伝説の剣の伝説
「リゲル、あなた良い手札が来ると必ず右手を握る癖があるのね?」と、むかし恋人とも敵ともつかない女に指摘された事がある。言われてみるまで気づかなかったが、なるほどビジューで遊んでいる最中の俺は、何かのまじないのように右手を握ったり開いたりしていた。
女からその忠告を受けて以降、ゲーム中は右手をなるべく机の下に隠すようになった。いま俺とテーブルを挟んでいる3人の大悪党や、俺の背後で大音量の音楽に合わせて馬鹿騒ぎをしているその手下どもにも決して見られないよう、片手でカードを構え、右手は膝の上でこぶしを固めて勝負に挑んでいた。
真向かいの席に据わっているのは、アイズマール。テーブルが小さく思えるほどの巨漢で、アーディナル最大の魔石工業地帯ミッドスフィア一帯を取り仕切る悪党の親玉だった。
数多くの修羅場を潜り抜けてきた抜け目のない目と、傷だらけの皮膚。歯には不快な煙草のヤニが染み付いている。腹にも背にも脂肪を溜め込んでいて、意地汚い声で笑い、時おり酒臭いげっぷをする。まるで社会が抱えた巨大な悪腫だ。
アイズマールは怪しい紫色の光を宿した魔石を指先でつまみ、それを机の上に転がしながら、ガマのようなだみ声で呟いた。
「そうだな――この勝負に勝ったら教えてやるよ」
きた。
得体の知れない高揚感が背筋の登っていくのを感じた。この言葉を引き出すのにずいぶんと苦労したぜ。なぜなら、奴は勝てない勝負は絶対にしないんだ。
俺の左隣に座っている黒いバンダナの男は、分かっているだけで36人殺した死刑囚。賞金の額は忘れたが、他の下っ端を200人まとめて捕まえたぐらいの額がかけられていたのは覚えている。
右隣に座っているでくの坊には、まだ大した賞金がついていなかったが、あまりに凶暴すぎて親に見離されたところをアイズマールに拾われたオーガ(食人鬼)だ。
悪党としての格も違えば、一家に関わった年数も違う。この2人の共通点は、たった一つ、『てんでビジューに弱い』ということだけだった。
世の中に賞金首は掃いて捨てるほどいるが、このアイズマール一家にだけは決して手を出さないでいること。
それが俺の所属するビタ州賞金稼ぎギルド(BBG)の暗黙の了解だった。こいつらの組織の根っこは半端でなく広く、アーディナル大陸全域に繋がりがあるのではないかとさえ言われている。
おまけに、何やら政界にまで顔の利く得体の知れない『後ろ盾』があるらしいという噂まであって、世界中のどの賞金稼ぎもその報復を恐れていた。
そういえば、ずいぶん前に俺の同業者が、アイズマールのカード仲間のひとりに手を出して殺してしまったという。そいつは、賞金を受け取ったあと所属していたギルドから追放され、その後の行方は誰も知らないという話だ。
そしてそんな噂を聞きつけて、すかさず空いたカード仲間の席を奪ったのが俺だった。
アイズマールは常識外れのとんでもない悪党だったが、その世界規模の根っこの広さが、俺のような個人経営の賞金稼ぎにとっては望んでも手に入れられない強い魅力であった。
賞金首がどんな闇ルートで武器や弾薬を買っても、その取り引きの記録は必ずこいつが持っていて、そいつが今どんな装備をしているかがすぐにわかった。
おまけに宿泊した施設に、食糧、移動に使った交通機関までわかってしまう。
一番たよりになるのが、取り引きに使われる違法アイテムを大量に仕入れた情報だ。
そいつは誰か別の悪党と取り引きをしたがっていることが推察出来るので、その瞬間が狙い目だ。偶然を装ってこっそり近づいてゆけば、じつに無駄なく効率のいい狩りができた。
俺は、かつてイカサマ師をしていた頃の腕前と、天性の詐称能力を駆使してこの定位置を獲得し、情報収集の為に週一回、こうして悪党どものビジューの相手をしていた。
黒いバンダナの男は悪夢に出てきそうな青白い顔を浮かべながら、時計回りに一枚ずつカードを配っていった。
俺はそっと右手を伸ばして、机の上に伏せられたスバル(米字)の紋章が描かれたカードを取り、なるべく見ないように手札に加えた。
再び右手を隠してから、ちらりと確認する。数字の3を表わす太陽の象形、リース(Ж)だ。トカゲにも見えるので、隠語でグラムス(トカゲ)とも呼ばれている。
手元にはグラムスが3匹。俺は机の下でこぶしを強くにぎって、このゲームの勝ちを確信した。
俺は生まれながらにして、百万人に一人しか持たないといわれる特殊な異能力を授かっていた。
遠くから右手をかざしただけで、魔石が持つ魔力を読み取ることが出来るのである。
通称、《魔力の読み手》という異能力者だ。
ここのローカルルールでは、二秒以内に袋の中の魔石を選ばなくてはならなかったが、俺は8種の魔石が乱雑に入れられた袋の中に右手を無造作に突っ込み、1秒以内に目当ての魔石を1個引き抜く。
俺がまんまと引き当てたのは、中で炎のように揺らめく光を放つ《火の魔石》だった。
敵にツキをもたらすのも、逆に勝つのも俺の思いのままだ。
「悪いなアイズマール、俺の勝ちだ」
俺は口元をゆがめて火の魔石を場に放ち、ついでに手札を広げた。
珍しく大負けした髭面の親父がうっと唸って顔をしかめた。俺の絶妙の采配でトップになったオーガは、よっぽど嬉しかったのか、思わずほころんでしまった顔をなんとか隠そうと両手で覆っていた。自制心のない奴め、あとでひどい目に遭うぞ。
「さあ、そろそろ教えてくれよ。こんなシケた場所でお前らみたいな悪党どもに散々貢いでやってるんだ、なんかいい儲け話のひとつぐらい恵んでくれてもいいだろ?」
こいつらが近いうちに、何かでかい事件を起こそうとしているというのは、ずいぶん前から分かっていた。
2ヶ月ほど前にここを訪れたとき、背筋の曲がった片眼鏡の老人が入れ違いに出て行くのを見ていた。
全身からスーツの防虫剤のにおいに混じって、怪しい魔力をぷんぷん放っていたので、俺は職業柄こいつが武器商人だと直感した。
後でそいつに近づいて調べてみると、どうやらアイズマールは違法ルートを通じて、禁止されている魔法兵器を大量に仕入れようとしているという話だった。
それも、今までにない取り引きの規模の大きさから、どこかの組織と戦争でも始めるのか、というような勢いである。
戦争、いい響きだ。俺たち賞金稼ぎにとっては、一番稼ぎのいい時期だった。
連中が戦争を始めれば、近隣諸国の闇の組織も活発化しはじめ、それまで地中の虫のようになりを潜めていた賞金首もわさわさと動き出す。
アーディナル大陸の闇という闇が慌しく流動するのが戦争だ。
勘のいい賞金稼ぎどもは、すでに狩りの準備を始めていた。騒ぎに乗じて賞金首が首を出したところを横から掻っ攫うつもりだ。
世界魔法大戦の終結から30年、世間の治安がよくなっていくのと反比例して、すっかりなりを潜めてしまった闇の世界も、これを期に大いに潤うはずだった。
アイズマールは集めたカードを切りなおしながら、不機嫌そうに唸った。
「今回は戦争じゃない。『剣』だ」
「へぇ。つまり、教会に寄付するつもりだったのか?」
教会に寄付をする、というのは、密輸をあらわす隠語だった。
アイズマールは俺を小馬鹿にするように、ふんと鼻をひとつ鳴らした。
「バカが、アーディナルの剣と魔法の時代が終わって久しいのに、なんでそんな売れもしねぇ物をわざわざ密輸しなきゃなんねぇんだよ。
おまけに、密輸も最近は旨味が少なくなってきてる。やたらと国境の検査が厳しくなって、大量に持ち込むのが難しくなってきた。今ではコストばかりが高くついて、この分野で大金を狙うのはもう無理だ。
俺たちが追っているのはな、もっと価値のばかでかい剣の話だ。《バーリャの剣》だ」
バーリャの剣、という言葉はあまり聞きなれなかったので、しばらくぽかんとしていると、アイズマールは言い直した。
「世界大戦の英雄の剣だよ」
なるほど、いわゆる『伝説の剣』の1本のことだ。
そう言えば、俺が賞金稼ぎギルドに入った頃からずっと出されていた捜索依頼に、そんなものがあった。
この大陸には、それまで《冷たい時代》と呼ばれる、誰も語りたがらない暗い時代があった。
霧の向こうの異世界、通称『現実世界』の帝国軍に大陸の8割を占領され、当時大陸の実権は彼らに支配されていたのだ。
対するこちらの世界は『魔法世界』と呼ばれ、支配を免れた各国で、現実世界に抵抗すべく連合軍が結成されていたが、圧倒的な力を持つ帝国軍を前に、常に水面下での活動を強いられていた。
聞くところによると、南東の妖精の島からやってきた英雄が、その反撃の口火を切ったそうだ。
彼は帝国軍兵士に対抗する圧倒的な強さを兼ね備え、自らの故郷を含めて占領された土地を次々と開放し、それまでばらばらだった世界各地の四大魔法民族を統合するという偉大な役目を成し遂げた。
そして、帝国軍との全面対決を前に、最後の魔法民族に連合軍への参加を要請するため西に向かった。それが、アーディナル大陸西部の未開の地《バーリャ地方》だった。
バーリャ地方は、俺たちアーディナル人ではまともに生きていけない過酷な環境であり、それまで魔物の一種としてしか考えられていなかったイリオーノ(獣人)達の巣窟だった。
妖精でなければ、そんな連中の力を借りようなんて考えには思い至らなかったはずだ。
そのバーリャで最大の勢力を持つ常しえの河の王スヴィッチバックは、この英雄の強さに心を打たれ、常しえの河の氏族を統べる者の証である1本の剣を彼に授けたという。
それが、このオヤジの言う『バーリャの剣』だ。
噂では、ヒヒイロガネの柄を持ち、7つの金剛石が埋め込まれた決して錆びることのない剣だったらしい。
その剣は、戦後まもなく洪水によって流され、バーリャ平原のどこかに消えてしまったという。
確かに、見つかれば莫大な金にはなりそうだが……。
「いったい、何年前の話をしているんだ?」俺は魔法陣の上のチップをかき集めながら言った。「俺は英雄の昔話や古くさい冗談を聞きたいわけじゃないぞ。失われた財宝を求めて一攫千金ってか? あんたらしくもない。今更そんな古いネタを追いかけまわしてどうするよ」
俺はあえて挑発するように言った。
見栄っ張りのアイズマールは、手札を広げて前かがみになると、不満げな口調で言った。
「俺がしてるのは、そんなに古い話じゃねぇんだよ」
ほら、やっぱりな。自然と口元が緩むのを感じた。
ふつうレベルの高い悪党ほど、金儲けの手段が多くなってくる。
アイズマールほど巨大な組織を動かす大悪党ともなれば、いくつもある選択肢の中から見つかるかどうかも分からない、宝探しのような博打をあえて選んだりはしない。
確実に利益を得られる方法から選んでゆく。そして今、世界屈指の選択肢を持っているのが、この汚い髭オヤジなのだ。
「確かな筋の話だ」
アイズマールは、魔石を袋に戻してじゃらじゃらとかき混ぜながら、考え事をするように言った。
「バーリャには色んな部族が住んでいるが、まだそ平原の全容が明らかになったわけじゃねぇ。季節に応じて転々と集落の場所を変えている奥地の部族がいる。
つい最近になって、そいつらから大洪水の新しい証言を聞きだす事が出来たそうだ。
そいつらは大洪水の後に、剣を運んでいた使者の『唯一の生き残り』が黄金の剣を持って平原をさまよい歩いている姿を目撃したんだとよ」
「誰からだ?」
「確かな筋だ」
俺はその情報源の方に大いに興味をそそられたのだが、それ以上は聞くな、と髭オヤジは目で言ってきた。
その情報源を叩けばもっと何か出てきそうな気がしたのだが。
マジの目とそうでない目の見極めがつく俺は、両手を広げて、あえなく降参する。
「分かった、聞かねぇよ。で?」
アイズマールはその体重を健気に支え続ける背もたれにさらに無茶を強いながら、背後の棚にあった一枚の地図を指先でつまんで取り出した。
油がしみこんだ汚い地図だったが、特別な魔法が宿っている。アイズマールは埃を吹き払うと、《バーリャ平原》と書かれた広大な土地のあたりを開いた。
「使者は、大陸横断鉄道を使って、バーリャの奥地へと向かっていた」
平原の東側には、中部アーディナル最西の地《ザクセン地方》がある。そこから真っ赤な赤土の平原を通って、遥か西に、獣の王スヴィッチバックの神殿を有する《切り立った岩山》がある。
その間を、5600キロにも及ぶ不自然な黒い線が通っている。大陸横断鉄道だ。
「大陸横断鉄道で剣を運んでいた使者たちは、バーリャの異常気象のひとつ、『鉄砲水』によって列車もろとも下流に流されたっていう話だ」
アイズマールの芋虫のような太い指は、その鉄道路線よりほぼ800キロ南下したあたりの赤い丸印の上に乗せられた。
「流された車両が発見されたのが、この《獅子岩の湖水》だ。ここを中心にして、鉄道よりも南側ばかりが捜索されていたが……その『唯一の生き残り』が黄金の剣を持ってうろついていた、という目撃証言が本当だとすれば、恐らく、剣はもともと南側には流されていなかったはずだ」
「なるほど」
俺は思わず唸った。それが本当ならば、今でも剣を見つけられる可能性は、まだ十分にある。
「なるほどねぇ。つまり、あんたらの魂胆はこういうことだな? その唯一の生き残りとやらをとっ捕まえて、英雄の剣を隠した場所を無理矢理吐かすんだ。違うか? どうだ、当たりだろ?」
俺が核心をついたつもりでそう言うと、アイズマールは何を考えているのか分からない、不気味な笑みを浮かべて笑った。
両脇の部下を見やっても、同じように分からない薄ら笑いを浮かべている。いったい何がそんなにおかしいのか、そのときの俺にはまるで分からなかった。
「首を突っ込むんじゃねぇぞ。間違っても、お前は手を出すんじゃねぇ」
アイズマールは地図を脇に片付けながら、声に迫力を持たせて言った。
俺は先ほど見た地図をしっかりと頭に叩き込み、肩をすくめて軽く笑った。
「なに言ってやがる。俺はもう財宝探しなんて、食えない夢を追いかけるような青二才じゃないさ。それより、またいい情報があったら教えてくれよ?」
気軽にオヤジの二の腕を叩いて、ゲームを再開した。
いずれにせよ、ここはアーディナル大陸の東側。バーリャは同じ大陸の西側だ。
たとえおいしいネタがあったとしても、小遣い稼ぎに行くには遠すぎる。
俺はひとまず昔の剣の事は忘れて、悪党どもとのゲームに熱中する演技を続けた。
「動くな!」
突然、背後から耳を突き破るような怒鳴り声が響いてきた。
アイズマールたちはきらりと目を光らせて、俺の背後をじっと睨んでいた。
何かと思って振り返ると、パーティ会場の入り口から甲冑に身を包んだ兵士達がなだれ込んできて、手下どもを次々としょっぴいている。
――あっ、まずい。憲兵たちだ。
手下達は慌てふためいて逃げ始め、女達の悲鳴が上がり、パーティ会場はたちまち混乱に陥った。
「無駄な抵抗はするな!」
「おとなしく両手を挙げろ!」
「3つ数えるまでに武器を捨てろ!」
「いますぐ後ろに手を回し、床に伏せろ!」
「全員整列しろ、壁に手をつけ!」
「動くな! 不用意に動くと撃つ!」
俺は椅子から立ち上がろうとした姿勢のまま固まった。
俺は一体どうしたらいいんだ。マニュアルの必要性が叫ばれて久しい。
魔法銃で狙いを定めた憲兵達が、素早く俺の元に近づいてきた。
どうしたらいいのかわからなかったが、抵抗するだけ無駄だと判断した。
観念して両手を挙げていると、その腕を強引にねじられ、息が詰まるぐらい強くテーブルの上に顔を押さえつけられた。ぐう、痛ぇ。
部屋の真ん中に時代錯誤も甚だしい剣を差した兵士が進み出てきて、綺麗に装丁された書状を取り出し、高らかに宣言するのが見えた。
「アイズマールならびにその一党! 魔石工学機器・魔法道具取引規制法、禁魔法物質精錬罪、および威力業務妨害、そして数件の殺人幇助の容疑者としてお前たちを強制連行する!」
顔は鉄仮面に覆われて見えないが、その女のような高い声に聞き覚えがあった。
憲兵団大佐だ。俺は慌てて顔を上げた。
「いやいやいや待て、違う、俺は違う! おい、ルイーズ、聞こえてるのか……げふぉっ!」
ちくしょう、腹に一発入れられた。
大混乱の中、憲兵団大佐は俺のほうをちらりと見やったが、何も言わずにくるりと背中を向けて去っていった。この薄情者め。
憲兵達は殺気立っており、もはや俺の弁明を聞き入れてくれるような気配ではない。こうなったらもう何を言っても無駄だ。
俺は背中に腕をねじられたまま、倒れたテーブルやら割れた酒瓶やらでごちゃごちゃになり、閑散としたパーティ会場の真ん中を歩かされていった。
東部アーディナル最大のマフィア、アイズマールは抵抗することなく手錠をはめられて、牙をむいて憲兵たちに吠え掛かる黒いバンダナの殺人鬼や、とつぜん椅子を振り回して最後の抵抗をみせるオーガと並んで連行されていった。
* * *
ミッドスフィアに流れ着いてから30年間、俺はこの家業の酸いも甘いも経験してきた。
時には憲兵団どころか仲間にさえ恨まれるほど活躍していた時期もあるし、逆に今回のように拘置所の冷たい床を舐めながら夜を明かした経験も一度や二度ではなかった。
拘留されるときに、一応、身分は賞金稼ぎギルド所属ということにしておいたが、そんなもの、まっとうな職を持たないと宣言しているのに等しい。
おまけに憲兵たちは、俺たち賞金稼ぎを目の仇にしていた。
犯罪者に賞金をかけているのは、憲兵団が所属している連合軍である事が多いが、それは憲兵団だけでは対処しきれない問題だと判断された時だ。
そこへ、偶然通りかかった賞金稼ぎがひとりで難なく事件を解決するような事態が増えてしまえば、政府から治安維持の役目を与えられている憲兵団の面目はまるつぶれになってしまう。
おまけに、賞金稼ぎの中にはあくどい非合法な手段を使って目的を果たそうとする奴もいるし、賞金首の情報を一挙に集める賞金稼ぎギルドには、憲兵には依頼できないような『影の仕事』が舞い込んで来ることさえもあった。
一番問題なのは、駆け出しの頃は賞金稼ぎの仕事だけで食っていける訳ではないということだ。
運良く傭兵の仕事や肉体労働にありつける時はいいが、仕事が見つからなくてつい盗みなんかの犯罪に手を染めてしまう輩も少なくなかった。
最近は不景気になったので、とくにその傾向は激しくなった。
街の風紀取締りや治安維持が至上任務である憲兵団にとっては、まさに目の上のたんこぶみたいな存在が俺たち賞金稼ぎだった。
若い頃は心躍っていた賞金も、ギスギスした人間関係に揉まれて、30年目には心が辛うじて機能を保つための流動食みたいな味気ない物に化けていた。
そうなってくると、心に染みこんでくる孤独や不安にはどうにもあらがえない。
俺が自分の将来を明確に見通すことが出来たのは、こうして牢獄に居るときだけだった。
きっと明日も俺はこのままここに横たわっているのだろう。明後日も、来週も、来月も。
一体、どれだけの年数を俺は無駄にしてきたのだろうか。
つるんでいた悪党のレベルが高すぎるので、何らかの奇跡でも起こらない限り、1ヶ月以内に保釈されることはまずないだろうと踏んでいた。
だが、昼過ぎになって、緑色の縁なし帽をかぶった憲兵が監獄の前に現れた。
思った以上に早かったので驚いたが、出られるのなら文句は言わない。
俺はあちこち固くなった体を慣らしながらゆっくりと起き上がった。
憲兵の制服を着た兵士は、手元のわら半紙を縦にしたり横にしたりして文字とにらめっこし、それからそこに書かれた名前を読み上げた。
「リゲル=シーライト。出ろ」
* * *
刑務所から出ても、まともな食事を摂ることのできる場所なんてひとつもない。
万が一囚人が脱獄した場合に食糧が補給できないよう、法律で半径4キロ以内には食料品店を建ててはならないことになっている。
同じ理由で、放送局や銀行、学校や遊園地、宿屋、武器屋、防具屋、魔法屋、技屋、あと道具屋なんかも建ててはいけない。
刑務所の周囲は教会がぽつんと経っているだけの更地になっていた。俺は2時間ほどかけて何もない更地を横断し、ようやくしなびた1軒の武器屋にたどり着いた。
白髪に僅かばかり黒いのが混じった老主人が、カウンターの向こうでうつらうつらと船を漕いでいた。
俺は店の奥に入ってゆき、肩に担いでいた黒い革のケースをカウンターにどんと音を立てて載せた。
「見積もりを立ててくれ」
主人は、丸眼鏡の向こうから俺の方をちらりと見た。その目に気力はなく、数年ぶりに会った俺にも、何か一言くれるような様子はなかった。
この店だけじゃない、町全体がどんよりと生気を失っていて、最後に来たときよりもずいぶんと寂れた場所のような印象を受けた。
俺の革ケースは大戦時に軍から支給されたものと同じデザインの、ごくありふれたものだ。
主人は慣れた手つきで蓋を開け、中からイーサファルトの教会の刻印が刻まれた銀の銃を取り出した。
鈍く輝く銃を品定めする間、店主は何一つ口を挟む事はなかった。終戦から今日まで、何人もの退役軍人がこうして自分の武器を売りに来たのだろう。
主人はカウンターの上に記帳を広げ、メモを取りながら言った。
「ガンスリンガーが銃を捨てて、これから一体何をするつもりだい。この不況でまともな職を探すのは骨だよ」
主人の言葉に嫌味はなかった。それは間違いのない現実だ。
「さあな、まだ決めていないが、自分の選んだ道だ。引き際ぐらいは自分で決める」
主人が差し出した念書に俺のサインを加えて、武器の売買は完了した。
今はイーサファルト製の武器といえばどれも高級品で、昔買ったときの3倍の値段がついていた。
それでもBクラスの賞金首1人分の値段に届かない。
「おっさんもいい加減、武器屋なんて物騒な商売はやめて隠居した方がいいんじゃないか」
そう言うと、白髪の主人ははじめてふふと笑い、顔をほころばせた。
「いいや、これは信仰の問題だよ」
そう言って、彼は、胸に提げられている米字のペンダントを掲げて見せた。
東部は無神教だったが、武器の主要産地である中部と取り引きの多い武器商人は、けっこう信仰している奴が多かった。
「懐かしい、俺の故郷の神だな」
「顔立ちで分かるよ、イーサファルト人は。たいてい彫りが深い彫刻みたいな顔をしている」
「じゃあ、どうしてイーサファルトの神様が鎧を着ているか、知っているか?」
「よくイーサファルト人が使うジョークだね。……私がいちばん気に入っているのは、『無慈悲な神は、人の痛みが理解できないからだ』という奴だね。的を射ている」
「違うな、鎧の中身はおっさんみたいに、もう引退間近のよぼよぼの老人なんだよ。限界なのを隠して、いまだに現役の神様としてがんばってるんだ」
「そいつは初めて聞くバージョンだな」
「ああ、近いうちにどっかの武器屋に剣と鎧を売りに来るって話だぜ。もうじきおっさんも神様に会えるかもしれないから、期待して待ってな」
「それは私がもうじき死ぬという意味ではないのかね? ははは、この悪ガキめ。年寄りにはシャレにならん冗談だが、たぶんそいつが2番目に好きだよ」
そう言って、主人は爽やかに笑ったのだった。
後日、商館の方に代金を取りにいく事を約束して、俺は武器屋を後にした。
薄暗い通路から一歩外に出ると、急に日が射してきて、俺の足元に何気ない陽だまりが散らばった。
何気ない真昼の通りには人気がなく、傍らのショーケースには何気ない光を反射する剣が飾られている。
聖歳歴8023年。レンガの屋根の向こうには、ミッドスフィアを代表する巨大な直方体の建物、『魔法使いの塔』が幾つもそびえ、その向こうの政府中枢『賢者の塔』が、俺めがけて威圧感のある影を投げかけていた。
一体中で何が行われているのかは知らないし、とりとめて興味もなかった。
偉い魔法使い達が頭をつき合わせて、この世の中を変える話し合いをしているのだ、という事ぐらいは知っていた。
思えば30年前にここに来たときと、俺はまったく変わっていないような気さえする。
俺は塔から目を背けて、目覚める前の街中を歩き出した。
銃を失ったこの身には、これからどんなものでも持てそうな気がしていた。
(続きます。)