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窓際魔王

作者: 鏑坂 霧鵺

 どこで何を間違ってしまったのか、今ではそれさえも分からなくなってしまった。恐らく、最初から、何もかも間違っていたのだろう。そう思いつつ、空になった湯飲みに茶を注ぎ、一息に飲み干す。そして、また空になった湯飲みに茶を注ぐ。酷く喉が渇く。もう、腹から水音がするほど茶を飲んだというのに。

 向けられる視線は、酷く冷たいものばかりに感じた。役立たずの分際で茶ばかり飲みやがって。正しく、無駄飯食らいというものか。そんな風に感じる。酷く、卑屈になっている。しかし、卑屈になろうがなるまいが、向けられる視線は実際に冷たいものであった。

 今、隣の竜人は立ち上がり、熱っぽい口調で自分たちの成果を押し並べている。クォート地方の征圧。プ・ヨーオ城、落城。担当区域の四分の三が支配下にあり、残る人間たちの抵抗も哀れなものである。次回の報告では、担当区域の完全制圧を高らかに掲げられることだろう、云々。

 輝かしい限りである。全く。羨ましい限りである。全く。彼から配られた資料は、ちょっとした雑誌ほどの厚みがあった。二箇所に穴を開け、そこに紐を通して綴じてある。詰まるところ、そのくらいしなければ綴じないほどの厚みがあるということだ。それをぱらぱらと流し読み、次に自分の用意したそれと見比べた。比べてみると、それは実に貧相なものであった。全員に配る分を束ねたところで、厚みで勝ることはなかった。片面刷りで三枚。それが、左上の隅一箇所ホチキスで止めてある。

 彼らのもの。それは両面カラー刷りで、分かりやすい図と、分かりやすい文章で構成されていた。ここ数ヶ月間の、戦闘の経緯。或いは、領土拡大の推移。こちらは、二つほどのグラフと、あとは出来事の箇条書きだけだった。内容は、比べてみれば悲しくなることは明白だったので、比べないことにした。

「……以上で、報告を終わりとさせていただきます。ご静聴有難うございました」

 一礼し、竜人が着席した。拍手が起こり、皆が口々に彼の成果を褒め、或いは羨み、または励みとした。自分も、気のない拍手をする。ただひたすら、憂鬱であった。彼の次は、自分の番であった。

「えー、次はエイアンシー支局のラザッカ支局長からの報告となります」

 司会進行の岩石人間に名前を出されて立ち上がる。急速に空気が冷えていくのを感じる。気のない拍手が起こる。資料を配ると、受け取った誰しもが、そのあまりの薄さに驚き、ぺらぺらと振ってその薄さを再確認し、やはりそれが薄いことを認識してもう一度驚いた。

「……ええと、ただ今ご紹介に預かりました、エイアンシー支局のラザッカから報告させていただきます。お手元の資料をご覧下さい」

 聴衆は一斉に資料に目を落とし、少しすると一斉に顔を上げ、そして一斉に嘆息を吐いた。最も嘆息吐きたいのは自分だと思いつつ、それでも気を取り直して続ける。

「ええ、資料にありますように、今月の四日に、軍事行動を開始しました。その結果、ティ・レー湖畔からシエンゴーク山の麓までを制圧下に納めることに成功しました」

 少しの間の沈黙。重苦しい空気。居心地が悪い。腹痛だといったら、帰らせてくれるだろうか? それは、とても魅力的な提案に思えた。

「あー、質問いいですか?」

「ああ、はい。どうぞ」

 沈黙が破られ、現実に引き戻される。腹痛を訴え損ねる。そんなことを考えると、本当に腹が痛いような気がしてきた。胃は。確実に痛む。

「そのあたり、人里ありませんよね?」

「……ええ」

「では、制圧して何のメリットがあるんですか?」

「……それは、ええと。……ああ、シエンゴークは美味しいきのこが採れます」

「……」

「……」

 再び沈黙。しかし、今回のそれは先ほどのものよりも重く、そして深かった。やはり、腹が痛い気がする。きっと、気のせいではない。帰りたい。

「ええと、次は?」

 うんざりした声で先を促されてしまった。また、腹が痛いと言い損ねる。最早、それを言うことは諦めて、報告を続けることにした。

「ええと、他には……、クーヤー城の窓ガラスを三枚割りました、あと、城壁に落書きをしました。結構、嫌がられてました。ほら、冬ですし。窓割れてると、寒いですし。まあ、三日後には修復されてたんですけどね。ああ、でもああいう大きな一枚ガラスは高いですから。クーヤーの国庫に幾らかの損害を……」

 蔓延する、うんざりした空気。腹痛によって早退することは、自分のためよりも、むしろ皆のためになるのではなかろうか? やはり、精一杯の優しさで、腹痛を告白した方がいいのかも知れない。例え、それが気のせいだとしても。

「……この、『別働隊の波状攻撃により、クー・スーミザックに多大なる損害を与えた』っていうのは? 知らない地名なんだが、どの程度の規模の都市なんだ?」

 空気を察することのできない愚か者が――ただし、彼自身の次に――幾らかの期待を込めた声で尋ねた。優しさは不意にされた。空気を読まぬ愚か者のせいで。これでまた、自分は冷酷なる報告を続けねばならない。全く、なんともやりきれないものだ。

「ああ、クー・スーミザックは、個人名です」

「個人名? 大地主か何かかね?」

「いえ。カーナンで肉屋を営んでいます」

「『多大なる損害』というのは?」

「店先で暴れたり、勝手に商品を食い散らかしたりを続けていたら、二週間ほどで店を潰してやりました。ご近所の噂だと、レナーにいる親戚のところに引っ越したとか」

「『獲得したティ・レー湖にて軍事演習』というのは?」

「レイクサイドに一泊二日でテントを張りました」

「それは……、キャンプじゃないのか?」

「ああ、軍事演習キャンプですね」

 その後も、散発的に質問は挙がった。そして、その回数だと同じだけ、皆が心底後悔した。彼自身も含めて。もう、誰も期待を抱いていなかった。無論、彼自身も含めて。

「ええと、もうご質問はありませんか?」

 ないようだった。皆、頭を抱えたり、遠くを見たり、机を見たりしていた。振る舞いは様々だったが、皆一様に消沈していた。その様子を見て、ラザッカは内心ほくそ笑んだ。次の報告で、彼らは皆度肝を抜かれ、歓喜し、そして思う存分に歓声を上げるだろう。こればかり、ここに集まった者たちが用意した報告の中でも群を抜き、誰しもが待ち望んだものであるという確信があった。

「ないようでしたら、最後の報告に移らせて頂きます」

 そこで一旦言葉を切って、なるべく勿体をつけるように咳払いをした。そして、居並ぶ歴々を再度一瞥して、できる限り自信溢れる口調でそれを発表した。

「お腹が痛いので、帰っていいですか?」

 帰らせてもらえた。




「ただいま」

 腹痛だといって帰らせてもらい、移動呪文で一目散に逃げるように、自分の根城に帰ってきた。狭いながらも、文字通り自分の城である。居心地は、決して悪いはずがない。

「ああ、局長。お帰りなさい。随分、早かったですね? どうでした? 定例会」

「魔王様と呼びなさい」

 出迎えた部下は、ラウンジとして使用している部屋で、だらしのない格好で雑誌のクロスワード・パズルと奮闘していた。上司である自分が目の前にいるというのに、止める素振りも見せない。

「お腹が痛くてね、早退させてもらったんだよ」

「うちの成果が余りにも情けなくて、逃げたんじゃないんですか?」

 けらけらと笑いながら、囃される。鋭いくせに、空気の読めない部下である。そもそも、うちの実績が余りにも情けないのは、おまえたち余りにも情けない部下のせいなのだと思う。しかし、思いはしても口にはしない。以前、朝礼でそのことに触れたところ、翌日からストライキを起こされた。ストの収拾に、週休二日の確約――休日出勤は休日手当てを保障することで可能である――と、賃上げを余儀なくされた。

 自分が局長を務める大魔王軍エイアンシー支局が『左遷先』と呼ばれるようになって、随分久しい。無論、最初からこんな体たらくなわけではなかった。赴任した当初は、世界を闇に満たしてやろうという志に燃えていた。もう、十年も昔のことである。

 始めの内はよかった。連戦連勝とまではいかないまでも、充分に人間たちに被害を与え、恐れられ、充分に仲間たちに賞賛され、称えられた。成果を上げ、資金もそれなりに潤沢であったので、有望そうな魔物をスカウトしたりもしていた。

 最初にあやが付いたのはいつのことであろうか。恐らく、五年ほど前のことだ。辛抱強い交渉と多額の契約金によって、『北の竜王』と呼ばれた魔物、ウドキトーヤーとの契約に漕ぎ着けた。評判は伊達ではなく、デモンストレーションで一息に山をひとつ焼き払う姿に、将来を嘱望したものだった。疑う余地なく、後の幹部候補であった。

 しかし、そのウドキトーヤーももういない。初陣で倒されてしまった。彼の初陣の際、人間たちが開発した、ドラゴン種族に対して絶大なる効果を発揮する新兵器ドラゴン・ブレイバーの試験的投入がたまたま行われていたためだった。更なる不運は、翌月に試験的導入を終えたドラゴン・ブレイバーの、そのあまりのコストと、ドラゴン以外には肉切り包丁ほどの威力もないという特性によって、本格的実戦投入が白紙になったということだった。彼の初陣があと一ヶ月遅ければ、彼はドラゴン・ブレイバーの露と消えることも――実際には、粉々に砕け散って灰になったので、露と消えてはいないが――なかった。それにより、第一級の戦力と、それを獲得するために費やした多大なる金銭が永遠に失われた。

 思い返せば、それが最初の大いなる躓きであろう。それ以来、やることなすこと上手くいった試しがない。その翌年には担当区域一帯で、大規模な冒険者ブームが起きた。一過性のものであろうと放置していたら、それがかなり組織的なものに成長して、かなりの被害を受けた。

 更には三年前、勇者の出立が確認された。情報が錯綜し、対応が後手後手に回っている内に、勇者は冗談で済ませられない戦力を保有していた。当時最新鋭であった蒸気機関搭載の、二列砲のガレオン船を入手した勇者一行への対策として、多額の費用を投じて古に封印された伝説の海の覇者、サーディターを復活させることに成功した。勇者たちがさらに最新鋭であった飛行船の実用化に成功したのが、その翌日であった。復活させられたサーディターは、いつかくるかも知れない活躍の日に備えて、生簀で泳いでいる。最近の報告だと生簀が狭すぎるため、運動不足で肥満気味らしい。餌代も馬鹿にならないため、野性に返すかどうかを検討中である。当の勇者一行は今でも順調に勢力を拡大し、一行というよりは部隊と言った規模になっている。定例会でも毎回議題に挙がるが、担当区域から勇者を出したことについての非難も、最早出尽くした感がある。そのくせ、本部は一向にこちらに応援を寄越す気配がない。本部が寄越すのは、粗を探しに来る監査役くらいである。

 向いていないのであろうなと、つくづく思う。本当は、実家の麦農家でも継いでいた方がよかったのだ。疑う余地もなく、そちらの方が自分に向いている。地元を出て魔王軍に就職すると両親に告げたとき、母親は最後まで反対していた。長男が外に出ることは心苦しくもあった。しかし、退屈な田舎暮らしに飽き飽きもしていた。結局、母から逃げるように地元を出て、魔王軍に就職を決めた。家業は、弟が継いだ。最早、自分には実家に逃げ帰って、麦を育てる道すら残されていない。両親も弟も気にしないから帰ってこいと言うが、既に結婚して子どももいる弟のいる実家に転がり込むのは肩身が狭いし、弟の嫁ともお互い気を使い合うことになってしまうだろうし、気乗りはしなかった。

 結局のところ、すべてが自業自得であった。故郷を出たのも、故郷に帰りそびれたのも。行き遅れの、不良在庫になってしまったことも。そして、左遷先と呼ばれるに至ってしまったことも。

 もう、若くはない。やり直しは、できないわけはないだろうが、酷く難しいだろう。気付けば身動きが取れなくなっていた。何一つ、背負っているものなどないというのに。背負うものはなく、足を引っ張るものだけが増えていった。

 このままでもいいかも知れない、このままではいけない。繰り返し、交互に去来する思い。もう欲はない。静かに暮らせれば、それでいい。なるほど、幾らかの胃痛に目を瞑れば、今のままでいれば静かな暮らしはできるかも知れない。自分が、この生活に酷く嫌気が差してしまっていることを別にすれば。溜息を吐く。どうして、こうなってしまったのだろう。どこで、何を間違ってしまったのだろう。分からないようで、原因ははっきりとしているようでもある。認めたくないだけかも知れない。


 どれほどの時間、そうやって物思いに耽っていたのだろうか。気付くと、外は薄闇に包まれかけていた。自室から出ると、廊下では部下たちがいつにない慌しさで右往し、左往していた。何事だろうと、手近にいた部下に尋ねた。

「何があったんだい?」

「あ、局長! どこにいたんですか? 探したんですよ?」

「ご免よ。部屋で、少し考えごとをね」

「まあ、いいです。そんなことより局長、大変です」

「うん? どうしたね?」

 少しだけ身なりを正して――魔王に相応しいように――、なるべく威厳がありそうな声で――魔王に相応しいように――、尋ねる。先ほどまで慌しく走り回っていたせいだろうか、部下は息を切らせて告げた。

「勇者たちが、きました。現在、南門付近で交戦中。よく持ち堪えていますが、破られるのは時間の問題かと……」

 驚きはした。驚きはしたが、同時にそれとは別の感情も湧き上がった。これは、なんだろう。覚えはあるが、思い出せなかった。

「大回廊に防衛線を築け。部隊編成、急げ。走れ! 走れ! 手の空いたものは負傷兵を収容しろ。一人も見殺しにするな。直接交戦は避けろ、どうせ敵わん。一撃離脱で消耗を狙え。いいか、手柄なんて考えるな、どうせ大してボーナス査定には関係ないぞ」

 自然と、毅然とした声が出ていた。自然と、毅然とした表情をしていた。指示を出す。勝てないまでも、痛手を与えられればいい。最後の悪あがきをしてやろう、そう思った。その後に立て続けに出した指示は、我ながらになかなかのものであった。部下たちは無駄なく動き、彼の指示を忠実に再現した。なんだ、優秀な部下たちじゃないか。無能だなどと、とんでもない。優秀な部下たちだ。左遷先など、とんでもない。

 気付くと、笑みが浮かんでいた。不謹慎だとは思いつつ、その笑みを消すことはどうしてもできなかった。顔を引き締めることに気付いたころ、先ほど胸によぎった感情の正体に気付いた。なんということはない、チャンスだと思ったのだ。ここで大金星を挙げれば、皆を見返すことができる。どうだ、俺たちは無能などではなかったと。それに、仮に敗れたところで、ただで敗れてやるつもりはない。負けてなお強し。そう思わせてやれればいい。


 心配することは何もなかった。あとは、部下たちが万事上手くやってくれるだろう。もしかしたら、自分の出番などないかも知れない。何せ、自分の部下は全く以って兵揃いなのだから。自分の出番はこず、後で部下たちに笑われるのだ。『局長、座ってるだけでしたね』とでも。笑いながら、言われるのだ。それは構わなかった。自分も『いやあ、座ってただけだったねえ』とでも、笑って言うだろう。

 全てが終わって、そして無事に済んだら。実家に一度帰ろうかと思った。久々に、両親に顔を見せてあげようと思った。お土産は何がいいだろうか? 姪っ子は何に喜ぶだろうか? 自分の顔を、忘れられてはいないだろうか? そのあとは、エイアンシー支局の全員で慰安旅行に行こう。どこがいいだろうか。今から楽しみだ。

 ラザッカは、堂々とした態度で、玉座に腰を下ろした。


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