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5.1927 フォークロア・後[3/4]

[5-3/4]

 灯里は手の内で脈打つ、その不気味な玉から目を離せずにいた。

 玄関を激しく叩いたのは、昨日現れた兎丸銀二という男で。彼は腹に大穴を開けており、灯里にこれを託すと間もなく息を引き取った。末期に、「あなたか彼がこれを継いでくだされ」と言い置いて。

 この宝玉がなんであるか、灯里にも分かる。

 灯里の隣で呆けたように、それを凝視している煬介も同じだろう。

「姉ちゃん……じいちゃんは」

「……分からん」

 何故銀二が殺されたのか、何故日暮れになっても祖父が帰ってこないのか―――何故、この家の周りを忍天狗の気配が取り囲んでいるのか、灯里には分からない。

 敵意を秘めた無数の気配を、同じく感じ取っているらしい煬介は怯えたように灯里にすり寄っていた。この子だけは守らねばならぬ。何が起こっても。

 意を決して、灯里は玉を―――天狗丸を、口に運んだ。

「あっ」

 煬介が声を上げると同時に、飲み下す。

―――途端、焼けつくような痛みが喉を襲った。

「う、ぐっ」

「姉ちゃん!」

 まるで内側から、焼きごてを押し付けられているような熱さと激痛だ。頭の先まで痺れるような苦痛が灯里を襲う。のた打ち回る灯里に、耐えきれなくなった煬介が口の中に指を突っ込んできた。すぐ現れる嘔吐感、それに逆らうことなく身体は宝玉を吐き出した。

「姉ちゃん、姉ちゃん……姉ちゃん……」

 煬介は泣き出すと、灯里にすがりついた。激しく息をつきながら、灯里は起き上がることもできずに弟の泣き顔を眺めている。駄目だ、私では、駄目なのか。

 どれだけ時間が過ぎただろう、灯里はぼんやりとする頭を無理矢理覚醒させる。煬介が、玉に手を伸ばしたからだ。

「駄目っ!」

 ぱしっとその手を取り、天狗丸を叩き落とす。驚いたようにこちらを見た煬介を、灯里は抱き締める。

「駄目……あんたはそんなことしなくていいんだ……いいね、姉ちゃんと……じいちゃんに任せるんだ、いいね」

「でも」

「大丈夫だよ。大丈夫……」

 結局、灯里は天狗丸を箪笥の中に仕舞い込んでしまった。

 時間も遅い。じっと見つめるような気配を気にせぬように、早々に夕餉の準備をする。不安と恐怖に押しつぶされそうな夕食は味がせず、姉弟は半分も食べきらなかった。祖父の分は残してあるが、日がとっぷり暮れても、幹久はまだ帰ってこない。

「姉ちゃん」

「ん……姉ちゃんはじいさまを待つから、煬介は寝てな」

「おいらも待つ」

「いい。寝てな」

 言って、灯里は無理に寝間に煬介を押し込む。

 箪笥の引き出しを開け、深呼吸をすると、玉をそのままにして玄関に出る。少しだけ引き戸を開いて、忍び言葉で呼びかけた。

「ろの九、狗堂でございます。これは一体、どういうことでございましょう?」

 返事はすぐにあった。

「せむしの兎丸銀二がいるはずじゃ。奴はどうした」

 灯里は答えられない。亡骸は布団に包み、弟と二人がかりで土間に運んだ。会話の相手が、彼がこの家に入ったことを知っているということは、まだ出ていっていないことも知っているはずである。

「兎丸どのは……死にました」

「亡骸と、奴から受け取ったものをよこせ」

 やはり。天狗丸のことを知っている。

 灯里は顔を上げると、何もない暗闇に凜と声を張り上げた。

「その前に狗堂は。狗堂幹久をいかがなさいましたか」

「兎丸が先じゃ」

 気配が増える。風が鳴り、木々が揺れる。まるで夜が撓み、怒っているかのようだ。

 灯里はここで初めて不安に我を忘れた。虫の知らせが、祖父のことを思わせたのだ。

「お願いです、祖父の無事を確かめさせてください」

「ならん。わしらが待つのは、おまえたちに対する温情ぞ、何度も言わすな」

 灯里は銀二の言葉を思い出した―――天狗丸を渡してはならん、けっして。渡せば二人とも殺される。

「お、お待ちください」

 ぴしゃりと玄関戸を閉めると、灯里は胸を掴んだ。いつの間にか上がっていた息を、どうにか落ち着ける。

 どうする。もう一度、試すべきだろうか。あの痛みと苦しみに耐えればいいだけの話だ―――そうだ、呑み込めばいいだけなのだから。

 自分にそう言い聞かせながら居間に戻った灯里は、箪笥が開いていることに気づいて青くなった。机の傍で煬介が背中を丸めているのが見える。寝そべる彼の口元に、既に吐き出されたあとの天狗丸があった。

「馬鹿!」

「ね、え、ちゃん……」

 苦しげに煬介が手を伸ばす。はっとして、灯里はその指先の天狗丸を取り上げた。煬介はさらに顔を歪める。

「おいら、思ったんだけどさ……」

「駄目だよ、大丈夫だって言ったろ。あんたは寝てろって―――」

「さっきの話、聞いてた。それでさ、思い出したんだ。宝治朗の兄ちゃんに聞いたことなんだけど」

 ゆっくりと煬介は起き上がる。

 身体の下敷きにされていた方の手が、鋏を握っている。

「煬介……?」

「昔はな、それ」

 煬介はにこりと笑うと、右目に手を当てた。

「それ、目の代わりに使ってたって」

 鋏が、眼窩に突き立つ。

 灯里は今度こそ悲鳴を上げた。

「煬介!」

 灯里は必死に引き離そうと組み付くが、身体を丸め、苦悶の声を上げながらも煬介は鋏を手放さない。畳に紅の花が点々と咲く。涙とも血ともつかぬものが、煬介の顔を染めていく。

 机に頭をぶつけ、蹴られ、居間を転がりまわりながら、灯里は煬介から鋏を取り上げた。だが固く閉じられた右瞼はずたずたに切り裂かれ、鋏には―――灯里は大声で、顔を真っ赤にして叫んだ。ついに涙が溢れる。

「馬鹿野郎! 何やってんだおまえ!!」

「姉ちゃん……天狗丸よこしてよ」

「馬鹿……馬鹿、おめえ……」

「いいから……これでたぶん、入るよ……」

 すとんと尻餅をつき、灯里は堰を切ったかのように、泣き声を上げた。両手で顔を覆う。泣くまいと思っていたのに。思っていたのに―――

 煬介は笑っていた。

 血まみれの青い顔で。

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