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さよならのプラットホーム  作者: 青田 絲
第一章 然れども僕にあるまじ
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水の流れとセミの声と

 窓の外からセミの声が聞こえる。

 僕が小学生の頃。

 僕には親友がいた。僕の人生のなかで、彼ほど親友と呼ぶに相応しい人間は他にいない。

 僕は彼と夏休みに川へ遊びに行く約束をしていた。

 そのころ僕は田舎に住んでいた。周りは田んぼだらけ。街並みを抜ければ雑木林と、少し流れの速い川があった。

 夏休み、僕は川へ行きたかった。いつもは家族で行ってバーベキューをしていた。でもその年は父親の仕事の関係で、家族で行けなくなってしまった。出張だった。

 それでも僕はどうしても行きたかった。でも一人で行くには寂しくて、親友を誘うことにした。

 いつかは親友と川で遊びたかった。これは小さいながらも僕の夢だった。楽しく遊んで、家に帰って、冷えたスイカをかじって一緒に笑う。それだけの夢。小さな希望だった。


 川へ行く前日。

 僕は夜に夢を見た。寝ながら見る夢だ。

 怖い夢だった。

 僕が溺れてしまう。親友も溺れてしまう。ただ水のむこうにセミの声が聞こえる。

 朝目が冷めた時の背筋が凍るような感覚と、やけに頭が冴えていたことを今でも覚えている。

 ――嫌な予感がした。


 当日は快晴だった。

 その日見た夢のことなんて、僕はとうに忘れていた。

 ただ親友との約束に浮かれていた。

 親友の家へ行くと、彼は玄関の前に立っていた。

「ごめんね。行けなくなっちゃった」

 彼はそう言った。母親に止められたそうだ。子供だけでは危ないと。

 小さな僕は約束破りだと彼のことを罵った。

 彼はただ、ごめんねと繰り返すばかりだった。

 僕は憤ったまま、一人走り出した。

 後ろから彼に声をかけられたけれど、止まることはなかった。


 僕は一人で川にいた。

 少し流れの速い川は、水面に僕を映さない。落ちる水滴が水面を揺らしたりはしない。セミの声は僕の上から降り注いでいた。

 長い間しゃがみこんで水面を見つめ続けていた。

 後ろから彼が追いかけてきたことに気づいたのはしゃがみこんでから何分後のことだろう。

 僕はなぜだか逃げたくなって。彼とは顔を合わせたくなくて。合わせづらくて。

 勢いで川へ飛び出した。

 長い間しゃがみこんでいたせいだろう。僕は足に力を入れることができず、流れに足を取られてしまった。

 さほど深くはないはずだった。毎年来ていたから知っているつもりでいた。

 川の深さは突然増して、僕の足がつかないようになるには一分もかからなかった。

 必死にもがいた。足がつかない不安から冷静さを失っていた。暴れるばかりの身体は水の中へ飲み込まれていく。

 彼の姿が見えたのは一瞬だった。

 彼は僕を助けようとした。近づこうと、不格好でも泳いでいた。

 でも。

 残酷な流れは僕だけでなく、彼の身体をも飲み込んだ。

 水の中からはただ青く広がる空だけが見えた。

 僕の意識はそこで途絶えた。


 まるで夢のようだ。

 そう思うようになったのは中学生になってからだった。

 僕はあの後、奇跡的に生還した。川辺に流されていたらしく、すぐそばを通ったおじさんに助けられたそうだ。

 彼ーー僕の親友は、助からなかった。彼はだいぶ下流まで流されていたらしい。見つかった頃には身体は冷たく、重たくなっていたそうだ。

 僕はこの事故のことをどこかで知っていたような気がした。

 事故から時が経つにつれ、僕の記憶は明瞭になっていった。思い出した。あの悪夢のことを。

 僕は知っていた。あの事故を。夢のなかで。

 思い出すだけでひどく恐ろしい夢だった。事故のことが事細かに、僕には分かっていた。

 怖かった。自分が。憎らしかった。自分が。

 助けられなかった自分。助からなかった彼。

 助かった自分。助けようとした彼。

 己の無力に絶望した。

 僕は彼と遊びたかった。彼と話したかった。彼ともっと、仲良くなれた気がした。

 彼に謝りたかった。

 それからだ。僕が人と深くは関わろうとしなくなったのは。

 僕にはその権利がないから。


 空を見るとあの時のことを今でも思い出す。僕はまだセミの声を浴び続けている。

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