真実はバーリャの女神だけが知っている
教区フェルナディクの大聖堂で演説を終えた俺は、すぐ近所にある英雄街道に戻って、例の三叉路の酒場で3人の親友達と飲み交わしていた。
翌朝にはまた列車に乗って、ミッドスフィアの連合軍本部まで剣を届けなくてはならない。
本当は今夜の内に発つ予定だったのだが、せめて王国を出る前に仲間たちに顔を合わせておきたいと無理を言って、出発の時間を翌朝まで延長してもらったのである。
剣は二度と無くしてしまわないよう軍が厳重に保管しているので、さすがに持ち出す事はできなかった。
なので、連中に見せられたのは、紙切れに暖炉の炭で描いた簡単な絵だけだった。
V字にぴんとのびた鍔や長い柄、7つの金剛石の配置など、出来る限り正確に書きあらわしてやった。
仲間達は絵の出来栄えにうーんと唸って、暗号を読み解くように俺が描いた剣を眺めていた。
「変わった形だな……」
俺が見たのは一瞬だけだったが、たぶん本物そっくりに描けたはずだ。
武器マニアのアレクセンは、敵に向かって伸びたV字形の鍔をなぞりながら言った。
「こりゃあ、中世アンドラハルで主流だった『カッジオ』っていう小剣だな」
「『小剣』? めちゃくちゃデカかったけど?」
「たぶん、バーリオ用にしつらえてあるからサイズが大きいんだ、間違いない。この鍔の形を見ろよ……」
アレクセンは、自信を持ってそう言った。
スメルジャンは俺が剣の話をしてから、色々と黄金の剣にまつわる話を調べていたらしい、声を潜めて言った。
「大丈夫かよ。聞いた話じゃ、いわくつきの呪われた剣だそうじゃないか?」
不吉な話題に、仲間たちはいっせいに眉をひそめた。
「バーリャから剣を持ち帰った英雄は、突然やってきた謎の黒竜と戦って石になっただろ。それに、剣を運んでいた使者達は、平原の鉄砲水で行方不明になった。
持ち主が次々と不幸な目に遭うって聞いたぞ。もともと連合軍が剣をバーリャに返還する事にしたのは、管理者が次々と不幸な死を遂げて、管理したがる奴が誰もいなくなったからじゃないかって話だ」
東部で何度もその手の話を聞いた覚えのある俺は、真っ向から否定した。
「ああ、そりゃ、根拠のない作り話だよ」
「作り話?」
確か、鉄砲水の事件が起こって10年が経ち、バーリャの剣の捜索が迷宮入り確実になってから突然現れた都市伝説だった。
剣をバーリャに返還することにしたのは、はっきりとした理由がある。
終戦後まもなくバーリオ達がどんどんミッドスフィアに移住してきて、一時期大混乱になった事がきっかけだった。
バーリオたちを総べる王の剣がミッドスフィアにあるのだから、そりゃ獣人たちもこっちに来たがるのは仕方ないといえばそうかもしれない。
連合軍としては、常しえの河の王の権威を取り戻して、彼らをバーリャに引き止めてもらいたかったのだ。
その方策の一環として、英雄の剣を王に返還しようという話が持ち上がった。
死者が出たという話は、実際に起こった2つの事件になぞらえて、後から作られたんだろう。
「いや、いやいやいや! あながち作り話でもないかも知れんぞ、それは!」
アレクセンは、図柄を舐めるように観察しながら、声を潜めて言った。
「この異様な鍔の形状を見ろ。剣と鍔があわさって、丁度、鳥の足のような形になっているだろう。
これはアンドラハル・ピアジという魔法文字で、鷲の頭を持つ冥府の船渡し『ゼテン』の頭文字『ジオ』をあらわしているんだ。
この魔法文字には、洗い流すというか、そぎ落とすというか。とにかく、相手に死を与える死神の武器であるという、呪術的な意味合いが込められているんだそうだ」
俺は軽くむせ返った。
「そんな意味があったのか?」
いくら魔物じみているとはいえ、バーリオの王が死神の剣を持っているなんて話は聞いた事がない。
それに、ザクセン地方では水の精霊の剣だと言われている。
そう指摘すると、アレクセンははっきりと頷いた。
「同じなんだよ。バーリオが信仰する水の精霊は、同時に死をも司る。雨季に大洪水を巻き起こして大地を洗い清めたり、ワニの姿になって現れて、死者の魂を冥界まで運んだりする、いわゆる死神だと考えられているんだ。
実際、この剣には水属性の魔法剣が持つ究極スキル『防御力無効』が組み込まれていたという話だ。いったいどんな副作用をもたらすかわからない」
アレクセンは武器のことだけでなく、いろいろな方面の知識を蓄えていた。
なるほど確かに、あの乾いた大地では、水が人の生死を司るくらいの存在であってもおかしくはない気がする。
その小剣が使われていたという中世アンドラハルの話は、俺もよく知っている。
イーサファルトの南部にある、西地中海に突き出した大きな半島で、魔石の巨大産地。
かつてはドラゴンが噴き出す黒い瘴気に覆われ、『大黒斑』と呼ばれていた魔境だった。
というか、つい先日まで俺が亡命しようとしていた土地がそこだ。
中世の終わりごろ、イーサファルトの英雄によって魔王が討ち滅ぼされると、多くの魔族がアンドラハルから亡命し、西方のバーリャ平原に移り住んだという。
その魔族の生き残りが、今日のイリオーノの文明を築いたのだという俗説めいたものが、イーサファルトでは今でもまことしやかに語り継がれていた。
ちなみに、ザクセンでは石器時代の壁画なんかにもイリオーノの神殿が描かれているので、本当は魔王が滅びるよりずっと前からバーリャには文明があったらしいのだが。
「つまり、魔王領から逃げ出した中世アンドラハルの魔族が、この剣の製法をバーリャに持ちこんで、その技術を応用して作られた剣かもしれない、ということか」
スメルジャンが珍しく頭を働かせて言うと、アレクセンは首をひねった。
「いいや、それは分からないぞ。なにせ絶対に錆びない剣だからな、どれほど古いかという確証がない。
ひょっとしたらこれは、俺たちが思っているよりも、もっと古い時代に作られたもので、もともと魔王の城にあったものを難民が持ち出した、という可能性も否定できない」
「つまり」
スメルジャンは先を促した。
「これは、もともと、魔王の所有していた財宝のひとつだったかもしれない」
アレクセンは声を低くしてそう言い、俺達の背筋をぞくっとさせた。
俺は軽く口笛を吹いた。
かつては魔王の所有していた、いわくつきの、死神の剣。
賞金稼ぎの血が騒いでくるのは俺だけみたいだな、みんな青ざめた顔をしているぜ。
アレクセンは紙をランプの光に掲げ、興奮気味にわめいていた。
「もしもこれが魔王の所有物だったとしたら……! この剣の考古学的価値は計り知れないぞ。この剣はまさに、アンドラハルの失われた歴史の生き証人なんだ。これはアルペンデ歴史博物学の、いや、全アーディナルの、いや、まてよ……!」
とにかくもう、すごい剣であったという事は、彼のその熱の入りようから推し量ることができた。
連合軍がかけた賞金の額が何桁も違うのは、それほど重大な剣を失ってしまったことへの埋め合わせの意味もあったに違いない。
改めて、自分がとんでもない物の発見者に成りすましているのだと知って、そのスケールのでかさにしばらく圧倒されていた。
ふと、向かいの席に座っているアルドスが腕を組み、じっと俺の方を睨んでいるのに気づいた。
気のせいかと思って顔をそらそうとしても、やっぱりじっと俺を見ているらしい。
俺は新手の冗談かと思って、笑って突っ込んでやった。
「なんだよ」
アルドスは腹にずしんと響くような低い声で言った。
「おまえ、本当はどうやってあの剣を手に入れたんだ?」
どすん。
胸のど真ん中に不意打ちを食らったように感じた。
とつぜん息がつまり、手先が痺れて動けなくなってしまった。
スメルジャンが、ぽかんとした表情を俺に向けた。
俺は持ち前の演技力で、すぐにへらへらと笑ってごまかした。
「ああ? なんだよお前。記者会見のニュース観てなかったのか?」
「ああ、しっかり観ていたさ。朝からお前の顔を見るのは気がめいったが、あれだけ毎日やってりゃあ、さすがにな」
アルドスの声に、怒りがにじんでいた。
やばい、なぜかは分からないが、こいつは本気で怒っている。
「だが、俺はお前がまた取り返しのつかない大嘘をついてしまったんじゃないかと思っている。本当はどうなんだ、リゲル」
ふいに、全身に電気が走ったような気がした。
それと同時に、俺の両耳に何か大きな音の塊がぶつかってきた感触があった。
左右を見ると、スメルジャンとアレクセンが顔をくしゃくしゃにして、同時に腹を抱えて、大声で笑っていたらしかった。
「うひひひひひひひひ! は、腹いてぇ!」
「ひーっ! ひーっ! やめろ、勘弁してくれ!」
スメルジャンは、笑い死にそうになりながら言った。
「アルドス、お前って奴はァ……! ますますお笑いに磨きがかかってきたな……!」
この、このぉ。
彼はアルドスの太い二の腕を小突いて、じゃれていた。
俺は、まだ全身の痺れが抜けていなかった。
だが、辛うじて口の端を釣り上げて笑うだけのことはできた。
「…………まあな」
幼馴染のアルドスは、それ以上何も俺に言うことはなかった。
彼は深刻な表情のままテーブルに目を伏せ、静かにコーヒーをすすっていた。
なぜだ。
なぜバレた。
こいつは一体どうして俺の嘘を見破ることができた。
思えば、こいつは昔からずっと俺の嘘を見破っていたような気がする。
この俺が何度挑んでも、結局ビジューでは一勝もすることはできなかったし。
右手を隠しながら挑んだこの間も、結果は全く変わらなかった。
こいつには、なにか俺の嘘を見破る特異な能力でも備わっているとしか思えない。
俺の活躍をちゃんと見ただろう。
実際に連合軍が俺の名誉をほめたたえているんだぞ。
国王に謁見して、記者会見まで開いて、再現VTRやドキュメンタリー番組まで作って。
もはや、俺の自伝は聖書の次にランクインするベストセラーになった、周知の事実だ。
万民が信じているるこの俺の嘘を、どうしてたった1人、こいつだけが見破ることができるって言うんだ。
寡黙になってしまったアルドスの代わりに、いつもより多弁になったアレクセンが、目に涙を浮かべながら言った。
「いやいや、アルドスの言うことにも一理あるぞ、リゲル!」
「えっ」
俺はどきりとして、俺を問い詰めるアレクセンの方に向き直った。
「一体なんだあのドキュメント番組は! なにが『お前ならきっとできるさ』だ、俺たちがあんな爽やかにお前を応援するかよ! まさか、国王陛下にまで同じ嘘をついたんじゃあるまいな!」
スメルジャンは、ぷははと吹きだして笑った。
「リゲル、そいつは打ち首ものだぜ、あっははは」
俺は苦笑いを浮かべたが、素直に笑うことはできなかった。
ウソつきの俺は、結局、他にどうすることもできない。
嘘を隠すために、また嘘をつくしかなかったのだった。
* * *
夢の中で俺は法廷に立っていた。
俺を訴えているのは革のケースを背負ったあの若造で、その隣には、俺を心底がっかりしたまなざしで見つめる故郷の仲間たちがいた。
俺を訴える側の席にいたのはアルドスと、ミッドスフィア憲兵団。
俺を弁護する側の席には副将軍とアイズマールがいたが、どちらも怒りに満ちた鬼のような形相で俺を睨んでいた。
傍聴席には、俺が今回の嘘で騙した全ての人々がずらっと並んでいた。
とても全員の姿を見分けることはできなかったが、たぶん世界中の人々なんだろう。
投影結晶で裁判を見ている人もちらほらいて、上のほうの席がかすんで見えなかった。
真正面の裁判長の席には、もう高すぎて顔も見えないけれど確かに国王陛下が座っていて、天から降り注ぐ雷のような声で、俺に刑罰を宣告した。
その衝撃で俺は目を覚ました。
「うう……飲みすぎた……」
二日酔いで頭が割れるように痛かった。
できることなら、このまま眠っていたかったのだが、これ以上列車を待たせるわけには行かない。
無理やり体を起こして、ホテルが手配した馬車で駅まで直行した。
駅前に降り立つと、すでに待ち構えていた報道陣から、目の眩むようなフラッシュを浴びせられた。
カチカチと明滅する光の魔石に、まるで催眠術にでもかけられたような心地だった。
夢の中をふわふわと歩いているような感覚で、駅までの長い道のりを進んでいった。
構内に俺たち以外の乗客はおらず、額に手をかざす東軍式の敬礼をした兵士が屋根の下を埋め尽くしている。
アーディナル大陸の東西に横たわる大陸横断鉄道。
太陽のような魔力を放つ軍事専用車両。
俺の前を歩く、副将軍閣下の後姿。
全てが非現実的な、粘土でできたもののように思えてならなかった。
俺のすぐ隣にいる、甲冑を着た兵士が手に提げているケースの中で、たぷんたぷんと揺れている剣の魔力が、いやに冷たい現実味を帯びていた。
副将軍閣下は、イーサファルトでこなしてきたという小用にいささかうんざりしている様子だった。
列車に乗り込むと、長い廊下を進みながらミッドスフィアでの軽い打ち合わせをした。
「向こうに着いたら、先ずは連合軍本部があるテン=ディルコンタル州カンファン区で剣の譲渡式を執り行う。防衛相長官に剣を受け渡す役は君にやってもらおう。
それから、賢者の塔の元老院とミッドスフィア魔石産業協会の理事長が君の功績を表彰したいということなので、多少の時間を設けてある。まったく、ゴマすりだけは上手な連中だよ。
その後は東部の官邸パーティをたらいまわしだ。各界の著名人が君に予定をあわせたいと言ってきているので、出席の予定を聞きたいそうだが……なんだか気分が悪いみたいだから全部キャンセルでいいかね?」
「い、いえ、私は、そんな! 断られるような身分などでは、ありませんから」
昨日まではあんなに強気だったのに、なぜか今日はとことん演技が乗ってくれなかった。
それもこれも二日酔いのせいなのか。
個室のドアの前に立つと、副将軍閣下はいつものニコニコした表情で振り返り、父親のように俺の襟を正してくれた。
しばらく俺の顔を真正面から見つめ、両肩を力強く掴んで、彼は言った。
「遠慮することは無い。確かに、エルニコフ准尉の報告は残念だったが、君は誰にも成し遂げられない、価値ある仕事を成し遂げたのだ。君に出来る事は、君に剣を託したエルニコフ准尉のために、これからもずっと誠実なよき軍人であり続ける事だよ」
それは、心の底から満ち足りたような笑顔だった。
今までの苦難を乗り越えて、全ての結果に満足しているような。
「閣下」
一瞬、なにか嘘以外の重い塊が口から出掛かって、俺は口つぐんだ。
……言ってどうなる。
俺はそいつを飲み下し、気がつけば腹に重たい物がたまっていたのを感じながら、姿勢を正して、改めて閣下に言った。
「光栄であります、閣下!」
閣下はうんと頷いて、後光を放ちながら、威厳たっぷりに部屋へと入っていった。
* * *
イーサファルトを出発した列車は、朝日に輝くクレタの美しい街並みをかすめながら教区フェルナディクを通過し、東部との境界にある山中を進んでいった。
俺は、わが身の全てを預けるようにソファに座り、その座り心地のよさを唯一の心のより所として辛うじて生命を維持していた。
果たして俺は、ここにいていい人間なのだろうか。
ここの空気を吸っていていい人間なんだろうかと、心の中にまた同じ疑問がわいてきた。
だが、二日酔いの頭でどう考えたところで結果は変わらない。
考えたところで吐き気がするだけだ。
それに、本当の事を言ったところで、今更どうなるわけでもないだろう。
いまはとにかく、必至にこの嘘を守り通すべきだ。
それに全力を傾けることに、一体なんのためらいがあるって言うんだ。
いいかリゲル、これは千載一遇のチャンスだぞ。
国王陛下にも謁見したし、これから著名人とも顔を合わせることになる。
その後の俺の未来は約束されたも同然だ。
自伝もかなり売れまくっているし、世界恐慌の時代も華麗に乗りこなしてみせる。
この機会を逃せば、こんな夢のような話はもう二度と天から降ってはこないぞ。
ふと、ノックする音が聞こえたので、俺はなにげない視線をそちらの方に向けた。
部屋に入ってきたのは、甲冑を身に着けたミッドスフィアの上位兵だった。
「リゲル=シーライト殿」
相手は、鉄仮面の中に声を響かせて言った。
「少し、話す時間が欲しいのだが、よろしいか」
どうやら、女性だったらしい。
俺は少々面食らって姿勢をなおし、何の気なくうなずいた。
「ああ、手短に頼む」
彼女は、仮面を外しにかかった。
顔をすっぽりと覆っていた仮面を脱ぐと、短めの金色の髪がこぼれ、汗ばんだ頬や額に無造作に張り付いていた。
面長で、年は俺と同じくらい、40代か。
落ち窪んだ両眼は、見つめるものの魂を掻っ攫っていきそうなほど鋭かった。
その目で見つめられた瞬間、俺は不意に叱責されたような衝撃を覚え、ソファから飛びのくように立ち上がった。
……こいつは驚いた、ミッドスフィアの憲兵団大佐のお出ましだ。
「ルイーズ、お前か……!」
「口を慎め、この車両はミッドスフィアの所有物、車内はその領地だという事を忘れるな」
ルイーズは、強い口調でさらりと言ってのけた。
ちくしょう、相変わらず一言一句が癇に障る奴だ。
出来れば金輪際俺の人生に関わらないで欲しい人物だったのだが。
俺は目を細めて、嫌味を込めて、慇懃にルイーズに言った。
「憲兵団大佐の仕事熱心ぶりには頭が下がります。それで、今日は一体どういった用件でしょうか?」
「貴様に確認したいことがある」
ルイーズの鳶色の瞳は、真っ直ぐ俺の目を捕らえていた。
「フェルスナーダのミッドスフィア大使館から、お前が剣を持ってきた人物に成りすましている偽者である可能性が高い、という連絡が憲兵団に届けられている。これについて、何か申し開きたい事はあるか」
「偽者? 偽者って、一体どこの誰に似せようとした偽者なんだ?」
俺は思わず噴出し、おかしくて仕方がないといった風を装って、自慢の白い歯を見せて笑った。
「ああ、そうか、分かった分かった!」
俺は手のひらをぽんと叩いて、突然思い当たったという顔をし、人差し指をぐいとルイーズの細い鼻梁に突き出した。
「ひょっとして、誰かが私の事を『自分が届けるはずだった剣を横取りした泥棒だ』だのなんだのとわめいているのではないですか?」
図星に当てられたのか、ルイーズは少し顔をのけぞらせた。
ふん、甘いな憲兵団大佐。
想定可能なあらゆる事態に対して、俺は万全の備えをしている。
世界を騙すという事が一体どういう事か、とくと見やがれ……!
「認めたくはありませんが、旅をしているとどうしても見えてくる真実がある。それは荒廃した世界における『人の心の醜さ』です」
俺は、この胸が張り裂けそうなんだ、といった大げさなジェスチャーをして、肺の中の空気が全部流れ出るような長いため息をついた。
「多くの人民は、多少は横道に逸れることがあっても、いつも清く正しい心を持とうとし、節度や分をわきまえ、平穏な生活を送りたがっています。
ですが、中には自己の利益のためにはその範疇を越え、平気で他人を貶めるような嘘をついてしまう者が少なからずいるのです。
英雄の剣は、個人が所有権を奪い合えるような、そんなありふれた財宝と一緒にしていいものではありません。全人類の至宝なのです。ですが莫大な懸賞金のおかげで、あたかも個人の財産であるかのように思い違いをしている者が、世の中にははびこっている。
誰が見つけた、誰が拾ってきた、といった些細な点で醜い争いをする事自体、まったく意味をなさないことなのです!」
俺は、両手を広げて悲壮な表情で訴えかけた。
ルイーズは黙って俺の戯言を聞いていた。
「何十年もの間に、じつに多くの人々があの剣を捜索していました。ですからそうして失敗してきた人々の中にも、私の成功をねたむ者が少なからず現れるだろうというのは覚悟していました。
ですが、そのような単なる風説の一片を持ってして、憲兵旅団大佐ともあろうお方にあらぬ嫌疑をかけられてしまうなど、真に、本当に、実に、極めて、至極遺憾なことです……!」
俺は、胸のだいたいこの辺が痛むんだと主張するために胸の中心辺りを手のひらで撫で回し、心から落胆したように頭を振った。
……見ろ、ルイーズ!
お前が大佐に昇格した一方で、いままで俺はこの詐称能力を駆使して、賞金稼ぎとしての不動の地位を築いたんだ……!
だが、俺の迫真の演技にも、ルイーズはまったく動じなかった。
腕を組んで、平然と言ってのけた。
「私には彼らの言い分よりも、お前の言い分の方が怪しく思えるのだが?」
俺は、目には忌々しい敵兵をきっと睨みつける獰猛な鋭い眼光を宿しながら、顔の筋肉は虐げられた被害者の今にも泣き出しそうなお面をかぶるという、離れ業をやってのけた。
おのれ、こいつ。
ひょっとして、何か裏を掴んでいるのかもしれない。
彼女の態度は、そういう内に秘められた自信を感じさせた。
そう言えば、こいつと最後に出合ったのはアイズマールの所でビジューをしていて、連中と一緒に刑務所にしょっ引かれた時だったな。
まさか、あいつら一家がなにか余計な事を喋ったんじゃ……。
「いくつか尋ねたいことがある」
ルイーズは、人差し指を立てて言った。
「お前は平原でエルニコフ准尉に出会い、その准尉が鉄砲水の事故の後、大陸横断鉄道の北側に剣を隠していたと、彼の口から直接聞いたと言ったな。その真実に、嘘偽りはないか?」
面倒くさい奴だ。
フェルスナーダ新政府軍ぐらい適当な憲兵だったら、金をつかませて簡単にあしらえただろうが、こいつはそうも行かない。
心の底から曲がった事を嫌う、本物の憲兵らしい鋭い声だ。
こいつの所属するミッドスフィア憲兵旅団は、元が工業地帯の自警団で、家柄よりも『実力』や『任務への忠実さ』を重視して、一般市民から選出されていた。
そんな中で大佐にまで選ばれた奴は、どいつもこいつもそういったステータスが半端じゃない。
常に何がしかのオーラみたいなものを漂わせていた。
だが、いったいどんな証拠をつかんでいるというんだ?
俺が荒原で経験してきた出来事を知ることの出来た奴は、いなかったはずだ。
サテモは例外だが。
あいつらは何千年も俺たちの事に干渉してこないというスタンスを貫き通している。
俺が唯一話をしたのは薬草売りの少女ぐらいだが、詳しい内容なんて俺もうろ覚えだ。
そんな立ち話に信憑性はない。
駅の税関で突然割り込みをしたって?
はんっ、そんなものがいったい何の証拠になる?
むしろそれで若造が俺に腹を立てて、ありもしない作り話をでっち上げようとしている、そう考えるのが自然じゃないのか。
……まさかとは思うが、エルニコフ准尉が実は生きていたとか言い出すんじゃないだろうな。
悪い冗談だ、自分の身によほどのことでもない限り、あんな頼りがいのない若造にあんな大切な剣を託したりするか?
事実、あっさり事故で剣を無くしてしまっているじゃないか。
出来ることなら、准尉ももっと頼れる兵士に剣を託したかったに違いない。
いや、もしかすると、若造は准尉からこっそり剣を盗んだだけだとか。
いや馬鹿な。
ありえない、盗んだ剣を盗まれたと主張するなんて、そんな間抜けな泥棒がいるか。
あらゆる可能性を考えた末に、やはり、俺の話が嘘だという決定的な証拠を見つけることは不可能である、という結論に達した。
俺は、相手の声色を真似て敬礼し、軍隊式の鋭い声で言った。
「私の言った事に嘘、偽りはございません。ただ、残念ながら暗くて顔がよく見えなかったもので、その男が使者の生き残りであったと自ら証言したこと、そして、彼自身が平原のどこかに剣を隠していたという、この2つの証言を言ったことしか分かりません。
つまり、彼が准尉本人であっただろうというのは、この証言から私が推察したことであります。ひょっとすると、准尉の名を騙った別人であった可能性も、なきにしもあらずですが、今は暫定的に、准尉本人であったと判断するべきかと思い……」
「リゲル、お前はひとつ思い違いをしているぞ」
俺は虚をつかれ、えっと思って目を剥いた。バカな、俺が一体何を思い違いしている?
ルイーズはそんな俺の反応をしばらく観察していた。
ついうっかりボロを出さないか、じっと見張っているみたいだった。
……ええい、ここで自然な演技が出来なければ、世界役者なんて失格だ!
「私が、一体何の思い違いをしていると思っておいでですか」
俺は突然真顔になって、相手を大声で罵った。
「冗談じゃない! 私が国王陛下まで欺いたとでも言いたいのか!」
さらにわざと怒りをぶちまけて、相手を牽制した。
こんな修羅場は幾度となく潜ってきた俺だ。
追い詰められると、もはや自分がそれを唯一無二の真実だと思い込んでいるのに等しい演技力を発揮した。
だが、ルイーズは鉄のような冷たい声で、俺の言葉を冷たくさえぎった。
「確かに。バーリャ平原で鉄砲水と呼ばれる災害のあった25年前、平原を歩いている死者の生き残りの姿がバーリオの現地人によって目撃されていた。その証言が、つい最近フェルスナーダ新政府軍によってもたらされている。その使者はヒスパイト・デル・エルニコフ准尉であり、手にバーリャの剣を持っていたそうだ。
東軍では、彼の手によって剣が思っていたより上流に、しかも意図的に隠されている可能性が高い、として、目下行方不明となっていた准尉の行方を追っているところだった」
俺は、初めて聞くような話だな、という顔をして、ふんふんと頷いていた。
それはアイズマールの所で聞いていた情報と、ほぼ同じだった。
エルニコフ准尉が行方不明になっていた、という点は引っかかるが。
それ以外、なにも目新しい情報はなかった。
俺はしばらく内容を租借する振りをしてから言った。
「それが、なんだ」
「その情報が間違っていた。バーリオは我々アーディオの『顔』を見分けることが出来ないんだ」
彼女は、言った。
「どうして偶然見かけただけの部族の証言から、その人物を准尉であると特定できたのか、それが我々には疑問だった。
再調査のため、フェルスナーダの新政府軍からさらに詳しい証言内容を聞いてみると、その人物を使者の生き残りだろうと考えたのは、どうやら使者が着用していた純白のローブを着ていたという理由だけだったという事が判明した。
現在私のところに入っている正確な証言によると、剣を持っていた人物は流された車両が発見された獅子岩の湖水付近で発見され、使者のものと同じ純白のローブを着ており、遠目でもわかる、燃えるような真っ赤な髪を持った女性だったということだ」
俺は喉の奥が急速に乾いていくのを感じた。
ルイーズはもう1本の指を立てた。
「使者の中には、それと同じ特徴を持った人物がたった1人だけいるのだが、それはエルニコフ准尉とはまったく別の使者だ。これについて、何か申し開きたい事はあるか?」
あいた口がふさがらなかった。
何てことだ。まさか、そんなことがあっていいのか。
つまり、鉄砲水のときに生き残っていた使者が、准尉以外にもう1人いた、ということなのか?
「我々の見解はこうだ」
ルイーズは、すでに逃げ腰になっている俺を逃さないよう、挑むように睨み付けた。
「鉄砲水に流される前に、近くの岩にたどり着いた准尉は、そのままミッドスフィアに戻り、唯一の生還者と呼ばれるようになった。
だが、もうひとりの生き残りは剣を乗せた列車と供に800キロ下流まで流されたが、奇跡的に生きていたのだ。
彼女は剣を列車から持ち出すことに成功し、再び鉄砲水によって流されないよう、平原のどこかに隠そうとした。
そこを部族たちに目撃されたが、その後、軍に帰還することができず、荒野の途中で力尽きた。
リゲル、お前の証言に出てくる『謎の男』は確か、自分ひとり岩山に登る事が出来て助かってしまい、そのとき手元に残された伝説の剣を自分の物にしたと、そう証言していたらしいな。お前の話が正しいとすると、伝説の剣は、2本もあったことになる」
心の中の俺は、開きっ放しになった口から何度も繰り返し「この女め! この女め!」と罵り声を上げていた。
ルイーズの視線は、バターナイフのように嘘で塗り固めた俺の面の皮に食い込み、動揺が少しずつ表情ににじみ出てきた。
彼女はぐぐっとナイフを押し込めるように、落ち着いた声でゆっくりと言った。
「お前に剣を託した『謎の男』というのは、一体何者なんだろうな? リゲル=シーライト」
(続きます。)