たとえ真実がバレようとも、最後まで嘘を突き通してこそ、真のペテン師である
「この矛盾を解消する答えは色々考えられる。ひょっとすると伝説の剣は我々が知らないだけで二本あったという説。
その謎の男はバーリャの過酷さに頭をやられ、現実と妄想の区別がつかない狂人であったという説。
けれど一番信憑性の高い解釈は、ケチな元軍人の賞金稼ぎリゲル=シーライトが、つまらない見栄を張るために、とんでもない大嘘をついたってところだと思うんだが、どうだ?」
ちくしょう、くそったれ、こんなところであっさりとボロを出してたまるか。
そうだ、こんな証言、単なる状況証拠に過ぎないじゃないか!
俺の証言がウソだと断定することはできない。
なぜなら俺が剣を届けたという唯一無二の真実だけは、決して覆ることはないんだ!
「それを判断するのは今、ここで俺がすることじゃない」
俺は額に汗を流しながら、なんとか真顔を取り戻した。
「俺は、自分の経験した出来事を、そのまま伝えたまでだ。俺の行いが正しいかどうかを判断するのは連合軍だ。決して俺やお前じゃない」
それを聞いた途端、ルイーズは嫌なものを見るようにはっきりと顔をゆがめた。
「副将軍から見返りに何を貰った?」
「なんだって?」
「お前のような奴が損得勘定なしに動くはずがない、副将軍から見返りに何を貰ったと聞いている!」
いつも悪辣な事を言うやつだと思っていたが、こいつの口からそんな言葉が出てくるとは思いもよらなかった。
よりにもよって、副将軍とは。
俺は怒りや驚きを通り越して、あきれ返った。
「いったい何を言ってるんだ、お前は! 俺はともかく、副将軍閣下の名誉まで傷つけるつもりか!」
あの人の良い副将軍を、そこまで嫌う奴がいるなんてにわかに信じられなかった。
だが、彼女の仕草や言葉には、明らかに激しい憎悪の念がこもっていた。
「大使館から剣の発見者が民間人で、年少の子供であったという連絡は、すぐに副将軍閣下の耳にまで届いていた! だが閣下はこの功績を民間人ではなく、元軍人のお前のものにしようとしてあえて無視している! リゲル=シーライト、お前と閣下の間にいったいどんな話し合いがあった!」
胃の中に、すとんと錘が入ったような心地だった。
おい、ルイーズ、そいつは違うぞ。
あの子供みたいな爺さんは、単純に俺の詐欺に騙されてしまっただけだ。
最初は俺の事を疑っていたけれど、俺を信頼してしまった、それだけだ。
けれども、彼女の口からは、次々と軍部に対する批判が飛び出してきた。
「軍部は一体なにを企んでいる? このまま大使館の証言を無視し続けていれば、賢者の塔が黙ってはいないぞ!」
「それはあんたら現役の問題じゃないのか? え?」
俺は、とうとう我慢できなくなって、吐き捨てた。
「そういえば確かあんた、つい最近アイズマール一家を逮捕したよな? 令状を持って堂々とパーティに踏み込んできたのがあんただって、はっきり覚えてるよ。だが、逮捕されたはずの連中が次の日には大手を振って表を歩いているっていうのは、一体どういうカラクリ法治国家だここは?」
一瞬、ルイーズの目から火花が散ったように見えた。
彼女は歯を食いしばって、いらだたしげに脚甲を床で鳴らした。
「それはこっちが聞きたいっ! アイズマールがつい最近大規模な魔法兵器の違法取引を行っていた事は明白だった。
我々は完全に水面下で動いて、連中の逮捕にまでこぎつけたが、逮捕したときには証拠となる武器が完全に消えうせていた。結局、証拠不十分で我々の訴えが棄却されてしまったのだ」
「へぇ。そいつは驚いたな。不思議だね。どうしてだろうねー」
俺がおどけた声で言うと、ルイーズは顔を赤くして、牙をむいて吼えるように言った。
「とぼけるな! 直前まで連中と一緒にいたお前が、何も知らないはずは無いだろう!」
おっと、こいつは完全な濡れ衣だ。
はぁー、と息をついた俺は、人差し指を立て彼女の言葉をさえぎり、目を細めて呆れたように言った。
「あのな、こういう可能性も考えられないか? 連中が元々あんたらに濡れ衣を着せられていたっていうことだ。
つまり、最初っから武器なんてなかった、誤認逮捕だったってことさ。ちがうか?
俺だってたまたま同じ酒場に居合わせただけで連中の仲間だと思われて逮捕されたぐらいだからな、十分にありうる話さ。
特に憲兵団には、だれそれ構わず疑ってかかる、思い込みの激しい大佐殿がおいでみたいだからな」
突然、ルイーズは頭の中のなにかが切れたように顔を短く揺らし、急に無表情になった。
さすがに勢い余って腰のレイピアで切りかかってくるような真似はしなかったが、今の発言を上層部に訴えられれば、俺はただでは済まないだろう。
だが、それはお互いさまだ。
ルイーズもさっきの発言を訴えられれば失う物は大きい。
対する俺に失う物は何もない。
長い沈黙の後、彼女は振り絞るように低い声を放った。
「……本部に着いたら、この案件を法廷で訴える」
俺は、ふっ、と微笑んで言ってやった。
「どうぞ? ご自由に」
ルイーズは踵を返して去っていった。
俺は顔に満面の笑みを浮かべて、客室を去って行く憲兵団大差の背中を見送っていた。
彼女はドアから出てゆく際、痺れるような鋭い声で言った。
「覚悟しろ、リゲル=シーライト……いつかお前のウソを全て暴いてみせる」
ドアがぴしゃっと閉じられ、彼女の姿が見えなくなった。
その瞬間、俺は今まで堪えていた感情の全てを爆発させて跳びあがり、穴の開いた風船みたいに室内じゅうを駆け巡った。
うぎゃあああああああああああああああああああああああああああああっ! どどどどどどぉおおーしよう、どうしよう、どうしようーッ!
窓を開けて大声でわめき散らしそうになった。
とにかく新鮮な空気を吸い込んで、ぜーはーぜーはー呼吸した俺は、クローゼットを引っ掻き回して道具袋を取り出し、戸棚にあった救急セットからありったけの薬草や非常食をかきだした。
やばいッ!
もうだめだッ!
もうおしまいだッ!
あいつはやると言ったら、とことんまでやる鉄の女だ。
本気でこの争いを法廷にまで持ち込むつもりだッ!
ああ、神様、まさか生き残りが二人もいたなんてッ!
そんな奇跡起こしてんじゃねぇよ!?
法廷であいつに俺の作ったストーリーの矛盾点を全部指摘されて、さらに俺が過去に逮捕された経歴やら詐欺行為やらを暴露されたら、一体俺の証言に、どれほどの信憑性が残るっていうんだ!?
対するあの若造には大使館という証言者までついてやがる。
もう勝ち目がない。
きっとあいつが剣を手に入れた経緯なんか、謎の3人目が出てくる俺の話よりもずっと筋が通ってまともに違いない。
きっとまずいぞ、これはまずい!
しかも俺は准尉の顔すらまだ知らないじゃないか!
さっさと調べときゃよかった!
ああ、あるべき時の、あるべき場所に、あるべき者をあるようにあらしめる絶対原理のエカ神よ!
なんで、ミッドスフィアに、ルイーズみたいな女が存在するんだッ!
一生恨むぞッ!
俺は可能な限り物を詰め込んだかばんを背負うと、この世でルイーズという女に出会った不幸を呪いつつ、窓を開けて外に身を乗り出した。
黒い列車はまぶしい陽射しを照り返し、アーディナル中部と東部を結ぶ山中を風のように走っていた。
俺は熱い魔力を噴く先頭車両と、くるくると回転する浅黄色の浮力管を目で確認して、なだらかな丘陵に向かって飛び降りた。
華麗に前転して受身を取ったあとは、片足をまっすぐ伸ばして姿勢を支え、もう片足でバランスを取りながら坂道をすべり降りていった。
そのまま峰の下の森に至ると、前転して茂みに飛び込み、そのままじっと身を伏せて、列車が俺を置いて去っていくのを待っていた。
あまりにも華麗な脱出をしたせいか、誰も俺が降りた事に気づかなかったらしい。
列車はそのまま飛ぶように峰の上を走っていった。
俺は茂みから立ち上がると、あとは後ろも見ずに、ただひたすら逃げる事に専念した。
どこに逃げるかはまだ考えていなかった。
いずれ憲兵の追跡隊がくるだろうから、山中をひたすら逃げ回って、それから海の見える場所に行こう。
西地中海にでも行けば、きっと青い海と空が俺の荒んだ心を癒してくれるんじゃないかって思うんだ。
ああそうだ、そこで小さな船でも見繕って、地中海ルートでアンドラハル半島まで亡命すればいいんじゃないか。
密航か、ちくしょういよいよ俺の人生どん詰まりだな。
けれど、密航まで手を出さなくとも、海辺で毎日魚を釣って暮らして、気が向いたら小さな別荘でも建てて。
潮騒を聞きながらのんびり過ごしているうちに、この世界の厳しい暮らしも、空しい夢も、きっと都合よく忘れてしまうんじゃないかって思うんだ。
英雄の剣の波乱万丈な運命は、俺みたいなちっぽけな賞金稼ぎが主役を演じるには、あまりにもスケールがでかすぎたんだ。
そうだ、つまらない夢なんか見ずに、もっと慎ましやかに、ささやかに、健全に、前向きに生きるべきだったんだ。
ああ、簡単な事じゃないか。
どうしてもっと早くこうしなかったんだろう。
どうして俺は嘘なんかついたりしたんだろう。
そう考えながら走っているうちに、背後から山がひっくり返ったような凄まじい爆風が吹きつけてきて、なにか金属の固まりがぶちまけられるような音がした。
山ごと崩壊しかねない地響きが起こり、草原がぶわっと波紋を広げていく。
そのあまりの大きな音に俺は思わず立ち止まり、後ろを振り返った。
北の空一面に、黒煙の幕が張っている。
森の向こうで木々が轟々とざわめき、燃え移った火の粉を振り払おうともがいているようだった。
燃えて――いる。
「そんな、まさか」
旅行かばんを足元に落とし、よせばいいのに、俺は震える脚をおして、あわてて来た道を引き返していった。
峰に近づくにつれて森は焦土に近い様にかわってゆき、折れた木の燃え爆ぜる音がパチパチと地面を叩いていた。
峰を仰ぎ見ると、さっきまで俺が乗っていた列車が真っ二つに折れ、断面から火を吹きながら横たわっていた。
いったい何が起こったというのか。
この目で確認したところで、おおよそ何が起こったのか理解できるようなレベルのものではなかった。
だって信じられるか。
列車が横倒しになって、ついさっき自分の飛び出した窓から、勢いよく炎が噴き出しているんだぜ。
「大丈夫か! おい、誰かいるか!」
がたん、と大きな音を立てて崩れたのは、大きな屋根の残骸だった。
それも丁度さっきまで俺が夢に思い描いていた別荘ぐらいのでかさだった。
凄まじい力でねじ切れた浮力管は短い断末魔を上げて、宿っていた緑色の光をふっと消した。
おいおい、誰か生きているだろ?
ウソだろ、誰か生きてるよな。
生きているのなら、誰か何でもいい、声ぐらい出せよ。
なんで誰の声も聞こえないんだよ。
あいつまで死ぬはずないだろ、あの鉄みたいな女が、こんなところで死んでいいはずないだろ!
「ルイーズ!」
気がついたら俺はあいつの名前を呼んでいた。
俺は無謀にも坂道を登って、列車の残骸に近づいていった。
「ルイーズ! どこにいるんだッ! 返事をしろッ! お前が死んだら、いったい誰が俺のウソを暴くんだッ!」
近づくと、大地にこもった余熱で肌が焼けるように痛い。
列車は竹みたいにざっくりと割れて、中から様々なものが飛び出していた。ああ、ちくしょう。とても見るもんじゃない。
「声を出せ、ルイーズ! どこにいても俺が助けてやるッ! だから奇跡でもうめき声でもあえぎ声でもなんでもいい、声を出せ、ルイーズッ!」
そのとき、巻き起こる炎の音に混じって、周囲の森から何かけたたましい咆哮が聞こえてきた。
人間の咆哮だ。
いっしゅん魔物の群れかと思ったがそうじゃない。
助けを求める瀕死の兵士のうめき声でもない。
それは、まるで山賊か何かがやってくるような気配だった。
やばい。
この列車は狙われている。
「リゲル!」
絶望的な状況の中で、俺の耳はあいつの声をはっきりと聞き分けた。
そこには瓦礫ばかりが散らばっていて、あいつの派手な鎧は見えなかったが、とにかく声がしたほうを目指して走っていった。
どうやら廊下を歩いていて、爆発した時に、窓から遠くに吹き飛ばされたらしい。
屋根の残骸の下にいて、危うく見逃すところだった。
大佐は、分厚い装備で辛うじて助かったようだったが、その鎧もつぶれて大きく裂けている。
連中は一体どんな爆弾を使ったんだ。
「ルイーズ! 大丈夫か? 意識はしっかりしているか、まだ子供は産めるか、この俺のハンサムな顔が見えるか?」
俺が声をかけると、ルイーズは吼えるように返事をした。
「馬鹿者、これが大丈夫に見えるかッ。意識はしっかりしている、この年で子供を産めとか無茶を言うな、ハンサムな顔はどこにも見えない。目を開けただけ損した、くそっ!」
どさくさに紛れて、俺たちは言いたい事を言い合っていた。
ああちくしょう、俺は売れない映画の主人公かよ。
宿敵にこんな軽口を叩かれても、とにかくこいつを助けなきゃならないなんて。
俺は上からのしかかっている分厚い壁に背中をあてがって、歯を食いしばって思い切り押し上げた。
この無駄にでかい列車め。
ぎしぎしと音を立てながら黒い屋根が持ち上がると、ルイーズは地面との間にできた隙間から自力で草地まで転がり出た。
頃合を見て屋根を打ち下ろすと、彼女は草地に横たわったまま肩を強く抱き、下唇をかんで痛みを堪えていた。
「折れているのはどこだ」
「右足。腕は無事だ、肋骨はわからない」
「よし、任せろ」
俺は腰の道具袋から救急用の液体ポーションを取り出して、最もひどい怪我をしている脇腹にふりかけてやった。
傷口に触れた液体が、じゅっという音と供に蒸気に変わった。
ルイーズは硬く目を閉じて汗ばんだ腹部をぶるっと震わせ、悲鳴を出すのを堪えていた。
致命傷はどうにか塞がったが、このままじゃ治療は無理だ。
骨が折れた箇所は固定してからでないと、回復薬を使えない。
それよりも先ず、今はあの山賊どもの包囲から抜け出すことが先決だ。
「しっかりしろ、ここから逃げるぞ!」
俺はルイーズを背中に負ぶって、目の前の森に向かって右手をかざした。
咆哮は四方八方から響き、どちらに手を向けても異様に強い魔力が密集しているのを感じる。
この魔石の構成は、いずれも魔法銃だった。
しかもずいぶんと高性能なものばかり揃えてやがる。
ちくしょう、これは単なる列車強盗なんかじゃない。
一体何が狙いだ。
英雄の剣か。
それとも、はなから全員を殺す気で列車を襲ってきているのか。
そのとき、森の中に幽霊のようにぼうっと立っている人影をみつけた。
その幽霊みたいな女は唇にほっそりとした人差し指をあてがって、しーっと静かにするように指示した。
その指で森の奥を指差し、そのまま木の陰に姿を消した。
………………。
今のは、見間違えじゃないよな?
俺は目をこすった。
見間違えなんかじゃない、そうだ、今のはサテモだ!
俺はついている。
気まぐれな森の妖精が、二度も俺を助けに来てくれるなんて。
とにかく、俺はルイーズを背負ったまま無我夢中で彼女のあとを追った。
人を2人背負って走れ、といっても無理な話で、それが1・5人になってもきついのに変わりはない。
なんといっても鎧が重すぎる。
ようやく脚を動かしているといった状態だった。
ちくしょう、憲兵団大佐ってのは、どうしていつもこんな厳しい鎧なんか着ているんだろうか?
きっと問題を解決する方法は、最初は全部シンプルだったはずなんだ。
こいつが鎧を脱いで、赤いチェックのスカートをはいて、真っ白いブラウスを着て、そして胸元にリボンなんかつけて街中を歩いていたら。
そうしたら、それだけでこの暗い世の中が、ちょっとは明るくなるんじゃないか。
駆け出しの賞金稼ぎが、ちょっと怖い駆け出しの憲兵とたまたま出会ったときから、心の中でずっとそう思っていただけだったんだ。
思っているだけで、いつの間にかお互いにこんなおじさん、おばさんになっちまった。
ははは、言ったら、ぶっ飛ばされそうだ。
森の中はほとんど暗闇で、前を行くサテモの後ろ姿も見えなかったが、時おり俺を導く短いささやき声のようなものが聞こえた。
今はとにかく、森の妖精の力を信じるしかない。
歯を食いしばって、痺れる足と戦いながら歩き続けた。
一瞬、誰かのすぐ隣を通ったような気がした。
そのあとすぐ、周囲から話し声が聞こえたような気もしたが、それは気のせいなんかじゃなかった。
森の途中で振り返ると、武器やたいまつを手にした荒くれどもの背中が森の中にぼんやりと浮かんで見えて、俺はおもわず身震いした。
森の中を、何十人もの男が人を逃がさないよう列を組んで行進している。
俺が通ってきたと思われる隙間は、わずかに十歩あるかないかだった。
おいおい、あんな狭い隙間、普通の神経じゃ通り抜けようなんて考えないぞ。
ぼんやりしている余裕はなかった、森の奥でサテモが先を促したので、俺は慌てて後についていった。
いったいどこまで連れて行くつもりだろう。
強盗団の姿も、列車が燃える音もとっくに背後に消えさってしまった。
どこに行くのかは分からないが、今はとにかく、こいつを下ろして楽にしてやりたい。
「待ってくれ、助かった、ここまで来れば、もう大丈夫だろ?」
そのくらいなら俺にも分かる。
俺は道案内するサテモを引き止め、ようやく木々の密集していない平坦な場所までたどり着くと、背負っていたルイーズをゆっくりと下ろした。
俺がルイーズを介抱しているうちに、サテモはこくん、と頷くと、一言も言わずに森の奥にふっと姿を消してしまった。
「あ、ちょっと」
もう行ってしまったのか。
何度も助けてもらったのに、まだ礼一つ言っていなかったな。
まあいい、サテモはたぶん、アーディナルで一番せっかちな生き物なんだろう。
血を結構流したせいか、ルイーズはさすがに憔悴しきった様子で、ひどく弱々しい息をしていた。
こういうときは、体力を高める固形ポーションを食べさせる方がいい。
非常食の中にあったパッケージを破って、口に押し込んで食べさせ、装備を解いて包帯を巻いてやっていると、彼女は俺から目をそむけて、どこか悲しげな表情を浮かべていた。
「大丈夫か、ルイーズ」
「…………」
そう言えば、さっきの爆発で、列車に乗っていた大勢の憲兵達が命を落としたんだ。
こいつにとっては大事な部下や仲間達だったに違いない。
最後に包帯を切って応急処置を終えてから、俺は彼女に尋ねた。
「連中は相当キレてる、第五憲兵旅団が誰かに恨みを買うような事があったのか?」
すると、彼女は弱々しい声で返事をした。
「分かり切った事を聞くな」
そうだな、憲兵が悪党に逆恨みされるのは毎度の事じゃないか。
逆にどうして悪党の俺が彼女を助けたのか聞きたいだろう。
だが、何か腑に落ちなかった。
あの爆発系魔法だ。
強力すぎて、一発で列車が粉々になってしまったじゃないか。
あれでは中にある剣も無事では済まないだろう。
だとしたら、剣よりも乗客の命を狙った犯行だったということか。
それとも剣を破壊する事を目的としていたのか。
少なくとも、連中はただの列車強盗でないことだけは確実だ。
俺があれほど堂々と剣の事を全国的に宣伝していたのに、みすみすお宝を破壊するかもしれないような事件を起こすなんて。
やっぱり、何かおかしい。
本当に単なるテロなのか。
戦友の剣を取り戻したといって喜んでいた副将軍閣下の顔が浮かんだ。
けっきょく、副将軍閣下は助けられなかった。
ちくしょう、連中は地獄に落ちればいい。
「あ……ああぁぁぁ――――――ッ!」
誰かの甲高い叫び声が聞こえて、俺は顔を上げた。
次から次へと一体なんだ……と思って見てみると、いつの間にか、さっきの場所に白い髪をなびかせながらサテモが戻ってきていて、その隣には、革のケースを背負った見覚えのある少年を連れていた。
げっ……よりにもよって、あの若造とこんなところで出くわすなんて。
「お、お、お、お前ッ! お前、なんでこんな所にいるんだッ!」
少年は肩をわなわなと震わせながら、俺の方を指差して言った。
俺は、自分の背後に他に誰かいる事を祈りつつ背後を確認したが、そこにはやはり俺しかいないようだった。
「お前しかいないだろうが! お前、お前だよ! そう、お前! そこの髭オヤジ!」
なに、この若造。
この俺を何オヤジだって?
黙って聞いていれば、さっきからずいぶんと無礼な口を叩くじゃないか。
「口を改めて貰おうか。俺の事は以後、『ハンサムなヒゲのおじ様』と呼べ」
俺と少年の丁度中間に立ったサテモは、互いの目から飛び散っている火花をまるで意に介さない、おっとりとした口調で言った。
「森の管理者サテモはこう考えています。アーディオたちが争うのは、我々森の妖精のように遠くの出来事を知る耳を持たないからだと。
だからアーディオは他人の見えない部分に疑いを持ち、恐れ、傷つけあっているのです。
あなた方が争いを解決するためには、まずお互いに見える位置に立って、話し合いによって相手の事を理解しあう事が重要なのではないか、と思ったのです」
彼女は、自分で納得したようにそう言って、2人とも前に出てくるよう、手で指示をした。
「では、どうぞ」
カーーーーン!
その瞬間、俺と少年の脳裏にゴングが鳴り響いた。
俺と少年は2人とも両手を前に掲げ、互いの間合いを詰め、戦闘体勢に入った。
俺が軽快なフットワークで右に左に相手を翻弄すると、少年は小柄な体を生かした低姿勢スウェーから素早いジャブを繰り出してきた。
シュッ! シュッ!
俺は体をのけぞらせて1発、2発と拳を避け、牽制の左フックを放った。
少年は顔面を狙ったフックに身体を強ばらせ、必要以上の大きな動きで避けようとする。
ふっ、こいつ……弱いッ!
左フックを瞬間的に左ボディブローに切り替えて放つと、体重の乗った拳がまともに腹部に突き刺さった。
体が薄すぎる少年は、ぎゃっと声をあげて腹部を押さえ、その一撃で地面にうずくまった。
俺は両手の拳を高く突き上げた。
森中に勝利のゴングが鳴り響き、俺の勝利を讃える。
リーゲール! リーゲール! リーゲール! リーゲール!
見よ……森が、大地が、鳥達が……!
弱肉強食の大自然が、リゲルコールに沸いている!
――ような気がしたのは、まったくもって俺の気のせいだった。
ふと見ると、森の代表者サテモがものすごーくがっかりした顔つきで俺を見ていた。
ふふん、どうやら彼女の希望通りの展開にはならなかったみたいだな。
頭の周りに疑問符が一杯浮かんでいるぞ。
どうしてこいつら話し合いができないのってな。
話し合いなど無用、拳で語り合う、これが男の世界だ。
あんたには到底理解できないだろうがな。
俺は空高く突き上げていた拳をゆっくりと下げ、サテモにも分かるよう、弁明をしようと努めた。
「いや、あの、だからさ……今のは不可抗力っていうか……こういう場合のセオリーであってだな……」
「うわあああっ!」
話の途中で、いきなり少年は腹部に飛びついてきた。
もうなりふり構わずといった攻撃だ。
やれやれ、大抵の男なら後ろに押し倒されるところだろうが、俺様の軍隊で培った戦闘スキルと、賞金稼ぎとしての経験がそれを許さなかった。
足を後ろに伸ばして踏みとどまり、そのまま相手の重心を腰の上に乗せてぐるりと身を翻した。
手で後ろ襟をつかんで放り投げると、少年は綺麗な円を描いて宙を舞い、落ち葉の上に背中から着地した。
ズザーッ、と落ち葉の上を滑っていく少年。
受身を取ることが出来なかったらしく、少年は苦しそうに顔をゆがめてしばらく動かなかった。
俺はその隙に相手の片腕をねじ上げ、さらに余った腕で首を抱え込み、上から倒れこむようにして押さえ込みに入った。
王宮流武術、払い腰から袈裟固めのコンビネーションだ。
少年は苦しそうにうめき声を上げ、俺の下でしばらくじたばたともがいていた。
力の差が圧倒的なので、簡単に逃れられはしないだろう。
「はっ、若造が! 俺に勝てるとでも思っているのか? 100年早ェッ!」
少年は顔を真っ赤にして叫んだ。
「う、うるさい、お前みたいな悪党に剣を取られて、黙っていられるものか! あれは准尉が俺に託してくれた大事な剣なんだぞッ!」
やれやれ、諦めの悪い少年だ。
俺は少年を体の下に押さえつけながら、暗い森の底まで光を注ぐ太陽の光を、片腕ですくいあげた。
「おい、少年、いいかげんに世の中を受け入れろ。強いものが弱いものに勝つのが、それほど理不尽な事か?
空に太陽があるだろ? お前がいくらもがいたところで、空に太陽があるというこの事実が覆るのか?
かといって、お前が地の底でもがいているという事実が覆ることも決してない。
然るべき事が然り、然らぬべき事は然らぬ。それがこの世界の常識ってもんだ。
この世のありとあらゆるものがその存在の基盤にしている法。
議論することさえバカバカしいぐらい当たり前のように教授しているこの『恒真法』、『完全同一性』、『AイコールA』、それが唯一、世界の隅々まで徹頭徹尾、完全でありうる法だ。
最も強い者に力を与え、最も正しい者に清さを与える。
それこそ絶対神エカが守護する『正義の法』に他ならないのさ。
神が世の中に起こす奇跡ってのは、決して異常なことや、あってはならないことでも、ましてや愚か者どもが空から降ってくることを切望しているような魔法でもなんでもない! 目を覚ませよ、奇跡は既に目の前で起きていて、世界の始まりから今日まで、覆されたことなんか一度たりともないんだってな!
覚えておきな、常に強い者が勝ち、勝ったものが歴史を作り上げていくッ! それが世界の法だ! お前が俺より弱いのが悪かったんだ! 剣の事は、さっさと諦めな! 小僧ッ!」
「ちくしょう、やっぱりお前は最低の男だ! 悪魔だ! なってはいけない大人の見本市だ!」
かくして、俺の不名誉な称号がまたひとつ増えた。
相手を打ち負かすためには昨日の信念なんて手の平のように簡単に覆す。
強者にはへつらい、そして弱者にはとことん強い。
しかし、ちょっとやりすぎたかもしれないな。
少年は喉の奥で金切り声を上げ、悔しそうに泣き出してしまったんだ。
サテモがすこし離れた場所から俺達のやり取りを見ていた。
まずいな、このままでは、俺ひとりのせいで全アーディオの尊厳を損ねかねない。
「とまあ……時と場合によっては、こういう風に話し合いに持っていく必要も、あるってことだ……」
俺がかなーり苦しい言い訳をすると、どうしたら良いのか分からなくて少し困惑した様子だったサテモは、やがて耳をぴくぴくっと振って、はっきりと頷いた。
「なるほど、確かにそうですね。アーディオの問題には、アーディオなりの解決の仕方があってしかりだと思います」
俺は、ほっと胸をなでおろした。
どこまでも浮世離れした女でよかった。
そのとき、もうひとりの浮世離れした女、ルイーズが背筋の凍るような冷たい目でこちらを見ていたのに気づいた俺は、すばやく身をひるがえして少年を助け起こすと、背中の泥を丁寧に払ってやった。
「うむ、すまなかったね少年。痛くはないか? 声が出せるなら、名前と出身地を言いたまえ」
さっきの俺は大人げなさ過ぎたと、ちょっと反省する。
少年はもう観念したのか、いきなり飛び掛ってくるような事はしなかった。
顔をぐしゃぐしゃにして涙をぬぐいながらも、東部ではごく普通な名前と出身地を答えた。
どうやらミッドスフィアの平凡な町から来た、ごく平凡な少年らしい。
「そうか。ひとつ尋ねたいのだが、お前はどこでどうやってあの剣を手に入れたんだ」
少年は、赤くなった目を恨みがましそうに俺にむけたが、素直に答えた。
「俺はヒスパイトに雇われて、バーリャで剣を探す旅の手伝いをしていたんだよ。その旅で、ヒスパイトと一緒に剣を見つけたんだ」
可能性は考えていたが、少々驚いた。
こいつはあの唯一の生き残り、ヒスパイト=デル・エルニコフ准尉と旅をしていた、というのだ。
「もうすこし、詳しく聞かせてくれ」
少年は時々しゃっくりを交えながら、これまでの経緯を説明した。
今年の春ごろミッドスフィアで仕事を探している途中、平原で剣を探すための助手を探していた老人ヒスパイトと偶然出会ったのだそうだ。
老人が元准尉で、『軍から重大な任務を受けて剣を探していた』という事は、常しえの河であの剣を見つけた頃にはじめて聞かされ、分かったらしい。
少年の話を聞きながら、不思議に思った。
どうやらこいつは、本当にどこにでもいるような子供であるみたいだった。
危険極まりない旅に、どうして准尉はわざわざこんな子供を雇ったりしたのだろうか?
それに、『重大な任務』だって?
少年が嘘を言っているようには思えないが、准尉が嘘をついているとも思えない。
もしそれが軍の任務だったら、昔のつてを頼って信頼のおける部下ぐらいすぐに何人か集められたはずだ。
それに、准尉は軍ではずっと『行方不明』あつかいにされていたんじゃなかったのか。
軍の命令に従って剣を探しに出かけていたのなら、ただの『任務遂行中』になると思うのだが。
どうやら、情報が倒錯しているようだ。
軍の中で、なにかよからぬ事が起こっているのか?
そのとき、俺にはある可能性が思い当たった。
ああ、なるほど、そういう事だったのか。
「……だから、准尉は剣を隠してなんかいないし、死んでなんかもいない。毒に冒されて、集落から離れることが出来なくなってしまったんだ。だから代わりに、俺が剣を運ぶ役割を受け継いだんだよ……」
じろりと俺の方を睨む少年。
あとは、列車で俺が考えていた通りの展開が起こったのだろう。
やれやれ、参ったな。
仕方ない、これは俺のことを恨むのも当然か。
頭の中で状況をすべて整理できると、俺は深く息をついて、ぶんぶん頭を振った。
「まったく、お前は、本当になにも分かっていないガキだな!」
「………………!? えッ!?」
少年は、まさか自分の未熟さを糾弾されるとは思わなかったのだろう、目を丸くした。
俺は、はぁーと深くため息をつく。
彼の鼻の中心に真っ直ぐ指を突き出して言った。
「ヒスパイト准尉がどうしてお前を助手に選んだのか、少しは考えた事がないのか? わざわざ身分を隠して、お前みたいな素性も分からない子供を助手として雇わざるを得なかった理由を聞いたことがあるか?」
少年は、軽く口を開き、まるで不可解なものを見るような顔になった。
俺はいかめしい軍人の顔を貼り付けて腕を組み、極めて深刻な、内密な話を彼に打ち明けた。
「連合軍に裏切り者がいるんだよ。だから軍の関係者には相談できなかったんだ」
俺の出した結論は、辺りの暗闇にすうっと吸い込まれていった。
「おそらく、その裏切り者はアイズマール一家というマフィアと結託しているはずだ。連中は軍内部の情報を不自然なほど簡単に手に入れているからな。
剣の捜索状況に関する最新の情報しかり、さらにはお前が剣を持って大使館に駆け込んだという情報までいち早く掴んで、駅前に手下を張りこませていたんだ。
連合軍に内通者が居るのだとすれば、すべてつじつまが合う」
少年は、納得がいかない様子で言った。
「お、おかしいじゃないか。そんな奴らがいたんだったら、なんで俺から剣を奪わなかったんだよッ。俺は3日間も宿屋で寝てたけど、何も起こらなかったぞ!」
「当たり前だ、連中の真の目的は伝説の剣を手に入れる事じゃない。連中の目的は、軍の裏切り者の存在に気付いていたエルニコフ准尉を抹殺することだったんだ」
「え……ええッ!」
少年の目はさらに丸くなった。
うむ、いい反応だ。
そうだ、簡単なことじゃないか。
アイズマールは決して勝てない博打には出ない。
連中が手に入れた本当の情報というのは、准尉が『剣の隠し場所を知っているかもしれない』なんて不確かな情報じゃない。
准尉に『裏切り者の存在に気付かれた』という、彼らの利益に直結した、もっとも危惧すべき情報だったんだ。
「准尉が受けていた重大な任務というのは、お前の聞いたとおり表面的には剣を探すことだったはずだが……実際は、しばらくのあいだ軍部から身を隠すことだった。だから軍内部では行方不明扱いになっていた。
この任務を裏切り者本人が出したかどうかまでは知らないが、そうであってもおかしくはない。准尉がバーリャに姿を隠すと同時に、『准尉が剣を隠し持っている』という誤報がもたらされていたんだ。
准尉が誰に襲われてもおかしくない状況を生んでおいて、裏切り者の相棒のアイズマールが、その役割を担う手はずだった。
あいつはずっと前から違法な武器を集めていたが、どうやら最初から帰還するエルニコフ准尉を襲う目的だったんだ。
アイズマールは、その件で一度憲兵に逮捕されているが、憲兵が踏み込む直前に証拠を隠して、あっというまに釈放され、さらに部下にフェルスナーダの駅前を見張らせていた。
この動きの速さから考えても、間違いないだろう、軍に内通者がいて、アイズマールと繋がっている。
准尉はそいつを警戒して、軍の関係者には助手を頼めなかったんだ」
確認のためにルイーズの方を見ると、彼女は空を見上げたまま、わずかに頷いた。
やはりそうか。
彼女もずっと軍の関係者を疑っていたんだな。
味方も疑わなければならない、因果な商売だ。
「少年は知らないかも知れないな。さっき、俺が剣をミッドスフィア本部に運ぶ途中、列車が爆発系の魔法で吹き飛ばされたんだ。ただの列車強盗にしては派手な魔法を使いすぎている。
あの列車には金になる装飾も装備もあったが、ほとんど吹き飛ばされてしまった。彼女の丈夫な鎧さえあのように破壊されているありさまだ。俺様の華麗な救助で事なきを得たが、あれはすべての乗客を確実に殺すつもりの攻撃だった」
「本当に?」
少年がサテモに尋ねると、彼女は静かに頷いた。
まあ、どうせ俺の言葉は信用ないんだろうな。
「当初はエルニコフ准尉がバーリャから戻ってくるタイミングに合わせて、綿密に練られていた計画だったはずだ。
だが、計画を進めていくうちに、連中にはもう1人、厄介な敵があらわれた。平原に逃げ込んだ准尉とは別に、徐々に軍内部の裏切り者の存在に気づき始めた女、憲兵旅団大佐がいたんだ。
俺のほら話……いや、あえて准尉が殉職したかのように吹聴した『例の話』のお陰で、連中は准尉を狙う必要がなくなったものと思い込んだんだろう。
それで標的を憲兵団大佐に切り替えて、そのまま計画を実行に移すことにしたんだ。
その目論見はみごと外れて、2人ともまだ生きている。俺は危険をいち早く察知して窓から脱出したから助かったが、これがお前みたいな若造だったら、確実に生きてはいなかったはずだ」
どーん、と言いながら少年の額をつついてやった。
彼の顔はみるみる青ざめていった。
「そんな」
「この間のアイズマール逮捕劇も、たぶんわざと仕組んでいたんだろうな。准尉を襲う動機とは別に、憲兵旅団を襲う動機が必要になったから、内通者がわざとカラ情報を漏らして、憲兵にアイズマール一家を逮捕させていたんだ。
大佐はさらに内通者の存在に確証を得るだろうが、始末してしまえば問題なかった。あとで捜査が進んでも、アイズマール一家が軍を逆恨みした末に、軍事車両を襲う凶行に出たと見られるだろう。
内通者の存在には届かない、そして軍に内通者が生きている限り、アイズマール一家が逮捕されることは決してない。
そうなると、裏切り者もさすがに剣ごと吹き飛ばすようなバカな真似はしていないはずだ。汚れ役を買うアイズマールに、それ相応の見返りが必要だからな。理由をつけてあらかじめ手を回して、剣だけは爆破魔法から保護させていたはずだ」
自分で言いながら、アイズマールに対する怒りが再びこみ上げてきた。
あの汚らわしい禿オヤジめ。
金の為なら、平気でどんなことでもしやがるからな。
だが、今はそんな事を考えている場合じゃない。
俺は息を整えて、話をつづけた。
「准尉は自分の命が狙われている事を知っていたんだ。お前に剣を渡す前に、何か忠告していなかったのか?」
少年は言葉に詰まり、うつむきがちになってぼそぼそと呟いた。
「剣の事は、何があっても他人には話すなって」
「ああ、やっぱり。何があっても他人には話すなって、言われてたんだろ?」
俺は諸手を打って、いかにもそれが重要なポイントであったかのように指摘した。
「大使館の連中なら話しても安全だ、なんて言ってたか?」
少年は、ぶるぶる、と首を振った。
当然だ、准尉も大使館の連中なら安全だ、なんて確証はなかっただろうからな。
だが、大使館に駆け込んだ少年の行動を非難することはできない。
いくら内部に裏切り者がいるからといっても、普通は大勢に護送されているほうが安全だと考えるはずだ。
まさか裏切り者が、マフィアを使ってこんな強硬手段に出るとは予期していなかっただろう。
旅をするときに、ひとつ心得ておかなければならないことがある。
とりあえず大使館に駆け込んだら安全だ、なんて考えたら大間違いだ。
そして、この俺を信用することも同じくらい危険だ。
俺は右手の拳で左の手の平を突き、歯噛みして、連中の暴挙を食い止められなかったことを悔やんだ。
「そう、それにいち早く気づいた俺は、連中の裏をかこうと、あの手この手を使って、この俺が剣を見つけた発見者だという話を世界中に広めていたんだ。伝説の剣の所在が世間一般に知れ渡り、注目を集めれば、あいつらも少しは暴挙に出る事をためらうはずだと考えていたんだが……だが、奴らは逆に、この俺を最も始末しなければならない敵だと認識してしまったらしい!」
さすがにそこまでの確信はなかったものの、そこは推測するしかないので言い放題だ。
少年は俺の話にすっかり夢中になっている様子だった。
「あ、あんた、自分が狙われる事になると知っていたのに……どうして……」
あ、そういえば、俺の動機までは考えていなかったな。
ふむ。
俺は小指で目頭を掻きながら、しばらく頭をひねっていた。
……まあ、考えても仕方ないか。
やがてふっと爽快な微笑みを浮かべ、少年の細い肩に手を置いてこう答えた。
「細かい事は気にするな、それが俺達兵士の役割だと思ったまでさ」
やった、俺様天才。
少年の表情からは、俺に対する疑いの眼差しはみるみる溶けていってしまった。
まるで命を救ってくれた救命隊員にあこがれる少女みたいに忽然としている。
なんだ、話してみると結構素直で可愛い奴じゃないか。
ふと、サテモの方を見ると、彼女は例のごとく細い目で俺の顔をじっと見詰めていた。
あまり感情を表に出さないせいか、石のように硬い表情に見える。
この森のすべてを見透かすその耳で、俺の動揺まで見透かされているような気がして、余計に緊張した。
「リゲルさん」
「は、はい」
喉が渇いて、声が生乾きになった。
サテモは同じ目の高さになるようひざまずくと、両手で俺の手をやさしく包んで、申し訳なさそうに耳を垂れた。
「申し訳ございませんでした、あなたの行動の影に、そのような深い考えがあったとは、思いもよらずに……」
勝った。
この瞬間、俺はとうとう森の精霊まで欺いた、歴史に名を残す大ペテン師となった。
さらにサテモは、俺を上目遣いに見上げながら言った。
「300年生きても、私はまだまだ未熟なのですね」
おお、神よ。
300年生きてもなお未熟なこのサテモを、俺の元に遣わしてくださった稀なるお導きに感謝いたします。
ルイーズは、先ほどから何も言わずに仰向けになり、手で顔を覆い隠していた。
だが、とうとう可笑しくて我慢できなくなったのか。
傷が痛むのを堪えながら、くつくつと笑いはじめたのだった。
「まったく……この、とんでもない大ウソつきめ」
(まだ続きます。)