お前の宝には手を出さないと言ったな? あれは嘘だ!
どうして西部に獣人が多いのか、ザクセンで面白い伝説を聞いたことがある。
それによると彼ら獣人は、かつて大陸全土に移住していった原初魔法民族の末裔だという。
西部に移住した彼らは、あまりにも苛烈な西部の自然環境に適応するため、さまざまな動物の姿を借りて生き延びたそうだ。
ゆえに、西部にはいまでも彼らの子孫である獣人が多いという。
だが、変身魔法なんてものが実在したのか、この時代の魔法学会ではその存在を疑問視する声が大きかった。
ともあれ、この伝説で分かるとおり、西部の自然環境は人間にはとてつもなく厳しいものだった。
どうやらその秘密は、バーリャ全土を覆っている『赤土』にあるらしく、それが周囲の魔力の高まりに応じて密度や体積、硬度を劇的に変えるのだ。
変身魔法という架空の魔法が考え出されるもとになったのではないか、と言われている、まさに魔法の粉だった。
この『赤土』によって、山や谷が膨らんだりしぼんだりして、それらが季節の移り変わりによって刻々と位置を変えていくのである。
ひと晩で巨大な岩山が進行方向に現れたかと思えば、翌日には幻のように消えているという怪奇現象がひっきりなしに起こった。
こうした地形の急激な変化が気流の変化を生み、バーリャ地方の全域にわたって凶悪な天候不順を巻き起こしていた。
とくに、バーリャ平原と呼ばれる一帯は地表がすべて『赤土』で覆われており、地形も天候もまるでデタラメに移り変わった。
その平原を、英雄ひきいる連合軍は、徒歩や馬でただひたすら行進したのだ。
今でも英雄の奇跡のひとつに数えられる、まさに命がけの行軍だった。
俺は人生最後の賭をするために、そんなバーリャ平原にやってきていた。
北半球にあるため、季節はミッドスフィアと同じ夏の盛り。
今は乾季まっさかりで、灼熱の土地の過酷さは、筆舌に尽くし難いものがあった。
夏の平原は、まさに赤い砂漠だった。
日中の気温は摂氏40度を超え、夜には氷点下にまで冷え込む。
大地はこれ以上搾り取れないぐらいカラッカラに干からび、河までたどり着けなかった動物の死骸があちこちに見受けられた。
その辺の巨大なスイギュウの骨をシェルター代わりにし、休息を入れなければ命が持たない。
このだだっぴろい平原は、かつては巨大な湖の底だったという話だ。
雨季になると、1000万平方キロメートルもある地表の約8割が、数千本に増幅した河の中に水没してしまう。
逆に乾季になると、その中のたった1本、《常しえの河》を除いた全ての大河が干上がってしまうという。
まるで2つの世界が常に折り重なっていて、季節の変わり目に互い違いに現れるのかと思うほど、劇的な変化が訪れるのだった。
それがアーディナル大陸の西端、バーリャ地方。
そこは太古の神々が今なお創造の試験を繰り返す、アーディナル大陸で最も古い魔境だ。
この魔石大陸を構成する巨大魔石群のひとつ、『大赤斑』という通称でも呼ばれている。
しかし、俺は一瞬たりとも休むことなく歩き続けた。
歩き続けざるを、得なかった。
なぜなら、さっきから牛頭の獣人達が大群をつくって、ずっと俺のあとをつけてきていたからだ。
俺は魔法のポットから溢れてくる水を飲んで、喉の乾きをしのぎながら黙々と歩き続けた。
なぜ俺がバーリャに訪れているのかって?
おいおい、前の話を読まなかったのかよ。
バーリャの剣を狙っていたアイズマールが、逮捕されたんだぞ。
俺がこのチャンスをみすみす逃す手があると思うか。
いや、あるわけがない。
それと俺がここにやってきたのは、賭けのためでもある。
失敗すれば命はない、人生最後の賭けだ。
* * *
俺が賞金稼ぎを引退する決意をしたとき、いわゆる、世界恐慌という奴が起こっていた。
8020年代にはいると、魔王を失った魔族は世界各地で再集結し、ゲリラ活動を活発化していた。
その影響で、中部で産出される魔石の値段が異様に高騰していたのである。
東部の産業の要だった魔石工業地帯は、この魔石の価格高騰で経済的な大打撃をこうむった。
ゲリラ活動でハチを使って騒ぎを起こす連中の手口が報告されたため、ベスパ・ショックと呼ばれている。
経済難に加え、さらに西部からは獣人の労働者が大量に流入していて、慢性的な就職難に陥っていた。
最初は嫌われていた獣人だったが、丈夫で、どんな悪環境にも耐え、しかもアーディナル人の数倍の体力を持っている。
単純労働に関しては、もう彼等しか雇わないという企業も少なくなかった。
職業安定所に行っても俺にできる仕事はほとんどなく、
「そんなことより、『人の姿をした化け物』と言う意味をもつ獣人という呼び方をやめて、彼等を『バーリャ人』と呼ぶようにしよう!」
という内容の人権啓発活動のパンフレットまで渡される始末だった。
時代は変わったもんだ。
どうやら、40過ぎの元賞金稼ぎが人生をやり直すには、ミッドスフィアの経済難はあまりにも深刻すぎたらしい。
やれやれ。
もともと東部でまともな職に就けるなどと期待などしていなかった俺は、仕事を探して各地をあてもなく旅していた。
そして8023年の初夏、故郷であるイーサファルト王国に戻ってきた。
世界大戦の折に徴兵されてからずっと故郷に戻っていない。
なので、俺が最後に故郷を離れてから、およそ30年ぶりの帰郷ということになる。
歴代の英雄たちが踏みしめたと言われる、石畳の通り。
『英雄街道』が俺の生まれだった。
けれども、いつの間にか俺の知らない駅が出来ていて、道路は舗装されていて、土地勘がまるで働かなかった。
すぐそこにある柑橘類の市場からは、むせかえるような甘ったるいにおいが漂い、ここでは人々の顔も日差しを跳ね返すように活気に満ちていた。
それにつられて俺もついつい笑顔になる。
陽射しの強い往来から少し離れると、石造りの冷ややかな通りに、教会と鍛冶場が交互に並ぶこの土地特有の風景が見受けられるようになる。
剣と魔法の時代から、魔法と機械の時代へと移り変わっても、ここの鍛冶師たちはいまも変わらず『剣』を打ち続けていた。
最強の守護神エカに、今年最強の一振りを奉納するためだ。
イーサファルトの教会には、世界各地の支部から毎年数千本もの『剣』が送られてきていた。
終戦後は最大で18万本を超えたらしい。
この大量の『剣』に紛れて密輸品を忍び込ませる手口がけっこう美味しかったため、密輸をあらわす隠語にもなった。
さすがに現在では規制されて、縮小ペースになったけれどな。
教会を覗いてみると、奥の聖堂にはカンカン鉄を打つ音が響いている。
エカ神を象徴する巨大な鎧の前で、神父が子供たちに説教をしている姿が見受けられた。
今も昔も変わらない、王国の古き良き習慣である。
そう言えば、俺もガキのころ教会でよく説法を受けたっけな。
エカは、時代の節目に現れる英雄や魔法の剣なんかの「最も強いもの」に神秘的な力を与え、それによって戦争に勝利をもたらす神様なのだそうだ。
それを聞いた俺は、子供ごころに
「ああ、これはキナ臭い宗教だぞ」
と眉を寄せて警戒していたものである。
最も強い者に力を与えるだって?
そもそも力のある奴のことを強いと言うわけだから、それは論理的に常に正しくなる事を言っているだけではないのか?
大人はそんなごく当たり前の事を、わざわざ姿形のない神様のご利益にしていた。
さらに巨大すぎて誰も装備することのできない実用性皆無の鎧や、剣や、盾を聖別品だの、純国産だのといって、途方もない値段で世界各地に売り捌いている。
確かに、イーサファルト産の武具の頑丈さは世界的にも有名だったが、こんなもの、それを利用したペテンでしかない。
俺には連中のそういう不道徳さが我慢ならなかったのである。
東部アーディナルでは市民革命の時に、すべてのエカ神の寺社が打ち壊されたという。
子供用の聖職者のローブに身を包んでいた俺は、そんな話を聞いて、内心スカッとしたのを覚えている。
そして思った、東部かっけぇ。
大人になったら俺は、絶対に東部に行く、と。
13歳の頃、兵役でイーサファルト王国第三歩兵師団に入団した俺は、終戦後そのまま東部に向かい、ミッドスフィアの大都会に飛び込んで、一度も故郷に帰らなかった。
そう、たったの一度もだ。
これからは魔工機の時代だ。
これからの戦いは、銃が剣にとって代わる。
それは、世界大戦でも証明された事実だ。
いつまでも役に立たない剣を打ち続けているイーサファルトの連中は、いずれ時代に置いてゆかれ、滅ぶ運命にある。
俺はそう確信していたのだ。
そして、本当に勝利を掴む事が出来るのは、長いものには巻かれて、世間や大人たちの言うとおりに従って、平々凡々と生きている、そういうごく普通の連中なのだと学んだ頃には、もう後には引けなかったのである。
もし俺が東部に行っていなくても、王国の庇護下にある鉄鋼業に就くことはさらさらなかっただろう。
たとえ就いたとしても、ここでの生活を心から楽しむ事はできなかったはずだ。
なぜならここでは、俺の特技のひとつ、ビジューが通用しなかった。
そう、イーサファルト人は、めちゃくちゃ賭け事が強かったのだ。
「ティン」
テーブルの真向かいに座っていた毛むくじゃらの男は、流浪の民族の呪文を呟きながら、様々な風景をガラス質の内側に映し出す『風の魔石』を場に放り投げた。
「5000点だ。ほら、チップを出せ」
ああ、分かってる。
そんなのいちいち言わなくても分かっている。
ご当地ルールを知らない一見さんじゃねぇっての。
ガキの頃よく通っていた酒場に立ち寄った俺は、マスターに「ジンバックをジン抜きで」と頼んでジンジャエールをもらう懐かしいやり取りをして、静かに友誼を深めようとしていた。
ところが、偶然そこにかつての戦友たちが集まっていため、金もないのにそのままビジューをするハメになっていた。
このゲームで勝つポイントは、いま袋の中にどんな種類の魔石が入っているのか、を推察すること。
負けそうなときは、掛け金の安い魔石を引いてダメージを最小におさえ、勝てそうな時は、掛け金の大きな高い魔石を引いて、がっつり儲ける。
そのため、遠くからでもすべての魔石の位置が分かる俺の独壇場だった。
だが、王国ルールでは袋の中の魔石を何秒かき混ぜていようと自由。
本当に長くやっていると、指先の感覚だけでどの魔力をもつ魔石か大体分かるようになるため、こいつらの魔石場をそろえる早さは段違いであった。
俺の異能力によるアドバンテージが通用しない時点では、まだ勝負は互角と言えた。
だが、それにしたって、こいつらの強さは半端ではない。
ただの田舎のおっさんに過ぎないイーサファルト人の手強さと言ったらなかった。
連中は日々鉄を鍛え続けることによって、心まで鋼のように鍛えられているに違いない。
大都会でプロをやっていた俺が、初戦はオーラスまでじり貧に追い込まれていたほどだ。
「いやあ、しかし懐かしいな。またこの面子が顔を揃えるなんて」
俺の上家に座っているアレクセンは、木香のいい香りをさせながら、ひやりと冷たい『水の魔石』を場に放り投げた。
この魔石は『冷たい』。
指先の感覚でもっとも判別しやすい石だ。
価値が2番目に低く、勝っても2000点にしかならない。
いかにも、いいカードが揃ってなくて、逃げにまわったかにみえる。
だが、世間話をして俺たちの注意をそらそうとしているのが透けて見えて、なんとも白々しかった。
アレクセンは、軍で出会った『魔法兵』だった。
とても物静かな奴で、物腰が柔らかくいつも控えめ。
この中では一番女にもてる要素を兼ね備えていた。
その反面恐ろしく計算高くて、窮地に陥ると不意にとんでもない計画を打ち出す事があり、俺たちの度肝を抜いた。
むろん、ゲームも桁外れに強い。
いちばん油断してはならない奴だった。
「世界大戦が終わって、一度はみんなばらばらになっちまったからな」
「へー、俺以外にイーサファルトを出ていったやつがいたのか?」
「ああ、スメルジャン以外は、みんな国外に出稼ぎにいってたな。俺も一時、ドラゴン・アイに単身赴任してたし。いまイーサファルトに住んでるのは、ここにいる3人ぐらいだよ」
「スメルジャンはいま何をしてるんだ? 親父の跡を継ぐの、嫌がってたじゃないか」
「ん……まあ、いろいろと考えが変わったし」
スメルジャンは、昔と変わらない黒髪のおかっぱで、俺と同じ『歩兵』だった。
椅子の背もたれに浅くもたれかかって、気力のない目で手札を見下ろしている。
いかにもだるそうだ。
連合軍に在籍していた頃の記憶によれば、落ち着きがなくて、いつもメソメソしてばかりいたスメルジャンは、ビジューでもそれほど駆け引きの上手な奴ではなかった。
だが、今の彼の目は、非常に落ち着いている。
いったい彼に何があったのか、俺は知らなかった。
彫りの深くなったその顔からは、まったく手が読めなくなっていた。
「ティン」
スメルジャンが宣言と同時に、場に土の魔石を放り投げた。
誰ひとりとして表情を動かさず、じっとその琥珀色の石が転がる様を見守っていた。
「12000点だ」
石は場に4つ出ており、土、水、火、風の魔石がそれぞれ四方に1つずつ配されている。
あたかも流浪の民族が占いに使う魔法陣のようにぼんやりと光って、俺達4人の「ふーん」といった無表情な顔を、ひとつずつ照らしだしていた。
魔石場には、場に出た魔石の種類に応じて役があった。
この場合は『表四大』という役だ。
どの属性のカードであがっても、掛け金が倍に跳ね上がる。
ゲームは4巡目、ちまちまと護りに入っていたのでは負ける。
ここからは、早い者勝ちだ。
一瞬でも早く、手札を揃え、誰か1人をぶっ飛ばして暫定トップのまま終わらせるしかない。
5巡目。
俺の手元には、またしてもトカゲが3匹入って来た。
このうち2匹を公開すれば、「ティン」と言って、魔石をもう1個引ける。
魔石場を火属性に偏らせれば、『表四大』に加えてさらに『火属性』の役が付与され、火属性の役がさらにカード1枚分強くなる。
公開した2カードと合わせて4カード、とりあえず、この局は勝てる。
……問題は、この中にすでにテンパっている奴がいる場合だ。
火属性は3番目のカード、単体だと威力が弱かった。
2位のスメルジャンをぶっ飛ばすには、最低でももう1巡はして魔石場を強化しておく必要がある。
そうしている間に、あっさりとカウンターを食らう恐れがある。
「スメルジャンは、酒場のディーナと結婚したんだよ。それでイーサファルトから離れられなくなったんだ」
「マジか。ディーナ姉さん男じゃなかったのか」
「女だよ。ちゃんと子どもも産んでくれたから間違いない」
「スメルジャンとどっちが産んだかに関しては、俺たちの間でもいまだに物議をかもしているけどな」
「言ってろアルドス。お前ん所の息子より出来はいいからな」
「俺の所も冒険者やってる三女がたまに戻ってきて、孫が『おじいちゃん、剣作って~』ってうるさいんだ。将来はタンクになるのが夢らしい。へっ、うらやましいか」
「いまどきの若い子がタンク目指すとか変わってんな」
「ははは。俺らの時代は、男の夢って言ったらタンクだったけどな」
俺は無表情を装いつつ……ちらりと他の連中の表情を伺った。
まったく、リラックスした顔しやがって。
こいつらの演技力ときたら、もはやプロ顔負けじゃないか?
「そうか、お前らもう子供がいるのか……時が過ぎるのは早いな」
「お前は結婚してないの?」
「いい女はいたんだが、職業柄どうしてもな」
賞金稼ぎは恨みを買う商売だ。
他人との繋がりが命取りになりかねない。
そのため、俺はずっと独身を貫いていた。
同じ風に故郷を離れていても、自分の走っていた路線は、こいつらとはまったく違っていたのだ。
その事を痛感した。
「リゲル、そういや、お前は今何してんのさ」
不意に誰からともなくそう言われて、俺は急に気まずくなってしまった。
こいつらはこの世界で数少ない、俺が嘘をつく必要のない仲間だった。
こいつら相手に何も恥じる必要はないはずだ。
それは分かっていたが、口にするのが少しためらわれてしまう。
「まあ、いろいろあってな。東部の各地を回って、賞金稼ぎをやっていた」
「へぇ、そりゃすごいな」
一度も故郷を離れた事がないというスメルジャンが、その話に食いついてきた。
「バーク・ハリュボンって賞金稼ぎの事も知ってる?」
やれやれ、こいつはミーハーだな。
俺は顔をほころばせて頷いた。
「知ってるも何も、俺が所属していた賞金稼ぎギルドを作った人だよ」
巨人族のバークは正義感が強く、情にもろく、女だてらに豪快にドラゴンを乗り回し、引退するまでに東部で数多くの伝説を作った、伝説の賞金稼ぎだった。
たとえ同じ獲物を狙っていた凄腕の賞金稼ぎと鉢合わせたとしても、「バーク? やれやれ、無駄足だったか……」と、途中で諦めて帰らせてしまったという強者である。
こいつらの期待する賞金稼ぎの思い出話というのは、みんなそういった類の『伝説』に違いない。
だが、俺の賞金稼ぎとしての経験談は、こんな楽しい酒の席で語って聞かせられるような爽やかなものでも、ましてやロマンチックなものでもなかった。
悪党どもとつるんで情報を手に入れ、策を弄して賞金首を撃ち取る。
依頼者のところまで証拠を持っていって、報奨金を受け取る。
その繰り返しだ。
まさか、ついこの間まで拘置所にいたなんて言ったら、こいつらは一体どんな顔をするだろうか?
酒の席で話すには、少々大げさに話を膨らませてやる必要があった。
俺はついいつもの癖で、ほんのちょっと俺の冒険に脚色をしてしまった。
たとえば、こんな風に。
「先月、俺は行方不明になったとある令嬢を探し出してほしい、という依頼を受けていてな……誘拐事件の真相を探るべく、アーディナル最大のマフィア、アイズマール一家と直接立ち会うことになった」
「おいおい、大丈夫かよ!」
「大丈夫なもんか。目の前には名だたる3人の大悪党がいて、俺の後ろには100人近い部下たちがぞろぞろと群れていたんだ。こっちはたった1人だったぜ」
「よく生きてたなお前。一体どうなったんだよ、それ」
「いつ、お互いの銃が火を噴くかも知れない緊迫した状況の中、俺はアイズマールから行方不明の少女の情報を慎重に聞き出そうとしていた。
ところが、間の悪いことに、そこへ憲兵どもが押しかけてきやがった……!」
あと少しの所で、令嬢の情報を聞き出せなかった俺は、悔しげに歯がみした。
代わりに俺が手に入れたのは、とある伝説の剣の情報だけだった……という筋書きだ。
戦友たちはカードゲームの事をいったん忘れて、ハラハラしながら俺のウソを聞いていた。
まあ、酒の席だからなんでも言える。
こんなの賞金稼ぎの仕事じゃねぇよ、なんて、心の中でツッコミながら、俺はウソをつきまくっていた。
……ここは世界で唯一、ウソをつかなくても良い場所の筈だったのに。
言っているうちに、自分からどんどん居場所をなくしていくように思えた。
それと同時に、本当はそれが正しい事なんじゃないか、という風にも思えてきた。
そうだ、俺はもうカタギの人間じゃない。
一度は闇の世界に深く関わってしまった人間だ。
いつ、俺を追いかけて、マフィアの残党がやってくるかわからない。
ここで3人の仲間達が築いたささやかな幸福を、俺が存在する事で崩してしまう訳にはいかなかった。
「じゃあ、お前は今、あるかどうかも分からないような伝説の剣を探しているっていうのか?」
「いや、この伝説の剣は、どうやら確実にあるらしい」
「マジかよ! 作り話だと思ってたぜ!」
「お前たちも、世界大戦の英雄の事はいくらなんでも知っているよな? まあ、俺たちの上官の上官だったからな。あれは、終戦後間もない頃の話だった……」
俺は、連中にバーリャの剣の話をした。
アーディナルを救った英雄は、『現実世界』から放たれたドラゴンとの戦闘によって石化し、そのまま帰らぬ人となったという。
終戦後、連合軍はその英雄の遺品を分配し、かつて魔王を討伐した『光の勇者』の装備と同様に、それぞれの国で厳重に保管することになった。
そして、その遺品のひとつであった、バーリャ地方の統治者の証である黄金の剣は、バーリャの王スヴィッチバックに返還される事になったのだ。
7998年の夏の後期エア(夏至)の14日。
終戦から5年が経過した頃。
すでに大陸横断鉄道も開通していて、命がけの行軍をしていた『常しえの河』との往来もかなり容易になっていた。
使者達は、列車に乗って大陸を横断し、翌月には『動かざる岩山』の神殿に至り、黄金の剣の受け渡しを完了する……予定だった。
ところが、剣を乗せた列車は、平原の途中で忽然と姿を消した。
護送中の剣も、使者数十名と共に行方不明になったのである。
10名の使者のうち、唯一生き残ったのが、ヒスパイト・デル・エルニコフ准尉。
たった1人、連合軍に戻ってきた彼の言によると、
「旅の途中で列車が現地の蛮族に襲われていて、それに応戦している最中、平原の上流からとつぜん鉄砲水が襲ってきて、使者の一団は、列車ごと下流に押し流されてしまった」
という事だった。
バーリャでは、乾季に上流で雨が降ると、何の前触れもなく大河が生まれて平原を飲み込んでしまう『鉄砲水』と呼ばれる異常気象があった。
すぐに近くの岩山に登れば助かるが、蛮族との応戦に追われていて、鉄砲水の接近に気づくのが遅れてしまったというのだ。
エルニコフ准尉の証言を元にして、連合軍はすぐさま剣の捜索をはじめた。
だが、なにしろバーリャ平原は途方もなく広い未開の地だ。
砂漠で一本の針を探すような困難な作業となった。
それからもう、25年の月日が流れていた。
連合軍の必死の捜索にも関わらず、見つかったのは、激しい水圧に押しつぶされ、下流の岩山にひっかかっていた列車が1両だけだったという。
列車には、獣の爪痕がいくつも残されており、これによって准尉の「蛮族に襲われていた」という証言が正しかったことが証明された。
結局、剣は海まで流されたのだろう。
正式な剣の持ち主となるはずだったスヴィッチバック王の意向もあり、捜索はいったん打ち切られた。
俺がそんな財宝の話をしている間は、店にいる誰もが俺の話に聞き入っていた。
……ほら、やっぱりな。
こいつらもみんな平凡な暮らしに落ち着いてはいるが、今でも夢に溢れた話に魅力を感じないわけじゃないんだ。
東部では、今でこそ剣の話をすれば笑われてしまうが、当時は連合軍から莫大な賞金がかけられていて、賞金稼ぎギルドでも伝説の剣の捜索がおおいに流行したものだった。
「その、唯一の生き残りの証言って言うのがなんか怪しいな。すぐには信じられないが」
おっ、さすがアレクセン。
そのずばり的を射た指摘に、俺も深く同意した。
「ああ。唯一の生き残りは鉄砲水に流される前に、近くの岩山にたどりつくことができて、なんとか生還することが出来たと言っていた。
お前の言った通り、准尉の証言は当時からかなり怪しまれていたんだ。黄金の剣を探していた連中が、あまりに見つからないので、よからぬ噂を広めたりしていた」
「1人だけ生き残ったのはおかしいって?」
「そうだ。大手のミッドスフィア中央放送局が、それをニュースで取り上げたおかげで、世間の連中も准尉の証言を疑い始めた。
准尉は連合軍に匿われていて、誰も直接話を聞くことはできなかったから、さらに報道は過熱した。
投影結晶でも連日、専門家を呼んで、いろいろな検証をして、准尉の証言がウソじゃないかって疑う番組がばんばん流され続けたんだ。
けど、連合軍が下流で列車を発見して、准尉の証言が正しかったことが証明されると、ころっと掌を返して、以降は伝説の剣に関する番組そのものが取り上げられなくなった。ひでぇ話だ」
「でも、お前はその剣を見つけるんだろ? どうやって?」
スメルジャンは、疑り深そうに言った。
「さすがにそれはちょっと無謀なんじゃないの? もう何十年前の話なんだろ、それ」
ほらきた、予想通りの反応だ。
だが……俺には秘策がある。
アイズマールが一瞬だけ俺に見せた、古地図。
あの地図の内容を、俺は瞬間記憶し、正確に書き直すことができた。
さらに俺には、『魔力を読む異能』がある。
興味津々の戦友たちを前に、俺はここぞとばかりに胸を張った。
「無謀だと思うだろう? だが、たったいま俺の元に、とんでもない情報が舞い込んできたのさ」
連中は前のめりになって、期待に満ちた目で俺の次の発言を待っていた。
俺は連中の顔を見渡すと、にやりと笑って言った。
「ところが! バーリャを目前にして、俺は立ち寄った故郷で路銀を使い果たしちまった! まったく、今晩の宿代すら危うい状況だ! 旧友たちが情け容赦なくカードに勝ちまくったからだ! ところでお前ら、このゲーム俺に負けてくんない?」
俺があまりに卑怯な手でカードの続きを始めようとすると、仲間たちは今まで以上に大きな声で笑ったのだった。
「やれやれ、お前はちっとも変わってないな。まだ20代かそこらに見えるぜ」
ちょっと渡すものがある。
スメルジャンはそう言って、酒場から出て行った。
俺の対面にいた毛むくじゃらの男は、俺の冗談にはじめ目を輝かせて聞き入っていたが、不意に真面目くさった表情になって、俺を見つめた。
俺はすこし斜めに身構えた。
まるで神父が口うるさい説教を始めるときのような目つきだった。
「リゲル、つまらない意地を張ってまで、勝ち目のない戦いに挑む必要はないんだからな?」
アルドスは、髭を膨らませて、いきなり核心をついてきた。
ようやく思い出したが、こいつはアルドスだ。
顔も煤だらけになっていて、まったく分からなかった。
あと、頭もかなりハゲている。
こいつは仲間内でも俺の事を一番よく理解していると思う。
一番古いつきあいで、同じ日に同じ寺院で産まれた仲だった。
「俺たちと一緒に、イーサファルトに根を下ろすつもりはないのか」
その魅力的な提案を、俺は首を横に振って払いのけた。
それだけは、何があっても許されない選択だ。
「もう人生の半分を根無し草として生きてきた。ここまでくると俺の天命というやつだ」
「リゲル」
アレクセンが何か言いかけたが、俺は視線でそれを拒否した。
「気持ちよく見送ってくれよ。俺はいま、人生で最大の賭けをしているんだ。このまま力尽きて倒れる瞬間まで、この手にサイコロを握っていられるかどうか……イーサファルトを出たときから、俺の答えはもう決まっているんだ」
たとえこの身がどうなろうとも、最後まで賭け続けると誓った。
俺がにやりと笑うと、アルドスは、禿げ上がった頭を掻きながら言った。
「まあな。こんな片田舎じゃあ、お前の満足いく生活はできんだろう。鍛冶師の俺たちも坊さんと同じく慎ましい暮らしを送っているところだよ……」
そう言って、彼は今日の勝負で獲得した軍資金の中を探り始めた。
なにかと思って見ていると、彼は銀貨を1枚掴んでテーブルの上に置いた。
「俺もお前に賭けてみるよ。もし剣を見つけたら、そのとき倍にして返してくれ」
彼はそう言った。
銀貨はいまでこそ使われていない貨幣だったが、B級の賞金首にかけられる金額とほぼ同じだった。
驚いて声も出せずにいると、先ほどまで腕を組んで黙っていたアレクセンも頷き、彼にならって懐から財布を取り出した。
「じゃあ、俺もお前に投資するよ。列車代の足しにしてくれ」
彼はそう言って、もう1枚、銀貨をそっと机の上に置いた。
まさか、切れ者のアレクセンまで俺が財宝探しを成功させると信じている訳ではないだろう。
彼はこの金を使って、俺にもう一度人生をやり直せと言っているに過ぎない。
文字通りの、投資だ。
「いや、だけど」
俺はしばらく言葉に詰まって、2枚の銀貨を見下ろしていた。
ミッドスフィアではしばらく触れたことの無かった暖かみに、胸が熱くなる。
ちくしょう、俺らしくもない。
「リゲル、あったぜ。こいつを探してたんだろ?」
先ほどからどこかに行っていたスメルジャンは、細長いケースを両手に抱えて戻ってきた。
光沢のある牛革のカヴァー。
妙に懐かしい。
連合軍で俺たち歩兵に支給された武具のケースだった。
そいつをテーブルの上にどんと置いて、蓋を開けると、妙に懐かしい古ぼけた小銃が中に納まっていた。
「これ、俺のアレルカンか……?」
俺の腕の長さとほぼ同じ鉄製の銃身。
体に添えやすいように滑らかな曲線を描いたオーク材の銃台。
柄には二価魔法銃の刻印Wが刻まれ、銀の縁取りがその周りを飾っていた。
手にとってみると、隅々まで手入れが行き届いていた。
焚き火のような熱い魔力を放つ激鉄は、今もぎらぎらと危なっかしいほどに輝いている。
「いつか、こいつを返そうと思ってな」
スメルジャンはにかっと笑って鼻をすすり、俺を涙ぐませた。
こいつ、こんなにいい奴だったっけ?
父親になったせいかもしれないな。
俺も父親になったら、こんな風に変わることができるんだろうか。
アルドスは、そんなスメルジャンに向かって、そっと帽子を差し出した。
「なに?」
と訝しげに尋ねるスメルジャン。
アルドスは低い声で言った。
「本日最後の賭けだ。こいつが将来、大金を掴んでここに戻ってくるかどうか……お前もひと口賭けてみろよ?」
と言うと、スメルジャンは空に向かって大息をついて、俺たちに向かって噛み付くように言った。
「お前ら、俺が今日どれぐらい大負けしたか、分かってて言っているのか!」
スメルジャンがキレて、俺たちは全員、腹を抱えて大笑いした。
天井に吊り下げられたランプに灯が点されて、テーブルの上でからからと回った。
気が付くと、夜が更けていたけれど、俺たちの周りは明るかった。
こいつらと一緒に毎晩酒を飲んで過ごせたなら、どれだけ楽しい人生だろうかとも思った。
不意に、我に返って寂しく思う時があった。
けっきょく俺がこいつらにしてやれる事は、せいぜい、こうやって楽しい話をして、場を盛り上げてやる事だけだったのだと。
だったら最後に、せめてウソじゃない、本物の土産話をくれてやろう。
胸躍るような、本物の冒険譚だ。
翌朝、そんな気持ちを胸に、俺は一枚の切符を片手に駅の構内に立っていた。
布張りの屋根が、幌のように乗り場をやさしく包み込んでいた。
朝靄の向こうで入り乱れている線路の向こうから、膨大な量の白い蒸気を吹いて、魔力列車はやってきた。
俺は肩にかけた皮のケースの帯を直し、おもわず身震いするような汽笛を聞いた。
人生最後の賭けに参加するために、俺は西行きの列車を待っていた。
朝日と共に東からやってくる列車は、カウキャッチャーを赤く染めながら、真っ直ぐ駅に入構した。
そして俺は、ついてしまったウソを本当にするために、西部へと旅立ったのだ。
(続きます。)