第三章
「松原いるかー?はいるぞー」
冬織さんはやや大きめの声を開けた扉の外から中に向けて放った。
その扉は総司令官室とはことなって強固な、厚い作りだ。
といっても相変わらず塗装が施された安物っぽい素材だが。
冬織さんはその扉に入っていった。
厚い扉は空気圧を発生させながら軋みつつ閉じていく。
埃が舞った。
「…はぁ」
僕の吐いたため息が埃を追い払った。
僕は今、その扉の外にいる。
やたら薄暗い廊下の端っこにあった合皮張りのベンチに腰掛けている。
「なんでこんなことになっちゃったのかな…」
僕はまた大きく息を吐いた。
なんだか息苦しい。
それはこの廊下が埃っぽいから無意識に息をしないようにしているのもあると思うが。
とにかく今の僕はかなり落ち込んでいる。
目の前には地味に映える緑色の公衆電話が備えられている。
なんのためにあるかは知らないがこれを使って誰かに愚痴を聞いて欲しい。
それくらい落ち込んでいるのだ。
引っ越しする前は新生活への期待と不安でわくわくしていたはずだ。
しかしそれがここ数時間で絶望の淵にいる。
何があったかと問われてもよくわからないのだ。
裏で何かが起こっている。
しかし僕にはそれがわからない。
そのもどかしさ、歯がゆさが、今の心情を作り出している。
何かに巻き込まれているのはまだいい。
しかしその状況説明がないと不安に陥るのは至極当然である。
と、いろいろと考察していると廊下の先から足音が響いてきた。
暗いので誰だかわからないが、あまり関わりたくはない。
なんだかこの機関(?)の人と関わるとろくなことが起きないような気がする。
僕はうつむいた。
「あっ」
遠くから声が響く。
僕に気付いたのか…あまり関わりたくない。
僕は膝に顔をうずめた。
しかし案の定足音は僕のほうをめがけてズンズン近づいてくる。
「天海さん…ですよね!?」
なぜ僕の名前を知っているんだ。
そう驚いて顔を上げると見知った顔がそこにあった。
「よかった~知り合いがいて!」
その人は嬉しそうに両手を振って喜んでいる。
埃が舞うのでやめてほしい。
僕はちっとも嬉しくない…はずだったが実際知り合いに会うと結構安心感が増すものだ。
彼は青い作業着を着た、例の引っ越し業者の人だ。
「ど、どうも」
彼は僕の腕を持ってぶんぶん振っている。
こうしてみると彼は外見の頼りなさと違い、なかなか力が強いようだ。
まあ仮にも引っ越し業者なのだから当然といえば当然か…
「あ、あの~…」
遠くから掠れそうなほど小さな声が聞こえた。
暗くてよく見えないが、廊下の隅に寄せられた段ボール箱から聞こえているようだ。
頭っぽいものが段ボールの横からはみ出ている。
「その、ごめんなさい…その方は…?」
続けてその段ボールの子は言った。
すると彼、引っ越し業者の男は僕を指して勝手に紹介し始めた。
「この人は僕の知り合いの…あっ、お客様の天海君…あっ、天海琉玖さんです」
この人は商売根性というものがないのか。
まあこの状況下でそれはしょうがないとも思うが…
「そうでしたか、その、私は九班所属の佐柳長閑と申します…紹介が遅れてごめんなさい…」
段ボールの子は段ボールの端からはみ出ている頭を一生懸命上下に振って挨拶をした。
狭いのなら出てこればいいのに…
と思っていた矢先、振っていた頭が段ボールに当たり、雪崩のように崩れてしまった。
「きゃあっ!」
束になった段ボールは無防備な長閑の頭へ流れていく。
段ボールの落ち方からして何も入ってないと信じたいが大丈夫だろうか。
引っ越し業者の男は、すでに同じような光景を見たのか苦笑いしながら頭を掻いている。
「魁さん…たすけて…」
大きな丘のようになった段ボールの深くからうめき声が聞こえる。
しかし魁さんとは誰のことだろうか?
「はいはい」
引っ越し業者の男は笑みをこぼしながら段ボール丘へと足を向けた。
僕はそんな彼の手をつかんだ。
「あの、魁さんって…」
「え?僕の名前ですよ?」
彼はさも当然のように切り返した。
「今初めて知ったんですけど…」
「あれ?名刺渡しませんでした?」
またも当然かのように切り返してきた。
「…もらってないです」
…彼はどうやら商売人に向いてないらしい。
いや、以前からうすうす感じてはいたのだが。
「渡してませんでしたっけ?…あ、ごめんなさい、今渡しますね」
どこぞの段ボールの人のように謝りながら胸元のポケットを探りだした。
普通名刺っていうものは契約の前には渡しておくべきものではないだろうか。
そう考えると相手の名前も知らずに荷物を運んでもらっていた自分に腹が立ってきた。
相手が相手なら詐欺だってされていただろう。
この人はどうやら本物のアレっぽいから大丈夫だろうが…
「ありました、これですね…新沼魁と申します」
「あっはい、どうも…」
彼は丁寧に名刺に書いてある名前をこちらに向けて差し出してきた。
その名刺は少なくともよい作りとは言えなかった。
そもそもダブルピースしている写真を貼った名刺など見たことがない。
「いやーいつかお客様に名刺を渡すのが夢だったんですよー!だから渡し方も勉強してきたんです」
「へぇ…」
彼は夢について語るときとてもまぶしい笑顔になる。
確か前もそうだったような…
僕は今の彼の笑顔と名刺の満面の笑み(ダブルピース付)を見比べて笑うしかなかった。
自分でもひきつっていると分かるくらいの笑顔だが。
そんなやりとりをしていた時、唐突にこの長い廊下に爆音が響いた。
地響きのような低く大きな音が鼓膜をつんざく。
「えっなに!?」
引っ越し業者の男改め魁は耳をふさぎ、地面に伏せた。
僕は耳をふさぎ、座っていたベンチの下に隠れる。
その爆音は案外すぐおさまった。
まだ廊下で反響音が残ってはいるが。
「地震ですかね?」
魁はこちらを覗き見ながらニヤニヤしている。
突然だったとはいえベンチの下に隠れたことを後悔した。
多分いま僕は恥ずかしさで顔が真っ赤になっていることだろう。
だって、しょうがないじゃないか、以前似たようなシーンがあったのだから。
あのとき魁はすぐ失神していたから覚えてないかもしれないが。
またその時のことを思い出してつらい気分になってしまった。
僕が落ち込んでいるとまた新しい音が聞こえた。
今度は何かが割れる音だ。
おそらくガラス素材のものだ。
「今の聞こえました?」
僕は魁に尋ねた。
「はい…そこの扉の奥から聞こえました」
指さしたのは先の重厚な扉だった。
冬織さんが入っていった扉だ。
もしかしたら、先ほどの爆音もそこからのものかもしれない。
だとすると冬織さんが心配だ。
「…いってみましょう」
僕は意志を固くもってベンチの下から這い出た。
冬織さんには助けてもらった(?)恩がある。
なんとなくではあるが、行ってみなければいけない気がするのだ。
「えぇ…行くんですか?」
魁は気だるげな声を発した。
あんまり他人に興味がないのだろうか。
僕も嫌な予感がするのでついてきてほしい気持ちだったので、小声でお願いしますとつぶやいた。
そして安っぽくも重厚な扉のノブを開けて中へ入っていく。
「忘れないで~…助けてください…」
山のように重なった段ボールの中から声が聞こえる。
「…ごめんなさい……」
嗚咽のような謝罪が長い廊下に短く響いた。




