疑問と疑問と羞恥と
彼女が僕のほうを向き直る。
「申し訳ないけど、僕から君に話せるストーリーはないよ」
と僕は苦笑しながら言った。
いや、苦笑なんてものではなくて、自らに対する嘲笑、だったのかもしれない。
彼女は少し気まずそうに笑った。
変な感じだ。彼女とこうして話していることが心地よいようで、それでいて僅かばかりの悲哀も僕の中にある。
――人に自分のことを知られている、ということが原因だろうか。確かに今までの僕には、全くなかった経験ではある。だからこそ結論として位置づけることは無理だった。
原因はともあれ。
彼女との関係は、こういった、互いを知ることから始まったような気がした。
僕は彼女を、彼女自身の境遇を知ることで。琴乃は僕の、僕自身の――。
疑問符が浮かんだ。
琴乃は僕のことをどうして頼っているのかだろうか。
それと同時に、僕が彼女を手伝いたい理由にも。
「大丈夫?体調悪い?」
突然声をかけられて勢いよく顔を上げる。
琴乃が心配した顔で僕のほうを見ていた。
「いや、大丈夫。ちょっと考え事をしていただけだよ」
「ふーん、そっか。ごめんね、私だけ昔の話をしたりして」
そう言って彼女はカップを置いた。
「全然気にしてないよ」と僕は必死に否定しておいた。
「むしろ、黙り込んでごめん。話を戻そう。いつから探し始める?」
僕が一人で思案にふける時間はいくらでもある。けど彼女とこうして話している時間はそう無い。雑談はここまでにしておこうと思った。
「すぐにでも始たいけど……、今からはちょっと………。明日から、でどうかな」
「構わないよ。じゃあ明日からってことで」
解散して家に帰っても父親はいないようだった。
一人、軽い家事――洗濯物を取り込んだりする。
思い返してみれば、彼女の言い方、僕の言い方、どちらも僕が彼女を手伝う形で話が進んでいたけれど。
彼女の家に、僕が足を踏み入れて、さらに家捜しと言っては語弊があるが、それに近いことをするのだろうか?
これはとんでもないことになった気がしてならなかった。
部屋に戻って、ベッドへ転がる。
何か、喫茶店で考えていたような気がする。気になったことがあった気がする。
思い出そうにも、霧がかかったように不鮮明だ。
時折誰もが襲われるのであろうか、所謂ど忘れを起こしたようだ。
ど忘れしたからにはどうしようもない。そんなことより今は、彼女に確認することがある。
本当に僕が家へ上がるのか、だ。
翌日までには彼女に確認をとることにして、まずはこちらからメールを送る。
返信を待つ体制に入って、ネットサーフィンで時間を潰して。待つこと約三時間、寝る準備まで終えてしまったではないか。
その後も待てど暮らせど彼女からの連絡がないまま、今日――昨日の僕が言うところの翌日になってしまった。
携帯電話を握って連絡を待っていた体制で目覚めた。
画面を確認しても、新着メールもなければ不在着信もない。
さてどうしたものかと頭を抱えてみても、答えがでることもなく、仕方がないので決意を固めて御宅訪問することにした。
支度をしてから、誰からの返事もないのに、いってきます、と言って家を出た。
結局昨日も父親は帰ってこなかった。とはいえ、一日程度家を空けることはままあることだった。あまり気にしたところで無意味だろう。
それよりも、今気にすべきはこの事態だ。
僕は琴乃宅の前に立っていた。
女子の家の敷居をまたぐことは初めてではない。でも小学生のころの自分とはわけが違う。
琴乃からメールで送られてきた住所を調べてここまで来たけれど、ここから家の中へ入っていく勇気はなかった。
チャイムを鳴らそうにも身体が抵抗する。
葛藤を続けていたら、近所のおば様方の視線が徐々に僕へ突き刺さるようになってきた。
「家の前に棒立ちで、どうしたの?」
左側面からの声に身体が大きく反応する。
「いっいえ、なにもしてません、ただここの家の方に御用がありましてっ……」
つい大声、早口で事実を言ってしまった。ただなにもしていなかったわけではなく、必死に葛藤をしていたことだけは言わなかった。
恐る恐る左側を確認すると、立っていたのは琴乃だった。
彼女は失笑を隠すことができないようだった。口から短い息が漏れ、漏れ、漏れて、ついには控えめに声で笑い出した。
すると途端に恐怖は羞恥へと変わった。
ここまで恥ずかしい思いをしたのはいつ振りだっただろうか。
きっと数年単位でご無沙汰していた感情で、僕は顔を真っ赤にした。
ただ、阪井ほど、琴乃が派手に笑わないことが唯一の救いだった。