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ミギワメンテリスカノン  作者: 桜田駱砂 (さくらだらくさ)
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チャプター4 シルバ・ニゲル探訪

 姿見に映る、パンツ姿の自分をまじまじと見つめる。

 ショートカットにひとえ気味のまぶた。頬から顎先にかけて下がる線はすっきりとしたラインを描き、鼻と口は自分でいうのもなんだけど、ちょうどよくまとまっている。ただ、ちょっと重いまぶたが昔からのコンプレックスで、目をぱっちり開けるよう意識してみたこともあるけれど、常時びっくりしてるような顔にしかならないのでやめた。

「フィオラ・・・。」

 姿見の自分にその名で話しかけてみてから、私は慌てて首を振った。自分と他者の境界が薄れて、危うくゲシュタルト崩壊するところよ。

「違う。私はフィオラじゃない。花音よ。」

 鏡に向かってそう極め付ける。

 この館に来てから一ヶ月が経とうとしていた。首長(ヤール)の娘、館の姫君ともなれば、いわゆる侍女にかしづかれてドレスに身を包み、深窓の令嬢よろしく静かな日々を送るもの、なんて生活をちょっと想像していたのだけれど、とんでもない。毎日が訓練と勉強のスケジュールでみっちりつまって、忙しいにもほどがある。

 カデルいわく、レナ族の首長は世襲なのだけれど、男女に別はないってことらしい。長男、長女関係なく、年の上の者が継承権を得る。今は亡きフィオラって人は六人いた兄妹の最後の一人だったらしいから、フィオラ様、つまり私が次期首長ってことで確定みたいだった。

 ニールおじさんの家系は代々、英才教育で通ってて、剣術、政経、軍事に至るまで、私も例外にもれず、日々いろんなことを叩き込まれているのだった。

 ブラをつけて制服の半袖ブラウスに袖を通し、スカートを履く。あちこち転げ回って破けたところは、館の甲冑師(かっちゅうし)のおっちゃんに頼んで直してもらった。だけあって、そこだけ、かなりの頑丈さでもって補強されている。何でも、髪の毛と蜘蛛の糸をより合わせて作った糸で縫ったとか。蜘蛛の糸って。ちょっとアレな感じもするのだけれど、なんというか、制服を着続けることは、私がフィオラでないという自覚を保つよりどころみたいなものだから、着るのをやめたくはなかった。鉄製すね当て入り毛皮のブーツを履き、金属板を加工した蔦紋様入りの手甲をつけて、赤い学校指定のネクタイを締め、一式装備の完了だ。私流にアレンジした、さながら重装制服だ。

「フィオラ様、お時間です。」部屋の外から、凛とした声が聞こえてくる。

 うへ・・。今日はこれから、アレだ。アレの時間。座学はまだいいとして、こればっかりは完全に経験のない、いかんともしがたい地獄の課目。

「はーい。今行く。」



 私はしぶーい表情で部屋の扉を開けた。

 (こうべ)を垂れて待ち受けるのは、輝くばかりの金髪(ブロンド)を束ねて肩にかけ、蒼い瞳はラピスラズリのような光を宿す、第三中隊長のテグウェンだ。長めのまつげに象徴されるその涼やかな顔、この女性(ひと)は私なんかよりよっぽどお姫様らしく見えるのに、その本性はなんというか、あれよ。鬼だ。

 テグウェンは甲冑に緑色のマントという出立で、ただ、甲冑といっても中世のヨーロッパを想像させるようなピカピカのフルアーマーじゃない。もっと生の鉄っぽい、南部鉄器みたいなざらりとした表面の、鋳鉄(ちゅうてつ)の胴鎧といった方がぴったりくるかも知れない。なにせ重そうなのにも関わらず、テグウェンはそれをTシャツみたいな軽やかさでもって着こなしている。

 中庭に出て私は真剣、テグウェンは木刀に厚手の皮を巻いたものを握って対峙する。私が手にしているのはいわゆる直剣ってやつで、ちょうど、私の腕に拳ひとつ分の長さで、ずっしりと手に重い。こんな物騒なものを持たされて、掛かってこい、というのがテグウェンのトレーニングなわけだけれど、

「フィオラ様、どうぞ。」

 言われて、

「タァァぁ!」

 と、剣を振るえば、テグウェンの持つ木刀、丸太でもぶん回してるんじゃないかって威力で私の剣を弾き飛ばし、私の動体視力じゃほとんど認識できないスピードで腰のあたりを打った。

「ぅぎゃっ! ってー。痛いよ、テグウェン、もうちょっと手加減してよ〜。」

「駄目です。受けの仕方はすでに教えてありますよ。腰のあたりを狙う斬撃に対しては、こう、手首を返し、剣を下方に向けていなすのです。」

 テグウェンはそう言って、美しく流れるような動作で受けの姿勢を作る。

 私は真剣、テグウェンは木刀って、そもそも私が真剣なんて持つのは危ないんじゃないかと最初言ったのだけれど、そんな心配、杞憂(きゆう)以外のなにものでもないってことを、痛感させられたわけだ。

 テグウェンは強かった。

 私がどんなに剣を振るっても、いなされ、かわされ、弾き飛ばされて、まるで金魚すくいで使うあれ、ポイってやつで空飛ぶツバメを捕まえようとするようなものだった。どう考えても無理ゲーなこの訓練で得られるものは、腰やら腕やらにできる無数のアザばかりだ。噂じゃこのテグウェン、ツヴァイハンダーとかいうばかでかい長剣を小枝みたいに振るうとか。ついたあだ名が、バイルシュタットのヴィ・・、えーと、ヴィル、ヴィルベルビント。舌を噛みそうなあだ名だけれど、バイルシュタットのヴィルベルヴィントと呼ばれてるみたい。つむじ風、って意味らしい。素直にバイルシュタットのつむじ風って呼べばいいのに。

 そのつむじ風ネェさん、再び木刀を構え直すと、

「フィオラ様、どうぞ。」

 と言って再び静かに腰を落とす。

 最初は気づくことすらできなかったけれど、毎日のように斬りかかっては弾かれる、その繰り返しの中で分かったことが二つ。

 一つ目。テグウェンの構えには隙と呼べるようなものが、まったくなかった。上段、下段から(すね)まで、いろいろ狙ってみるのだけれど、その試みのどれもが、機械の反応するかのごとく正確に、力強く対応されてしまう。

 分かったことのもう一つは、こう言い表すのが的確か知らないけれど、他に言いようがないのだから仕方がない。なんかこの人、サドっぽい。トキのいるあの島の方じゃなくて、サディスティックの方。当人は表情を変えてないつもりらしいけど、私をぶったたく時の顔がわずかに上気して、なんだか妙になまめかしいのだ。

 絶賛勘違いされ中とはいえ、仮にもお姫様という立場の私を叩いて(よろこ)ぶこの性癖、いや、むしろ立場が上の人間を(おおやけ)に叩けるシチュエーションにこそ燃えるのか知らないけれど、私は密かに、バイルシュタットの()ドS剣士と呼びならわしているのだった。

 なおもテグウェンにしごかれているところへ、早朝の訓練が終わったのか、兵隊さん達の一団が通りかかる。

「お。フィオラ様が特訓中だぜ。フィオラ様! 頑張ってくださいよ。」

「体当たりして体勢を崩すんです! よろめいたところを一撃ですって!」

「足を引っ掛けるんですよ、足を!」

 明らかにやられっぱなしの私へ、わぁわぁと色んなアドバイスが飛ぶ。いつの間にか、私とテグウェンを囲んで円陣ができあがってしまった。

 テグウェンに打たれるたび、円陣を作ったみんなの顔まで痛そうにゆがんだ。

「フィオラ様が一発入れるのに5サラディス!」

「俺ァ、隊長に10サラディスだ!」

 なんか、賭けまで始まっちゃってるし。

「はぁ、はぁ・・! トァぁぁ!」

 テグウェンの胴をめがけて突き。

 もはや剣を使われるまでもなくかわされたところへ、さらに私は踏み込んで身体ごとテグウェンにぶつかった。

 樹齢五百年の大木にぶつかったんじゃないかってくらい、テグウェンの体幹はほとんど動かない。けれど、彼女はバランスを取ろうとわずかに身体を引いた。不動明王よろしく決して引かなかったテグウェンの、今までにはない動きだ。

 チャンス・・!

「はぁぁ!」

 最後の力を振り絞って思いっきり、剣を横に薙いだ。

 軽い手応えがあって、見れば私の直剣がテグウェンの木刀にちょっとばかり切れ込んでいる。と、思った瞬間、テグウェンの掌底(しょうてい)が電光のように伸びてきて私の顔面を直撃した。

「ぶへっ!」

 石で殴られたみたいな衝撃でもって、私は後ろに大きく吹っ飛ばされた。

「うぐ・・・!」

 顔に手をやると、鼻血が出てる。

 テグウェンの顔が見る間に青ざめた。

「フィオラ様! 申し訳ございません。つい・・・。お怪我をさせるつもりはなかったのですが、どうかお許しを・・。」

 ものすごく申し訳なさそうに頭を下げるテグウェンだった。

「い、いや、いいのほ。へふに。」

 鼻声でひらひら手を振っていると、私を囲んだみんな口々に、

「フィオラ様。最後の一撃はなかなかでしたぜ。」

「隊長も反射的に手が出たんだ。いい線いってたってことですよ。」

「これ使ってください。」

 とか、私の肩を叩いたり、手拭いを差し出したりしてくれる。

「あ、ありがと・・・。」

 なんだか、不思議な気持ちだ。

 こうして皆に慕われるのは、あくまでもフィオラの人望ゆえであって、私が一から築いたものじゃない。人の作り上げた立派な足場にちゃっかり居座っているような、居心地の悪さというか、申し訳なさを感じる一方で、悪い気はしなかった。学校では決して感じることのなかった、守り、守られているという実感が、隊のみんなといることで込み上げてくる。

 いつの間に来ていたのか、取り囲む()の中からカデルが声を掛けてきた。

「フィオラ様。ちょっとよろしいでしょうか。」

「はに?」

「お話があります。」

 テグウェンはカデルをにらむと、

「まだフィオラ様へご指導の最中だ。後にできないか。」

 と言うのだけれど、

「急ぎの用件です、テグウェン殿。フィオラ様はお怪我もされた様子。今日はこれまでとしたがよろしいかと。」

 そう言って、カデルはテグウェンをにらみ返した。

 すす、と周囲の温度が下がる気配の中、私は貸してもらった手拭いで鼻を押さえながら立ち上がると、

「じゃ、じゃあ、今日はこれまでにしましょう。テグウェン、どうもありがとう。」

 ぺこ、と頭を下げる。

「そうですか・・。では。」

 ちょっと名残惜しそうにするテグウェンだったけれど、剣術の訓練、今日のところはこれまでとなった。

 館内の私の部屋へ戻ると、カデルは後ろ手にドアを閉め、部屋に私以外の人間がいないことを確認してから口を開く。

「あんたもだいぶ、テグウェンにしごかれてるみたいだな。」

「ほんとよ。強いってもんじゃないもの、あの人。規格が違うっていうかさ。カデルが私のこと、フィオラ様の再臨とか言っちゃうもんだから。」

 私は一ヶ月前からのごたごたを思い返しながら、カデルにうらめしそうな視線を送った。結局、蘇ったばかりで記憶が混乱している、というカデルの説明が押し通ってしまったかたちだ。フィオラという子と近しく付き合っていた人達なら、すぐに別人だと気づきそうなものなのに、今日に至るまで私が水際花音だという話を、誰一人として信じてくれない。大雑把というか、適当というか、なんかあんまり細かいことを気にしないお国柄ってのも、あるいは影響しているのかも知れない。

 掃除なんかをしてくれる女中さんから出入りの肉屋さん、特にテグウェン麾下(きか)の中隊のみんな、接する人ことごとく、なんというか刹那的(せつなてき)で、明日の楽しみは今日の内に味わってしまおうという意気にあふれている。私が本物のフィオラ様だろうが何だろうが、首長(ヤール)の娘としてそこにいること。その事実以上に重要なことはないと、そんな風に考えている気がしてならないこの一ヶ月だ。不思議なことに、私がフィオラとして「蘇った」ことへ、疑問を差し挟む様子が見えない。死んだはずの人間が蘇る。ちょっと珍しいけど、たまにはそんなこともあるんじゃね? というノリなのだ。

 うらめしげな私へ、平然とカデルは返す。

「そうは言っても、あんた、国に帰る方法すら分からず困ってるんだろう。いいじゃないか、居場所ができて。首長(ヤール)の娘なんて立場、望んで得られるもんじゃないぞ。」

「それはそうかも知れないけどさ。しがない一女子高生だった私がだよ。いきなりそんな立場に放り込まれても、無茶ってものじゃあないの。」

「なんだかんだ言いながら、順応してるようにも見えるがな。」

「してないったら。」

「無茶だろうがなんだろうが、それしか選択肢がないってのも、あながち悪いことじゃない。正面さえ向いてりゃいいんだ。」

「正面って・・・・。迷える要素すらないってのも、なんだか寂しい気もするけど。」

 ふと、学校で送っていた毎日を思い返してみる。

 やりたいこととか、目標とか、そんなの何にもなくて、学校に行けと言われて学校に行き、勉強しろと言われるから勉強する。自分が何にでもなれるという可能性の存在は同時に、私を砂漠のど真ん中へ放り込んだも同然だった。可能性という名の砂漠の中で、方角も、歩くモチベーションも分からずに、ひたすらあふれる若さを持て余しながら干からびていく。そんな感覚からすると、正面しか向けなくて左右は崖、という今の状況、考えようによっては悪くないのかも知れない。

 ただ、それはあくまでも帰れることが前提の「悪くない」であって、帰れないことからくる孤独感だけは、どうしようもなかった。

「悩んでも仕方ないんだけどね・・・。テグウェンにぎゅうぎゅうに絞られた後は、何も考えずに寝られるわけだし。あ。カデルとテグウェンで試合したらさ、どっちが勝つのかな。」

 さっきのカデルとテグウェンのやり取りからしてもそうだけど、どうも二人は仲が悪いらしい。

「さぁな。やったことはないし、やりたいとも思わん。あんな化け物女と、まともにやりあうシチュエーションをそもそも全力で回避すべきだろう。」

「化け物女ねぇ。すっごい美人なんだけどな。」

 美人なテグウェンの姿を思い浮かべて化け物って連想も難しいけれど、強さだけなら確かに化け物級だ。

「ここらであいつに勝てる奴は、男でも数えるほどしかいない。」

「だろうね。」

 こうしてカデルと会話してると、なんだか落ち着く。

 毎日、いろんな人からフィオラ様、フィオラ様と呼ばれる中で、二人になったとき限定ではあるけれどカデルだけが、その名以外で私を呼んで、ずけずけと遠慮のないことを言ってくる。あんたって呼び方もかなりぞんざいだけれど、偽りの名で呼ばれないこのときだけは、自分が誰なのか、はっきりと自覚できるような気がしていた。

 私は顔や首筋の汗、鼻の下に残った血の跡なんかを、花の刺繍で彩られたタオルで拭きながらカデルに訊いた。

「それで、急ぎの話って?」

「ああ。偵察の命令がきた。」

「偵察? どこに?」

「シルバ・ニゲル。バイルシュタットの北東、黒い森と呼ばれる広大な森林地帯がある。場所はそこだ。」

「黒い森・・・。私も行きたい!」

 その言葉を待っていたとばかりに、カデルはにや、と笑った。

「そうくるだろうと思ったぞ。最近、顔色が悪かったからな。ここでの生活に気詰まりを感じてたんだろう。息抜き代わりだ。」

「やったぁ! って、カデル、そんなこと考えてくれてたのね。」

 この提案はちょっと優しいかも。と、思ったのだけれど、

「嫌気がさして、どこぞへ逃げ出されても困るからな。」

 そこか。カデルの笑みにはやっぱり裏があるのだった。

「逃げるったって、逃げるあてがないのも知ってるくせに。」

「あてがなかろうと、思い立ったら裸足でも逃げるだろう、あんたなら。」

「そう・・なのかな?」

 カデルには、私が魚をくわえたドラ猫を追いかけて、裸足で走る、陽気なおネェさんにでも見えるというの。私にはそこまでの行動力、ないつもりなんだけど。カデルからした私像にちょっと意外な印象を受けながら、首をかしげた。

「あ、でも、一緒に行くっていっても、簡単に行けるものなの? そういうのに首長(ヤール)の娘が行くって、なんか反対されそう。」

「そうでもない。領地内を見て回って、見聞を広めるのも必要なことだ。あんたが行くと言い張って、反対する者もいないさ。ニール様はむしろ、積極的に行けとおっしゃる方だしな。」

「そうなんだ。黒い森かぁ・・。」

 久々に開放感を味わえると思うと、私の心は否応なく浮き立った。

 私も行くと決まった後のカデルの行動は素早かった。

 ニールおじさんに許可を求めると、カデルの言った通り拍子抜けするぐらいあっさりと承諾。テグウェンは、稽古という名目でしごきあげる相手がいなくなってしまうものだから、ちょっと残念そうな表情を浮かべていたのだけれど、それは見て見ぬフリをして。

 厩舎に差し掛かったカデルは、何かを思い出したように私を見て言った。

「あんた、リウには一人で乗れるよな。」

「乗れないよ。」

「乗れない・・・だと。また、俺の後ろに乗るつもりだったのか。」

「うん。」

「今度はそうもいかないぞ。」

「えー、なんで?」

「仮にも首長(ヤール)の娘だ。馬にも乗れないなんて、ありえない。実際、フィオラ様は手足のようにリウを扱ったぞ。」

「そんなこと言ったって、私はフィオラ様じゃないもの。」

「いい機会だ。今回の任務中、馬術をマスターしてもらう。」

「マスターしてもらうって、勝手だよなぁ、相変わらず。でも、自分の馬か・・・。ちょっと、楽しみかも。それで、どの子に乗っていいの?」

「目の前にいるだろ。」

「目の前?」

 言われて馬屋の一角に目をこらせば、ぎょろりと何かが光った。それがリウの瞳だと気づく間もなく、輝くばかりの黒色(こくしょく)、その巨体が起き上がって柵に体当たりしてきた。

「ぅぎゃぁ!」

 あんまり驚いたものだから、私はあられもない格好で尻餅をついた。

「フィオラ様がみまかってから、ずいぶん荒れてな。餌は一応食べるが、誰も乗せようとしない。バルトネートルム。フィオラ様が愛馬、バイルシュタット有数の駿馬(しゅんめ)だ。」

「バルト・・・。」

 柵にぶつかってきたそのリウは、鼻息も荒く前足で壁を引っかいたり、身体をぶつけたりして落ち着きがない。獰猛な野獣を連想させるその動きは、馬というよりまさに恐竜だ。

「こ、これに乗るの・・?」

「そうだ。なんとかしろ。」

「な、なんとかって言われてもさぁ・・・。ほとんど、怪獣じゃん。」

 バルトネートルムと呼ばれたそのリウは、へたり込んだ私の姿を見ると、首を伸ばしてしきりと匂いを嗅いでくる。

「な、なになに?」

「あんたがフィオラ様とそっくりだから、不思議がってるんだろう。」

「そっくりって言ったって、匂いとかでばれるんじゃ・・。うひゃぁ。」

 舌でべろりと私の顔を舐めるバルトだった。

「どうにかなりそうじゃないか。」

「え、なんで?」

「舐めただろ? 親愛を示す行動だ。気に入られたんだよ。」

「き、気に入られた・・・?」

「気に入らなきゃ、噛みついてた。」

「ひぃ。噛みつくって。」

 噛みつくなんて、そんなおとなしいもんじゃない。食べられてた、の間違いじゃないか。

 けれど、頭をすり寄せてくるその仕草はなんとなく猫っぽくもあって、いかつい外見を別にすればかわいいところもある、のかも知れない。

 カデルに教えられながら、干した肉、人参、ジャガイモなんかの食料、タケと呼ばれる撥水(はっすい)性の高い樹木の繊維を編み込んだ、雨用の外套、毛布といった旅の必需品を積み込む。今回はアナイとバルトの二頭だから、積み込み容量に余力が出ていいのだそうだ。鍋とか火おこし道具諸々、二人で供用できるものは一つでいい。一頭の時には持ち運びきれなかった、木炭なんかも一緒に積む。

 バルトに手綱をつけるための(くつわ)をかませ、鞍や(あぶみ)を取り付けてようやく出発できたのは、太陽も上がりきった昼近くだった。

 街中に出ると、そこかしこからカドゥの花を絞る香りがただよってくる。黄色と緑のかわいらしい花で、絞ると純度の高い油が取れる。明かりを灯すには欠かせないもので、カドゥの花油造りはバイルシュタットを支える主要産業のひとつだ、とは座学の成果。

 道行き、すれ違う人の多くが微笑みながら会釈をしてくれる。

「なんかみんな、挨拶してくれるのね・・・。」

 歩きながらカデルに訊くと、

「当たり前だ。フィオラ様を知らない人間なんて、ここにはいないぞ。」

 なんだとか。

「なんだか不思議な感じよね。あ、どもども。」

 照れ臭いのだけれど、悪い気はしない。スクランブル交差点を歩いてすれ違う人達みんなが、自分に挨拶をしてくれるようなものだった。

「フィオラって、人気者だったのね。」

「ああ・・・。」

「・・なんで死んじゃったの?」

「病気だ。風邪ひとつひかない丈夫な方だったが、流行りの熱病にかかって看病の甲斐もなく、な。」

「そう・・・。」

 もちろん、私はそのフィオラという人と会ったことはないのだけれど、自分がその当人として接せられると、彼女の人柄というか、優しく凛々しい感じの人物像が浮かび上がってくる。親愛と尊敬のこもった眼差しを、立場や身分に関係なく、誰もが向けてくれる。そんな期待に応える自信はまったくないのだけれど、それでも、フィオラのイメージが私のせいで崩れてしまうのは嫌だった。亡き人の積み重ねてきたものを、私が否定してしまうような気がして。

 バイルシュタットの町の外に出ると、カデルの冷たい視線に見守られながらも、どうにか、バルトにまたがる。足を掛ける(あぶみ)の位置からして高いのなんの、私の腰くらいの高さがあるからたいへんだった。バルトは、やっぱりちょっと私に違和感を感じたらしく、少しぐずついたのだけれど、幸い暴れ出すほどじゃなかった。ロデオ状態にでもなれば、一瞬で振り落とされてたとこだ。

 カデルを見よう見まねでバルトのお腹あたりを(かかと)で蹴ると、それを合図に歩き出してくれた。あとは手綱で方向変換ね。並足(なみあし)っていうんだっけ。バルトを歩かせるだけなら、なんとかなりそうだった。

 リウに乗って見る景色はひさびさで、気持ちがよかった。考えてみればこの一ヶ月、館に閉じこもりきりだったんだ。丘の連なる野原の草が風でそよぎ、その中を道がのびている。

「この道はあんまり人通りがないんだね。」

 私は前を行くカデルに言った。

「ああ。この前通った南東方向への街道は、ハイミ族のアシンクムという街へ向かう。人の行き来も活発だ。」

「それに比べてこの先は、あんまり大きな街がない・・?」

「ない。いずれ森に突き当たる。その辺りの住人か、物好きでもない限り、この道を行くことはないだろう。」

「ふぅん。でも、偵察っていうからには、そこに何かがあるとか、あると思わせるような情報があったからだよね。どうして? なんでそんなひと気のない場所へ、斥候なんて出すのかな。やっぱり、ビトリナス族ってやつと、関係があるの。」

 このところの座学で叩き込まれた内容に、私達、というか、カデルやフィオラ、ニールおじさん達レナ族の置かれている現在の情勢なんかも含まれていた。アシンクムのさらにずっと先、ヴァルネスガルハイムという街を拠点とする、ビトリナス族とは昔から対立続きで、今も大きな戦闘が起こるんじゃないかって、神経を尖らせている。

 けれど、カデルから返ってきた答えは、ちょっと意外なものだった。

「今回、ビトリナス族とは直接関係はなさそうだ。」

「なさそう?」

「シルバ・ニゲルでいくつかの目撃情報が上がっている。」

「目撃って、何の?」

「魔女。」

「魔女ぉ? 魔女って、あのとんがり帽子かぶった、怪しい術を使うおばあさんの?」

「ばぁさんかどうか分からないが、おかしな術を使う者を見た、という木こりや狩人が立て続けに出ている。その真偽を探る。」

「真偽を探るって・・・。」

 結構、暇なのかしら。ちょいちょいカデルの姿は見えなくなってたし、ビトリナス族との緊張が高まる今、斥候の任を持つ人たちはかなり忙しいのだと思ってたけど・・・。

「・・暇なの?」

「暇じゃない。そんなわけあるか。」

「でも、魔女の噂って、おとぎ話じゃないんだし、わざわざカデルが偵察に出るほどのことなのかな。ニールおじさんも、兵隊さんの運用には結構シビアだと思ってたけど、ちょっと意外。」

「おとぎ話、だと? 魔女だぞ。もし本物なら、味方につければ百人隊に相当するんだぞ。味方にならずとも、せめてビトリナス側につかないよう、説得するなり、おどすなりする必要がある。」

「ちょっと待ってよ、カデル。なんかその言い方だと、本物の魔女がいる、みたいな感じだけど、まさかよね?」

「いるに決まってるだろう。今は姿を消してしまったが、ニール様が雷神と恐れられたのは、魔女のエイラって奴がこちらについていたからだ。」

「ぇえ? 本気で言ってる?」

「魔女のこと、何も知らないのか?」

 カデルは、学校の教室で私が突然、携帯電話って何? と言い出したかのような反応でもって、あきられるやら見下すやら、複雑な顔をしている。魔女とか言われても、中世の魔女裁判でいちゃもんつけられ責めたてられてしまった人達とか、あるいは時代が変わって魔法少女とか、そっちを魔女とカテゴライズするかは、まぁちょっと微妙だけど、とにかく、とんがりハットのおばぁさんか、もしくは萌え少女のいずれかしか私の想像の範疇にない。魔女を知らないのか、と言われても、せいぜいがその程度の知識だった。

「架空の魔女なら知ってるけど・・・。まさか、魔女なんて人がほんとにいる? トリックとか手品とか、そんなんじゃないの? うさんくさいんですけど。」

「まやかしで人を騙して、魔女を自称する奴も確かにいる。だが、もし本物だとしたら捨て置けないからな。この任務、優先順位は決して低くない。」

「ふーん。不思議な任務ね。魔女を探せ、か。面白そうではあるけれど、なーんか、眉唾(まゆつば)ものよねぇ。」

「信じてないのか、魔女を?」

「信じるも何も、テレビ以外で見たことないもん。本気で私魔女、とか言っちゃってくれたら、ちょっとリアクションに困るくらいよ。」

「てれび・・? 何だか知らんが、信じていないみたいだな。」

「カデルは見たことあるの? その、エイラって人? が魔法ってやつを使うところ。」

「ああ。一度だけだが。」

 心なしか、カデルの顔が青ざめる。

「二十人ほどの小勢(しょうぜい)だが、ビトリナスのやつらが村を襲っているところに出くわした。こちらは五人。介入するには頭数が足りない。姿をさらして、増援を呼ぶ素振りを見せるくらいが、せいぜいできることだったが、エイラが・・・。」

「エイラさんが?」

「雷を十本ほど落とした。凄まじい閃光と轟音の後に残ったのは、激しく電紋を浮かび上がらせ、倒れ行く奴らだった。」

「雷を落としたって・・。」

 それじゃ、まるでなんかのRPGだ。

「それって、たまたまなんじゃ・・。」

「たまたまで、そう都合よく敵が雷に撃たれるか。あれは確かに、エイラの技だった。」

「・・・・。」

 にわかには信じられない話で、カデルが嘘をつく意味もないのは分かっているけれど、私はどこか、半信半疑だった。

 太陽もだいぶ傾いて、間もなく夕方となる頃、それまで続いていた見通しのよい草原が、突然、色濃い緑の壁にさえぎられた。丘の上に登って見渡すと、緑というより、樹木の密度が濃すぎて黒く見える。

「これがシルバ・ニゲル・・・。ほんとに黒いね。」

「ああ。うかつに入ると出られなくなるから注意しろ。」

「出られなくなるって・・。樹海みたいね。」

「? もうじき日も暮れる。森に分け入る前に、今夜は野営するぞ。」

「分かった。」

 野営はキャンプ気分で、ちょっと楽しいのだ。

 毛皮と木の骨組みで簡易なテントを張り、火を起こす。木炭はひとたび燃え上がると、生木なんかよりもはるかに火力があった。

「あんたは水を汲んできてくれ。近くに小川があるはずだ。」

「うん。」

 渡された鍋を持って、私は森の縁に沿って歩く。しばらく進んで耳を澄ますと、かすかにせせらぎの音が聞こえてくる。そこには森から草原に向かって注ぎ出る、小さな川があった。

「きれいな水・・。」

 金色に染まり始めた太陽の光を反射して、水面がきらきらと輝いていた。

「一度やってみたかったのよね、これ。」

 川の水を両手ですくって、そのまま飲むってやつだ。

「美味しい・・!」

 水の味にこだわりが、ってわけじゃないんだけど、天然のミネラルウォーターが川となって流れてるようなものだ。

「あ、ミネラルウォーターはそもそも天然か。さて。水を汲んで、と・・・。」

 鍋になみなみと水を満たし立ち上がろうとしたとき、川の上流から、ばちゃん、と何かが水面に落ちたような音がした。

「?」

 同時に感じたのは、獣の発する野性の匂い。何日もお風呂に入れてない大型犬の、お腹に顔を埋めたとき臭うそれに近い。一気に、冷や汗が吹き出す。

 ちょうど、高い樹木の作る影に入っていて気づかなかったけれど、大きな岩とばかり思っていたものが、のそりと動き出す。

「ぅあ・・・?」

 なんか、まずい。

 ぬぅ、と立ち上がるその姿を見て、私は硬直した。黒毛むくじゃらの巨大な体躯に、ごてごてとあちこちが腫れ上がった醜悪な顔。生臭い吐息を口腔(こうこう)から漏らす、身の丈三メートルに近い巨人だ。

 完全に無警戒だったものだから、こんな距離までうかうかと近づいてしまった。もう、目と鼻の先だ。

 焦る私の眼の前で、巨人は上流から聞こえた、音の方をしきりと気にしている。つられて私も巨人の視線先を見ると、人だ。誰かが、川に落ちたんだ。もそもそと立ち上がろうとしている。

「あ・・・。」

 巨人がいらついているのが、しかめた表情から読み取れる。川に落ちた人は、まだ巨人に気づいていない。ど、どうしよ・・・。このままじゃ、あの人気づかれちゃう。巨人は今にも駆け出しそうなくらい、息を荒くしている。

 私は、手にした鍋を思いっきり河原の石ころに叩きつけた。想像以上にけたたましい音が響き、その瞬間、巨人は、ゴォ、と短く雄叫びを上げたかと思うと、私に向かって走り出した。

「うわ、うわっ!」

 私も森に向かって駆け出す。ぎりぎり、手のかかる高さに枝の伸びる巨木へ取り付くと、必死に登る。

 あの巨体だ。さすがに木の上までは登ってこられないはず・・・。

 と、考えたのは甘かった。

 巨人は勢いそのまま、木の幹に体当たりをした。

「わ、わぁ・・・!」

 木が大きく揺さぶられ、みし、と嫌な音を立てた。

「お、折られる・・!」

 幹ごとなぎ倒しかねないパワーだ。巨人が幹の一部を鷲掴みにすると、そのまま樹皮ごとひっぺがしてしまう。なんつー握力・・!

「カ、カデル・・。」

 大声でカデルを呼ぼうとしても、声がかすれてほとんど音になってない。巨人はさらに幹へ一撃を加えて、私の命の拠り所、か細いこの木は折り倒される寸前だ。

 ど、どうする・・・!

 私はゆらゆらと揺れる腰のあたりの重みに、あることを思い出す。

 そうだ。私は今、丸腰じゃない。テグウェンとの稽古で使っている直剣を下げているのだった。

「や、やるしかない・・!」

 木が倒されるのは時間の問題だ。怖すぎて、もはや恐怖そのものが麻痺してくる。

「震えが・・。止まって・・・!」

 手が自分の意思に反して、ぶるぶると震えている。

 浅く短い自分の呼吸を必死に整えながら、剣の柄を握りしめると、震えが少し収まった。

 鞘から剣を抜き放ちざま、

「・・っ!」

 剣を両手で下方に構えると、私は思い切って巨人の頭めがけ飛び降りた。

 ぬるりとした嫌な感触に続いて、何か硬いものにぶつかる手応え。巨人の首筋に刺さった剣が、骨かなにかに突き当たったんだ。

「ゴォァアアア!」

 恐ろしい咆哮を上げて、巨人は身震いする。

「ぅあっ!」

 すさまじい遠心力で、私は振り落とされてしまう。拍子に剣がずるりと引き抜けたのは不幸中の幸いだ。剣だけ残して振り落とされてたら、もう反撃のしようがない。かろうじて受け身を取り、剣を構え直す。

 のだけれど、もはや巨人は、刺された痛みに我を忘れ、がむしゃらに両腕を振り回しまくり、さながら、暴走しまくる重機そのものだった。

「ちょっ! うぁ!」

 私はもう、剣で受けるとか反撃とかそれどころじゃなく、転がったり飛びのいたりしながら避けまくる。

「はぁ! はぁ!」

 呼吸が乱れる。

 いつまでもこの攻撃をしのげるものじゃない。

「こ、こんなところで、死んでたまるか・・!」

 私は力を振り絞って、さらに森の奥へ駆け込んだ。巨人の巨体だ。木々に阻まれて、動きがにぶるかも知れない。

 地響きのような音を立てながら背後から迫る気配を感じ、私は横っ跳びに飛びのいた。勢いのまま大木を回り込むと、巨人の右足首を狙って、思いっきり剣を振り下ろす。

 確かな手応えによって、剣先が巨人の足を切り裂いたのが分かった。けれど、巨人はよろめきながら、ハンマーのような拳を私の方へ突き出してくる。

「しまっ・・!」

 かろうじて手甲でガードしたものの、腕が折れたんじゃないかってくらいの衝撃。吹き飛ばされて、私は木に叩きつけられた。

「ぐっ・・・!」

 意識が朦朧(もうろう)とする。

 やられる。船が難破しても生き延びたのに、まさかこんな化け物に襲われて終わる人生なんて。災難は続くもの。これを運命と呼んでしまえば、なんだかずいぶんあっけない。

 頭の中で走馬灯(そうまとう)が回り始めたときだ。

 バスケットボールくらいの大きさの火の玉が、いや、火の玉とかそんなもの、実際これまで見たことはなかったのだけれど、そう表現する以外言い表しようのない「火球」が飛んできて、巨人の頭に命中した。

 巨人にとっては相当な驚きだったらしく、いきなり火の玉をぶつけられれば、驚くのも当然だけれど、雄叫びとも悲鳴ともつかない声を上げて、森の奥の方へと駆け去ってしまった。

「た、助かった・・・。」

 全身から力が抜けるに任せて、ずるずるとへたりこむ。

 いったい、何が飛んできたんだろう。燃えやすい(わら)なんかを団子状にして火をつけ、それを投げた・・・? それにしては、おかしな飛び方だった。放物線を描くでもなく、かといって矢のように速いというわけでもなかった。氷上を行くカーリングのストーンみたいにするすると飛んできて、それは巨人の頭に直撃した。

 私はまだ震えている足でようやく立ち上がると、火球の飛んできた方に歩いてみた。

「!」

 くぼんだ泥地に誰かが倒れている。さっき、川に落ちた人・・?

 近づけば、いきなり、ぬば、と上半身だけ起こして、

「ぶ、無事だったようね。注意を引いてくれたから、助かった。あ、ありがとう。」

 と、息も絶え絶え、のたまう泥まみれ人間だ。どう見ても、この人の方が無事じゃない。

「あの、あなたがさっきの火の玉を・・?」

「そ、そう・・・よ。」

 そこまで言うと、泥人間は再び泥の中に突っ伏してしまった。

「ちょ、ちょっと、あの、大丈夫ですか?」

 近づいて抱き起こす。

 泥まみれの顔だったけれど、見ればその人、私と同い年くらいの女の子だった。

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