苦くて熱くてそれでいて
僕は普段からあまりメールでコミュニケーションをとらない。彼女にメールしようにも、書き出しすらも思いつかないかったのはそのせいだろうか。
何事にも責任転嫁することは不可能ではなくて、こうして僕が日ごろの僕に責任を押し付けることも同然可能なのだ。だからといって、こうしていても全然意味がないのだけれど。
僕は椅子に全体重を預けて溜息をつく。
溜息をつくのは昔からの僕の癖だ。自意識過剰だと罵られてしまうかもしれないけれど、僕は小さいころから気苦労が絶えない。母を亡くしたショックは父親にもあった。慢性的な僕の悩みの種である父親の怠惰からくる言動も、母が亡くなってから直ぐは見る影すらなかった。死を目の前で目撃した僕も、いつもと同じようにとはいかなかったけれど、父親の変貌振りに、僕は日常的に抱える悩みとは別の悩みを抱えることとなったからだろう、僕は幼少期にはすでに気遣いというものを知らず知らずのうちに覚えていた。
かれこれ十年ほどは溜息つく癖がついてしまっているから、僕の幸せなんてとうに逃げ去ってしまっているだろう。
なんてことを考えていたら、琴乃からメールがきた。
内容は、僕が送ろうと思っていた――けれど送れていないことと同じだった。
文章は妙に生真面目なものだ。そういえば、喫茶店では、初めて会ったころと比べて言葉数も増えていたような気がする。物言いも無愛想だった気がするのに、あの時はとても丁寧だった。
当初の印象とまるで違う彼女の姿を思い出していると、なんだか不思議な気持ちになった。
頑なに拒もうとしていた自分が、まるで彼女という人格を殺していたように感じた。
今すぐにでもそのことを謝ろうかとも思ったけれど、返信内容を確認した彼女が始めに目に入れる言葉が謝罪では、彼女はびっくりしてしまうだろうか。
となると謝罪はやめておくべきだ。彼女からすれば心当たりのないことだろうし。
自分の中だけで反省を済ませてしまって、僕は携帯電話を握りなおす。
謝罪ではなく、今後について彼女に提案することにしよう。
反省は自分の中でしてしまったから、それでいいだろう。
翌日、駅前の喫茶店ではなく、近所のこじんまりとした喫茶店で僕らは落ち合った。
意外と近所に住んでいたということで、近所のカフェ――と名のつく駄菓子屋兼喫茶店という、今となっても謎の店のだが――そこで話すことにした。
近所で、というのには、僕の私的な理由ではあるが、あまり同級生に目撃されたくはないからでもあった。
店の奥にある席に座って、僕も彼女もコーヒーを頼む。駅前でもホットコーヒーを彼女につられて頼んでいて、今回もそうだが、なぜ彼女はこの夏場にホットにこだわるのか少し気になった。
コーヒーが出てくるのを待ちつつも、琴乃は話し始めた。
なにも準備せずに出てきた僕とは違い、琴乃は大まかに意見をまとめてきていた。
彼女なりに考えた結論としては、父親探しといっても直接探せるわけではないので、まずは身辺整理をしてみようとのことだ。身近から調べていくという非常に建設的であるうえに、灯台元暮らしを回避することもでき、一石二鳥だ。
僕はといえば道端で手当たり次第に聞き込みでもすれば……なんて考えていた。
なるほど彼女の案は、僕のに比べて数千倍も理に適っている。
ホットコーヒーがテーブルの上に置かれる。
「駅前でもそうだけど、どうしてホットなの?」
やはり気になるものを気にせずにはいられなかった僕である。
「そういう君も、ホットじゃない」
彼女は僕の手元にあるコーヒーを指差す。
「同じものを頼んでいたらホットになっているから気になってさ」
「そうなの。……どうしてホットなのかしら。確かに、こんなに暑いのに熱いものを飲むのっておかしいかもしれない」
無意識のうちに、ということ?
「そうかもしれない」
彼女は入り口のほうを振り向いた。「でも、多分だけど」
そうして僕に背を向けたまま、
「おぼろげに覚えているの。お父さんと喫茶店に来たときのことを」といった。
とても小さい時の事だったらしい。父親につれていってもらった喫茶店で、ホットコーヒーを一口飲んだそうだ。当時の舌にはとても苦くて、この世のものじゃない、なんて思ったそうだが、むしろそれが強く記憶に残っていたらしい。
「その頃のことを思い出してかな、いつも喫茶店にくるとホットコーヒーを飲みたくなるの。……ううん、その頃のことを思い出したいから飲むのかもしれない」
そう言いながら彼女は僕のほうを向いて笑った。
僕はそうやって楽しかった頃の記憶を語る彼女が眩しくて、そして羨ましかった。