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1.1923 夢滴と消ゆ [1/4]

[1-1/4]

 青萌える山ふもと、にぎやかな声が響く木造の校舎がある。

 伏雁村(ふせかりむら)に唯一ある、尋常小学校であった。

 伏雁村は田畑の広がる、長閑な、どこにでもあるような田舎の村である。小学校の門が開き、下校する児童たちが畦道に散っていく。笹を持つ子供が目立つ。今晩は七夕であった。

 梅雨の季節ながら、今日の空は晴天である。天の川はきっと見ることが出来るだろう。

 一つの道を、学校に通い始めたばかりの男の子と女の子、そして保護者然として付いていく高学年の女の子が歩いている。よく見れば男の子は泣きじゃくり、それを同い年くらいの女の子が慰めるように手を引いていた。

「まったく、いつまでグズグズしてんの」

 後ろでゆっくり歩いている年長の少女が、あきれた口調で言った。彼女は男の子の姉であった。

「だっ、て、あいつ、ら、が」

 しゃくり上げながらも少年は言い訳する。この子は校門を出たばかりのところで同級生にいじめられているところを、姉に助けられたのだった。

 勝気な姉はふんと鼻を鳴らす。

「前々から言っているように、あんたがおどおどしてるから苛められるんだよ。何にも悪いことしてないんだ、胸張ってりゃいいのにさ」

「だって……」

「だってじゃない! ったく男のくせに、びーびー泣くなっ」

 姉の怒声に、少年は怯えたように肩を竦ませる。その頭を、付き添って歩く女の子が優しく撫でた。

「ようちゃんは、やさしいんだもんね。いいの。ゆかりが一緒にいてあげるもの」

 (ゆかり)という名のその少女は、姉弟の隣人で幼馴染だ。

「ようちゃんはね、おはじきにおてまりにゴムとび、とっても上手いのよ。今度あかりちゃんにも見せてあげる」

 振り返った先にいた少年の姉―――灯里(あかり)は、紫の言いざまに苦笑いした。

「まるきり女の子の遊びじゃん……ひょっとして、煬介(ようすけ)の奴、女の子としか遊んでないの?」

「うん」

 満面の笑みで大きく首肯した紫に、少年―――煬介は恥ずかしそうに俯いた。恥ずかしい、という自覚があるだけマシである。姉はため息をついた。

 やがて長屋が密集した集落に帰り着いた。隣家の板戸の前で立ち止まる紫に手を振って、姉弟は自宅の板戸を開ける。

「ただいま帰りました」

「ただいま」

 返事はない。玄関を入ってすぐの居間のちゃぶ台の上にあった置手紙を取り上げ、灯里は顔をしかめた。

「じいさま、またお仕事だって」

「街に行ったの?」

「さあね。夕飯は紫ちゃんちで世話ンなれってさ」

 教科書を詰めたカバンを放り出して、灯里は玄関に立ち戻る。

「姉ちゃん、どこ行くの?」

「いっちゃんとこに行ってくる。あんたも行く?」

 いっちゃんは灯里の親友の女の子だ。しかし、煬介は灯里よりさらに体が一回り大きいいっちゃんが苦手だった。いっちゃんはけして乱暴な女の子ではないが、大きいというだけで煬介には恐ろしい。

「ん、いいよ」

「そ。じゃね」

 姉はあっさり家を飛び出していってしまった。煬介は開けっ放しの玄関戸に手をかけると、板戸の傍にかけかけてあった、自分と姉の笹を見つける。

 姉の笹には“いっちゃんとずっと一しよにいられますように”という短冊と、“ようが男の子らしくなりますように”と書かれた短冊がつけられていた。二個もお願い事が吊られているところが姉らしいと、煬介はくすりと笑った。

 一方の煬介自身の笹にある短冊は、半分に破り取られていた。

 暗い顔で煬介はそれを見る。帰り道に泣いていたのは、いじめっ子にこの仕打ちを受けたからだった。

 本来短冊にはこう書かれてあった―――“父ちゃんと母ちゃんができますように”。

 いじめっ子にからかわれるまでもなく煬介にも分かっている。親が子のあとに出来るはずがない。こんな願いが叶うはずはない。煬介は生まれてこのかたずっと、姉と祖父だけと暮らしている。

 何故煬介と灯里に両親がいないのかは知らない。生きているのかどうかすら、祖父は教えてくれぬし尋ねても怖い顔になるばかりだ。

「おかえりなさい、煬介ちゃん」

 隣の板戸が開いて、女のえくぼ顔が覗く。

「おばちゃん」

 紫の母、立花(りつか)である。煬介は相好を崩すと、立花の膝に飛びついた。

「あらあ、煬介ちゃんは甘えんぼね」

「ようちゃん、うちに来て遊びましょうよ」

 家の中から紫が手招きする。

 煬介は大きく頷いた。


 街と言っても、寂れた街だ。

 洒落たカフェーなどがある都会でもない。茶店の軒先に腰掛け、男はふうと息をついた。真白に染まりきった髪に、縮めた身体はすっかり老爺のそれである。目をしょぼしょぼと瞬かせ、女中に緑茶を注文すると、老いぼれた男はぼんやりと正面を眺めた。傍らに置いた背負い箱は今日も軽くならない。男は実入りの少ない薬売りであった。

 目の前を豆腐屋が通過していく。

「火に入る虫の言伝に」

 そのときである、男の目がぎろりと上を向いた。

 蛇のような睨みは、見たものをぞっとさせるような鋭さを放っている。

「……お孫さまがたは、お元気ですかな」

 どことも知れぬ声が響いた。先の、暗号めいた言葉を呟いたのと同じものである。

 腰かける男は、凛然と応じた。

「わしの目の黒いうちは、指一本子らには触れさせぬぞ」

「結構。こちらも、あなたに再びやる気を出して頂けたことは有難いのですから」

 男―――狗堂(くどう)幹久は、姿なき声にため息を返した。

 時は、大正十三年。

 焔村千晴(ちはる)の忘れ形見が生まれてから、七年の月日が過ぎていた。

 幼い姉弟は祖父、幹久が引き取り養育することを許されていた。しかしそれは、幹久が再び陽忍―――表向き普通の生活をしながら諜報活動を行う忍びとして働くこと、そして姉弟に忍天狗(しのびてんぐ)の手ほどきを行うことが条件であった。

 前者はこのように、朱雀天狗の使者とやり取りをしていることから明白である。後者に関しては……子らがまだ幼いことから、基本的な身体の訓練、知識の教育のみにとどまっている。今後どうそれが発展するのかは、まだ不明瞭だが―――このままゆきずりに、彼らが忍天狗となることだけは避けたかった。

 だから、幹久は命じられるがまま動き、務めを遂行する。

 それが唯一、孫らを泥の沼から掬い上げる術だと信じて。

「して、仕事は何じゃ」

 こうしてまた、孫を抱く幹久の手は汚れゆく。

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