アーディナル史上最大のペテン師、現る
ところで、俺と駅で出会った少年は、その頃いったいどこで何をしていたのか。
なんと、どこかにケースを落としてしまったのではないかと考え、駅周辺を丸1日かけて探し回っていたというのだ。
大使館への連絡もまだしておらず、彼らが事態を把握して本国に連絡を取るのに、さらに丸1日を要した。
その事も、俺の『成り代わり』が成功するのに有利に働いたみたいだ。
その若者がフェルスナーダのミッドスフィア大使館に足を運んだのは、翌朝になってからであった。
水彩画のように透明感のある涼しい瞳の少年は、ぎらつく太陽を睨みつけていた。
漆黒の細い眉が今にも羽ばたきそうなほど力強い曲線を描いている。
体の線は細く、先日丸1日かけて行われた捜索でバテているのか、ふらふらとどこか頼りなく歩いていた。
年齢はタブテ(16)に至るか至らないかというところで、顔立ちにはまだ少年と呼ぶのに相応しい幼さが残っていた。
その少年は大使館に入ってくるなり、顔を真っ赤にしてカウンターに両手をつき、デスクに座っているバーリオの外交官と鼻を突き合わせた。
その外交官は、狼の頭を持つスクルフ族だ。
バーリャ地方では神官の地位に着き、様々な呪術をあやつる、非常に知能の高い種族である。
終戦後、人間の社会に帰化したスクルフ族の中には、こうして公務員の職に就く者もめずらしくはなかった。
バーリャ系三世の外交官ミワンゴは、長い鼻っ面に銀縁の丸眼鏡をひっかけ、濡れた鼻を少年に向け、ふんふんと、なにやらしきりに口や首周りや服のにおいを嗅いでいた。
そうやってしばらくにおいを嗅いでから、ようやく彼の事を認識した。
「ああ、3日前の午後4時26分に『例の剣』を持って大使館に帰国の相談をしに来た子だね。今日はどうしたの?」
「その『例の剣』が、盗まれたんだよ!」
少年はカウンターを思い切りばんっと叩いて、つま先立ちになりながら訴えた。
「いったい、どうなってるんだよこの国はッ! 駅員に連絡はちゃんと行き届いていないわ、免税されているはずなのに関税を取られるわ、おまけに、気がついたら荷物まですり替わっているじゃないか!」
担当官は、若者のヒステリックな愚痴に対してひとつひとつ丁寧にメモを取りながら、のんびりとした口調で答えた。
「それは災難だったね。フェルスナーダ交通局に改善を呼びかけるよう呼びかけるよう呼びかけてみるよ。でも、肝心の剣をなくしてしまった事は私にはどうしようもないねぇ。所持品の管理していたのは君自身なんだろう? どこでなくしたのか、なにか思い当たる節は無いのかい」
少年は、高ぶる気持ちを懸命にしずめようとしながら、ひとつひとつ記憶を辿るように言った。
「……ここで、中身を確認したのは確かだ」
「ああ、ケースの中身ね。私が立ち会ったよ。例の剣そっくりだったね。それで?」
「それで、その後の何日かは、駅の近くのカスケルドって宿に泊まった。ケースは抱いて寝ていたから、この間にすり替えられたとは思えない。3日目には駅に向かった」
「ふむふむ、3日間もただ寝ていたわけじゃないだろうから、けっこう怪しいもんだけどね。それで?」
「それで、列車がくるまで昼までかかるって言うんで、それまで駅前をぶらぶらしてた。それで……」
「おやおや、けっこう怪しい場面が続くじゃないか。それで?」
そこから、やがて少年は急に不安そうな表情になった。
「わからない。昼になったら駅がすごい込み合っていて、もうめちゃくちゃだった。何度か押し倒されたから、その時にケースが人のと入れ替わったっていうのが、一番考えられると思うんだけど。……とにかく、税関で中身を確認したときには、もう違っていた。誰かの銃が入ってた」
担当官は、ふむふむ、と言いながら、毛むくじゃらの耳の中をほじっていた。
「ということは、盗難届けか遺失物届けを出すべきだね。駅の警備兵に確認はとったかい?」
「とっくに。一番最初に、した」
でも、あの警備兵じゃあ、あまりあてにはならないな。
少年はそう呟いて、がっくりと肩を落とした。
近年まで遊牧民の国だったフェルスナーダの急速な近代化は、中部のアーディナル西軍が主体となって推し進めてきたものだった。
この狙いは、主に連合の規模を拡大し、『現実世界』に抵抗する地力を高めるためのものである。
だが、もともと帝国の支配を免れていた遊牧民たちは、世界大戦に対する問題意識もさほど高くなく、さらに他国が主体となって作られた新政府軍には不正や癒着が横行していた。
そうして、自軍に誇りをもてない兵士たちは次第に怠慢になり、さらに軍の風紀を悪化させるという悪循環に陥っていたのである。
30年経った今も、連合の腐敗の温床と後ろ指をさされる、当代きっての頼りない軍になっていたのだった。
「じゃあ、やることは全部やった感じだね。これ以上君が心配していても仕方がないよ、警備兵の連絡が来るのを信じて、じっくり腰を据えて待っていなさい」
少年は、疲れたように視線を床に落とした。
今朝から心当たりのある場所をひとつ残らず探し回って、足が棒のようになってしまっていた。
帝国軍との戦いによって荒廃していた東部は、終戦から30年で目覚しい復興を遂げた。
世界大戦をまったく知らないこの世代の若者にとって、英雄の剣はもはや伝説の財宝のひとつぐらいのものでしかない。
だが、この少年には、命に代えてもその剣を守らなくてはならない理由があった。
「いいです、もう一度探しに出かけます……」
「おやおや、無理しちゃダメだよ?」
「平気です、歩くのには慣れてますから」
健気にも、そう言って歩き始めた矢先。
待合室の中央で光の泡を飛ばしていた結晶の中に、とつぜんアーディオの姿が浮かび上がった。
遠くの映像を浮かび上がらせる魔工機のひとつ、『投影結晶』である。
画面に映っている、地平線と北極星を象ったバッジをつけた報道官は、原稿を寄せて、臨時ニュースを告げた。
「速報です。およそ25年前にバーリャ平原で失われたと思われていた英雄の剣が、つい最近になってイーサファルト王国軍所属の兵士によって発見された、との情報が寄せられました」
少年だけでなく、その場にいた誰もが結晶に全意識を集中させた。
彼女は、結晶から見切れている手元のあたりで、ぱらりと原稿をめくる仕草をした。
「たったいま、その伝説の剣を発見したというリゲル=シーライト氏が、カルーダ駅に到着した模様です。番組の予定を変更して、その中継をお送りします」
そう、まさにこの瞬間、俺の大ウソは全世界に広まり。
俺は後世まで語り継がれる、伝説となったのだ。
結晶の4つの表面に、それぞれ押し寄せる報道陣で混雑する駅の平面画像が映し出された。
山あいの駅には、ロバやウマが柵に繋いであり、見るからに高級そうな黒塗りの列車が停車していた。
どうやら中部地方であるらしい。
中部の車はタイヤが摩擦の少ないステンレスでできているので、山や悪路を走ろうとするとスリップしやすく、山間部ではロバやウマに車を引かせていた。
その小さな田舎の駅に、興奮気味に声を上げる大勢の報道官が押し寄せ、兵士達が列を成してそれを制止していた。
やがて駅から出てきた白いコートの男に向かって一斉にフラッシュが焚かれ、さらに報道陣の声は熱を帯びていった。
「リゲル=シーライトさん!」
「なにかひと言お願いします! リゲル=シーライトさん!」
その男は、ぶしつけに焚かれるフラッシュに渋面を浮かべていたが、わざわざ立ち止まってコートを軽くはだけ、腰に軽く手をあてがい、ファッションモデルのようにすこし斜めに構えていた。
どうやら自分が一番よく写る角度を心得ているらしい。
気取った立ち振る舞いに、薄い髭。
中部人特有の彫りが深くてハンサムな顔立ち。
コートの下には、おおよそ元軍人とは思えないほど見事な高級スーツを着こなしている。
大げさに両手を広げて天を仰ぐと、やれやれ、面倒くさいことになった、とでも言いたげな口ぶりで第一声を放った。
「おいおい、困るなぁ、《《いったい誰が軍の外部に情報を漏らしたんだい?》》」
彼は護衛に当たっている兵士達の間をすり抜けて、わざわざ報道陣の押し寄せているぎりぎりのラインまで自ら近づいていった。
兵士達の苦労が一瞬で水の泡である。
報道陣は懸命に集音機を突き出し、我先にとリゲルに質問を浴びせかけた。
「お願いします! リゲルさん、軍の公式記者会見の前に、帰郷なさった今のご気分を!」
「とてもひと言では語り尽くせません。アーディナルを救った英雄への大恩に、ようやくひとつ報いることができたこと。そして戦友との約束を果たせたこと。ですが、あえてひと言で言うならば、感無量といったところでしょうか?」
「バーリャでの旅は、実際どのようなものでしたか!」
「それは、とても言葉では言い表せないほど厳しく、そして終わりの見えない過酷な旅でした。言い知れぬ孤独と、逃げ出したくなる自分との長く辛い戦いの道のりでもありました」
「成功するのに、一番大切な事とはなんでしょう!」
「成功するのに、一番大切なこと、ですか?」
リゲルはオウム返しすると、ふと笑って、カメラのひとつに真っ直ぐ目を向けた。
「それは、自分を信じる事!」
砂漠の大陸サーナサウルの視聴者に向かって、彼は言った。
そして次に、英雄の故郷、妖精の島ヨビ諸島のカメラに顔を向けた。
「夢は、絶対に叶えるんだという強い信念を持つこと!」
そして次に、獣人たちのいるバーリャ地方の常しえの河のカメラに顔を向けた。
「決して最後まで諦めない事……それだけです!」
最後に、ミッドスフィアのカメラに向かって会心の笑みを浮かべたリゲルは、歯をきらーん、と光らせた。
ミッドスフィア大使館の投影結晶には、その最後に笑顔が向けられたニュースの映像が映し出されていた。
驚きのあまり、喉が詰まって言葉を出せなかった少年。
画面の中いっぱいに広がった間違い探しの間違いにようやく気づいたような顔をして、大声で叫んだ。
「あ……ああ~っ! あああああ~っ! あいつ、あいつだ! あのオヤジだ! 間違いない! 税関のところで、俺にぶつかってきた奴だっ!」
少年は、声をあげて主張した。
だがもう遅い。
俺の打った先手を覆すことは、もはや不可能。
なにもかもが、もう手遅れだった。
映像の中で、リゲルへの豪雨のような質問はさらに続いていた。
「お願いします! 今まで25年という歳月に渡って誰も見つけることが出来なかった英雄の剣を、いったいどのような過程で見つけられたのでしょうか!」
その質問をぶつけられると、リゲルは少し眉をひそめ、声のトーンを落として答えた。
「その質問に関しては、まずは、国王陛下への正式なご報告を優先させてください。軍事的にも、とても重要な機密が含まれていますので……ですが、ご安心ください。その後に、皆さんには正式な記者会見の場を開く予定です。詳しい事は、その場で発表させていただきたいと思います……」
そう言って、なにか後ろめたい気持ちを押し隠しつつ。
人々を不安にさせまいと健気に微笑むような、そんな繊細なアルカイックスマイルを披露するリゲル。
さらに彼は、片目をぱちんとつぶってチャーミングな一面も見せつつ、報道官に背中を向けて去っていった。
少年は信じがたい光景を目の当たりにし、全身に鳥肌が立っているのを感じていた。
……なんだこいつ。
中継が終わると、彼は頭を鈍器で2度3度殴られたような衝撃によろめきながら、狼頭の担当官の所に引き返していった。
「だ、大丈夫かい?」
同じニュースを観ていた担当官は、彼を気遣う声をかけた。
だが、そんな気遣いも、少年の耳には届いていないようだった。
青ざめていた少年は、いきなり担当官の鼻を掴んで大声でどなった。
「あ、あ、あ、あのおっさんだよ! そうだ、間違いない、関税に並んでいたとき、とつぜん後ろからぶつかってきたおっさんだ! 俺は痛くてそれどころじゃなかったけど、あのときケースを床に落としちゃったんだ! あいつ、どさくさに紛れて剣のケースを持っていきやがった! ほら、これだよ! 間違いない!」
少年は、剣の代わりに持っていたリゲルの黒いケースを見せた。
中身も、連合軍所属の軍人が使っていた一般的な銃だ。
なるほど、そう考えればしっくりくる話である。
担当官は、眼鏡を直しながら取っ手の付け根に刻まれている軍人番号をメモに控え、しっかりと頷いて、誠実に答えた。
「わかった、イーサファルトと、本国にもそう伝えておこう。その人物は、フェルスナーダで本当の剣の発見者から剣を奪い、そのまま発見者に成りすましている可能性が高い、と。……軍部が取り合ってくれるかどうかは疑問だが」
最後に担当官がぽつりと漏らした一言に、少年は酷く不安そうな顔をした。
「え……それって、どういうこと?」
担当官は、申し訳なさそうな顔で両手を広げた。
「イーサファルトは軍国主義国家だからね。軍は滅多なことで、正式発表を覆さないんだ。特に国王にまで報告してしまったような事柄を訂正するのは、歴史上まず前例がないと言われている。光の勇者の王国であるイーサファルトの威信にかかわることだからね」
少年は、泣きそうな顔になって訴えた。
「そんな、じゃあ、俺の威信はいったいどうなるっていうんだよ!? あれは間違いなく、俺が命がけで持って帰った剣なんだぞ!」
やるせない表情を浮かべていたのは、この担当官も同じであった。
少年の境遇がとても不憫なようすである。
バーリオは、人間の顔を見分けることができない。
なかでもとりわけスクルフ族にとって、アーディオの顔はなぜか子どものように見えてしまうという。
それは、彼らがオオカミの頭を持っている事と関係があった。
成人すると狼のように鼻と口吻が前に突き出す彼らは、生後間もない赤ん坊の頃はアーディオと同じように鼻も口吻も低い。
なので、彼らはアーディオの顔を見ると、本能的に相手が子供であるかのように錯覚してしまうのだそうだ。
旅の途中で見かけると辻プロテクトをかけたりなど、なにかと世話を焼いてくる。
この人の良い担当官も、その例には漏れなかったのである。
「正式な発表は、列車がイーサファルト本国に到着してからだ。今から行動を起こせば、まだ充分に間に合うかもしれない」
そう言って、担当官は耳を帆のように張り、カウンターに置かれた振り子時計を見やる。
革の椅子の座りをなおして、手元のタイプライターで電報を打ち始めた。
「やれるだけの事は、やってやろうじゃないか」
* * *
その後、伝説の剣が発見されたという一大ニュースは、大使館の電報の拡散速度など比べ物にならない勢いで、喜色満面の発見者リゲル=シーライトの映像と共に、瞬く間に世界中に伝播していった。
多くの報道局で特集が組まれ、カルーダ駅でのわずか数分のやり取りが、1日に何度も取り上げられ、繰り返し放映されていた。
……だが、他のメディアと一歩距離を置いたミッドスフィア中央報道局MKBは、この大事件に対して、非常に客観的かつ冷静な分析をしていた。
「しかし、なぜ25年もたった今の時期になって、剣が発見されたのでしょうか? まさに『信じがたい』出来事と言うほかありません」
MKB報道官は、これまで知られていたバーリャの剣に関する事実関係をひとつずつ並べたてた上で、こう結論付けた。
この報道局は、なにかと連合軍を敵視している。
「一部では、労働者問題による社会不安から目をそらす為の、連合軍の自作自演だったのではないか、という疑念の声すらもあがっています。いずれにしろ、我々は連合軍による3日後の明確な返答を待つしかありません」
さらにMKBは、翌日になると、リゲル=シーライトという人物がつい2ヶ月前までアーディナル東部にいた、という確証が得られたと報道した。
しかも、その内容はかなりスキャンダラスなものだった。
「どうやら彼は退役後に賞金稼ぎとなり、さらにバーリャの剣を発見する直前まで、連合軍の管轄にある刑務所に拘留されていた模様です」
そう、それは紛れもない事実だった。
世界各国の報道機関は、こぞってこのスキャンダルを取り上げた。
まさか、軍部が彼を洗脳して発見者に仕立て上げているのではないか?
あの男は本当に広大なバーリャを旅してきたのか?
という軍の陰謀説に、マスコミは強い関心をもちはじめた。
MKB報道官は、きらんと歯を光らせたリゲル=シーライトの写真を背景に、さらにこう続けた。
「未確認の情報ながら、西部のフェルスナーダ大使館には、剣を持ってきたのがこのリゲル=シーライト氏ではなく、全くの別人であった、という証言も寄せられているということです。果たして、本当にリゲル=シーライトが英雄の剣を発見した人物なのでしょうか? 情報公開をしない軍部に、ミッドスフィア市民は苛立ちを隠せません」
その報道がなされた瞬間、フェルスナーダの大使館は一気に歓声に包まれた。
「やった、俺のことだ!」
少年と狼頭の担当官は手を取り合い、やがてすべての真実が明るみに出され、すべてが正しい方向に進む瞬間を心待ちにした。
そして、瞬く間に3日が過ぎていった。
イーサファルトで午後7時に開かれた記者会見の中継映像は、時差のため大使館では午後3時頃の夕暮れ前に映し出された。
少年は、狼頭の担当官のいるカウンターに寄り添い、固唾を呑んでそれを見守っていた。
場所は、イーサファルト王立議事堂の一室に設置された緊急会見室。
そこは世界各国の報道機関から派遣された記者たちによって埋め尽くされ、前例のない騒ぎになっていた。
画面の中のリゲルは、どことなく無念そうな表情を浮かべていた。
彼の略歴を紹介していた副将軍も、伝説の剣の発見という喜ばしい出来事を伝えているはずなのに、どこか顔を曇らせていた。
さらに、言い終わった後はうつむきがちに壇上の隅のほうに移動していった。
いったい、何があったというのだろうか。
次なるリゲルの発言に、誰もが注目していた。
彼は、スタンドマイクの両脇に手を置くと、居並ぶ記者達にじっと鋭い目を向け、ためらいがちに言った。
「皆さん、私は今しがた、心より敬愛するイーサファルト国王陛下との謁見を果たして参りました。陛下の御前にひざまずき、私が、一体どのようにして剣を手に入れたか……その経緯を、一切の噓偽りも、隠し事もなく、つまびらかに報告してまいりました」
リゲルが観念したように息を挟むと、世界中の国民が同じタイミングで息を呑んだ。
いまや、全世界のすべての国民が、息を呑んで彼の言葉に耳を傾けていたのである。
リゲルは、あたかも聞く者の良心に訴えかけようとするような、そんな情けない口調で言った。
「この物語は……この世にたった一つしかない、嘘偽りのない、私の旅の真実です。できることならば、このまま胸のうちに秘めておきたかった、語りたく無い真実でもありました。
……ですが、ここにおいでの副将軍閣下から、『たとえ上官の名誉を傷つけるような事があったとしても、軍人たるものが主君を欺いてはならない』という厳しいお言葉を賜り、私は、はっと考えを改めさせられたのです。
……そうです、私は、一軍人として、誇り高きイーサファルト人として! 神にも等しい国王陛下の御前で、嘘をつき通すことがとうとう、できませんでした」
リゲルは、深くうなだれ、悔し気に涙を一筋流した。
「私はまるで、親にすがる子供のような心で、すべての真相を打ち明けざるを得ませんでした。そしてそれは、国王陛下の民に対しても、同じことです。私はいま、一人の良心のある元軍人として……英雄が守り抜いた、未来ある命として……全世界の皆様に、私が陛下にお聞かせした事を、そのままお伝えしたいと思います」
そう言って、彼は静かに目を閉じた。
顎をあげ、やがて記憶をたどるようにゆっくりと語り始めた。
「そう、あれは……私がバーリャ平原で剣の捜索を開始して、ちょうど《《5年》》が経過した日のことでした……」
* * *
バーリオの人口比が多いフェルスナーダでは、夜行性の彼等の為に、基本どの店も真夜中過ぎまで人で賑わっている。
少年には理解できない低い唸り声のような会話が通りのあちこちから轟き、カフェテラスで屯している犬やロバなどの獣の耳を持った女の子達が、時おり彼にちょっかいをだしてはくすくすと笑っていた。
少年は肩を落とし、ふらふらと夜のフェルスナーダをさまよい歩いていた。
暗がりのそこかしこで光っている目のすべてが、彼をあざけっているように思われた。
その時の彼は、まるで自分の全存在を否定されたかのような気分だった。
生きる気力を失い、何もかも手につかなくなった少年は、煌々と明かりの灯っている酒場に逃げ込んで、飲めもしない酒を頼んで唇をぬらしていた。
天井の隅には、板状の放映結晶が設置されており、現地の報道局が製作したドキュメンタリー番組を延々と流していた。
再現VTRでは、どことなくリゲルに似たアーディオの俳優が木切れを杖にしながら、どこだか分からない荒地のど真ん中をぜえぜえと苦しそうに歩いているのだった。
ナレーションが、物語を臨場感たっぷりに解説していた。
【再現VTR 荒野を旅するリゲル=シーライト】
――男が荒れ野を旅して1ヶ月、舞い上がる砂埃で視界は悪く、水も食糧もほとんど底をついてしまっていた。
都会での息苦しい生活に疲れた元軍人リゲル=シーライトは、もはや誰もが諦めてしまった失われた英雄の剣を探すべく、すべてを投げ打って、過酷なバーリャ平原の旅に乗り出したのだった。……
――ミッドスフィアでは、もはや誰もが捜索を諦めていた、伝説の剣。
彼がいくら賞金稼ぎの仲間を募ろうとしても、鼻で笑われてしまうような話だった。
【インタヴュー 現役賞金稼ぎ アルスレー・ドノワーズ】
「10年だぜ? 俺たちは10年もかけて、伝説の剣を探し続けたんだ。けれど剣どころか、その宝石1個すら見つけることはできなかった。なのに、何人もの仲間が死んで、そのうち……リゲルの野郎には無茶だ、お前は手を出すなって、何度も言ったんだよ……けど、あいつはきっと、心のどこかで諦めてなかったんだな」
【ナレーション】
――彼は、なぜか英雄の剣の魅力にひきつけられていた。
自分はどうかしているのかもしれない。
リゲル本人は何度もそう思い、何度も荒野からミッドスフィアへ舞い戻ってきた。
――そんな事が続いて、5年目。
今年も途中で捜索を諦めた彼は、いちど故郷のイーサファルトに立ち寄っていた。
もう限界だった、自分には無理かもしれない。
相棒だった銃を売り、英雄の剣を探す旅に、終止符を打つつもりでいた。
だが、そこで出会った友人達は、彼の夢を馬鹿にせず、ひとりずつ1枚の銀貨を彼に渡し、そっと手を差し伸べてくれたのだった。
【再現VTR 友人A、Bに励まされるリゲル】
「お前なら、きっとできるさ」
「頑張れ、諦めたらそこで終わりだぞ! リゲル!」
「お前たち……!」
【ナレーション】
友人の励ましを受けた彼は、剣を手に入れるまで決して故郷には戻るまいと決意した。
「絶対に剣を手に入れて、故郷に帰ってみせる……! みてろ……!」
彼はその一心だけで、さらなる奥地へと足を踏み入れていったのである。
しかし、大陸横断鉄道の南側は、散々捜索しつくしてしまった。
リゲルは地図を見ながら、ふと思いついた。
ならば、北側はどうだろう。
【インタヴュー 元連合軍東軍士官 ブレイズ=サドワー氏】
「まさに発想の転換でした。驚く事に今まで軍による北側の捜索は、一度もなされていなかったのです。けれどもリゲルは、どこかの部族が剣を拾っていれば、彼らが鉄道路線より北に持っていった可能性もあるのではないか、その僅かな可能性があることに気づいたのです」
【再現VTR 荒野を旅するリゲル】
地図によると、大陸横断鉄道から数キロ北上したあたりには、最寄りの集落があるはずだった。
フェルスナーダを発ってから一ヶ月、ずいぶん遠くに来てしまったが、まだそれらしい姿は見えていない。
やがて砂埃の向こうに、輪になって騒いでいる大勢のバーリオの姿を認めたとき、彼は思わず歓声をもらした。
魔法銃アレルカンのスコープから様子を覗くと、そこにいたのは、今まで見たことのない牛の頭を持つ部族であった。
「やった……部族だ……! 助かった……!」
奥地の部族。
決まった集落を持たない未知の部族で、中には人を襲う、非常に獰猛な部族もあるという。
だが、このままではどのみち行き倒れになってしまうだろう。
激しい葛藤の末、リゲルは唯一の武器アレルカンをケースに戻し、彼らに近づいていった。
「おーい! 誰か水をくれないかー!」
だが、この決断が、後に彼に大きな悲劇をまねく事になる。
~CM~
「おーい! 誰か水をくれないかー!」
こちらが敵意を示さない限り、襲ってこないかもしれない。
彼らが友好的な部族であるという可能性に望みを託し、声を振り絞って歩み寄っていった。
舞い上がる砂埃のなか、輪になって踊っている部族たちの姿が、徐々に鮮明になってくる。
やがて彼は、その中にとんでもないものを発見してしまった。
部族が取り囲んで踊っていたのは、なんと、ぼろぼろになって地面に倒れ伏している旅人だったのだ。
リゲルは思わず息を呑んだ。
彼らは旅人を襲うどう猛な部族だったのだ。
旅人は、彼に気づくと血まみれの手を振りかざし、大声でリゲルに叫んだ。
「――いけない、逃げろ!」
部族達は、次々に踊りをやめ、真ん丸い目をリゲルの方に向けた。
彼らはいきなり攻撃的な奇声を上げ、武器を振り上げて襲い掛かってきたのである。
「くそっ!」
このままでは自分まで命が危なかった。
だが、あの旅人を見捨てる訳にはいかない。
軍人としての激しい使命感を取り戻したリゲルは、ケースからアレルカンを取り出し、部族たちに果敢にも立ち向かっていったのである。
銃を構えた彼は、故郷の神に祈りを奉げた。
(エカよ、最も強き者に勝利をもたらす絶対法理の神よ……! どうか今一度、人民を助けるだけの力を、私にお与えください!)
【インタヴュー リゲル=シーライト(本人)】
「ですが、彼等は私の撃った銃弾をものともしなかった……まるで自分が死ぬことすらも恐れていないようでした。次々と、波のように襲い掛かってきて、あっという間に私を取り囲んでしまったのです」
彼は、持てる技の全てを尽くして応戦を続けた。
銃がダメなら、銃剣を使って、銃剣がダメなら、王宮武術を使って。
だが、圧倒的な数の敵を前に、なすすべも無かった。
突然背後から棍棒のようなもので殴られ、気を失ってしまったのである。
【インタヴュー リゲル=シーライト(本人)】
「――死を、覚悟しました。そう、まるで……絶望の淵に、沈んでいくような気分でした――」
【再現VTR 捕らわれたリゲル】
やがて、彼は暗闇の中で意識を取り戻した。
全身に激しい痛みを覚えたが、まだ命だけはかろうじて残されていることを神に感謝した。
……ここはどこだろう?
辺りには既に夜気が漂い、ほとんどなにも見えない。
痛む頭を手で押さえようとしたが、どういう事か体がまったく動かなかった。
どうやら両手が後ろ手に回され、地面に突き刺さった丸太のような杭に縛りつけられているらしい。
彼は頭を振り、必死で今の自分の状況を把握しようと努めた。
(そうだ、私はあの部族に捕らえられ……いったい、何があったんだ)
遠くには、焚き火のような明かりが点々と灯っている。
火の回りでは、牛頭の部族たちが何重にも輪を描き、魔物の頭蓋骨つきの杖を上げ下げしながら、狂喜して踊り続けている。
彼はその明かりから離れた丘の上に、ひときわ背が高い、彼等のリーダーと思しきバーリオの姿を見つけた。
その風貌は、まるで獣人達の魔術師だった。
首飾りを何重にも連ね、神話に出てくるような無数の角を持つ魔物の頭蓋骨がついた杖を持ち、不気味な呪文を祭壇に向かって唱え続けていたのである。
彼らはいったい何をするつもりなのだろう。
リゲルにはまったく予測もつかなかった。
常しえの河でバーリャ平原の部族を研究している専門家ペール=サナーグ氏はこう語る。
【インタヴュー バーリャ民族研究家、ペール=サナーグ博士】
「おそらく、その部族たちは、大自然の神に生け贄を捧げる魔術的な儀式を執り行っていたのではないかと思われます。バーリャの奥地というのはいまだ解明されていない部分が多く、そこには独自の文明を築いた、数多くの部族が存在すると言われています」
【再現VTR いましめを解こうともがくリゲル】
リゲルは必死に縄を解こうともがいた。
だが、頑丈に縛りつけられていて、彼の力ではもはやどうすることも出来なかった。
(だめだ。このままでは、殺されてしまう!)
諦めかけたそのとき。
「おい」
意外なほど近くから声をかけられ、リゲルは驚いてそちらに顔を向けた。
明かりが小さくてはっきりとは見えないが、彼の隣にはもう1本丸太の杭が立てられており、そこには先ほどの旅人らしき人物の姿があったのである。
旅人は、黙ってリゲルに向かって手を伸ばし、暗闇の中できらりと光るものを彼の手に渡した。
リゲルは、咄嗟にそれがナイフであるとわかり、見つからないよう急いで手の中に隠した。
男はすでに自分の縄を切っていたらしいが、まだ縄でくくりつけられているふりを続けている。
リゲルは、この男が只者ではない事を直感した。
「聞け」
男は顎を使って、部族達の輪の中を見るように促した。
魔術師が必死に祈りを捧げている丘の上の祭壇を見ると、そこには彼が見たことも無いほど美しい、黄金の剣が飾られていたのである。
あれこそまさに、彼が捜し求めていた英雄の剣に違いない。
リゲルがそう確信すると、隣の男は突然こう言った。
「私が連中をひきつけておく。その間に、お前はあの剣を持ってここから逃げるんだ」
リゲルは我が耳を疑った。
なんと男が打ち明けたのは、自らが囮になって部族たちをひきつけ、その隙にリゲルに黄金の剣を奪わせる、という計画だったのである。
「ここから西に向かって丘を2つ越えたあたりに、涸れ川がある。それを辿って南下すれば、友好的な獣人の集落にたどり着くことが出来る。……私は恐らく、生きては帰れないだろうが、なんとしてもあの剣を、英雄の剣を、連合軍本部に届けてくれ!」
「どうして、見ず知らずの私をそこまで信用するのですか」
リゲルは震える声で尋ねた。
そのとき、リゲルには暗闇の中でも男が微かに微笑んだのが分かった。
男はこう言った。
「分かるのだよ。お前からは、かつて世界大戦で共に戦った同志のにおいがする……氷の目をした私の親友と同じ、ガンスリンガーのにおいがな。
まあ、親友といっても、私が至らなかったせいで、ひどく嫌われてしまってね。もう合わせる顔もないのだが……」
この男は、きっと連合軍でも名のある兵であったに違いない。
リゲルは、自分の命を懸けて、栄誉を取り戻そうとするこの兵士の強い意志に、改めて感銘を受けた。
ようやく巡り会えた、同じ英雄の剣を求める者同士。
ミッドスフィアでいくら仲間を募ろうとしても、無駄だったのだ。
本当に高い志を持つ者は、すでにバーリャに赴いて、捜索を開始しているのだ。
この男とここで別れなければならない事を、リゲルは口惜しく思った。
英雄の剣を取り戻すことができても、彼とはもう決して会うことはないだろう。
耐えかねたリゲルは、とうとう彼に尋ねてしまった。
「せめて。せめて、お名前だけでもお教えいただけませんか」
すると、男は頭を振ってこう言った。
「私は、名乗る資格を持たないものだ」
「なぜ……!」
納得がいかずに理由を問いただすと、彼はついに重い口を開いた。
彼が明かしたのは、リゲルにはおおよそ信じがたい、実に25年間にわたる男の苦悩であった。
「黙って剣を持って逃げてくれ。これは、私に対する罰なのだ……!
私はかつて、あの剣を運ぶ使命を帯びた使者の一人であった。
鉄砲水によって、この苦痛の大地に多くの同胞の命を奪われたとき、ただ一人、岩山に登って生き延びてしまった私の手元には、命に代えても守り抜くと誓った、あの黄金の剣だけが残されていたのだ。
だが、あろうことか、私はその黄金の輝きに目を奪われ、死んでいった者達を裏切り、この剣を独り占めしようという悪心を抱いてしまったのだ!
剣を隠していたのは、私だ。私は洪水が引くのを待ち、誰にも見つからぬよう常しえの河の上流に剣を隠し、そして、それを捜索者の手に渡らぬよう、今日まで守り続けてきたのだ……!」
記者会見の場で行われたリゲルの驚くべき発表に、記者たちは息をのんだ。
記者たちはおろか、画面を見つめていた世界中の人々が息をのみ、激しく動揺した。
この真実が発表された場面に至ると、みな黙って聞き入っていた。
VTRを製作するスタッフも相当な腕前で、演出も尋常ではなかった。
酔っ払った少年はふらふらと立ち上がり、ろれつの回らない舌で大声をあげた。
「こ、こ、このヤローっ! 嘘つくなーっ!」
「ちょっと、静かにしないか!」
少年は、後ろにいた猪頭の男の長い手に引っ張られ、席に着かされてしまった。
【記者会見の場面】
いつの間にかフラッシュが焚かれる回数が少なくなっていた。
副将軍は舞台ソデで、堪え忍ぶように静かに目を閉ざしていた。
彼は、かつて親友であり、そして自ら死の淵に追いやってしまった准尉の事をしのんでいるのだろう。
固唾をのんで見守る記者たちの視線を一身に集め、リゲルは、真実の重みと、それを告げる苦痛を堪えるように、天井を見つめていた。
そして、とつとつと語り続けた。
「そう、私は、みなさんの前に、真実を包み隠さず打ち明けねばなりません。私が出会ったのはヒスパイト=デル・エルニコフ准尉。唯一の生き残りと言われた使者だったのです。そして30年間、伝説の剣を連合軍から隠し続けてきたのも、彼でした」
そしてリゲルは革のケースを取り出し、これ見よがしに高く掲げた。
准尉の軍人番号が刻まれた取っ手の付け根に、フラッシュが悲しく反射していた。
【VTR終了 番組のスタジオ】
このVTRの終了後、番組のコメンテーターが深刻な表情でコメントを付け加えた。
「……25年前、唯一の生き残りとしてバーリャ平原から生還したヒスパイト=デル・エルニコフ准尉は、その後剣を失ってしまった過失を問われて現役を退きました。
さらには不況のストレスから、国中から厳しい非難の声を浴びせられ、当時の無責任な報道により、人々にはウソつきと言われ続けていました。
リゲル=シーライト氏はこう述べています。『仲間を失う経験は軍人にはつき物ではありますが、それはみなさんの想像を遥かに超えるほど耐え難い事件なのです。あまりに突然大勢の仲間を失い、過酷な平原にたったひとり取り残された彼は、英雄の剣を自分のものにすることでしか、その苦しみから逃れる術を持たなかったのだと、軍人の私は思うのです』。
帰国して浴びせられた心ない声が、彼の心にどれほどの重圧を与え続けてきたものだったのでしょうか。彼は自らの犯した罪を素直に認めることが出来ず、剣の発見者を気取って英雄になることも出来なかった。だから、ただひたすら剣を隠し続けてきた……というのです」
ニュースキャスターはすこし涙ぐんで彼の話を聞いていた。
コメンテーターは最後にこう締めくくった。
「みなさん、真実を暴くという事は時に悲しく、やりきれない思いを伴う物です。この事件を通じて、我々は『責任のある報道』というものの在り方を、考え直していく必要があるのではないでしょうか。……最後に自らの命を捨てて剣を守り、遠いバーリャの地で殉職なさったヒスパイト=デル=エルニコフ准尉。彼はその英雄的行動に、唯一の心の救いを求めたものと、私には思えてなりません」
【番組終了】
少年は、訳知り顔で締めくくるコメンテーターに向かって、思いっ切りジョッキを投げつけた。
「人を、勝手に、殺すなーッ!」
顔を真っ赤にした少年は、画面に向かってわめき散らした。
駅前の酒場はいつにもまして賑わい、厩のような騒々しさで少年の存在を掻き消していた。
少年は誰かが英雄の剣の話をしようものなら、たとえ巨人のようなバーリオであっても見境なく大声で食って掛かった。
「いいか! あいつの言う事は信用するな! リゲルとかいう奴はペテン師だ! ウソツキなんだ! あんなのは全部でたらめの、作り話なんだ! 本当は、ヒスパイトから剣を預かったのは、俺だ! 俺だったんだよ!」
しかし、アーディオの少年がいくら暴れたところで、バーリオにとっては赤ん坊が癇癪を起こした程度にしか感じないらしかった。
「へぇ。じゃあその准尉が預けた大切な剣を、連合軍に届けてくれたのは誰なんだい?」
そこを指摘されると、もう口をつむぐしかない。
そう、彼は連合軍に届けるはずの剣を守り切れなかったのだ。
たとえリゲルが魔物でも、災害でも、同じ事だ。
失った剣を、最後に持ち主の所に届けたのはリゲルだ。
その事実だけは、どうしても覆すことはできなかった。
その後も、イーサファルト王国と連絡を取り続けていた大使館の努力もむなしく、少年の主張が世間に大きく取り上げられることはなかった。
「残念だけど、私にはこれ以上君の力になることは出来ない……」
スクルフの担当官は、悲しげに耳をたれた。
「相手が悪すぎる。このままでは、君と私が金儲けのために事実を歪曲して風説を流そうとしているのではないかという、あらぬ疑いさえかけられてしまうかもしれないよ」
少年は、目に涙をためて首を振った。
「そんなはずないよ。あんたがそんな事をするはず無いじゃないか……! あんたみたいないい人が……!」
担当官は首を横に振り、まっすぐ少年を見つめた。
「世間の目とはそういうものだよ。一見平等な社会では、我々のような少数派は生きづらい。
我々バーリオは9歳までに成人して24歳までに死んでしまう。国外の裁判では、年齢の低さを理由に発言の信憑性がないと判断されてしまう事例が多いんだ。たとえミッドスフィアで裁判に持ち込んだとしても、我々にはとても分が悪い。力になれなくて、すまない」
おいおい、あんたのせいじゃないだろ?
なんであんたが泣くんだよ。
泣きたいのはこっちの方だよ!
そんなのは不当な道理で、断固として戦わなければならない、と少年は教わった。
けれど、そんな不当な道理が世界では今でもまかり通っている。
その現実に、少年は背筋がぞっとするような恐ろしさを感じた。
リゲルはしたたかな男で、イーサファルトに滞在する数日間はさながら軍隊の行進のように大勢の報道陣を引きつれていた。
自らドキュメンタリー番組を企画・制作し、准尉や英雄の故知だった人々を訪ね歩き、2日目にはイーサファルトまで呼び寄せた准尉夫人との涙の対面式を果たした。
さらに、その翌日には隣国フェルナディクの大聖堂にまで赴いて戦死者の慰霊式典に出席。
そこで自身の従軍経験や戦死者とは直接関係のない准尉との出会いについて演説し、いつの間にか書き上げた自伝『リゲル=シーライトはいかにして英雄の剣を持ち帰ったか』を宣伝し、大司教の口を一日中開きっぱなしにさせていた。
こうして、彼のでっち上げた物語は、全世界の国民が知る『既成事実』となってしまったのである。
投影結晶が普及してまだ間もない時代に実際に起こった、まさにアーディナル史上最大のペテンだった。
少年は歯がゆさのあまり、なんども酒に手をつけようとした。
結局半分も飲み干す事が出来ずにダウンするのだった。
悔しくて涙が出てきた。
なによりあんな汚い大人に剣を奪われたのが悔しくてならなかった。
「あんなの作り話だ! フェルスナーダまで剣を届けたのは、俺だったんだよ! 本当なんだ、誰か信じてくれよ!」
と、たまに叫びだすが、もはや誰も少年の話に関心を向ける者はいなかった。
大衆の興味は、また次のニュースへと向かっていて、この事件は事実が歪曲されたまま終わってしまったのである。
叫んだ少年は、とうとう立ちくらみを起こしてばったりと倒れてしまった。
仰向けになった少年は、社会に対するあまりにも強大な絶望感と不信感に押しつぶされそうな気分を感じていた。
そんな時だった。
あるとき酒場の扉が開いて、彼の元にさわやかな森の風が吹き込んできた。
夜を徹して騒ぐ巨大なバーリオ達の間を、白いヴェールを頭から被った少女が静かに歩いて来る。
彼女は、迷う事もなく真っ直ぐに少年のいる席までやってくると、うつぶせになった少年にこう声を掛けた。
「私は信じますよ」
少年はその声で目を覚まし、赤くなった顔を上げた。
ほとんど閉じかけの目にも、彼女がこの酒場にまったく似つかわしくない人物であることは明らかであった。
「あんたは、誰? 妖精?」
少年は、妖精など今まで一度も見た事がなかったが、その直感はあながち外れではない。
森の妖精サテモは、申し訳なさそうに耳を下げて言った。
「申し訳ございません」
「へ? なんで謝るの?」
「追い詰められていたあの男を、窮地から助けてしまったのは私です。余計な手出しをしてしまえば、結果的にどんな悲劇を引き起こすか分からないと知っていながら。自分の旅を急ぐばかりに、貴方の旅を大きく妨げることになってしまった」
まさか、こんな大事になるとは思ってもみませんでした。
そう言って彼女は深く反省し、悲しげな眼差しで少年を見つめた。
少年は、まだ事態が上手く飲み込めておらず、ただぼんやりとしていただけだった。
彼女は、いよいよ決意を固めたような鋭い口調になって、言った。
「さあ、立ち上がりなさい。たかが剣に、あなたの未来が台無しにされてはなりません。私が、英雄の剣を取り戻すお手伝いをして差し上げましょう」
(まだ続きます。)