チャプター9 その先の
「お腹空いたかも・・。」
私の背中に向かって、ミカゲがぽつりと言った。
「うん・・。バイルシュタットに戻れば、いっぱい食べられるよ。我慢しよ。」
「そうね・・・。うん。我慢する。・・・カノン。ありがと。」
「え・・・?」
「矢に当たって、瀕死のあたしをばぁちゃんのとこまで、連れてってくれたでしょ。姉妹とか、肉親というわけじゃない、出会って間もない私をさ。」
「そんなの・・・。」
当たり前のことだと思ってた。あらためてお礼を言われるほどのことじゃない。
「当たり前じゃない。放っておくことなんて、できるわけない。」
「ふふ・・・。そういうとこが、カノンらしいよ。いや、フィオラらしいとも言えるのかもね。みんな、フィオラの面影を色濃く見るんだよ、カノンに。容姿だけじゃない、その魂的に、というか。だからついてくる。」
「そうなのかな・・・?」
「きっと、そうだよ。」
「・・・うん。」
カデルがアナイを寄せてきた。
「おい、カノン。」
「なに、カデル?」
そういえば、おい、とか、あんた、あるいはフィオラ様、としか私を呼ばなかったカデルがいつの間にか、カノンという名前で私を呼んでくれるようになった。本人は意識してるのか知らないけれど、そこはちょっと嬉しい。
「バイルシュタットに戻ったら、軍議では主導権を握るぞ。ぼんくらどもに好き勝手させるな。ヘイデンケル砦での戦果を考えれば、たやすいことだ。ビトリナス族の侵攻を食い止める中心にいるよう努めろ。」
カデル、早くも上にのし上がるための算段だ。首長第六子が娘、フィオラの功績でビトリナス族を撃退。新聞の見出しみたいなキャッチをすでに考えているんだろう。カデルらしいといえば、カデルらしい。
「分かってる。でも、私達が帰る方法、探すのも忘れないでよね。」
「ああ。そっち方面の情報も集め始めている。心配はするな。」
いつの間に・・・。やっぱりこの子は、抜け目ない。
見慣れた丘を前に迎えた。ここを越えれば、街を一望できる。バイルシュタットはもうすぐ。
なんだけれど、何か、様子がおかしい。
カデルも異変に気付いたみたいだ。
「止まれ! 何かおかしい。」
風がざわつくというか、奇妙な気配が丘の向こう側に淀んでいるような・・。私達はいったんリウから降りると、腹ばいになって丘を登る。そこに広がる光景に、私は息をのんだ。
「な・・に、これ・・。」
バイルシュタットの街を取り囲むようにして、幾重にも人の垣根ができてる。そこかしこにきらめく斧や剣。その数、ざっと見ても三千人以上・・・。
カデルが歯噛みをしながらつぶやいた。
「くそっ・・! やられた。ビトリナス族のほぼ全軍だ。傭兵も相当数入ってるようだが、ヘイデンケル砦への攻撃は陽動だったんだ。」
「陽動・・・?」
サータリがあきれたような、感心したような、おかしな声をあげて、
「ふむぅ。完全包囲ってやつじゃの。蟻の子一匹通れそうもないのぉ。」
そんな感想をもらす。
カデルが続けた。
「注意を砦にそらして、本隊がバイルシュタットを叩く。無論、バイルシュタットの防備も固めつつあったわけだが、まさかビトリナスの攻撃がこれほどの規模とは・・・。」
「ど、どうしよう、カデル・・! バイルシュタットが落とされるってこと?」
「・・・・いや。」
カデルは戦線をにらみながら、私の言葉を否定した。
「バイルシュタットは丘の上の街全体を城壁で囲った堅城だ。櫓の数も多い。ビトリナス側も包囲したまではいいが、力押しはできない、といったところだろう。長期戦になるぞ。」
「長期戦って、どれくらいもつの?」
「井戸も食料もある。一年は戦えるはずだ。」
「・・・どうにかできないかな? テグウェン達と合流して、とか。」
「無理だな。テグウェンの手勢ではさすがに少なすぎる。この包囲は崩せないだろう。」
「でも、このまま手をこまねいてるだけじゃあ・・・。」
「分かっている! 少し黙ってろ。今、対策を考えてる。」カデルは怒ったように私を遮った。
ミカゲは心底困った顔をして言った。
「私のご褒美が・・・。ローンの返済に当てようと思ったのにぃ。でもさ、敵のビトリナス族も、よくこんな大軍を集めたよね。よっぽど大きな部族なんかな。」
ミカゲの疑問に、サータリが答えた。
「・・・いや、ビトリナスの連中にここまでの勢いはなかったはずじゃ。色々と事業でコケて、財政的にも苦しかったはずじゃからの。どうにも、スポンサーの匂いがしてならんの。」
「スポンサー?」ミカゲが首をかしげた。
「金の出所がどこかにある、ということじゃ。」
「出所って、誰がいったい・・?」
「ローディニウム・・・。」二人の会話を聞いていた私はつぶやいた。
サータリがうなずく。
「うむ。考えられるのは、そのあたりしかおらんじゃろう。これだけの規模の軍勢、個人のポケットマネーなどではとても賄えん。東のローディニウム帝国が、ビトリナスに肩入れしている、というところじゃろうの。」
私はサータリにそのまま疑問をぶつけた。
「でも、なんでローディニウムが? はるか東の、アユタル山脈を越えた先にある遠い国のはずなのに。」
「アユタル以西の地域にも、食指を動かし始めたんじゃろ。その手始めとしてビトリナス族に資金を提供し、ニール達レナ族を屠らせる。レナ、ビトリナス、双方が戦で消耗したところを見計らい、一気に飲み込む。ローディニウムの戦略は、ビトリナスのアホ供より一枚も二枚も上手じゃわ。」
「そんな・・・。」
国という、大きな単位の起こしたうねりのようなものに、私達が急速に巻き込まれつつあるのを感じた。情勢が動いている。このままでは、ニールおじさんが、バイルシュタットの人達が危ない。
黙って腕組みをしていたカデルが、意を決したように口を開いた。
「・・・カノン。アシンクムに行くぞ。」
「アシンクムって、確か・・・。」
「ハイミ族の拠点だ。ハイミの連中は規模こそ小さいが、レナ族、ビトリナス族どちらに与することもなく、中立を保ってきた。これまで、レナとビトリナスの間の、緩衝材的な役割を果たしてきたと言っていい。ビトリナスの勢力が一方的に拡大することを、ハイミ族も警戒しているはずだ。そこを利用する。」
「ハイミ族に、味方になってもらうのね。」
「ああ。この周辺地域の勢力バランスを取り戻させる。ハイミの首長は変わり者らしいが、ニールの娘、あんたが行けば、ともかく話くらいは聞くだろう。」
「分かった。」
かすかだけれど、希望が見えた。やるべきことが決まったとたん、むくむくと力が湧いてくる。不思議な感覚だった。
「ミカゲとサータリは・・・。」
ちら、と私は彼女達の目を盗むように見る。
ミカゲは、
「ぬひひ。行かない、とでも言うと思った? 一蓮托生って言ってるじゃん。それに、カノンは命の恩人でもあるわけだしね。もちろん一緒に行くよ。」
どん、と胸を叩いて応じてくれる。サータリの方はといえば、
「行くに決まっておろう。情勢が不安定になっているときは、武器もよく売れるわけじゃし、軍民問わず、各方面、財布の紐が緩む。ミカゲには、支払いを続けてもらわなければならんしの。」
と言って、手堅い商人気質を発揮してくれるのだった。言われたミカゲは、
「あう。払う。払いますってば。暇を見て強壮薬の材料も集めてるし、ちょっと待ってよね。」
と、たじろぐ。
カデルは私達を見てうなずくと言った。
「よし。そうと決まれば、こんなところをいつまでもうろうろしてられん。街道を避けつつ、アシンクムに向かうぞ。」
「うん。」
私はもう一度、バイルシュタットを見つめた。ニールおじさんが住み、そしてフィオラが住んだ街。
このまま滅ぼされてしまうなんて、そんな悲しい結末、絶対に嫌だ。
必ず助けに戻る。私はその思いを胸に刻みながら、歩き始めた。
ミギワメンテリスカノンをお読みいただいた方へ、誠にありがとうございます。
ストーリーを締めくくるには、かなり中途半端なところではありますが、形式上はいったん終了といたします。カノンは、ミカゲは果たして帰られるのか。レナ族の運命は。カデルは出世できるのか。サータリの商売やいかに。私自身、気になっているところでありますので、また機を見て続編を書きたいと思います。