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[1914]

[1914]

 こずえと千晴は人知れず夫婦となった。元々千晴の世話をするようになってから、こずえの身は銀二を除く他の使用人たちの目にはほとんど触れないようになっていたので、仔細を知る者はおそらくいない。お屋敷の最奥で、こずえは今まで通り、女中のように働き続けた。旦影たちのような華やかな結婚の儀も何もなく、ただ結納だけが行われたが、こずえはそれでも、幸せであった。

 それから間もなく、こずえは子を授かった。娘であった。アカリと名付けられたその子は白子ではなく、明るく活発で、少しばかりおしゃまに、すくすくと成長している。

 アカリが三つになったころ、突然の客が朱雀亭に訪れた。それも、通されたのはお屋敷の方。親族である。

「銀二さん、どちらさまで?」

 忙しく用意をする銀二を捕まえて尋ねると、銀二はせむしの身を扱いづらそうに振り返り、答えた。

「一族の者じゃが、まいった。当主ご夫妻は次代様ご夫妻を連れて、白虎の村まで足を運んでおられて留守なのじゃ」

「それでは、千晴さまがお相手なさってはいかがですか?」

 こずえの提案を、銀二は瞠目で受けた。

「それはならぬ」

「どうしてでしょう。大切なお客様をただお待たせするわけにはいかぬのでしょう」

 子を産んだことで、こずえの言葉は徐々に、朱雀亭の中で力を持つようになっていた。

 後継の立場から外されているとはいえ、千晴は焔村当主の長子なのだ。旦影夫妻に子はない。千晴の子が再び後継の座に上るのも不可能なことではないのだ。

 銀二はそのことをよく知っている。声を一層ひそめて、こう応じた。

「白虎や玄武の使いなら、千晴さまでもよかろう。だが、今度の使いは青龍じゃ。いかん」

「青龍の方たちもおられたのですか」

 結納の際、一族のうち“白虎”、“玄武”と呼ばれる者たちの代表の老人たちが来ていたが、青龍はいなかった。驚いて口に出すと、銀二はしまった、と言わんばかりの顔になった。

 そこに、こずえは食い下がる。

「教えてください、銀二さん。何故この家は朱雀で、他の家も四神の名を持つのですか。そして、青龍の名前だけが正式な場にないのはどうしてなのですか」

「……この一族は代々天狗の身であってな」

 天狗、という単語にこずえは息を呑む。銀二は滔々と続けた。まるで開き直ったかのように。

「遠い昔、この国を支える天狗の力を授かったという伝承が残っておる……まるで御伽物のようじゃが、問題はその力が目に見える形で息づいているということじゃ。強すぎる天狗の力は四つに分けて、いつか完全にこの国の土に還すため、脈々と一族の中に受け継がれておる。その四つが、四神相応の名で呼ばれておるのじゃ」

「では、千晴さまも……」

「左様、朱雀一派の当主、焔村の名を持つものこそ力の一つ。白虎、玄武も同様じゃ。しかし青龍だけは……青龍の力は行方知らずとなっておる」

「力は受け継がれているものではないのですか?」

 銀二はぎょろりと目の玉を動かした。

「目に見える形になっておると言ったろう。力はこう……眼球ほどの大きさの、脈打つ黒い玉の形をしておるのじゃ。一度だけ、御当主に見せていただいたことがある」

 なるほど、それで青龍の一族は、ほかの三つと並び立つ資格を失ったのだ。

「でもどうして、青龍の力だけが行方知らずに?」

「それはわしも知らぬ。しかし、複雑な事情があって、朱雀と青龍はあまり良い関係にはないのでな、なんでも明治維新の折にひと悶着あったとか……とにかく、千晴さまの存在を青龍に知られたくはないのじゃよ」

 当主の子とはいえ、千晴はどちらともいえぬ鬼子の扱いなのだ。

「今日のところは、使いに帰ってもらう。おぬしも、このことは他言無用じゃ」

「銀二さん……千晴さまは、今のお話をご存じで?」

「無論。このお屋敷にあっては、知らぬはおぬしら使用人だけじゃ」

 去る銀二の背を見送って、こずえは目をぱちくりとした。

 どうして銀二はそのような言い方をしたのか?

 使用人を除けば、この家は焔村家の者しかいないのである。


 ほどなくして当主たちが戻ったが、再び青龍の使いが朱雀亭を訪れたのかどうかこずえには定かではない。

 だがある晩、銀二が一家の臥所を訪ねてきて言った。

「今晩、このお部屋を出られることはないように」

 千晴は厳しい顔つきだったが、頷いた。

 ただならぬ重い空気に、こずえはアカリを抱いたまま尋ねる。

「どういうことですか。何があるんですか」

「おまえさまは知らなくてよろしい」

「またそんな……」

 言い募ろうとしたこずえを、千晴が制した。

「一晩かぎりのことだ。……銀二、下がって良いよ」

 その夜半のことである。

 こずえは揺り動かされ、目を覚ました。

「かかさま、しっこ」

 アカリの舌足らずな言葉に、こずえはひそかに起き上がった。

 千晴は眠っている。ここから厠まではすぐだ。寸刻で戻ってこられよう……

 アカリを抱き上げ、こずえは静かに襖を開けた。

 いつもの通り、沈黙深い漆黒が―――いや。

 こずえはその異質な気配に気づいた。元からこの屋敷には何かいるような感じが常にあるのだが、それはさらに輪をかけて、存在感と違和感を静かな庭に放っている。

 早く済ませてしまおう―――アカリを抱く手に力を込めたとき、それは突然、こずえの足元に降った。

 縁側を見下ろしてこずえは叫びそうになった。

 人の指だ。

 頭上から滴る何か。それが血であることは疑いようがなく、こずえは梁の上にある“何か”が、庭先に立つのを見た。

 風が走る。

 また何かがこずえの肩を突き飛ばした。ぶつかったそれは庭に転落し、それをこずえが認識した矢先に姿を消す。ただ白い砂の上に、黒い血だまりだけを残して。

 何かが起こっている。どこからともなく吹く風と剣戟に、こずえはアカリを袂で隠した。恐ろしいそれからわが子を守らんと、ただ母親の本能だけがそうさせたのだ。アカリもまたこのこびりつくような異質な空気を吸い込んで、しゃくりあげ始める。

 遂に、庭先にぼとぼとと落ちる音がした。遠目からでもわかる。あれは人間の破片だ。

 悲鳴が上がる。こずえの上げたものではない。見れば、こずえのいる縁側の曲がり角に、髪をふり乱した女と、その背後に立つ影がある。奇声は女のものであった。

 影は女を組み伏せたまま、佇んでいる。

 こずえはアカリを抱きかかえたまま、寝所に駆け戻った。


 数刻のち、夜明けと共に開けた襖の向こうには、いつもの通りの朝が訪れていた。

 庭先や縁側にあった肉片や血は跡形もない。

 間もなく夫も起きてきたが、こずえはその恐ろしい晩のことを話す気にはなれなかった。

 しかし、その日仕事をしていたこずえの元に、意外な人物が現れる。

 旦影である。

「外に出てはならんと、銀二に言われていたろう」

 炊事をするこずえの後ろにひっそりと立ち、からかいような声音で旦影は言う。

「恐ろしい目にあったろうな」

 どこまでも冷たい声に、こずえは心臓が凍りつきそうな心地だった。

 土を踏む音がし、旦影が近づいてくる。

「……なんの、ことでしょうか」

「とぼけるな。昨晩、おまえたちの部屋の庭先であった一件のこと、見ていないとは言わさぬぞ」

「あれが何なのか、旦影さまはご存じなのですか」

 はっと振り返ると、旦影は恐ろしい形相でこずえを見下ろしていた。

「あれがおまえの知りたがっていた、天狗の所業じゃ」

「天、狗様、が、人を……殺める、のですか」

 うしろには窯がある。こずえは迫る旦影と火の狭間で身を縮めた。

「そうじゃ。葉隠山の忍天狗(しのびてんぐ)は人を殺して飯を食らっておるからな」

「忍天狗……」

 あっと、こずえは声を上げた。旦影がこずえの手首を捕えたからである。

「お放しください!」

「馬鹿な女よ。何故千晴に嫁いだ? 何も知らなければ、知らぬまま平穏な日々を送れたものの……わざわざ己から、天狗道へ堕ちるとは」

 顔を近付け、旦影は続けた。

「教えておいてやろう。昨晩のあれは青龍の使いじゃ。最近また生意気を言うようになってきておったからな、少々灸を据えてやったのよ」

 ぱっと手を放すと、旦影は身を引いた。

「―――おまえも分相応に、慎ましやかに暮らすが良い。さもなくば、天狗の祟りに会うてもしらんぞ」

 こずえは衿の合わせを掴んで息を整えながら、旦影が立ち去るのを待つ。

 知ればあなたは後悔するだろう、だがいずれ知ることになる―――

 千晴の言葉が浮かんで、消える。

 焔村は天狗の一族なのだ。

 千晴もそう。では、アカリもいずれそれに巻き込まれることになるのだろうか?

 薄ら寒いものを覚えながら、こずえは立ち上がることができなかった。

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