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1.1923 夢滴と消ゆ [2/4]

[1-2/4]

 夏休みが終わってしまう。

 八月三十一日を示した日表を呆然と眺めていた煬介(ようすけ)に、後ろから灯里(あかり)が声をかけた。

「煬介、おまえ、ほとんど遊びにも行かなかったね」

「あ、遊んでたもん」

(ゆかり)ちゃんと?」

「うん……」

 畔に行って蛙を捕まえたり、山の方で虫を探したり、押し花を作ったり。外には出て遊んでいたので、煬介はすっかり日焼けしている。

 真っ黒になっている灯里に比べれば、ほんの少しだが。

「マサカズが怒ってたよ、あんたがほとんど顔出さねェって」

 煬介は身を縮めた。子供には子供の社会があり、それを仕切っている存在もある。マサカズは伏雁村(ふせかりむら)のガキ大将だ。この界隈の男の子たちは皆彼に従う。だけど煬介は、マサカズが大の苦手だった。いつも彼やその舎弟に見つからないようにして逃げ回っている。

「灯里、煬介をいじめてないで手を動かしな」

 縁側で、山から拾ってきた草花を選別している祖父が声をかけてきた。これらは薬草で、大半を灯里の手元にあるすり鉢で粉にし、生薬にする。

 灯里はすりこぎを動かしながら、口をくちばしみたいにした。

「ちえっ、今日はいっちゃんと約束してたってのにさ」

「文句言うんじゃねえ。おめえらの飯のタネじゃ」

「それよか、じいさま。あたい、やっぱり女学校に行きてえ」

 選り分ける手を止め、祖父―――幹久が灯里を見た。

「薬師はいやか」

「いやっていうか……あたいは先生になりたいんだよ。薬売りよりかよっぽどさ」

「そうか」

 作業に戻った祖父に、灯里が渋い顔をする。

「いいの? 悪いの?」

「おまえの好きにすればいいさ。好きなこと出来るのも今のうちじゃ」

 祖父はよくこういった含みのある言葉を口にする。灯里もその棘を感じてか、大きく息を吸い込み、わざとらしく吐き出した。

「絶対いやなもんはあるよ。あたい、天狗だけにゃなりたくねえ」

「灯里」

 叱咤するように幹久が名を呼ぶ。灯里は気にせず続けた。

「天狗の修業だってだいきらい。あたいはもっと遊びたいし、ほかのことしてえもん!」

「灯里!」

 灯里はぽいとすり鉢とすりこぎを煬介に投げると、風のように軽やかに素早く、玄関に跳んでいった。

「よう、あとは頼むわね」

 からからと笑い声を立て、灯里は玄関戸を抜けていってしまった。

 呆気にとられつつ、投げられたものをきちんと受け止めていた煬介は、とまどいながら祖父を見た。

 幹久は厳しい顔をしていたが、やがて諦めたようにため息をつく。

「あのお転婆にも、困ったもんだな……」

「お、おいら、手伝うから」

 薬草の区別はままならないが、擦るくらいなら煬介にも出来る。

 おどおどと幹久に近づくと、彼はぽんと煬介の頭に手を乗せた。

「おまえはいい子だな、煬介や」

「おいらさ、天狗のしゅぎょうもね、きらいじゃないよ」

 褒められたのが嬉しくて、本心からそう言ったが、何故だか幹久は複雑な表情をした。


 隣家に住む紫の母、立花(りつか)は、煬介と紫が赤子のときから病がちだった。

 幹久の薬があるので普通の生活をしていられるが、時々病に負けて臥せってしまうことがある。それはひどく煬介の心を痛めた。立花の乳をもらって育った煬介にとって彼女は母も同然の存在なのだ。熱心に看病する紫の姿も、それに輪をかけた。

 始業式のその日、紫は学校を欠席した。

「おう、ヨースケ。今日はいとしのゆかりちゃんと一緒じゃねえのかよ」

 早速、同級生が囃し立ててくる。煬介は困り顔を作ったが、無言であった。野次より何より、紫が心配だったからだ。

 おそらくまた、立花の体調が悪くなったのだろう。

 学校から帰ったら、すぐに紫ちゃんちに行こう。姉ちゃんにも言って、街に出ているはずのじいちゃんを呼んできてもらおう、そうしたらまた、きっとおばちゃんの加減も良くなるはず―――

 しかしその刹那。

 地響きと恐ろしい揺れが、煬介を襲った。


 揺れが収まりきると同時に、教師の指示に従って児童たちは表に出た。一年生の教室は一階だが、二階から降りてきた高学年たちとも合流し、校庭に整列し始める。

 繰り返す大きな揺れ。校舎や塀がみしみしと鳴るたびに、児童たちから悲鳴が上がる。混乱と恐怖で泣き出す子供たちもいた。しがみつかれる教師すら、青白い顔をしている。

 煬介は半泣きになりながら、姉を探した。きょろきょろと周りを見渡している灯里を見つけて、煬介は叫びながらすがりつく。

「姉ちゃん!」

「煬介! 良かった、怪我ないね!」

 姉はこんなときでも溌剌としていた。降ってきたガラスのかけらで怪我をしていた同級生の手当をして、灯里は煬介に向き直る。

「あっ、村が」

 誰ともなく発した声に、煬介はそちらを見た。小学校を囲う塀の向こうに、黒い煙がいくつも立ちのぼっている。

 煬介たちの家がある、集落の方向だ。

「わああん、かあちゃん!」

「怖いよう、怖いよう!!」

 阿鼻叫喚を増す校庭、未だ人の残る校舎は心なしか傾いているように思える。

 煬介は姉から手を放した。目は集落からのぼる煙だけを見ている。

「姉ちゃん、家が燃えてるかも」

「だめだよ、煬介。危ないよ」

「紫ちゃんとおばちゃんが家にいるよ。助けないと」

「煬介!」

 灯里の伸ばした手が空を切る。

 煬介は既に駆け出していた。堰を切ったかのように、児童の中からも自分の家に向かって走り出す者がいた。煬介はその先頭で校門を出ると、一目散に集落に向かって、駆けた。

 近づくにつれ火は勢いを増していくかのようだった。木でできた家々は脆く、家財道具の一切を持って転がるように逃げ出す人々とすれ違う。

 だれか、助けて。

 足が挟まれてるの、だれか。

 おばあちゃんがいる、手を貸してくれ。

 聞こえる声を聴かぬようにしながら、煬介は煙の中を掻い潜り、集落の奥へと向かう。

 たどり着いた長屋は、ぺしゃんこに潰れてしまっていた。

 煙と炎の勢いがひどい。家のあったところまで行き着いたが、木材の山にしか見えない。煬介は地べたに耳を寄せた。

 火の爆ぜる音が邪魔だったが、ごんごんと地を打つ音が微かに聞こえる。ぱっと顔を上げ、煬介は家があったあたりを見渡した。

「紫ちゃん、おばちゃん!」

 叫びながら、瓦礫を掻き分ける―――といっても、七つの煬介に出来るのは、屋根板の一部をはがしていくことくらいだ。

 しかし間もなく煬介は見つけることが出来た。

 真っ赤な柘榴のような、それを。

「おばちゃ……」

 材木の直撃を受けたのか、笑うとえくぼの出る美しい顔は、原型を留めていなかった。

 そのときには泣き声がはっきり聞こえていた。くの字に曲げた立花の腹の内側に、泣きじゃくる紫の姿があった。

「紫ちゃん!」

 紫も真っ赤であったが、それは彼女の血ではないようだ。立花の身体を押して隙間を作るが、代わりに材木の切れ端がずれて、なかなか紫を引き出すことが出来ない。

 ぱちぱちという炎の音が近づいてきていた。紫はあまりのことに混乱し泣くばかりで、暴れて上手く身体を持ち上げられない。

「紫ちゃん、おばさんの腹に足のせて、上がって」

「できない、できないよう、ようちゃん、こわい! こわい」

「大丈夫、できるよ、早く」

 後ろを振り返り、煬介は戦慄した。

 黒煙が背中を炙るほどそばまで来ていたのだ。

「紫ちゃん」

「ようちゃんどうしよう、死んじゃうよう」

「足、足早く!」

 そのとき、紫の足は偶然、倒れてきた立花の身体に押し出されるようにして浮いた。煬介は無我夢中で紫を引っ張り出す。

「立って早く! 逃げよう!」

「お母ちゃんも早く」

「おばちゃんはもうダメだ、早く!」

 とにかく紫の手を引いて、煬介は走った。

 炎は迫ってくる。あたりを覆う黒煙の中、とにかく必死になって煬介は駆けた。たんぼに片足を突っ込んで、ようやく煬介は我を取り戻す。

「煬介、ばか!」

 姉の声が響いた。紫ごと、煬介は灯里に抱きしめられる。

 紫の手首を掴んでいる指がはがせない。何を言うこともなく、紫はひたすら泣き続けている。

 すぐそばの広い道路では、大人たちが呆然と、燃える集落を眺めていた。火は迫りつつある。ここもいずれ赤と黒に呑まれるであろう。

「姉ちゃん、おばちゃんが死んじゃった」

 灯里にしがみつきながら訴えると、彼女はばんばんと煬介の背を叩いた。

「地震のせいだよ、仕方ないんだよ」

「おばちゃん、死んじゃったよ。姉ちゃん、じいちゃんは」

「じいさまは分からん。でも、おまえはようやったよ。紫ちゃん助けたろ」

「でも」

「おまえのせいじゃない、だからようにはどうしようもなかったんだよ。仕方ないの!」

 姉は必死になってそう言った。

 煬介は集落を振り返った。

 恐ろしいほどの赤と黒が、天を蹂躙するように立ち上っていた。

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