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さよならのプラットホーム  作者: 青田 絲
第一章 然れども僕にあるまじ
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知るは自制を

 雨が降り出した。

 放課後も間近に迫っている。止みそうにない雨は地面を満遍なく濡らしていく。

 僕は帰りの心配をしていた。

 けど。

 今はそんな心配よりも苛立ちのほうが大きかった。ただひたすら耳に入ってくる雨の音が僕を掻き立てているようだった。

 我慢ができなかった。

 授業も残すところあと一つというところで限界がきた。

 席を立って教室を出る。阪井は遠目に僕を見ていた。彼が僕に声をかけてくることはなかった。

 なにがこんなにも僕を急かすのだろう。なにが僕の心に波を立てるのだろう。

 自分でも分からなかった。

 ただ許せないという思いだけ。僕のなかから湧き上がっていた。


 職員室についた。

 手前まできて、既に次の授業が始まりそうだということに気づく。

 戻らないと。そう思うところもあった。けれどそれ以上の感情が僕の背中を押している。

 扉を開く。職員室のなかは電気が消されていて暗い。パソコンの画面の明かりだけが先生方の顔をそれぞれ照らしている。

 部屋の隅へ目をやる。担任の先生の顔がパソコンの明かりに下から照らされていた。

 近づいて、先生、と呼んだ。

「どうした。もう授業が始まるぞ、早く教室に戻れ」

 僕はむっとした。確かにこの人が言っていることは正しいけれど、授業時間直前に用があると来た生徒に戻れと対応するなんておかしい。なにか理由があるとは思わないのか。

「いいえ、今言わないといけないんです」

「それは授業よりも大切か?」

 先生が口を挟む。

 僕は絶句した。生徒の意思を尊重する気がないのか。

 それとも僕の考えは常識にとらわれすぎているのか。

 先生の態度があまりにも淡白だった。そのせいだ。僕は戸惑ってしまう。

 早く戻れと先生が言った。

 僕は困惑してしまっていた。

 口にすべき言葉が、言えなかった。


 混乱がやってきた。

 僕は先生に追い返されてから、教室に戻るという気持ちにはなれなかった。校内をふらついて、辿り着いた普通教室からは程遠い廊下の隅に座り込んでいた。

 自分の行動に戸惑っていた。

 僕はなぜあんなにも使命感にかられていたのか。阪井でもあるまい。どうしてしまったのだろうか、僕は。

 自分のこととは思えなかった。動機を考えると、さらに混乱がやってくる。

 ――本当に、なんでだろうか。

 膝に顔を埋める。

 今はこうするしかできなかった。


 どうにも先生と顔が合わせづらかった。

 放課後、ホームルームが終わってから教室に戻る。頃合いを見計らっておいたから、教室に人は少なかった。

「大丈夫だったか?」

 阪井だ。

「平気だよ」

 そうとしか言えない。

 彼はそうかならいいんだが、と言い残してどこかへ行ってしまった。

 自分の席に座る。身体が自然と前に倒れる。

 雨の音を聞きながら、本当に自分はどうしてしまったのだろうと思った。そればかりが頭を巡った。

 どの位考え事をしていたのだろう。

 ふと気になって時計を確認する。時計の針はまったく進んでいなかった。

 まるで自分が一人、時間の進行が遅い迷宮に入り込んでいるようだ。

 考え事をするのには慣れていたつもりだ。けれど、こんなにも時間を感じながら考え事をしたことはなかったなと思う。

 結論が見つからなかった。堂々巡りを繰り返すばかりで、答えは姿すら見えない。

 特別なことなんてなかった。という結論では終わらせられない。

 まだ時計の針は進んでいない。

 雨の音が感覚を狂わせる。


 肩を叩く感覚に現実に引き戻される。

 顔をあげて見ると転校生がいた。

「少し、手伝ってくれない?」

 抑揚のない声。雨にかき消されてしまいそうだ。

「ごめん、あんまり気分がよくなくて、ほかの人に――」

 言いかけてから他に人がいないことに気づいた。

 いつの間にか灯りは消えていて、教室は静かだ。整頓された机のなかで、僕の机だけがずれている。

「無理なら、いい」

 彼女はそう言うと僕の席から離れていく。

 ロッカーの上に本が積まれている。そこへ彼女は行った。持ち上げようとしている。

 手伝わないのは罪に感じた。

 僕は積み上がった本の三分の二ほどを持つ。意外と重かった。

「手伝うよ。さすがに一人じゃ大変でしょ?」

 彼女は小さく頷いた。

 運んでいるうちに腕が疲れてきた。でも今はそれがよかった。彼女を手伝えているから?まさか。

 静かなのに耐えられなくて僕は、

「また、女の子たちに押しつけられたの?」

 と彼女に聞いた。なぜだかそのことが気になっていた。

 彼女は黙っている。それが肯定であることには察しがついた。

「それにしても何で僕に頼むのさ。もっと早くに他の人に頼めば、特に男子なら快く引き受けてくれるのに」

 そう言ったけれど、彼女が何も言わないであろうことは分かっていた。

 それ以上なにかを聞くことはなかった。

 僕らが向かった先は職員室だった。

 入口で僕は立ち止まる。彼女が向かったのは担任の先生の机だった。

 彼女が先生に一言伝えているのが分かる。先生は頷いているだけだった。暗くて細かな様子は見えない。

 彼女が扉へ戻ってきた。どうしたの、と彼女は立ち止まったままの僕に聞いた。

 彼女は平静だ。僕にはそれが押し殺しているように見えた。自分自身を、抑えているように見えた。

 それは僕の思い込みかもしれないけれど。

 僕は彼女に戻っていていいよと伝えて職員室に踏み込んだ。

 先生の元へ行って本をおく。

 手伝いです、と伝えると扉のほうを一瞥した。

 彼女の姿はない。

「先生、今ならいいですか」

 先生は僕のほうに顔を向けることなく、構わないと言った。

「転校生のこと、先生はなんとも思わないのですか。今の彼女を見たでしょう?」

 僕は率直に聞いた。暗くて先生の表情は読み取れない。

 先生は手にしていたコーヒーを机に置いて初めてこちらを向いた。

「そうだな、いじめはよくない。彼女はあまりクラスに馴染めていないようだ。うちのクラスの女子生徒には彼女のことをよく思っていないやつが多い」

「状況、分かってるんですね」

 苛立ちがつのる。先生に僕の気持ちが分かるはずもない。でも僕の心を逆撫でするように話す。

「分かっているが、だからどうした。俺が解決すればいいのか?俺が女子にやめろと言えばそれでいいのか?違うだろう。抑止力を加えてやめさせることは有効な手段ではない。一時凌ぎの姑息な手にすぎない」

 先生の言うことは正しい。でも。

「でも、目の前で起きているのに注意しないのはおかしいです。初めて彼女が教室にきた時、なぜ止めなかったんですか。それは責任放棄にしか思えません」

 止めれていれば。問題なんて起きなかったはずなのに。

「そうだな」

 先生はそう言った。どういうことだろう。

 僕は唖然とした。

 僕には分からない。

 うるさい雨が耳をつく。

「俺にだって、色々あるんだ」

 身勝手な言葉は耳の奥に入り込む。そのまま僕の脳の奥に染み付いた。

 暗い職員室の灯りが軽い音を立てて点く。

 灯りに照らされて、先生の表情には微妙な機微があったことに気づく。

 でも僕にはそれがなにを思ってのことか分からなかった。

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