ。」

「見たいの?」

「見たい。」

 と言ったときのミカゲの目は、夜中にライトで照らされた、猫の瞳みたいに爛々(らんらん)と輝いていた。

 エイラさんはカデルに向かって言った。

「では、カデル。この子をよろしく。迂闊(うかつ)なところも多いから、フォローしてあげて。」

「分かってる。あんたも達者でな。」

「ええ。・・・ニールにも、よろしくと。」

「ああ。」

「それと、カノン。」

「はい。」

「フィオラ様は仮の姿で、本来のあなたでいたいと思う気持ちも、強いでしょう。」

「ええ・・。」

「でも、あなたに期待する人は決して少なくないはずよ。それはフィオラ様に対してではなく、カノン、あなた自身に対して、ということになるわ。」

「でも、私はいわばフィオラの作った土台の上にちゃっかり居座ってるだけの身でして・・・。」

「土台はそうかも知れないけれど、今、目の前にいるのは、まぎれもないあなた自身だわ。そのことを忘れないように。」

「・・・はい。」

 大樹の屋敷から出て仰ぎ見ると、窓のところから私達を見下ろすエイラさんがいた。ほんの一瞬だけ、エイラさんが微笑んだ気がする。それはいつもの厳しい態度と裏腹の、優しいおばぁちゃんの顔だった。ミカゲが手を振る。木々に遮られて、すぐに屋敷は見えなくなってしまった。

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