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かくして、物語は紡がれはじめた

 ああ、ふさわしき者に、ふさわしき力と、ふさわしき罰を与える、絶対原理の神、エカ神よ。


 今日まで、あなた様のお力を信じてこなかった非礼を、ここにお詫び申し上げます。

 いや、どうか謝らせてください。


 私は今日、西方の地フェルスナーダで、とある罪を犯してしまいました。

「伝説の剣を手に入れた」事をほのめかすウソをついて、兵士達を騙して関税を抜けてしまったのです。


 もちろん、私が持っていた革のケースの中に入っていたのは、伝説の剣などではありませんでした。

 30年前に俺と世界大戦を潜り抜けた、相棒の小銃アレルカンです。

 それを伝説の剣と偽り、仕事熱心な兵士達を騙し、他の乗客より先に関税を通過してしまった罪には、今も心を痛めております。


 でも、それは仕方が無い嘘だったのです。

 だってほら分かるでしょう。

 なぜなら、私の不倶戴天の敵アイズマール一家がすぐそこに迫っていて、のんびりと税関の検査を待っていられるような状況ではなかったのですから。


 イーサファルトに戻ったら、まずはこのアレルカンを高値で売りとばそうだなんて、そんな大それた悪事を企んでいたわけでは断じてありませんでした。


 できれば故郷に戻って、もう一度だけ友人達に面と向かって、心の底から自分の不信を謝りたかった。

 自分は伝説の剣を手に入れる事が出来なかった、ふがいない男だった。

 自分を信じて戦い続けることができなかったのだ。

 どうか許して欲しい、と。


 その友人の一人が武器屋を営んでいて、武器の目利きもしているらしいので、そこそこの値段がついたら、あるいは、彼にアレルカンを売ってしまっていたかもしれませんが。

 でも、それは物のついでであって、断じて俺の目的などではありませんでした!


 どうして俺はこうも運が悪いのでしょうか。

 どうして今、目の前にアーディナル東軍を統べるブーレンス副将軍閣下がいらっしゃって、2つのワイングラスにホルト高地産の最高級ワインを惜しげもなく注いでいらっしゃるのですか!


 ――なぜだ。なぜこうなった。


 俺は、自分の置かれた状況がまだはっきりとせず、夢心地だった。

 ソファは黒い革張りで、温かみのあるシャンデリアが木材の壁を隅々まで明るく照らしている。


 一車両まるごと高級ホテルのスイートルームのような内装が施されていて、ケチな賞金稼ぎの自分が場違いな存在であることを今さらながらに痛感してしまって、消え入りそうな心地になってしまうのであった。


「申し訳ないね、連絡を受けて大急ぎで駆けつけたもので、料理の準備がまだ出来ていないんだ」


 俺は、料理の代わりに最高級ワインを振舞おうとする副将軍と向かい合い、ソファの上でがちがちに固まっていた。

 ワインなんて、こんな状況ではとても口をつけられなかった。

 いま酒が入ると、あまりの恐怖に、目の前の副将軍に向かってぶっ放してしまいかねない。

 俺の隣には、小銃アレルカンが収まっている革のケースが置いてあるのだ。

 いけない。

 気をしっかり持て、どんな物語だろうと、そんな結末だけは、断固阻止しなくてはならない。


「おっと、疲れているところすまなかったね。慣れない間は、乗り物酔いをするだろう?」


 そう言って閣下は笑い、俺の体調の事を気遣っていた。

 おいおい、どうするんだリゲル。

 副将軍閣下に一方的に喋らせたままでいいのか。お前もなんか言えよ!


 心の中で自分を叱咤したが、いまさら俺が何と弁明したところで、連合軍の重鎮を騙してまんまと列車に潜り込んでしまっているこの状況から逃れる事は出来そうになかった。


 ちくしょう、列車の動いていない間なら、まだ取り返しもつくはずだったのに。


 あの後すぐ、


「じつはアイズマール一家がすぐそこに近づいて来ていたので嘘をついたのです、助けてください!」


 とでも言って閣下にすがっていれば、しょうがない奴め、と呆れられたぐらいで、万事が上手く収まっていたはずだった。

 だが、さすがの俺も動揺していて、そこまで機転を利かせることができなかったのだ。


 閣下の大きな声は、黙って俺を列車に乗り込ませるほど力強い響きを持っていた。

 閣下の眼力は黙って俺をソファまで運んで、黙って俺をすとんと座らせるほどの凄まじい神通力を持っていた。

 そして俺が黙ってソファについている間に列車も黙って発車してしまったのである。


 落ち着け、リゲル。

 焦るな。

 俺は30年間賞金稼ぎをやってきたんだぞ。

 今までこんな危機的状況は、幾度となく潜り抜けてきたじゃないか。

 気を鎮めた俺は、ついに腹を決めた。


 ようし、こうなったら、最後までこのウソを突き通してやる――。


 そう……このとき俺は、持ち前の詐称能力を駆使し、伝説の剣を持っているかのように振舞い続けることに決めたのだ。

 そしてなんとか隙を見て、この列車から脱走する。

 それが今の俺に残された、唯一の選択肢だった。


 俺は明日の逮捕より、明日の逃走の日々を選ぶという、もはや完全に逃げ場の無い道を選択してしまっていた。

 どうやら根本的なところではまだ混乱が収まっていなかったらしい。


 副将軍閣下は、俺に向かって意味ありげに微笑むと、なにやらそわそわと手を擦り合わせた。


「そうだな、何から話せば良いか。……実は、このあと私は西軍の要人と会う約束があってね。列車はこのまま連合本部まで向かう予定だが、私は途中、イーサファルト王国で下車しなくてはならないのだよ」


「さ、左様でございましたか」


 覚悟を決めた事で、辛うじて平常心を取り戻した俺は、閣下の質問になんとか生返事をすることができた。


「しかし聞いたところ、なんでも君はかの有名なイーサファルト王国歩兵師団の兵士だそうじゃないか」


「え、ええ。まあ……」


「そこでだ。少々列車の予定を変更することになるが、君も私にあわせて、イーサファルトに数日滞在するというのはどうかね?」


 副将軍閣下は、とっておきのプレゼントを公開するかのように、うきうきして言った。


「本来ならば、このことは連合軍本部に先に報告すべきだろうが、その前に、イーサファルト国王陛下にこの由を報告できるよう、特別に手配しておこうではないか! どうだ、悪い話ではあるまい? 国王陛下に謁見できるのだ、故郷にも素敵な土産話ができるだろう、わははは!」


 朝から何も食べていないのに戻しそうになった。

 つまり、こういうことか?

 この俺に、アレルカンの入った革のケースひとつを提げてお城に向かい、国王を同じように詐欺で騙してみせろ、ということか?


 そんなこと、できる訳が……いや、ちょっとまてよ。これはチャンスかもしれない。

 このまま列車が中部のイーサファルト王国に辿り着けば、すぐ隣にはアリハラン共和国がある。


 西地中海に面した小さな国だが、ずっと昔から魔族の土地で、イーサファルト王国との間に因縁を持っていた。

 大戦時も、連合軍への協力を頑なに拒み続けていた連中だ。


 イーサファルトで降りて、そのまま南下してアンドラハル半島にゆき、ばれないうちにアリハラン共和国に亡命してしまいさえすれば。

 そうすれば、連合軍はそれ以上、俺を追跡できなくなる。


 魔族の土地というのがいささか不安ではあるが、上手くいけば、これ以上の安全圏はない。

 俺は、慎重に慎重をかさね、それに伴う苦難のすべてを背負う覚悟で、承諾した。


「はい。ぜひ喜んで」


「そこでだ」


 副将軍閣下は、諸手をぱん、と打って、うきうきした様子で言った。


「イーサファルトにつく前に、ぜひ私に『例の物』を見せてくれないかね!」


 ほらきた。

 俺の亡命への船路は、さっそく暗礁に乗り上げてしまった。


 考えろ、リゲル=シーライト。

 この場を、なんとかして切り抜けるんだ。

 俺は、全身全霊をかけて、閣下に剣を見せないですむ言い訳を探した。


「はっ、副将軍閣下。それは私としても、願ってもないことです。閣下の寛大な計らいに、正直私は感服いたしております。ですが、残念なことが1つ、ございまして……」


「うむ?」


「今はこの剣はバーリャから持ち帰ったばかりで、多少、いえ、控えめに言ってもかなり不衛生な状態かと思われます……いまは蓋を開けた拍子に、せっかく用意していただいたお部屋を汚してしまう可能性がございます」


 副将軍閣下は、残念そうに眉間にぐっとしわを寄せた。

 相手が高い身分だからこそ、この言い訳が通じると信じ、俺は急かされるようにどんどんまくし立てた。


「後で、必ず副将軍閣下にいの一番にお見せ致します。それはお約束いたします。ですが、最高の状態でお目にかけるために、少々お時間をいただけませんでしょうか。今この剣の姿を閣下にお見せしてしまうのは、なんとも心苦しく、たまりかねます」


「ふうむ……」


「せめて、列車がイーサファルトに停まってから。そう、アンドラハル半島に立ち寄れば、イーサファルトでは広く名の知れた一流の鍛冶師がいますので、彼の工房に立ち寄って、剣を磨くお時間を頂いてから、閣下のお目にかける訳には、まいりませんでしょうか」


 よし、うまいこと言ったぞ、俺。

 アンドラハル半島にそんな鍛冶師いるのかどうかもわからんが、この列車がアンドラハル半島まで行ったら、そのままアリハラン共和国まで亡命だ。

 だが、副将軍閣下は不満げな表情を変えず、なおも食い下がった。


「……疲れているところ大変申し訳ないが、リゲル=シーライト君」


 しかし、副将軍閣下は、こんなことで引き下がるような安い人物ではなかった。

 凄まじく頭が切れる。

 閣下の目の奥が、一瞬きらりと光った。


「その剣が、本物に似せて作られた『まがい物』であるという可能性も十分にありうるのだよ。実際に英雄が持っている姿を見ていた私ならば、本物の剣かどうかはすぐに見分けがつくだろう。念のために、今この場で見せて欲しいのだ」


 俺は、ぐっと息を呑んだ。

 ははぁ、そうきたか。

 どうやら、俺の事を完全に信用しているわけではなかったみたいだ。


 それもそうだろう、連合軍がバーリャの剣にかけていた賞金の総額は、かなり莫大なものになっていた。

 発見者に剣を横流しされないためには必要な措置だったのだが、そのせいで偽物の剣を作って、賞金だけせびろうとする不埒な輩も何人か現れただろう。

 それこそ、副将軍閣下は嫌と言うほどそんな連中を見てきた。

 戦後の荒廃した人心に、失望してきたに違いない。


 だが、そんな失望をねじ伏せ、相手の僅かな信頼を勝ち取るのが、詐欺師というジョブだ。

 俺は胸を張って、自信ありげに主張した。


「いいえ、その点に関しては、閣下にご心配いただく必要はまったくございません。なぜなら、ここにくるまでに一度、私は旅の途中のバーリャの神官に出会っています。そしてそのとき、この剣の真贋を確認してもらったのですよ!」


 俺がとびきりのスマイルでそう言うと、閣下は驚いて目をむいた。


「なに、ひょっとして、常しえの河の神官に出会ったというのか?」


 俺は、いかにも誠実そうな顔つきで、はい、と、はっきり頷いてみせた。


「ええ。間違いありません。神官にこの黄金に輝く宝石のような剣を見せたところ、『本物の剣に相違ない』とのお言葉を頂きました。その神官は修行の途中だったらしく、『切り立った岩山』には戻ることが出来ないとのことでした。この剣に関しては今は引き取る訳にはいかないので、連合軍の手から直接常しえの河の王に渡してもらいたいという事で、そのまま私が剣を運ぶ役目をおおせつかったのです」


「なんと……神官がそう言ったのか」


「はい、なのでこの剣が贋物である可能性は、まずございません。その点は、ご安心ください」


 俺は大胆で、かつそれゆえにかなり真実味のある嘘をついた。

 もちろん、こんな大ウソ、動かざる岩山の頂上にある神殿に確認を取れば、嘘っぱちだなんて事はすぐにばれてしまうだろう。

 だが、通信機もない山奥の神殿まで確認を取りに行っている間に俺はおさらばだ。


 俺の真っ赤なウソを真に受けた副将軍は、押し黙ってしまった。

 バーリャの剣は、元々、常しえの河の王が代々受け継いでいた宝剣だ。

 そこの神官が本物だと証言したとなれば、ちょっと近くで見たことがある程度の東軍の副将軍が、一体なにを言おうと疑いを挟む余地なんかない。


 たぶん、閣下はケースの中に剣の模造品が入っている可能性を考えているのだろうけれど、そうなると、副将軍がその剣を検分したところで、意味をなさない。部屋を汚してしまうだけだろう。


 実際は、目利きどうこう以前に、ケースを開けた瞬間にすべてがウソだとバレてしまう。

 剣どころか、銃だからだ。

 このケースを絶対に開けさせないこと、これが俺の生命線だ。

 何があってもだ。


 さらに俺は、相手に考える時間を与えないよう、次々とまくし立てた。


「それよりも、閣下の方こそご多忙の中お越しになったのですから、さぞやお疲れのご様子ではございませんか?」


「む……」


 副将軍閣下は、俺にそう指摘されて、はじめて年老いた顔に疲労の色を浮かべた。

 よし、これはかなりきている。

 あと一押しで崩れるぞ。

 俺は、ミッドスフィアの星くず劇場の劇団員なみの大げさなジェスチャーを交えて、渾身の演技でたたみかけた。


「長年探し求めていた剣が見つかったことは、連合軍にとって一大事件です。閣下がご心配なさるのは無理もございませんが、いまはイーサファルトに着くまで僅かに残された貴重なお時間です。まずはご自身のお体の事を心配なさってください。

 大丈夫ですとも、何があっても、この列車には大勢の兵士達がいるではありませんか。剣のことはすべて兵士にお任せくださって、閣下は安心してお休みくださればいいのです。大丈夫です、この剣は『私たち』兵士が、命に代えても護ってみせますから!」


 俺はきらっと歯を光らせ、話術だけでいつの間にか閣下の兵士の1人に潜り込んでいた。

 俺の二枚舌は衰えるどころか、年を経るにつれてますます力強くなっていくような気さえした。


 俺は可能な限り誠実そうな笑顔を浮かべ、閣下が俺の言葉にうんと頷くのを待っていた。

 しかし、副将軍閣下はうんとは言わない。

 かたくなに黙っている。

 やがて、ぽつり、ぽつりと語りはじめたのだった。


「あれは丁度、30年前。7993年の夏だったな……私が今の君より若かった頃、私はかの英雄と肩を並べて、バーリャ平原を横断した事があるのだよ」


 俺は、ぎょっと目をむいた。

 年輪のように幾重ものしわが刻まれた副将軍閣下の目じりに、涙が浮かんでいたのだ。


「君のような誠実な兵士を疑ってすまなかった。非礼を詫びさせてくれ。だが、私にとってその英雄の剣は、バーリャの王の剣である以前に、かけがえの無い、戦友の遺品でもあるのだ……」


 戦友、という言葉は俺の胸に、ぐさっと、深く突き刺さった。


 ミリー=デル=ブーレンス副将軍は若かりし頃、英雄と共に帝国軍に立ち向かった、アーディナル48勇士の1人だ。


 当時、銃士ガンナーだった彼は、あの過酷な平原を横断した英雄が、苦難の旅の末に常しえの河の王に認められ、宝剣を与えられるまでの一部始終を見ていたのだ。


「連合軍への参加を求めた時、バーリャの王、スヴィッチバックは神官に命じ、獣人の神から神託を得させた……七氏族、すべての長と戦って勝て、と言われたのだ……我々は、平原の行軍で心身ともに疲れ果て、限界に達していた。だが英雄は、その試練に立ち向かった。7人の獣人にたった1人で立ち向かい、そして7回とも勝った。王は彼の強さを認め、黄金の剣を渡したのだ……私は何もできずに、ただ横で見ていただけだった……」


 副将軍閣下は顔をこわばらせ、勲章の一杯ついている軍服の襟を伸ばしながら、俺に訴えかけた。


「英雄の形見が見つかったという報せを聞いた瞬間、これは夢ではないかとさえ思った。たとえ大陸横断鉄道がなくとも、歩いてでも迎えにいったはずだ。

 こんな服など、何着汚れようと構わない。こんな列車など……! ただ、私の手に届かぬ場所に行く前に、この手で触れて、この目で確かめてみたかったのだ。私があの偉大な男のために戦った、ひとりの男であったという証を。その剣は、君や常しえの河の王だけの為にあるものではない。全人類を冷たい時代の恐怖から救った、アーディナルの英雄の形見なのだぞ……」


 男泣きをする副将軍閣下を間近で見た二等兵は、たぶん俺が史上初だろう。

 閣下は、ついさっきまで隣に伝説の勇者が生きていたかのような、熱のこもった声で俺に訴えかけてきた。


 ああ、ちくしょう。

 これほどまでに激しい罪悪感にさいなまれたことは、俺の人生にはなかった。


 そして、自分という人間の器の小ささを、これほどまでに強く意識したこともなかった。


 もし、俺に少しでも男気や良心の呵責と言うものがあったなら。

 もし、俺に副将軍閣下と同じ軍人としてのプライドや、熱い友情に共感できる心を併せ持っていたのなら。


 いますぐに俺はソファから飛び降りて頭を床にぶつけ、心からわびなければならない。

 人の心を踏みにじるような嘘をついてしまったことを。

 そして軍人でありながら、人類の恩人である英雄の功績を汚すようなウソをついてしまった事を。


 ここで俺が真実を告げなければ、俺は間違いなく、史上最低の男の烙印を押されてしまうだろう。

 どのみち犯罪者として逮捕され、一生を牢屋で終える事になろうとも。

 俺が血の通った1人の人間であるためには、潔く罪を認めるべきだったのだ。


 そう――俺は、決してそんな罪を認めようとしない、最低最悪の男だったのだ。

 いや、最低最悪の男の烙印にやすやすと甘んじているような、それ以下のクズだった。

 ゴミだった。

 だから何度も言っているように、そんなのは、俺のカラーじゃない。

 自分の非を認めるなら死んだほうがマシ、それがイーサファルト人だ。


 俺は、副将軍とじっと見詰め合っていた。

 これ以上出し渋っていると、怪しまれてしまうと踏んだ俺は、「どうぞ」、と言う代わりにテーブルの上にどすん、と革のケースを置き、即座に立ち上がった。


「では、私はちょっと、お手洗に行ってきますので」


「その前に開けてくれんかね?」


 どうやら閣下は、俺の都合などにはまったく興味がない様子だった。

 くそったれ。

 こうなったらもう、開けるしかない。


 俺は、咳払いをして、再びソファに腰を落ち着けた。

 魔法銃のケースは、行軍時にも銃の魔力を押さえるために使われているが、戦闘に切り替わった瞬間にすぐ取り出す必要があるので、装備している間は常に鍵を開けておく決まりになっていた。


 そんな昔の決まりを今も続けているとは限らない。

 ひょっとしたら、ついうっかり鍵を開け忘れているかも知れない。


 そんな奇跡が起きる事を願って鍵を調べてみたら、しっかりと鍵が開いていた。


 ちくしょう、なんで軍人の時の癖は、なかなか消えないんだ?


 俺は、こういう事態に巻き込まれることを予測できなかった自分に冷たい手錠をはめてゆくような心地で、金属の止め具を、かちゃりかちゃり、と外していった。


「では閣下、ひとつ忠告しておきたいのですが。あッ……」


 閣下は、待ちきれない様子で俺の手からケースを奪い取ると、そのままがばっと蓋を開けてしまった。


 ああ、まだ何も言っていないのに……。

 終わった、すべてが終わってしまった。


 アーディナル連合東軍副将軍、ミリー=デル=ブーレンス。


 東部に産まれ、世界大戦以前から軍人として数々の偉大な功績を残し、ナイトの称号『デル』を授かり、48勇士の一人に数えられた。

 目的を果たすためには手段を選ばない冷徹な戦い方で知られていて、氷の目の狙撃手とも呼ばれて恐れられている。


 だが、すっかり年老いた目の前の老人に、もはやその面影はなかった。

 革のケースの中を覗き込んだその時の顔は、まるでトランペットに憧れる少年のように輝いていた。


 しかし、俺は副将軍閣下のその笑顔の下に、氷の目の狙撃手の名にふさわしい、鬼気迫るかつての顔が現れる気がしてならなかった。


 ケースを空けた瞬間、辺りにぞっとするような冷たい気配が漂い始めたからだ。


 副将軍閣下は、まるで光の精霊のようににっこりと微笑んだまま、ケースの中身をじっくりと眺めていた。

 ダメだ、迂闊に動けない。

 逃げ出せない。

 いま、このタイミングで逃げたりしてはだめだ。

 背中を見せてしまえば、その瞬間、条件反射で撃ち殺されてしまう恐れがある。

 相手は元狙撃手だ、逃げ切れると思うな。


 俺は、閣下がなんらかのリアクションを見せるまで、じっくりとその出方を伺っていた。

 ほっこりするような笑顔が何分も続いているのは、逆にひどく恐ろしかった。

 その表情はにこにこしたまま、あたかもケースの中身を見たショックで事切れてしまったかのように、まったく変わらない。

 喉がからからに干からびているのにようやく気づいた俺は、手元にあったワインを一気にあおった。

 これが人生最後の酒だと思った。

 口に運ぶ前に、中身がぼろぼろこぼれて半分くらいになった。

 くそ、やけに揺れる列車だぜ。

 それとも俺が震えてんのか、これは。


「すばらしい……30年経っても、なお当時の輝きを失っていないとは!」


 副将軍閣下は、ついにそう一言漏らし、やおらケースの中に両手を差し入れた。


 き、来たッ!

 俺はグラスを素早くテーブルにもどし、素早くソファを盾に、背面に転がり込む構えを見せた。


 ところが次の瞬間、副将軍閣下が黒いケースの中から取り出したものを見て、俺は口に含んだワインを思い切り噴いてしまった。

 それは炎みたいな光を放つ、見知らぬ剣だったのだ。


 銃じゃない。

 剣だ。


 副将軍がその剣を高く掲げた瞬間。


 ぶわっと、周囲に凍てつく吹雪のように強烈な魔力が放たれた。

 腰を浮かしていた俺は、その衝撃に弾かれるようにソファに押し戻された。


 なんだ、俺のアレルカンに、一体何が起こった?


 俺は一瞬、副将軍閣下を手品師かなにかかと疑ってしまった。

 だって、俺のアレルカンが、見たこともないような豪華な剣に化けていたんだぜ?


 彼が手に持つ剣は、おおよそこの世の金属とは思えない物質で出来ていた。


 刀は鏡のように辺りの情景を反射していたが、あまりに透明すぎて一体どの角度で刃がついているのか分からない。

 刀身とほぼ同じ長さの柄は黄金色に輝いて、にぎりこぶし大のダイヤモンドが、七つも埋め込まれている。


 驚くべきは、その凄まじい魔力だ。

 まるで巨大な心臓みたいに、ばくん、ばくん、ばくん、と規則的に拍動しつづけているのだ。


「うん、うん……! まさに、これは、本物だな……!」


 その柄をぎゅっと握りしめ、自ら装備すると、副将軍閣下は、感極まったように立ち上がった。

 一瞬、俺に向かって斬りかかってくるものと思って必死に頭を守った。

 だが、そうではない。

 閣下は俺に向かってただ手を差し伸べて、感謝の握手を求めただけだった。


「ありがとう……!」


「へっ……あ、は、はいッ! どういたしまして……!???」


 俺はわけも分からずに立ち上がって、とにかくその手を握り返した。


 副将軍閣下は、大事なチョコレートを包み紙に戻すように、いそいそと剣をケースに戻し、きっちりと蓋を閉めて、俺に返した。


「ありがとう。何度見ても、すばらしい剣だ」


 閣下はご満悦だったが、俺はケースを受け取る手がぶるぶる震えていた。

 問題のその剣は、今もケースの中で、どくん、どくん、とリズミカルに魔力を放ち続けている。


 しばらくして、やがて水面が静まるように穏やかな波長になっていったが、その後も列車のゆれに合わせて、たぷんたぷんと揺れ続けていた。

 さっきまで、ケースの魔力なんて読み取ろうとしなかったから、気づかなかった。

 中の剣は、集中しなければ気づかないぐらい、ごく僅かな大人しい魔力を放っている。

 まるで魔力が液体みたいだ。

 こんな魔力を持つ剣が、この世に存在するなんて。


 俺は、何がなんだかさっぱり分からず、ただ呆然とそのケースをみつめていた。

 30年前に軍から支給された、どこにでもあるケースだ。

 だが、今もなお黒光りして新品同様だった。

 スメルジャンがきっちり手入をしてくれたお陰だ、さすが鍛冶師である。


 ――いや、落ち着いてよく見ると、傷のつき方が俺のケースとは微妙に違っている。


 副将軍閣下は、蓋を閉めてからもしばらくケースを眺めていた。

 何を見ているのかと思って、その取っ手の付け根のタグに目をやって、思わずあっと声を出しそうになった。


 俺のじゃない。

 軍人番号がちがう。


 やばい、どこかで他人のと入れ替わったのか?

 どうする、このケースをどこで手に入れたか、深く突っ込まれたら俺には答えようがない。


 俺の心配をよそに、閣下は静かに語り始めた。


「この軍人番号はエルニコフ准尉の物か……彼は、真の軍人であったな」


 窓の外は、いつの間にか夜の帳が下りていて、ガラスに白髭を蓄えた閣下の姿が映りこんでいた。

 その向こうを、木々の陰が嵐のように飛び去っていった。


「エルニコフ准尉は25年前、この剣をバーリャの王に返還するという使命を帯びた、私と同じ48勇士のひとりであった。……あの凄惨な事故で、准尉は大勢の仲間を失ってしまい、自分だけが唯一生きて帰ってしまった事を、深く恥じ、そして最後まで後悔していた……」


 閣下は目を伏せ、悲しげに言った。


「ところが、私は怒りに我を忘れてしまった。准尉を頭ごなしに罵倒してしまったのだ。あの日以来、彼の姿を見たことはない。たかが剣1本の為に……思えば、私はなんという酷な事をしてしまったのだろう。准尉は、仲間が死んだのは自分のせいだと、至らなかった自分を責め続け、剣を探して来る日も来る日も、あの苦痛の大地をさまよい続けていたのだ……」


「そんなことが……あったんですか……」


 あの准尉が剣を探していた、だなんて、俺には初耳だった。

 アイズマールの話によれば、唯一の生き残りであった准尉は、鉄砲水の後に剣を持って平原をうろついていた、という事だったのに……。


 とにかく、彼が剣を自分の物にする目的で、どこかに意図的に隠したという疑いが、これでますます強まった。

 もし、軍に届けている最中に無くしたり、事情があって仕方なく隠したりしたのだとすれば、軍にもそう報告しているはずだ。


 むろん、そんな報告など准尉はしていないみたいだった。


 じゃあ、准尉は一体なにをやっていたのだろう。

 来る日も来る日もバーリャ平原をうろついて、いったい何をしていたというのか。


 剣を探すふりをしていた?

 あるいは剣を拾っても届け出ず、つぎつぎと隠し場所を移動してゆき、わざと発見を遅らせていたとでもいうのだろうか?


 いったい何の為に?

 それよりも、どうしてその准尉の剣のケースが、俺のアレルカンのケースとすり替わっていたりしたのだろう。


 その理由は、それからしばらくして副将軍閣下が俺に言った言葉で判明した。


「いやはや、君を疑ってすまなかったね」


 なんとかマズい話を向けられないよう、はぐらかしながらワインをどんどん勧めていると。

 葡萄みたいに顔を赤くした副将軍閣下は、とつぜん肩をゆすって小さく笑い、こう言ったのだ。


「というのも、じつは大使館で君を担当していたバーリャ人が、我々アーディナル人の顔を見分けられなかったらしいんだよ」


「そういえば……ミッドスフィアだと、獣人は人の顔を見分けられないから、受付には向かないって言われてますね」


「西部の連中と付き合っていると、良くある事でね。君の事をなんとまだ10代の子供だと勘違いして報告してきたんだ。はっはっは。いや、まったくけしからんな。聞くところによると、バーリャ人には、我々の顔がどれも子供のように見えるらしい」


 それを聞いたとき、あっと叫びそうになった。

 いや、そいつは俺じゃない。

 税関で兵士ともめていた、あの若造に違いなかった。


 そういえば、あいつは大使館でもらった免税符とやらについて、兵士ともめていたじゃないか。


 よくよく考えてみれば、じつに簡単な事件だ。

 どういう経緯で大尉の隠した剣が、あの若造に受け継がれたのかは想像するしかない。

 だが、つまるところ、あの若造は俺がバーリャでひどい目にあっている間に、すでに剣を手に入れて大使館に駆け込んでいたんだ。


 大使館からの連絡は、正確に連合軍に届いていた。

 だから連合軍は、この軍事専用車両をフェルスナーダの駅に待機させて、剣を拾った人物が来るのを待っていたんだ。


 ところが、あいつは詳しい事情まで聞かされていなかった警備兵と税関でもめてしまって、そこに偶然俺が突っ込んでいって……ケースが入れ替わった。

 たぶん、それ以外に、俺が今おかれている状況をうまく説明できる理由は、考えられないんじゃないか?


 副将軍閣下は、ふと何かに気づいたように俺の顔を見た。


「おお、これは申し訳ない。君も長旅で疲れているだろうのに、つい話し込んでしまったな」


「……え」


 俺はいつの間にか眉間に皺を寄せて、真剣な顔で考え込んでいた。

 慌てていつもの柔らかい表情を取り繕って首を振った。


「あ、い、いえ、とんでもありません。閣下とお話が出来ただけで、光栄の極みです」


「イーサファルトに着くのは、3日後の明け方だ。それまでの間、ゆっくりと休養を取りたまえ」


「はっ」


 俺が左肩に手のひらを置くイーサファルト式の敬礼をすると、閣下は満足げにうなずき、部屋から出て行った。


 ようやく当面の危機を脱して、全身の力という力が抜けていった。

 ネジがぽんぽん抜けてゆくロボットのようにソファに沈み込んだ。


 やれやれ……一時はどうなることかと思った。


 ようするに、軍と大使館の話がうまく通じ合っていなくて、一時的に俺がすり替わる事が出来た、というただの事故だったみたいだ。


 このままアンドラハル半島まで、無事にたどり着けるだろうか……。

 いや、世の中そんなに甘くはないだろう、イーサファルトにつくまで3日ものあいだ、あの若造が黙っているはずがない。


 革のケースが入れ替わったのなら、俺のアレルカンはたぶん向こうが持っているはずだし。

 それに大使館は、当然剣を持っていたのが俺じゃなくて、あの若造だという事を知っている。


 当然、俺の事を訴えてくるはずだ。

 場合によっては、俺は故郷にたどりついた途端、憲兵たちに囲まれてお縄なんて事態に陥るかも知れない。


 まいったな、また拘置所かよ……勘弁してくれよ……。


 いや……だがちょっと待ってくれ。

 絶望のふちに沈んでいた俺は、そのどん底の泥の中に、なにか光るものがある事に気づいた。


 まてよ。

 大使館の担当官は、大人と子供の顔も見分けられないバーリオだった。

 そして、いま俺の革のケースを持っているのは……徴兵経験もないような、ただの若造だった。


 ………………。


 俺は、シャンデリアの灯りをじっと見つめ、静かに計算を開始した。

 最大の問題は、いまも謎の准尉の行方だ。

 だが、命の次に大事なケースが他人の手に渡ってしまっているという事は……。

 恐らく、彼はもうこの世にはいないんじゃないか……?


 自分の中に浮かんできつつあった冷たい邪心に、俺は驚いて飛び起きた。

 頭を振って、必死にその考えを振り払おうとした。


 い、いったい何を考えているんだ、俺は!

 あの若造が何者かは知らない!

 だが、他人の成果をかすめとって、自分のものにするような、そんな卑怯な嘘をつくのか?

 そんな事していいわけがないだろ!


 まったく、けしからん、けしからん。

 俺はピッチの水をがぶ飲みして再びソファにどすんと腰を下ろし、それから手元の剣をちらりと見た。


 ――だが、剣は今、確かに『俺が運んでいる』んだよな。


 やがて、俺の中の計算高い悪魔が、いま置かれている状況から、ある一つの結論を導き出した。


「早めに手を打っておくべきではないか?」


 そう、どこからか、まったく天啓のような言葉が降ってきた。

 びっくりして振り返ったが、豪華な部屋には場違いな俺がひとりしかいなかった。


「ああ」


 俺は勝手にひとりごちた。


「そうだな、早めに手を打っておくべきだ」


 たとえばだ。

 たとえば、もし俺が剣を手に入れたという情報が、先に世間に広まってしまえば、一体どうなる?


 俺には、あの剣とゆかりの深い世界大戦を潜り抜けた、軍人の1人という立派な経歴がある。

 だが、いったい世の中の誰が、あんな若造が過酷な旅の末に、剣を持ち帰ることに成功した、なんていう話を信じるだろう?


 思い立ったら、すぐ行動に移すのが俺の長所だ。

 そう、たとえそれが間違った選択であったとしても。


 俺は、さっそくスィートルームの机に向かった。

 備え付けの万年筆を手に取ると、早速バーリャでの壮絶な体験の構想を練り始めた。


 砂埃に、腹をすかせた獣人達の群れ。

 魔術を使って砂嵐を巻き起こすリーダー。

 謎の薬草売りの少女の予言。


 まだだ。

 まだ、1週間ぶんの経験ではディテールが圧倒的に足りない。


 戸棚の中からごっそり本を抜き取り、地図で地名を調べ、観光用のパンフレットを読んだりしてバーリャの知識をさらに深めていった。


 考えろ、なぜ俺はエルニコフ准尉のケースを持っていたんだ?

 思いつけ、一体どうやって俺はあの剣を手に入れた?


 そして最大の謎についても、今ここで答えを出さなければならない。

 どうして准尉はずっと剣を荒野に隠しつづけ、軍に持ち帰ろうとしなかったんだ?


 すべての謎は、バーリャの女神だけが知っている。

 書き進めているうちに、どんどんストーリーが膨らんでいって、俺の筆は止まらなかった。


「く、く、くくく……ふははははは……! ……できたぞ、完璧だ!」


 思わず、笑いがこみ上げてきた。


 これで俺は、バーリャから剣を持ち帰った英雄になる。

 あの若造は今頃、いったいどんな顔をしている事だろう。

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