第五章
遠くで重厚な扉が閉まる音がした。
そして男は一人その仄暗い空間に取り残された。
その男はねずみ色の壁に囲まれた部屋の中央でお世辞にも大きいとはいえないトラックの中ですすり泣いている。
そのトラックは塗装こそ新車同然だったが、ところどころひしゃげていたり、擦ったような傷がついていて、痛々しく見える。
「うぅ…なんでこんなことに…」
男は弱々しくつぶやくと、勢いよく車の扉を開け放った。
そして、側溝のような溝を見つけると急いでそこへ向かい、その溝へ口を大きく開ける。
そして、嗚咽とともにさっきまで胃の中にあったものをまき散らした。
その光景はまるで、金曜日の夜中のサラリーマンのようだ。
「辛っ…」
まだ異物感があるのか、喉元をさすったりしている。
その顔はどこか憂鬱で青ざめている。
そして、ボロボロになった愛車のトラックを見て大きくため息を付いた。
すると、何かが食道を上がってきたのか体を大きく曲げ、また溝に向かって吐瀉物を撒き散らす。
もしここに女神がいたら彼にいくらか、お金を与えるだろう。
それほど悲惨な光景だ。
しかし、ここには彼以外だれもいない。
いや、この嗚咽と液体の出る音が鳴り止まない空間にもう一人、いた。
「あの…大丈夫ですか?…ごめんなさい」
まるでマーライオンのように液体をぶちまけ続ける男の背中に触れながら彼女は言った。
彼女という表現出会っているのかいささか分からないが、そこには小さな女の子が立っている。
男はさすってもらった背中に妙な温かみを感じ、振り向いた。
「あ、ありがとう…」
そう言うとまた彼は体を倒し、吐いた。
まったくどこにこれほどの食物を貯めこんでいたのか甚だ疑問に残る。
「あれ?」
しばらく吐瀉し続けたあと、ようやく彼が起き上がるとさっきの少女はいなくなっていた。
仄暗い空間を見渡してみると、工具などが積まれている棚の陰から彼女がこちらをに見ている。
その表情はは心配そうに、かつ怯えているように見える。
彼女の体もまた、怯えているかのように震えていた。
「えっと、ごめんね、その…汚いよね…?」
少女は否定するかのように大きく首を振った。
そして、弱々しく言った。
「大丈夫です…でも、ここは機関の敷地内ですので…あとで怒られちゃうかも…ごめんなさい…」
「参ったな… ん? 機関?」
男は少女の言葉に頭を掻く、そしてふと彼の脳に機関という言葉が引っかかった。
「はい…ごめんなさい…」
「いや、謝らなくていいから」
「ごめんなさい…」
どうも彼女には謝る癖がついてしまっているらしい。
会社の営業周りに行く人だってこんなにも謝らないだろう。
「しかし…とんでもないところ来ちゃったな…」
あたりを見回すとやはり無機質なコンクリの壁が自分を囲んでいるばかり。
国の重要な場所だとはおもえないが、秘密基地的だと言われれば頷ける。
前方には小学生ほどの身長の女の子が物陰から震えながら自分を見ている。
あまりに怪しい空間に自分が犯罪者になったかのような錯覚を覚え、彼はまた吐きそうになった。
「そういえば…君は?」
男は胸のあたりを抑えつつ、少女に尋ねる。
思えば、彼女はいつの間にか男の後ろに立っていたし、ここが機関の中だとも言っていた。
いささか怪しすぎる人物だと思う。
「は、はい…私は、その…ここで働いている…長閑といいます…ごめんなさい」
少女はそう言うと物陰の奥に隠れてしまった。
「えぇ…ちょっと」
「…」
「…」
しばらく待っていたら彼女がまた頭を出し、こちらを色んな感情が混じった視線をさしてきた。
「その…掃除がしたいので…ついてきてください…ごめんなさい」
男は改めて自分の足元を確認する。
そして申し訳無さそうな顔をして言った。
「ごめんなさい」
少女は苦笑いし、男はバツが悪そうな顔をしていた。
「責任は…とってもらいます」
少女は物陰からそっと出てきて、小声で言った。
そして、ふと考えこみ何を思ったか顔をタコのように真赤にしたかと思うとまた物陰に隠れてしまった。
仄暗い灰色の空間で男と少女が出会った。
新たな出会いがあった直後のことである。